見出し画像

労働判例を読む#162

「大阪市(旧交通局職員ら)事件」大阪高裁R1.9.6判決(労判1214.29)
(2020.6.11初掲載)

 この事案は、ひげを生やしていたことによる低考課やひげを剃るように求める上司らの指導が違法であるとして、地下鉄の運転士ら(X)が、雇用主である大阪市Yに対し、損害賠償を求めた事案です。裁判所は、20万円の損害賠償責任を認めました。

1.人事考課

 ひげを剃らなかったことによって低評価されたとしても、それが給与の差に直接つながっていない(絶対評価を相対評価にする過程がある、等)点が重視され、給与の差額の支払請求は否定されました。
 けれども、ひげを剃らなかったことを理由とする低評価自体は違法であり、それと次の違法な指導と相まって、上記損害賠償の理由となっています。
 低評価の違法性に至る過程では、①ひげを生やすことが憲法上の人権に該当するかどうか(否定)、②ひげ剃りを命ずる規制の有効性はどのように判断されるか(必要性と合理性)、③当該規制は有効か(有効)、④本件評価は違法か(違法)、という評価がされています。
 このうち、③当該規制の有効性については、一方で、ひげに対して社会が肯定的に受け入れていないことを、ネット調査の結果などを踏まえて肯定しつつ、他方で、一律にすべてのひげを禁止するのは行き過ぎだから、無精ひげや不快感を与えるひげでなければ許される、ひげを生やしていることによって低い人事考課を与えない範囲で有効、と限定解釈しています。
 すなわち、当該規制を作成したYの意向としては、当然、ひげは一律全面禁止であり、しかも、それに違反した場合は人事考課が低くなることを想定していたでしょうが、裁判所は、そこまでは厳しすぎると評価しました。
 だからと言って、当該規制の全てを無効にしてしまうのではなく、有効として生かすために、上記のように限定解釈し、規定を有効と評価しています。
 これは、いわゆる「一部無効の法理」に相当する考え方で、何らかの理由でルールをそのまま有効と評価できない場合でも、その一部だけを有効とすることが可能(質的量的に、一部を取り分けることが可能)で、そのように一部だけ有効としても、当事者の意思や本来の目的に反しない(全部無効よりはまし)、という2つの要件が必要です。
 会社として、就業規則が全て無効になってしまうよりは、その一部に制限されたとしても有効とされた方が、多くの場合好ましいでしょうから、ここでの裁判所の判断も理解できます。特に、手入れされ、不快感を与えないひげの場合には、ルール違反にならない、という点は、理解できない考え方ではありません。
 けれども、規定に違反しても減点考課できないのであれば、規則として意味が無くなってしまいます。
 そこで、判決文の記載からは分かりにくいのですが、当該規則について、無精ひげや不快感を与えるひげの場合は、減点考課可能だが、整えられたひげの場合にはそれができない、という整理がされているように思われます。

2.指導

 上司らの指導の違法性についても、上記限定解釈が影響しています。
 すなわち、整えられたひげをしているXに対し、剃ることを強制した言動だけが違法であり、剃ることを依頼しただけの言動については違法でない、と評価しています。
 具体的には、上司らの言動のうち、人事上の処分や退職を余儀なくされることまで示唆して、ひげを剃るよう求めた言動についてだけ、違法と評価しています。
 理屈としては、整えたひげ+不利益処分や強制=違法、というのは理解できないわけではありません。
 けれども、整えたひげと、無精ひげや不快感を与えるひげの境界線だけでなく、強制を伴う命令と、そうではない任意の依頼との境界線は、非常に曖昧です。
 実際、上記のように「人事上の処分や退職を余儀なくされることまで示唆」した言動は、強制を伴う命令とされていますが、これは、ひげを剃らなかった場合に処分されるか、という趣旨の質問に対して回答した言動です。管理職者としては、ルールの説明を求められれば、ルールの内容を説明しなければならず、本件の場合、その時点でルールが一部無効であることなどは明確になっていませんから、当然、ルール違反の場合に不利益が生じうることを説明することになります。むしろ、ルールの方が後から変わった(裁判所が限定解釈した)のであって、そのような場合にまで管理職の行為が違法であったと評価され、(僅か20万円とは言え)損害賠償責任が発生するのは、明らかに問題があります。就業規則の規定が、裁判によって限定解釈される可能性や、その程度などを一々確認しなければ、人事権を行使できないことになってしまい、会社組織の運営ができなくなってしまうからです。
 そこで、この点に関して、最近の裁判例にみられる新たなルールが、「違法性についての過失」です。
 これは、労契法20条のいわゆる「同一労働同一賃金」に関して、裁判所が会社側の責任の有無を判断する際に用いるようになってきたルールです。すなわち、有期契約者と無期契約者の処遇の違いについて、裁判所で違法と評価される可能性について「過失」がある場合には、会社の責任を認める、というもので、具体的には、処遇の違いが違法と評価される可能性について、予見でき(あらかじめ気付いていたか、気付く可能性があった)、回避できた(処遇を改善できた)ことが、責任の要件になります。
 これを、本事案に当てはめてみると、問題の生ずる前に、大阪弁護士会に対して人権救済の申し立てが行われた点が注目されます。
 すなわち、そこでYは、ひげを生やすこと自体を直接禁止していない、従業員らに対してひげを剃るように要求していない、等の説明を行っています

 この説明は、本事案の管理職者の説明内容と食い違うものです。
 したがって、この点を見れば、Yは当該ルールが限定解釈される可能性について、予見でき、回避できた、と評価される余地があるのです。

3.実務上のポイント

 さすがに、就業規則などのルールが限定解釈され、変更されることを、管理職が全て確認するわけにはいきません。
 けれこも、特に論争の対象となっている条項について、会社の公式な解釈と、管理職個人の解釈がズレてしまうことになれば、本事案のように、違法な説明をしてしまう危険が生じます。
 ここでは、大阪弁護士会に対して示した見解ですが、例えば従業員から問い合わせのあった就業規則上のルールについて、会社が公式な解釈を示した場合には、その解釈の内容を管理職に徹底させるなどの対策が必要、ということが、教訓として導き出せるポイントと思われます。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?