ポッドキャスト感想:愛と憎しみは紙一重
すぎべさんは、今年3月に大阪で行われたポッドキャストフリークスに出展されて、イベントの発表で初めてお話を拝聴したのをきっかけに、ポッドキャスト番組を聞かせていただいています。毎回お話はあっちゃこっちゃ行きますが、なぜか伝えたいメッセージはしっかりと、わかりやすく、共感しやすいもので、私の心に直球で届くことが多いので、毎回、なるほどなぁ、と思って聴いております。
今回もそのひとつ、科学系ポッドキャストの日のテーマ「境界」ということで、様々な「境界」を考えられますが、すぎべさんが考えられたのは「ファンとアンチの境界」とのこと。
何度か聴き直しましたが、一言でいうと、すごい。何がすごいかを説明しつつ、自分が調べたこともまとめていこうと思います。
エピソードの内容には詳しく触れませんので、ご自身で内容を、この記事を読む前に確認していただけると良いと思います。
すごい、と私が言ったわけ
今回のエピソードでは、長くポッドキャスト配信をされているすぎべさんのところに来たアンチコメントについてでした。
まずこのエピソードで一番驚いたことは、すぎべさんはそのアンチコメントを配信の中で読み上げていたことです。配信のために加筆・修正は加えられているでしょうが、内容がわかるものでした。「私こんなのうけとったんですよ、聴いてよー」といった具合。
ただ今回の話をするにあたって、アンチと正面から向き合うためには、正直にどういう内容が来たのかを視聴者がわかないと話が進まないので、必要なことだと思いました。その、困難に立ち向かう姿もすごいなぁ、と思いました。
アンチは2種類
お話を聴いていて、また自身の今までの経験も踏まえ、アンチには2種類いると思いました。
① アンチと言うよりはただ鬱憤を晴らしたい人
以前Twitterで私のツイートがプチ炎上してしまったことがありました。引用RTのような形で投稿し、引用元の投稿者に文句を言われたのはまぁわかりますが、全然関係のない第3者の人から、「きしょい」だの「これだから〇〇のは」と言われました。
私は引用元の投稿者の投稿内容を不快に感じ、自身の経験をもとに発言しました。投稿したことに後悔はありませんし、引用元の投稿者が怒ってくる可能性も想定はしておりました。ただ全然関係のない第3者からやいのやいの言われるとは思っていませんでした。
こういったのも昨今ではアンチと呼ばれていると思います。
②もともと熱烈なファンだったけど、すれ違いでアンチになってしまった人
こちらに関してはすぎべさんもエピソードの中でも触れられていました。もともと熱烈なファン、ヘビーリスナー、好意的に思っていた人が、あるきっかけでアンチになってしまった人がいた、ということです。
これについては自分も思い当たる節があります。今までたくさんの数のポッドキャスト番組を視聴しています。途中で視聴をやめてしまったものもありますが、単に聴いていて波長が合わなくなった、私の興味関心が別のところに映った、配信の内容が変わった、などが主な理由です。また、自分が期待していたことが報われない、受け入れてもらえない、となると、心は離れていく気がしています。これは今もそう思っています。
また、ポッドキャストに限らず、私の興味関心が色んなものに向き、それらについて、より近づきたい、より知りたいと思うこともありますが、相手から反応がない、相手からの反応が自分が想定していたものと違う、となると、落胆することもありそれらから離れることが多いです。
今のところ相手に苛立ちや不快感を覚える、いわゆる「憎しみ」といった部類の感情を抱くことはありませんが、それこそ自分の期待とあまりにも違いすぎる、となると憎しみが増してくるのかもしれません。
特にポッドキャスト、音声配信に限っては、配信者の声をイヤフォンで聞いたりするので、より自分と近い存在として感じてしまいます。さらに自分と考えが同じ、自分が普段悩んでいることに共感できる、となるとファンとして度合いはどんどん、加速度的に上がっていきます。そうなると、落胆したときの急降下の速度もかなり速いと思います。
言葉の意味を確認する
すぎべさんのポッドキャストを聴いたあとに別のポッドキャストを聴いていたとき、以下の言葉が耳に飛び込みました。
愛と憎しみは紙一重
これを発言された方はファンとアンチの文脈とは全く違う文脈でお話されていましたが、愛と憎しみは紙一重、この言葉は今回のファンとアンチの境界に当てはまるのではないか、と思いました。
自分自身はこの言葉を(今更ですが)初めて聴きましたので、元ネタはどこなんだろう、なにかまとめられている情報はあるかなと思い探しましたが、一旦Yahoo知恵袋がヒットしました。
