福澤諭吉×TK工房 仮想対談④
TK「先生、前回の説明で、たぶん学問せなあかんことは伝わったと思うんですけど、学問て何をやればええの?て思ってる人も多いと思うんです。」
先生「まぁ、そう思う人もおるやろから、次の節いってみよか」
ここでいうてる学問ていうのは、単純に難しい字を覚えて、わかりにくい昔の文章を読んだりする、みたいな世の中で全く役にたたん学問を言うてるんちゃうで。
昔から漢学者で社会的にうまくいってるやつなんてほとんどおらんし。このせいで、マトモな町人や百姓は、自分の子が学問に一生懸命になるのを見て、そのうち家の財産を食いつぶしてまうんちゃうか?て、親心として心配してまうんや。これは当然やで。これ系の学問は、実際なんの役にもたたんし、日常生活で使われへんのはわかりきったことやからな。
ほんなら今、一生懸命にやらなあかんのは普通の生活に役立つ実学やねん。例えば、いろは四十七音を習って、手紙の書き方とか、帳簿のつけ方、そろばんとか天秤の使い方とかを身に付けることから始めて、他にも学ばなあかんことはめっちゃあるんや。
地理学って、日本国内だけの話じゃなくて、世界中の国々の風土がわかるねんで。物理学はこの宇宙すべての物の性質を見て、その働きを知る学問や。歴史学は、年代記を詳しくしたもんで、世界の歴史がどうなってきたんかを研究するもんやねん。経済学は一個人や一家庭の家計簿から、世の中の経済全体までを説明するもんやねん。
こういう学問をするに時は、西洋の翻訳書を調べて、基本は難しい言葉を使わんと、できるだけやさしい言葉で対応したほうがええ。それか、もし君が若くて学問の才能があるんやったら、西洋の原文をそのまま読んだらええ。
こういう学問は人間にとって当たり前の実学やし、身分の上下なく、みんなが身につけるべきもんなんや。この心得があったうえで、士農工商それぞれの自分の責任を果たしていくていうことが大事やねん。それで初めて、それぞれの稼業を営んで、個人的に独立して、家も独立して国家も独立することができるんや。
TK「ほんまこの言葉そのまま現代人に伝えたいですわ。」
先生「いや、読んでくれたらそのまま伝わるんやけどな」
TK「勉強て何でせなあかんねん、とか、勉強して何の意味あるねんとか、子供って言うじゃないですか。」
先生「まぁ、子供は言うわな」
TK「それにちゃんと答えられへんやつ多いんですよ。とにかく勉強しといたら、ええことある、みたいな。」
先生「なんじゃそら。とりあえず勉強って、何のための勉強やねん」
TK「まぁ、とりあえず大学行っといたら何とかなる。みたいな感じですかね。前回も言いましたけど、大学に入るための詰め込み型勉強を高校ではやらされるので」
先生「で、そこまでして大学行って、大学では何ができんねん?」
TK「遊べるんですよ。高校までず~っと、詰め込み型勉強頑張ったご褒美に遊べるんです。みんなバイトしたり、サークル入ったり、酒におぼれたり、色恋沙汰に溺れたり、好き放題できるんですわ。社会に出て働くまでの夏休みみたいなもんです」
先生「え・・・嘘やろ?ほんまに言うてんのそれ?」
TK「全員が全員そうではないですけど、社会人の中にも、『学生のうちに遊んどけ』とか学生にアドバイスするやつがいます。」
先生「え・・・ほんまかいな・・・慶應は?慶應義塾はどうなってんの!?」
TK「知りません」
先生「なんでや?」
TK「僕、塾生ちゃいますもん」
先生「なんやお前、塾生ちゃうんかい!」
TK「あかんのか!」
次回に続く
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