「100日後に死ぬワニ」作者を批判する人たちがよくわからない。
1610です。
「100日後に死ぬワニ」はSNSを中心に流行した漫画作品で、作者がちょっとした炎上騒ぎ中。
批判する人たちはなんでも連載終了と同時に「映画化」「グッズ販売」を告知したのが気に入らないそう。
よくある「儲ける人を嫌う人たち」にしか見えないのですが、批判する人たちは「違う」という。
「俺たちはお金儲けを卑しむわけじゃない!」と。
曰く、
「作品に感動してたところで余韻に浸っていたのに、買いたくもない商品を宣伝されて感動をぶち壊しにされた!」
だそうですが、これが全くよくわからない。
グッズの宣伝を見て「余韻が壊される」と感じること自体が、お金儲けに対する無意識な反感意識のあらわれじゃないですか。
「お金を儲けることは卑しいこと、悪いことじゃない」と思っているなら、グッズ販売と作品の清冽な余韻とが結びつくはずもありません。
「お金儲けはやってもいいが【ちょっぴり卑しい行為】だから目立ちにくいタイミングでひっそりやるべき」とでも言うのでしょうか。
2つ言いたい。
お金儲けは少しも卑しくないし、卑しくないからこそ堂々とやるべき。
そして2つ目。
「やってもいいけどちょっぴり卑しいから目立ちにくいタイミングでひっそりと」みたいな「空気の読み合い」、消耗でしかないからやめませんか?
「やって悪いことじゃないのに堂々とやったら批判されること」。
外国と比べてどうかは知りませんが、少なくとも我が国日本には曖昧な領域がたくさんあって、それが世の中を窮屈にしていると思う。
例えば年休を取る時に、なぜか申し訳なさそうな顔を作ったりね。
ぼくはこういう不文律化された「空気」とやらを一掃した方がいいと思う。
許されて然るべきこと(今回で言えばプロ作家がグッズ化により収益を得ること)は堂々と胸を張ってやれるべきなんです。
日本人が本当に「互いの空気を読める人たち」ばかりならまだしも、ぼくの経験上、自称「自分は空気を読めている」人たちって「自分の基準を押し付けることにただ鈍感な人たち」です。
「自分は客観的だ」と言えちゃう人ほど主観的な人は世の中にいないのだから、これらの鈍感な人たちとは大いに声をあげて戦うべきだと思う。
でなくちゃ「100日間作品を無償で公開してたくさんの人を感動させたプロ作家が、引き換えにお金を儲ける」という、当たり前すぎる、しかし非凡で素晴らしいビジネスが世の中から減ってしまう。
代わりに残るのは何か?
「何の生産性もない、自分たちこそが他人の感動をぶち壊していることにさえ気づけない人たち」です。
そんな社会は誰も望んではいません。
お金儲け云々関係ない、何か別の理由があって怒っているんだという人は、少なくとも自分の意見が、作者に対して声高に言うべき言葉か考えてから言って欲しい。
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