労働判例を読む#212

【アメックス(降格等)事件】東京地裁R1.11.13判決(労判1224.72)
(2020.12.25初掲載)

 この事案は、産休・育休を取った管理職者Xが、復帰後、不利益な処遇を受けた(均等法違反、育介法違反、公序良俗違反・権利濫用)として会社Yを訴えた事案です。

 裁判所は、Xの請求を全て否定しました。

1.却下

 技術的な問題ですが、まず注目されるのが、Xの請求のうち、産休・育休に入る前の部署の、当時の地位にあることの確認請求について、裁判所が、「却下」した点です。

 この「却下」は、請求の内容が正しいかどうか以前の問題であり、裁判所で議論する対象ですらない、という判断です。訴訟要件、と称される条件、すなわち裁判所に検討・判断してもらう資格のようなものですが、それが欠けているので、裁判所は判断すらしない、ということになります。

 訴訟は、紛争を解決するための手続きです。単なる歴史的な解釈上の違いなど、そこに決着をつけても現在の紛争の解決に役立たなければ、裁判所の資源は有限ですから、裁判所は判断を下しません。

 例えば、ある土地を返還しろ、不法占拠だ、と主張する場合、「返還請求」をすればよく、その過程で、過去に当該土地の売買があったかどうかなどが議論されます。返還請求の中での1つの事情や経緯として議論され、判断されます。ところが、ここで土地の売買があったかどうかだけを議論し、判断してもらうように請求することは、「訴訟要件」が欠け、許されない、と評価されます。現在の紛争は、土地の返還請求の可否であり、それを直接議論して判断できるのに対し、過去の土地の売買の有無を認定しても、現在の紛争の解決に直接役立たない(返還請求権を直接議論し、検討判断すればよい、過去の土地の売買以外にも、返還請求権に影響を与える論点があるかもしれない、など)。

 このように見れば、Xの請求のうち、既に廃止されてしまった部署の管理職者の地位の確認を求めた部分が「却下」される判断も、それなりに合理性が認められます。

 けれども、この判断には疑問があります。

 それは、部門を廃止し、Xの戻るべき役職を廃止したこと自体が問題になっているからです。すなわち、Xの戻るべき役職の廃止が違法であり、したがって、元の役職に戻せという請求は、XY間の現在のトラブルの1つであり、決して過去の問題ではありません。会社が組織を設計する自由を有し、従業員の配置を決定する自由を有するからと言って、それぞれ「濫用」してはいけない、という限界があるところ、Xとの関係でこの限界を超えたかどうか、という問題が争われているのであって、このことが同時に、元の職場の元の仕事に戻せ、というXの請求に直結します。

 しかも、これが「却下」でなく「棄却」であれば、元の職場の元の役職に戻せ、というXの請求について「既判力」という効力が発生し、Xは、元の職場の元の役職に戻せ、という請求や、これを前提とする損害賠償請求などを、再度訴訟で争うことが可能になります。他方、「却下」の場合、訴訟要件の不存在の部分についてだけ既判力が発生し、請求の中身は議論されていない=既判力はない、ということになるはずです。

 しかし、そうなると、Xが別の方法で人事異動の問題を議論し、訴訟を提起した場合、この点に関する既判力がありませんので、もう一度、裁判所はYによる人事権の濫用(組織設計の自由の限界を超えているか、人事異動の限界を超えているか)を検討判断する必要が生じます。このような不経済を防止するために既判力が定められているはずなのに、ここで「棄却」ではなく「却下」としてしまうと、このような不経済を避けることができなくなってしまうのです(なお、既判力が認められる理由にはほかの理由もありますが、問題点は、同様です)。

 このように見ると、Xの請求の一部を「却下」した判断については、現在の訴訟要件の在り方に照らし、適切な判断ではなかったように思われます。

2.人事権の濫用か?

 Xの立場から見ると、産休・育休から戻ってみると、部下がいなくなってしまい、それによって給与なども下がってしまう(給与などの計算の基礎となる契約件数を1人で稼がなければならない、など)、自分自身が営業活動しなければならなくなってしまう、したがって、仮にランクが「35」のまま変化が無くても、不利益な処遇を受けた、と見えます。

 けれども、Yの立場から見ると、Xに相当配慮した、と言えます。

 すなわち、Yの日本での個人契約者向けの事業(Xが担当していた事業)では、飛行場とコストコが大きな柱となっていたところ、米国本社とコストコの関係が切れたため、日本でもコストコ関連の事業の縮小が必要となりました。

 しかも、Xが産休・育休に入った平成27年中に復職すれば、元の職場の元の役職には戻せないものの、平成28年初頭からの事業再編成・人事発令の際に、年初のドサクサに紛れ込ませて、同様の仕事(特に、部下のいる役職)を与えられるはずだったが、復職が遅れたためそれができなかった、ということのようです。

 こうなると、他の従業員に部下を与え、実際に組織が動き始めてしまったので、Xに部下を与え、その分、誰かを部下のある役職から外すためには、それぞれ相応の合理的な理由が必要となります(特に人事考課)。ところが、Xの人事考課は、平均以下のものであり、到底、このような特殊な人事の合理性を説明できるものではありません。

 そのかわり、YはXに対し、日本の会社でよく見かける役職で言えば、「部付き部長」のように、肩書や処遇は「部長」だが、部下が付けられるわけではなく、したがって「部長」レベルの仕事を単独でこなすような役割を与えました。しかも、部下がいない分、契約を獲得した場合のコミッションをかなり高く設定し、自ら獲得した契約によってリカバリーできるように配慮し、部下がいないことの不利益を小さくするための措置も講じています。

 このように、Xにとって不満が残る人事ですが、それが違法と言えるものではない、と評価されたのです。

3.実務上のポイント

 こうしてみると、Xの人事考課が適切だったかどうか、が問題になります。

 それなりに営業成績を上げたことから、Xには不満の残る人事考課となったことは間違いありません。

 けれども、マネージャーとして部下を任せる場合の能力と、自分自身が営業成績を上げる能力は別の能力です。しかも、部下を任せるべき役職は、会社の規模から見ても限られており、他の候補者との相対評価で厳しく評価されるのもやむをえません。

 このような状況を考えれば、Yによる厳しい人事考課も止むを得ないものであり、限界を超えた無効なものと評価することは難しいでしょう。

 最近の裁判例は、かつてと異なり、会社の実情に応じた人事制度やその運用を踏まえた検討と判断を行う傾向が強くなったように思います。この裁判例は、非常に多くの論点に言及しているため、全体構造が見えにくくなっていますが、ここまで検討したように、そのポイントを押さえてみると、Yの実情に応じた人事制度やその運用を理解したうえで、その限界を超えたかどうかが検討・判断されていることがわかります。

 これは、一面で、訴訟になった場合に会社の人事制度やその運用の詳細を裁判所に理解してもらわなければならない、という大きな負担を意味しますが、反面で、会社の実情に応じた検討・判断をしてもらうことが期待できる、ということを意味します。

 すなわち、合理的でしっかりとした人事制度を設計し、運用すれば、会社はその合理性を主張しやすくなる一方で、矛盾だらけで合理性のない人事制度や、行き当たりばったりの運用が行われれば、会社はその合理性を主張しにくくなることが読み取れます。それだけ、それぞれの会社のしっかりとした判断が求められるようになったのです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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