労働判例を読む#186

「学校法人近畿大学(任期付助教・雇止)事件」大阪地裁R1.11.28判決(労判1220.46)
(2020.9.11 初掲載)

 この事案は、7年以上契約更新されてきた助教Xの雇止の効力(労契法19条)が争われた事案です。
 裁判所は、大学Yの主張を認め、雇止を有効としました。

1.雇用継続の期待
 特徴的なのは、更新の期待について、2段階で検討されている点です。
 1段階目は、6度目の更新終了後、7度目の更新に向けた時点での更新の期待です。
 この事案では、助教の雇用に関し、再任限度回数が4回と定められているのに、Xの更新はこの回数を超えていて、業務内容も臨時的なものではないなどが指摘され、7度目の更新に対する期待がある、と明確に認定されています。
 けれども、8度目の更新については、更新の期待が否定されました。
 この事案では、7度目の更新の際に、YからXに対して「雇用期間満了通知書」が公布され、これに対応する形で、XからYに対して「要望書」が提出されました。
 このうち前者は、本来であれば7度目の更新をしないこと、例外的に、Yが希望すれば、1年だけ契約するが、これは更新を予定しないものであること、Xにはこのいずれかの選択を求めること、を内容とするもので、例外として再更新される可能性には全く言及されていません。
 これに対して後者は、この通知内容に対応した記載内容となっており、Xは、更新なしの1年契約を選択したこと、再更新がないこと、を明確に記載しています。
 裁判所は、要望書の提出を求められた際の検討期間が長くて18日間であり、「検討のための十分な時間的余裕が確保」されていない可能性も認めつつ、この時点でXが指導担当の教授と揉めていて、移籍の検討や、Yの監査室への苦情申し立てなどの対応を行っていたこと、その中で、要望書の内容について問い合わせや異議などを留めずに、渡された翌日に提出していたこと、などから、要望書を有効と評価しました。
 これにより、更新の期待を明確に否定している要望書の記載どおり、Xの更新の期待が否定されました。

2.雇止の合理性
 裁判所は、上記1によってYの主張が認められるとしつつ、念のため、として雇止の合理性も検討しています。
 ここでは、助教は研究者に至るキャリアパスの一過程にあり、流動性が高く、適性・能力の評価が重要である、という最高裁判決(福原学園(九州女子短期大学)事件)を引用し、無期雇用への転換を防ぐための違法手段ではない、としました。
 そのうえで、「教育業績」については標準的な貢献、としつつ、「研究業績」については、論文などの実績が少ないこと、研究室の担当教授などと適切なコミュニケーションが取られなかったこと(問題のある態度や言動が多く見られた)、を指摘し、これらを総合的に見て、雇止の合理性を認めています。
 自分の研究も大事ですが、指導教授の研究に協力・貢献することも大事であるのに、前者については実績がなく、後者については問題のある言動が多く、協力・貢献ができていない、ということから、雇止の合理性が認められたのです。

