銀の砂漠

銀の砂漠は、月の砂で出来ている、と昔語りの、老婆は語る。
流星が三度瞬いて、辺り一面を天幕状になった、炎の波が焼き払い、この地にはほんの少しの灰と、風だけが残ったらしい。
緑洲(オアシス)の民達から、希望の花と言い伝えられている、黄色く、可憐な花でさえも、燃えてしまった。
僅かに残った力無い風は、燃え屑達を巻き上げることしか出来なきなかった。生き物の、生命を力を奮いたたせてくれるような、風を吹き鳴らすことは出来なかった。
民達は、もはや、蜃気楼にさえ、縋ることも出来なくなった。
哀れに思った、お月様は、自身を、諸星渦巻く天ノふるいにかけ、その粉(こ)を、この地にはらい落とした。
雪をしらない民達は、天から、神様の体の垢が落ちてきたのだと思った。それならば、神様はなんと眩く美しい体を持っていらっしゃるのだろう。
この粉は、ちょうど、この世全ての金銀財宝を、細かく砕いて、天女の薄衣のような柔い風に乗せて、運ばれてくるようだった。
お月様は、少しばかり、小さくなっていたのだけれども、神の奇跡で、新たな砂漠が復活した喜びに包まれた民達は、まさか、そんな事には気づくことは、出来なかった。
その中に、幼い頃の老婆がいた。彼女は、銀の砂から、翡翠のような萌芽が、めきめきと生えてきているのを見ると、産まれたばかりの幼い弟の生命を救えると、父と母と、一緒になって泪を流しながら神に感謝した。
幼かった老婆が、老婆だけが、月がほんの少し、一回り、小さくなっていたのを見つけた。
周りの大人に、それを話したら、幼い子供が、作り上げる可愛らしい童話だと、思われただけだった。

老婆は、時の流れで重くなった瞼を、もう自分の力で持ち上げることは出来ないけれども、あの光景は、ずっと老婆の瞼の裏に、刻まれて、いつでも頭の中に映し出されている。


夜の冷たい銀の砂漠に、花嫁衣裳の姿の娘を乗せた、年老いた駱駝が、一頭、よたよたと歩みを進めていた。嫁入り道具や、荷物を乗せた、若く力が漲る駱駝達は、さっさと先へと進んでしまっていた。
娘は、嫁ぐ男の家に着いてしまうと思うだけで、心の臓があまりに早く動いて、沸騰した中の熱い血が、皮を突き破ってしまいそうだったた。
家に昔から居た、この年老いた駱駝に乗って、出来るだけ自身の胸の内の均衡を保ちながら、ゆっくり、ゆっくりとと歩みを進めていた。
年老いて、長い睫毛が、松の葉のように、四方八方に飛び出てしまっている駱駝は、この娘に恋をしていた。

この娘が、生まれた時は、いつもは、厳つい顔の父親が飛び上がって喜んで、駱駝のいる、厩にまで飛び込んできた。父親は、いつもとは、ありえないほど目を細く、偃月刀のようにしならせ、駱駝に娘の顔を見せびらかした。
駱駝は、産まれたばかりの、真っ赤な顔をした、目の前の小さな生き物を見て、母親の獣がそうしてやるように、顔を何回も何回も舐めてやった。
駱駝は、見た瞬間に、この小さく、弱い生き物を、護らねばならぬと、決意した。それは、本当に、愛と呼べるものなのか、群れを作って生きる獣が、か弱い生き物を守る本能なのか、それは、駱駝にとって、分からなかったけれども、この気持ちがいつまでも続くのなら、そんなものはどっちでも良い、と思った。
赤子は、驚きはしたのだろうが、泣きはせず、ただただ、無邪気に笑った。
父親も、その様子を見て、地獄の鬼も逃げ出すほどの笑顔で腹の底から、軽快な、活火山のように、笑った。
それから、何回も娘を、背中の瘤に乗せていた。
駱駝は、自分とこの娘の中に流れる銀の砂時計が、止まっていまえばいいのに、と何回も願った。
しかし、神は、それを聞き入れてはくれなかったらしい。

しばらくすると、娘は、見つけた小さなオアシスで、駱駝を休ませた。娘は、白絹と、幾重もの飾り鈴が着いた、煌びやかな、花嫁衣裳を、砂埃で汚さないように、長く厚い、毛皮のコートを羽織っていたが、駱駝も、婚礼の義の特別な飾り鈴を幾重にも、自身の体に、きらきらと垂らしていた。娘と、駱駝が動く度に、しゃらしゃらとした音が、誰もいない、夜の冷たい砂漠に響いた。
ただ、銀色の月だけが、それを見て、聞いていた。

駱駝は、知っていた。娘が嫁入りする場合の婚礼では、必ず、その花嫁が乗ってやって来た駱駝の骨から、スープをとることを。そしてそのスープが花嫁にも、相手の花婿にも、その他の家族全員にも振る舞われることを。
この家に、生まれ落ちてから、何回も、おかみさんが他の家の女友達と、話すのを聞いたから。
しかし、駱駝は悔いはなかった。
獣と、人間では、元々結ばれる交(よしみ)は、無いのだと、あったとしても、海中の珊瑚のように、いつかは脆く崩れていくのだと、
そして、たとえ、熱く透明な汁物の中に、生命を溶かして、流し入れたとしても、彼女が口にいれたとしたら、ずっと、永遠に彼女と共に居られるのだと。
彼女の血の中に、自分の血も流れ込み、彼女の肉の中に、自分の肉も、寄り添う。

駱駝の泪の雫が、黄色い花びらの上に落ちた。
娘は、駱駝が涙の川を、顔の上に流しているなぞ、知らなかった。
もう充分というくらいまで、休んだ後に、娘は、さすがに出発しようとして、駱駝の方に歩み寄った。その近く、ちょうど、駱駝が休んでいた足元に、緑洲(オアシス)の民に、希望の花と言い伝えられているものが、静かに、凛として咲いているのを見つけた。
黄色い花は、銀の月の光を反射して、黄色い星屑がそのまま、光っているような色合いだった。
その、星屑から切り出したような、花びらの上に、清い色を称えた、夜露が一玉、ぽつりと落ちていた。
「まぁ、綺麗。きっと神様が祝福して下さるのでしょう。」
駱駝は、そういった娘の顔を、ただ静かに見つめた。泪のあとは、もうすっかり、綺麗さっぱり、渇いていた。
娘は、花嫁の新しい家へと、
駱駝は、自身の骨が埋まる土地へと、進んで行った。


きっと、この娘の婚礼の義の後で、出される駱駝の骨から煮出したスープは、胸焼けがするほど、切ないほどの、夜露のような泪が、絶え間なく流れるほどの、味だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?