夢鏡水路

ここは、夢や幻想に住まう者達が、互いの世界に干渉しないで、欲しいものや要る物を、物々交換で、手に入れるための水路です。
ここでは、誰でも商人になれます。手に入れたいものと、同じくらい尊いもの、珍しいものを、代金の代わりにして、取り引きします。
ここに来る者達は、商人にも、お客にもなるので、商客と、呼ばれます。
人間が決めた価値や値段は、ここで、取り引きされる物には、あまり関係ありません。
ただ、そこを利用する者達は、元々の持ち主が、その品物を大事に、大事に思っていた気持ちの強さというのを、私たちより遥かに分かりますので、その気持ちだけを、いっとう大事にしました。
霧深く短い石段の水路の入口から、誰かが降りてきました。その商客は、顔に真っ白な面紗を付けいて、頭には、角も見えました。
笠を深くにかぶって顔の見えない船頭は、商客が静かに、物音一つ立てずに、檜の心地よい匂いのする浅舟に乗り込むのを確認すると、こちらも何も言わずに、ごく限られた音を出して、船を漕ぎだしました。船頭の、着物の裾からちらりと見える腕には、魚のような鱗が張り付いていました。浅舟は、鏡面のような水の上を、姫君が歩く時のように、しずしずと進んでいきました。石膏のような、真っ白い石で囲まれた水路の岸には、幽霊のように枝をしならせる柳も生えていました。
柳の簾をくぐり抜けると、水路は、大きな流れに出ました。
世界中の鳥のように、多種多様な姿の浅舟があり、それぞれが気ままに歩みを進めていましたが、不思議と互いに衝突する様な危うい場面はなく、絡繰仕掛けの玩具の様に、自然と道順が決まっていて、
浅舟同士が水の上の道を譲り合っているようにも見えました。
角の持ち主が乗った檜の浅舟に、声がかかりました。
「や、それは蜃気楼から吐かれた蜃を、氣で練り集めた蝋燭ではこざいやせんか」
声の主は、体の大きさは人間ぐらいで、頭が鼬(いたち)の棟梁でした。鼬棟梁は、梅の花の香りがする浅舟に乗って、こちらに身を乗り出しながら、話しています。
「お分かりになりますか、作用です。特にこの、乳白色と、血のような珊瑚の色が混ざった、夾竹桃の色のものはどうです、美しいでしょう」
「いかにも、いかにも。よく燃えますか。」
「燃えます、燃えます。これは、勉学に励む時よりも、宴ではしゃいでいる時に、灯りをつけたほうが、気前よく燃えて、良い。」
「ほほう、気に入りました。さすれば、こちらは、幻の、一角獣の一本角、特にこの、美しく螺旋を描いているのが、一番いい。」
この、二人のやりとり以外にも、多種多様な声のやり取りが聞こえました。
その様子は、異国の市場のようにも、南国の鳥が、椰子の葉に掴まって歌を競い合っているようにも、けたたましいけれど、ずっと聞いていたいような気持ちにさせられました。
「天女の羽衣は、いかがです。泰山にしか住んでいない、扶桑の葉を食べてふくふく太った天蚕が、吐き出した、絹天糸(きぬテグス)で出来ています。織り上げた機織り機は、かの有名な、恋人と流星の川で引き裂かれた、星姫から承ったものですよ。」
「悪魔の目玉の水晶体を使った、眼鏡はいらんかね、どんなものを見ても、捻くれ者が見たような真実しか映さないよ。」
「翼の生えた金獅子の毛皮は、どうだい。外套にして、羽織ると、気持ちが獅子のように強くなって、空も飛べるようになるよう。」
「巨大な化け毒蛇の死体から、滴った血が薔薇の形の、結晶体になったものだよう。どす黒い色をしていて、花びら一枚でも、水源に溶かしたら、辺りの生き物は、全滅さ。」
「首無馬の、蹄はいかがでしょう。削って薬にすると、定められた刻(とき)の間だけ、自分の頭を消すことができます。」
「不死鳥の尾羽を欲しいものはおるか、熱すぎて、専用の手袋をしていないと、掴むこと出来ないが、万能薬にも、鍛治の怪我のお守りにも、その他の物にも使える優れものぢゃ」
「人魚の鱗、人魚の鱗だよ、砕いて清酒か飲水にでも混ぜると、蕩けるような歌声で話せるようになるよ」
「龍になり損ねた鯉の化生が、吐き出した水精(すいしょう)さ、こいつを依り代の核にして、自分の霊力か神通力を与えてやると、美しい女の精霊に成長するよ」
「天の山にしかない、紅葉の葉で染めた襟巻さ、神聖な葉の香りで、病魔も退散するよ、ちょっとやそっとの風邪なんか引かなくなる代物さ」
「月の石を砕いて、砂時計に閉じこめたものだ。月と連なって、地球の時間も狂わせられる」
「世にも珍しい、猫の髭と目の形の花でございます。花びらが猫の髭で、核が猫の目となっております。
特に効能はこざいません。主に観賞用でございます」
「夫婦の麒麟が閉じ込められた屏風さー中で動くさまを色々と見ることが出来るよー屏風の中の世界も同じように、動いて見えるよー」
「大宿狩りの殻と、虹真珠からできた、螺鈿のしまい箱なんだがよぅ、持ち主以外の奴が蓋を開けようとしても、固く閉まって、中の品物は取り出せなくなるものだい。これが欲しいなら、契紙(ちぎりがみ)に、印を押しなぁ」
「千里まで見渡せる、特別な玻璃水晶でできた望遠鏡。他人の夢を覗ける煌びやかな万華鏡にもなる。これで、太陽は絶対見ちゃいけない。悪くなるどころか、光で焼け付いて、目ん玉の水が全て、蒸気になる。気づいた時には、乾いた泥団子のように、崩れるぞ。」
大地に響く地鳴りのような声も、竪琴のような嫋やかな声も、苔むした石像の口がむりくり喋っているような声も、桜の花びらを乗せて遊び回る春風のような軽やかな声も……
それから、各々が大事に、懐に抱え持っているも、
本当に色とりどりの、宝石箱のようなものばかりでした。
この場所も、人々が、眠りから覚める時になると、だんだんと深い霧が晴れて、目くらましの術が効かなくなります。ここにやってくる者達は、みな、限られた時間で、無限の、夢幻の、品物たちを吟味して自らの、蒐集品を貯えようとするのです。
括れた硝子の砂時計は、頂点まで砂粒が入ってしまったら、道具しては使い物にならないでしょうが、悠久の時を生きる者達は、その欲に際限はなく、我慢すること無く、下品だと覆い隠すことも無く、おおらかに、心の中の欲しいという気持ちの戸口を開いて……
果てしなく長く続くであろう、己の寿命のちょっとした薬味にするのです。
今夜もまた、両者とも満足した様子の、人外異形の者の姿を見ることが出来ました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?