3.実務上のポイント
 ここでは、2つのポイントを検討します。
 1つ目は、更新の期待です。
 裁判所は、更新の期待が認められないから、雇止はそれだけで適法、というような判断を示しています。有期契約の期間が満了した、したがって期間の経過によって雇用契約が終了した、という当然の結果になる、という趣旨でしょう。
 けれども、本件ではXだけでなく、数名の助教が同じ「要望書」を提出し、雇用契約が終了した中で、特別に雇用契約が継続された者もいます。その他の理由もあり得ますが、他者との比較でXの処遇が適切であったかどうかが問題になります。
 その意味で、この裁判例でも念のために雇止の合理性が検討されています。一般的に、更新の期待がなければ、期間満了によって自動的に契約が終了する、と言えるとしても、その結論の合理性が問題になる場合があるので、注意が必要です。
 2つ目も、更新の期待です。
 ここでは、1段階目では更新の期待が肯定され、2段階目では更新の期待が否定されました。「要望書」をXが提出し、しかもそれがXの真意に基づくものであることが、その根拠となります。
 特に注目されるのが、単に「要望書」を提出しただけで、更新の期待が失われるのではない点です。
 というのも、要望書の検討期間が限られていることを、上記のとおりこの裁判例は問題にしており、裁判所は、単に「要望書」で更新の期待の無いことを認めるだけでは足りないことを、前提にしているように見えるからです。
 この点は、1つの整理の方法として、山梨県民信組事件の最高裁判決のように、従業員にとって不利な権利放棄の場合などには、「自由な意思」「合理性」「客観性」が必要、というルールが適用される場面である、という考え方があり得ます。通常の法律行為・意思表示よりも、合理的とされるためのハードルが上がっているのですが、それは、例えば労基法が本人の同意の有無にかかわらず従業員を保護しようとするルールについて、従業員がこれに基づく権利を放棄するような場合に適用される、という考え方があります。
 更新の期待が、このルールの対象に含まれるかどうかは、評価が分かれるところでしょう。仮に従業員が同意しても、強制的に付与される権利、というほど強い保護が要請される権利ではない、という評価も可能でしょうが、更新の期待は、解雇権濫用の法理につながる権利で、従業員の地位そのものにかかわるから、強い保護が要請される権利である、という評価も可能です。
 あるいは、その中間的な発想として、山梨県民信用組合事件の示した「自由な意思」「合理性」「客観性」ほどではないが、形式的に書類を提出すればそれでよい、というほどでもなく、ある程度の合理性が必要、というバランスを考慮した判断かもしれません。
 いずれにしろ、1段階目では更新の期待が肯定され、それを従業員が放棄し、有効と評価されるような場面では、どのような意思を、どのように確認すべきか、を考えさせる判断が示されました。
 3つ目は、更新拒絶の合理性です。
 ここでは、助教の立場に照らして、業務上要求される仕事に関し、そのうちの「研究業績」の不十分さと、その一部とみることもできますが、研究室内でのコミュニケーションの悪さなど、いわゆる「職場秩序」「指揮命令」などへの違反の、2つが認定されています。
 3段階評価、という非常に荒い評価制度ですが、それだけにCが付くのは相当まれで、そのCがときどき付けられていたのですから、「研究業績」の不十分さは、(研究論文の不足なども合わせ)相当しっかりと記録化されている事案です。
 数多くの労働判例を見ていますが、このように本来業務の評価が低くない事案(本件で言えば、AやBが付いていて、Cが存在しない場合など)では、「職場秩序」「指揮命令」などへの違反に関するエピソードが、極めて大量に、しかも極めて詳細に認定されていても、会社側が負ける(合理性が否定され、権利濫用などと評価される)事案すらあります。本件でも、それなりに「職場秩序」「指揮命令」などへの違反のエピソードが認定されていますが、Cが付くような人事考課と記録が残されていなければ、同じ結論にならなかったかもしれません。
 これは、会社と従業員の労働契約に遡って考えれば整理できます。
 すなわち、サービスを提供する、という従業員側の本来債務から考えてみると、人事考課が悪い、ということは期待されたサービスが提供されていない、ということで、本来債務の債務不履行に該当します。他方、コミュニケーションの悪さなど、「職場秩序」「指揮命令」などへの違反は、いわば付随義務違反に該当します。本来債務の債務不履行による契約解除の方が、付随義務違反による契約解除よりも、より契約関係や信頼関係の破壊として直接的です。このことから、人事考課が悪い、という事実による契約解除等のペナルティーは、「職場秩序」「指揮命令」などへの違反の場合よりも、合理性を認めやすくなるのです。
 会社では、チームを束ねる管理職者が、適切な人事考課をせず、そのために問題社員に対して会社が厳しく対応する際に、「本来債務の債務不履行」を証明できない事態に陥ることが、多く見かけられます。中間管理職者が、移譲された人事権を適切に行使し、適切な人事考課が行われるように、中間管理職者を教育し、管理することは、法的リスクコントロールの観点からも、非常に重要なのです。

労働判例_2020_06_#1220

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!



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