山怪異フォークロア

彼岸花の咲き乱れる山には、時折、真っ白なワンピースを来た綺麗な女が、何処からともなく、現れるらしい。女は、その格好のまま、躊躇なく真っ赤な毒花の中に寝転ぶと、すうすうと、赤子のような寝息を立て始めて、彼岸花が、自然と枯れ始める頃まで、起きては来ないらしい。
彼女が、すっかり目が覚めて、起き上がる頃には、彼岸花の毒が、真っ白なワンピースに染み込み、血のような赤に染っているという。彼女は、辺り一面の、彼岸花だった枯れ草を確認すると、また、どこかへ消えてしまうのだそうだ。
この話の面白いところは、まだこの地域が、大名達の手によって、それこそ真っ赤な、血で血を洗う争いを繰り広げていた頃から、そのような話が伝わっている事だ。その時の女の姿は、何処ぞの姫君のような豪華で、真っ白な着物なのだという。
都市伝説によると、この姫は戦で想い人を亡くし、その悔しさから、この山に咲きみだれる彼岸花の毒を装束に宿し、敵の大将を、恋人の仇を撃つつもりで、毎年、彼岸花の咲く季節になると、こうしてやって来るらしい。
泣かせる話だが、その話が本当だとしたら、死んだ後、姫は想い人に会えていないのだろうか、魂に生まれ変わりがあるとするなら、想い人よりも、仇を打つことに夢中になって、ついには、人の道理を踏み外した存在になってしまったのでは、無いのだろうか。

とある娘が、美味な山菜を取りに、春の季節が巡ってきた山に入っていった。帰りの道中、綺麗な桃色の花を見つけたのだが、背中の大きな籠の中身は、どっさり採れた山菜でいっぱいだ。山歩きでは、両の手も開けておかないと、転んだ時や獣の襲撃にあった時に大変危険である。仕方なく、髪の房に紐で結んで、髪飾りのようにして、山を降りていったのだが、進んでも進んでも、人里の明かりが見えることは無かった。
それからというもの、村中の人が総出で探し回っも、娘の持っていた籠や、装束でさえ、見つかることは無かった。娘の両親は、自慢の愛娘ヲ失った悲しさで、晩年まで泣いて暮らしたという。
ーその地方には、一つの言い伝えがあった。この山にだけ咲く、特別な桃色の花を髪に飾った女は、有無を言わさずに、山神の所に嫁ぐことになるのだという。

木こりの男が、仕事から帰る途中、妙なものを見た。その日は、やたらぎらぎらと月が光っていた夜だったのだが、なんと、男の目には、二つの月が映っていたのだ。二つの月は、普通の月に背を向けて、歩き出す時と、同じように、男の事を追いかけてくる。男は、一つしかありえない物が、二つも見えるなど、そんなに疲れるほど仕事をしてしまったのだろうか、と呑気に考えていたが、歩いているうちに、そのふたつの月に、なんだか見つめられているような気がして、気味が悪くなっていた。周りに吹く風も、気味が悪いほど生暖かくて、生臭い匂いがする。男は、もう辛抱堪らなくなって、ついに駆け出した。すると、二つの月も、上下に飛び跳ねながら、追いかけてきた。男が恐ろしい気持ちに、やっとの勇気を出して振り返ってよく見ると、月が見える位置のそのすぐ下に、げっそりするほどの鉤爪が着いた毛むくじゃらの巨大な獣の脚のようなものもあった。男はついに悲鳴をあげて、走って逃げだした。男は運良く、大岩の間に隙間を見つけて、そこに逃げ込んだ。安堵の声を着いたのもつかの間、男が入り込んだ岩の上に、何か重いものが、勢いよく、どすん、と上がった。岩同士の間にできた上の隙間から、恐ろしいほど尖った爪の先が、見え隠れしている。爪は、村人達が農作業で使っている鎌の刃よりも、大きく鋭く湾曲していた。
また、上の方で、狩猟犬が穴に残った兎の匂いを嗅ぎとる時よりも、やたらと深い鼻音が聞こえた。その音は、正しく、獣が獲物を探して、嗅ぎ回っている時の、それだった。
男は、息も気配も必死の思いで、できる限り消した。そうして暫くして、恐怖と酸欠で男が失神してしまうのではないかと思うくらいの時が過ぎた後、地割れのような低い低い音が真上でした。その音を下で直に聞いてしまった男は、鼓膜も、頭も割れてしまうのではないかと思った。
それから、ぴたっと静かになって、鉤爪も鼻の音も、きれいさっぱり無くなってしまった。
男は、恐る恐るそろりと岩の間から、這い出してきた。
男が、二つの月だと思い込んでいたのは、どうやら正体不明の、大きな獣の両眼らしい。そして、あたりに吹いた、不気味な風は、獣の恐ろしい息遣いだったようだ。そして、最後に聞こえた地割れのような音は、食いっぱぐれた獣の、憤慨する声だったようだ。


