『僕とオトウト』に背中を押されたという話

髙木佑透監督作品『僕とオトウト』を観てきました。若干のネタバレ(?)が含まれます。11月12日までは大阪の映画館で上映されるようなので、気になる方はどうぞ。


この映画の存在を知ったのは友人のTwitterでの鑑賞報告でした。チラシを見たときに、即座に「私のこと!?」と衝撃を受けました。一言で言えば、この映画は監督が知的障害を持つ弟・壮真くんに「向き合う」お話だと思います。この映画には本当にいろんなことを考えさせられて、いてもたってもいられなくなったのと、自分の弟について一度文章にしてみたかったというのがこのnoteの動機です。

私には3つ下の知的障害の弟がいます。何の巡り合わせか、私の弟も「壮真」です。この名前の奇跡が、フットワーク重めの私の腰を上げて大阪市西区の映画館に連れて行ってくれたのかもしれません。以下、監督の弟さんは「壮真くん」、私の弟は「壮真」と呼ばさせていただきます。壮真は中度知的障害のようですが、はっきりと言葉が話せません。家族や周りのよくしてくれる人は、壮真の好みや注目しているものを手がかりにして言っていることがわかる、という程度です。作中でも監督は、その部分だけ字幕をつけるほどには赤の他人には聞き取れない壮真くんの言葉を、きちんと聞き取っていました。このシーンは、うまく話せない家族を持つ人にとってはあるあるですね。

前述の「中度知的障害のようですが」の言い方から分かるかもしれませんが、私は壮真のことをあまり知りません。私は19歳の時まで実家に住んでいたので16年間一緒に住んでいたことになりますが、本当に壮真のことを知りません。これが、この映画が気づかせてくれたことの核心です。もちろん、知っていることもあるので何も知らないわけではありません。ピカチュウが好きなので黄色が好きとか、ポケモンやスマブラなどのゲームが好きだとか、通っている特別支援学校では楽しくやっているとか、つい先日は誕生日でお寿司屋さんに行ってマグロを前にピースで写真を撮っていたとか、頭に浮かぶものはあります。しかし、その大半が壮真が小学生以前のもの、あるいは小学生の頃でも同じことをしていたと容易に想像できるものです。壮真が中学生以降に新たに獲得したものについて私はあまり知らないのです。私の壮真の記憶は小学生で止まっていました。作中にも、監督が壮真くんのことをどこか赤ちゃんだと思っていた、とこぼしていたのですが、まさにそれは私にも当てはまっていて、小学生の「過去の壮真」を見るだけで、現在の壮真のことを見ることができていませんでした。今もピカチュウと黄色が好きなのかは分からないし、中学生の時に苦戦していたバスと電車を使っての一人登校が今できるようになったのかも分かりません。壮真が数年前からLINEを持っていることは知っているけれど、LINEは交換していません。LINEを交換しても壮真はメッセージを打てないだろうと思い込んでいたからです。この映画で監督が壮真くんと向き合うことを通して、私は壮真と向き合っていないということにいたく気付かされました。

それに気がついた今、映画を通して監督が壮真くんと向き合ったことに対してひどく羨ましく感じています。今は実家と下宿で遠く離れていますが、それでも定期的に帰省して壮真と話してみたい、向き合ってみたいと思うようになりました。思えば、私と壮真のコミュニケーションはほぼ両親も含めての3人、または4人でのものでした。私自身、知的障害に偏見がないつもりでどこか「障害がある」ことで、たった一人のきょうだいのことを”普通”のきょうだいではないのだと思っていたのかもしれません。1対1で、人間と人間として向き合うことで、家族全員でいる時には見せない、きょうだいの私だけが見ることができる壮真を発見することができるのかな、と次の帰省が楽しみになりました。年末に帰省する時にはLINEを交換して、来年の誕生日には会えなくても直接壮真におめでとうのメッセージを送られるようにしたいという密かな目標もできました。壮真と向き合いたいという気持ちの背中を押してくれたのがこの映画、ということです。作中でもあったように、両親がいなくなった時にどうするのか、という問題は私も以前から考えることがありましたが、とりあえずは今の壮真と向き合ってみてからでも答えを出すのは遅くないと思うようになりました。作中でも監督がしていたように。

このnoteにまとめていて思ったのですが、私は私が思っていた以上に弟のことが好きみたいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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