「これだけ愛しているのに」と相手に期待してしまい(相手に期待しすぎてしまい)、それがいつしか憎悪に変わってしまうこともある、ということだと思われます。上記は恋愛に関しての文脈で語られていますが、推し活や推しと言わなくても好意を持っている人、尊敬している人などでも当てはまるのかなぁ、と思いました。
またこちらの知恵袋では、以下のような言葉もありました。
可愛さ余って憎さ百倍
子どもが可愛いと思うけど、すべてが可愛いわけではないので、憎い部分が見えてしまうと、その部分が余計に際立ってしまう、ということはあると思います。子育てや誰かへの嫉妬にも通ずる話かなと思いました。
ですが、ではそもそも
愛している、愛しい、とはどういうことなのか。
こちらも調べてみました。
まさに配信者に対して、配信者の心や態度が自分に取って好ましく理想的な状態であることが、「愛おしい」という言葉の意味に含まれていることが改めてわかりました。ポッドキャストの配信者とリスナーの関係だけではなく、「愛おしく思われる人」と「愛おしく思う人」の間で発生していることなのかな、そうして「愛おしく思う人」が思う理想的で好ましい状態で無いとすると、不快や苛立ちを感じ、やがて憎悪を感じるのかもしれません。
私はよくポッドキャストにコメントしたり、お便りを書いたり、よかったと思うエピソードはSNSで共有することが多いです。多くの人は「送ってくれてありがとう」「いつも聴いてくれてありがとう」と感謝の言葉を言ってもらえますが、中にはコメントをしても返ってこなかったり、お便りを書いたのに読まれなかったりすることがあります。
「コメントが多すぎて返信ができない」「配信するので精一杯で他のことで忙しい」「番組で採用できるお便りの内容ではない」とまぁ色々理由はあるでしょうが、視聴者が反応したのだからなにかしらのリプライをするのが筋ではないか、と思うこともあります。ただそれは私のルールであり大切にしていることであり、受け取った人にとってはそうとは思えなかった、今は考えるようにしています。
ではどうすればいいか
私も正直模索中なので偉そうなことは言えませんし、これが最適解なのかは分かりませんが、現時点で私が考える対応策です。
自分が発信側で、アンチが反応してきた場合
例えば、Xでポストした内容が炎上してしまい、自分を慕ってくれていた人がアンチとして反応してきてしまった場合、まず私なら真摯に受け止めて反省するか、自分の信念と違うことを言われたら違う旨を伝える、といったところかなと思います。
でも、正直内容によります。今年5月にLISTENという音声配信サービスで声日記を続けていましたが、それこそ自分が発信側で、アンチとなってしまった方が反応してきた際、私は一旦その場から離れ、色んな人の意見や考えを聴きました。自分ひとりの判断ではいいのか悪いのか分からないときは人に聴いて客観的な意見を聞くことも大事かと思っています。今年5月の時は、すぎべさんはじめ色んな方から元気をもらいましたので、あの時は本当に助かりました。
自分がファン側で、アンチになるような出来事があった場合
ファン、とは言わなくても、応援している、好意的に思っている人が自分の期待と異なる行動をされたとき、反応がもらえないときなどです。
まず前提として相手に期待しないことが大事かな、と思いました。期待することがいい方向に働くこともありますが、悪い方向に働くこともある、ひどい場合は自分が嫉妬や憎悪を抱いてしまう可能性もあると思います。自分と他人は違う人間なので考え方や感じ方も違う、今まで育ってきた環境や今持っている情報も違うので、自分が期待しているとおりには動いてくれないことばかりかと思います。
でもそれでも苛立ちを抑えきれない、相手が引き続き期待通りの反応をしてくれない時は、そっとその人から離れることが自分の身を守る術かなぁ、と思います。決して対象に対してひどいコメントをしたり、攻撃したりするのは良くないと思います。きっと酷いコメントをしたら後味も悪いと思います。(十二分に後悔はない、失いものはない、という覚悟があるなら別かと思いますが)。「好き」の反対は「嫌い」ではない、「無関心」である、「嫌い」の反対も「無関心」だと思いますので、その人には無関心になり、それでもまだモヤモヤするようでしたら、然るべき場所で思いっきり吐き出せばいいと思います。
以上です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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