山に子供達が遊びに行ったが、隠れんぼのときに一人だけ山深い所まで入ってしまって、完全に道に迷ってしまった。心細い気持ちを押し殺して、来た道を探そうとしたが、それすら、疲れ切った子供の目には、分かりやしない。辺りが暗くなって、不気味な獣や、カラスの鳴き声もする。いよいよ駄目だ、というように、両の眼から涙がどっと溢れてきた。大声を出して泣きじゃくる寸前に、後ろから、どうしたの?と女の声がかかった。子供が吹き替えると、優しそうな女が、一人で佇んでいた。怯えきった子供は、その女の胸に泣きついて、大声を出して泣きながら、訳を話した。
「それなら、もう今夜は私と一緒に居なさい。私といれば、恐ろしい獣も寄ってこないから」
女はそう言いながら、子供に自分の膝を、枕として貸し与えて、寝かしつけた。うとうとしながら、
瞼が落ちてくるのと、心地よい微睡みに誘われたように、こどもは、すとん、と眠りに落ちてしまった。
「もうお眠り、明日は良いところに連れてってあげる」
子供は、その言葉を夢心地半分で聞いていた。村まで連れて行ってあげよう、という意味で言ったのだろうが、少しだけ言い方が妙だな、と思った。が、その時の子供には、もうどうでも良かった。
その晩になって、子供の母親が、村長(むらおさ)に申し出て、総出で山中を探す事になった。申し訳なさそうに、泣きながら頭を下げる母親を宥めて、村人達は、根気よく山中を探した。すると、子供は、なんと崖の上に、植物の蔦が何重にも絡まった辺鄙なところで、見つかった。植物のしなやかな蔦が、ハンモックの様になって、子供の体を、重力から守っていた。下は、全くの暗闇に包まれ、見えないほどの深さだった。村人達は、まず子供が見つかったことに、安心して、母親元気づけたが、例え、疲れ切った子供であっても、こんな所で眠りこくだなんて、不自然だと思い、子供に一体何があったのか、口々に聞き出した。子供は、一部始終を村人達と母親に話した。訳を知った村人の一人が、こういった
「山津神さんは女だというから、おめさんの子供があんまりにも気に入っちまって、連れていこうとしたんだべ」
帰りの、子供は、村中の人達と同じ数の提灯の光に包まれて、母親に手を、ぎゅっと強く握りしめられながら、山を下っていった。
その後、家に着いてから、子供は信じられない程の高熱を出し、看病している母親の手が、火傷してしまうほどなのではないのかと、思われた。
村の人は、みんな口々に、山の女神の怒りなのではないか、と噂したが、母親の前では絶対に言わなかった。それもみな、子供のことを心配する気持ちからであった、中には、山津神に怒りを鎮めて貰おうと、病を祓って貰おうと、隣村の僧侶か、神主に伝えに行く、とまで言い出す者もいた。子供達の中にも、心配して見舞いに来たり、様子だけでも知りたいと、やってくる子達もいた。
そんな様子の子供であったが、十日もすると、すっかり熱も下がり、それから、五日が過ぎて、普段通りに食事をし、寝起きができるようになった。
元気になった子供は、しばらくは家と田んぼの周りでしか、遊ばなかった。母親の、不安な顔を見たくなかったからだ。子供達も、なるべく複数人でいることを選び、限られた場所でも、前と同じように子供と遊んでくれた。
一年も経つと、ようやく山に入ることを許されたが、絶対に深くまで入らないことを、母親に約束された。もうそれからは、身の回りで変わったことは、起きてはいない。


ヒトフユゴシ、とその魚は言われた。凍った水の中で、何も食べずにひと冬を越し、山の雪解け水とともに、沢の辺りまでおりてくるのだという。仙人のような修行を終えた摩訶不思議な魚は、神通力を経て、その肉を食べたものは、人魚伝説よろしく、不老不死になるのだとか、鱗を持っていると、漁や釣りの際に、暇になることは無いのだとか、姿を見ただけでも、幸運に恵まれるらしい。
別の地域に伝わる話で、そのヒトフユゴシを食べてしまった食いしん坊の熊が、体の所々に鱗が生えてしまい、獣とも龍ともつかない異形の怪物に姿を変えて、村々を襲ったというのも伝わっている。その後は、通りすがりの得の高い僧侶や、住処をおわれた落人などに討ち取られたらしい。化け物を討ち取った者は僧侶か、落人か、場所によってまちまちで、はっきりとしない。今は、住む人が少なくなってしまった村に伝わる、化け物退治の英雄の石像も、何百年の時が経つにつれて、苔むし、石は割れて、一体誰なのか、分からないものになってしまった。
他には、全くの人間に姿が、変わってしまい、人間の娘と恋に落ちて、夫婦の契りを結び、子を為して、死ぬまで、幸せに暮らした話も残っているらしいが、そのようなタイプの話は、なぜだか、たった一箇所にしか、伝わっていない。

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