行く先について

こんにちは、江本雨薙です。

早速ですが、立替も終わって、二つの世界に別れたあと、下の次元の者たちはどうするのかという疑問が浮かび上がりました。

つまり、そういった者たちだけでは、また愚行に走ってしまうのではないか、と思ったのです。

そこで、以下のリンクを見てもらいたいのでございますが、

http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha400.html

このリンクにある、

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」

 

我が闘争より

という文章は、神になっても完全に切れないということなのではないでしょうか。

いえ、世界は恐らく、次元によって完全に分かたれるはずです。

今回のお話は、その考察についてであります。

・『あ』として、たとえば以前に記述した記事を持ってきますと、

みろくの世の世界と、神そのものになる世界とは、太極図の外すらをコピー、つまり印刷し、次元そのものが分断されるということ。その場合、千歳飴方式で、太極図を分断しても、また同じ絵柄、つまり太極図が現れる。これは太極図の裏も同じである。

自分の記事『わかったこと』にて


究極太極図

このように、究極太極図を文字通り一枚の紙にたとえて、それを千歳飴方式で下の次元を切断して、二つの世界に別れるということを書いたことがあるのです。

・『い』として、仮にこの究極太極図の画像一枚が世界の枠だとした場合、立体的にすればこうなるはずであります。

    ||

これを究極太極図を紙にした状態、ひいてはペラペラな薄い紙の側面であり、二つの世界が分かれたあとであるとします。

そうした場合、では||の狭間は、やはり自然そのもの、もっと言えば、空間にしか見えなかったのであります。

無限な世界の壁と無限な世界の壁の間の空間に自分があると想像してください。すると、遠近限らず、密接された、かつ、その二つの世界が離れていることがわかるはずなのです。

↑こんな感じ。わたしのイメージだと、個人が空間そのものであるので、もうちょっと奥行きの空間が線状態になっている感覚です(空の意になったときはこんな感じでした)。

すると、一枚の世界として枠化された自然属性は繋がらないと仮定しても、『空の意』であればアクセスし、左の世界にも関与できるのではないかと感じた次第なのでありました。

また、空は男性性と申したように、男には『断』の意味合いも含まれておりまして、ようするには、自然そのものが下の次元の神になるという憶測が浮かんできてしまったのです。そして、肉体(半霊半物質体)は上(右)の世界にあるから下の次元には行けませんが、空そのものである神ならば、管理することなど容易いと思ったということであったのです。

短いながら、以上でございます😓🙏

余談として、1998年や1999年などは、2000年になる前であり、その2000年の本当の意味は、二線に別れるということでありまして、その年を表すわけではないらしいでございます。

また、

21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

ヨハネの黙示録21章より

これも憶測でしかないのですが、エルサレムは円(神)の意になるのではないでしょうか。円神とは太極図の『無極』部分を表し、都、つまり世界そのものと捉えることもできる、ということでございます。

21:27しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

22:14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。 22:15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

ヨハネの黙示録より

以上🙇‍♀️


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