0次元、1次元、2次元においての収穫

・見ずに見るの最終的な答えは、肉眼でもなく、霊眼でもなく、霊眼が消滅、つまり44ったときにある、自分の自然現象的な位置の光景ということであった。

・それには0、1、2次元である点、線、面と、白、黒だけでできている本当にプリミティブな視覚的視野である、己の肉体の血と目をつむったときにある黒、さらに、そこでその二つを駆使して、点、線、面、で想起するという簡単な事柄で、実際には自然現象そのものを『見ている』のである。

・もっと言えば、44っていないときにおいても、裏の自然現象は動いているということなのである。これはわたしだけの特質なのか、他の人にも動かせるのかはわからないが、実際に覚醒時において霊的な事柄がまったく見えないわたしであっても、気(血)の流れ、それに付随する線の動きや、面の動き、点の瞬きなどが『普通の現象』として存在していることに気がつけたのである。

・つまり、意思や肉眼の動きによって、消滅的(44)裏側は、視点、場が変化していたのだ。また、それは己の意的問題により、位置が固定される現象もあるのかもしれない。それはわからないが、自分の自然的な意が関係するのはまさにありうるのである。

・ひいては、究極太極図が一枚の紙(神)であり、丸とか線とかで作られているのは、その点、線、面で立体的に考えることができたり、まるでキャンパスに描くように、自由に動ける――つまり、その三つを使って描く存在がいるということの再確認となったのであった。

・観測所より報告、以上であります!(`・ω・´)ゞ



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