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労働判例を読む#504

※ 司法試験考査委員(労働法)

【田中酸素(継続雇用)事件】(広島高判R2.12.25労判1286.68)

 この事案は、会社Yを定年退職した従業員Xが、暫定的な条件下で再雇用され(19万円/月、~H29.2.28)、再雇用の条件を会社と交渉し、さらにこの期間を延長して(~H29.3.31)交渉を継続したものの、合意が成立せず、Yに更新拒絶された事案です。Xは、再雇用期間中の給与が19万円/月よりも多額であること、更新拒絶が無効であること(したがって、雇用関係が継続していること)を主張しました。裁判所は、1審2審いずれも、再雇用期間中の給与は19万円/月であると判断しつつ、更新拒絶が無効であると判断しました。

1.再雇用期間中の給与
 Xは、合意がないのだから、定年時の条件(約31万円/月)になるべきであると主張しましたが、暫定的とはいえ19万円/月の合意があった、他方、定年時の条件やその他の条件の合意はない、という趣旨の理由で、Xの主張を否定しました。
 「合意の有無」という点から、理論的にみれば裁判所の示したとおりですが、突き詰めると、再雇用の際に、定年前と同じ条件であることが原則なのか、定年よりも低い条件になるのが原則なのか、という点が問題になるでしょう。もし、常識的に、定年前と同じ条件であることが原則なのであれば、暫定的な条件交渉も、給与を減額する機会を会社に与える交渉であり、もし合意に至らなければ、定年前と同じ条件になる、という結論になると思われるからです(もちろん、これは理念的なモデル化ですから、他の事情によって違う結論になり得ます)。
 この会社での再雇用の実情だけでなく、一般的な再雇用の実務・運用も特に指摘されていませんが、再雇用の際、定年前と同じ条件であることの方が例外である、という現状認識が背景にあるように思われます。

2.更新拒絶の有効性
 この事案で特に注目されるのは、条件交渉の最後の段階で、YがXに対し、3つの条件案を示したところ、Xが、一度はこのうちの第2案を受け入れる意向を示したもののこれを撤回し、全てを拒否した、これが更新の期待をXが自ら放棄した、という趣旨のYの主張に対し、裁判所は、Xが3つの案それぞれを検討し、3つの案いずれも、Xの拒否が合理的、と認定し、Xの更新の期待は失われない、と評価しました。
 3つの案のうち、1つ目と2つ目の案は、時給単価は下がらないものの勤務時間が下がるために、手取額が19万円/月からさらに下がってしまいます(14.5万円/月、16万円/月)。これに対して3つ目の案は、手取額は変わらない(19万円/月)ものの、勤務場所が変わる(宇部市内→山陽小野田市内)ことから、(定年前と比較して既に約6割減額していること等と合わせて)拒否することが合理的、と評価されています。
 けれども、この3つ目の案を拒否することの合理性については、問題があります。
 それは、配置転換と比較した場合の合理性です。
 すなわち、もしXが配置転換される可能性がある場合(この点は議論されていませんが、職種限定合意などは無いようです)、これが無効とされるのは、配置転換が権利濫用に該当するような場合に限られるところ、宇部市内から山陽小野田市内への平日の日中の移動は、(グーグルマップを見る限り)車で20分程度、バスや電車で40分から1時間程度であり、この間を通勤することが、権利濫用に該当するほど過度な負担とは評価されないでしょう。
 ところが、更新拒絶の場面では、このような提案を拒否することが合理的である、と評価されています。この評価は、配置転換は会社が一方的に行うものであるのに対して、ここでの勤務場所の変更はYから行う提案に過ぎず、Xを強制するものではない(Xの合意なしにその効力が発生しない)ことも考慮すると、Yの条件交渉の範囲を過度に制限するものです。もし、暫定的な再雇用期間中に配置転換を命じていたとしたら、この配置転換命令が権利濫用に当たる、ということになるのでしょうか。

3.実務上のポイント
 条件交渉を1年以上も継続したのだから十分なプロセスを踏んだ、したがって更新拒絶も有効である、と考えるかもしれません。さらにもし、定年後再雇用の条件を従業員が納得しない場合、会社としてはどのように対応すべきなのか、と思うかもしれません。
 そもそも、定年後再雇用の条件が明確ではなく、かえって、「定年退職時の賃金をもとにして」という表現が用いられていることから、定年後再雇用の条件を明確にすることが、トラブルを回避するための1つの方法となるでしょう。
 けれども、実際に再雇用後の条件を従業員が納得しない場合、暫定的な条件を合意して条件交渉を行うこと自体ではなく、問題はその進め方にあったのかもしれません。3つの案を示したのが、交渉期間を1か月延長した後の、しかもその延長期間も終わる直前の3月27日であり、検討期間が短かった点は、問題にされるべき点でしょう。
 とはいうものの、それ以上に何か根本的に改めるべき点もなかなか考えにくく、定年前の約6割の給与での再雇用が認められる以上は、簡単に更新拒絶できない、ということなのかもしれません。高齢者の再雇用については、高年法が高齢者の雇用確保のための様々なルールを定めており、その趣旨から、高年者の更新拒絶のハードルが高くなっているということでしょうか。
 理論的に詰め切れていない点、しかし高齢者の定年後再雇用について、現実にハードルが高くなっている点、など、今後の動向が注目されます。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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