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金太郎と桃太郎(前編)

金太郎ことレイキン、というか多田玲子、との出会いは漫画みたいだった。いや、実際に漫画だった。

2014年5月のある日。その前の日にインターネットの海を漂っていて偶然知った立川の「シンボパン」というお店に足を運んだ桃太郎こと私は、にぎやかな模様と色で塗られた壁や家具たちの勢いに押されて落ち着かず、今となっては何を食べたのか憶えていないくらいソワソワしていた。

何らかのパンと飲み物のセットをオーダーして出来上がりをぼんやり待っていたら、小学生女子が書いたと思われるかべ新聞的な読み物(シンボパンの紹介が書かれていた)のを見つけ、手に取って読んでみた。かべ新聞大好きな私はこれで少し落ち着きを取り戻し、店内をぐるっと見回す余裕が生まれた。厨房の真向かいにある小さな展示販売コーナーにはどなたかのCDなどが並んでいて、さらによく見るとその背後にちんまりと数冊の小冊子が立てかけてある。と、そのとき私の目に飛び込んできたのが赤いシルクハットのニクイ奴。(※この記事のトップ画像参照。ちなみに写真は多田ちゃんのとこから無断でパクリました。)

それは、多田玲子先生の『ちいさいアボカド日記』という漫画で、なんとなーく手に取ってペラペラとページをめくりはじめたんだけど…あれ? あれれ? 読み進むにつれ、「っかーーーーー! こりゃタダ事じゃない!(多田だけど)」という興奮が押し寄せる。とりあえず1巻だけ一気に読んで、何らかのパンと飲み物を平らげて家に帰った。

アボ日記の何がすごいって、キャラクターがかわいいとか、小ネタが冴えてるとかももちろんあるんだけど、それよりもまず、この漫画は「生きている」のだった。この薄い冊子の中に、もんのすごくでかい宇宙があって、そこに出てくるアイツやらコイツやらがみんなみんな生きている。そしてそれを読む私は傍観者ではなく、そこに巻き込まれる。読んでいる間、私もまたアボカドやかりふら達の宇宙ですったもんだして、そこで生きている。そういう体験をもたらす装置のようなものなのだ。がっつり巻き込まれたあとは割とヘロヘロになってしまうような作品なので、描く人(レイキン)が費やすエネルギーも半端ないだろうと思う。万が一これが連載だったりしたら、いのちがいくつあっても足りないだろう。書き下ろしでほんとうによかった。

そんなことがあって、私は帰宅後すぐに「多田玲子さんのアボカドくんの漫画が面白い!」という感じの短文をTwitterに流したのだけれど、その時点では多田さんが私のことを知っている? かもしれない? なんてことは思いつきもしなかったので、ただの独り言を垂れ流したに過ぎなかった。でも、じつは多田さんは私のことを知っていたのだ。っていうか知っているどころの騒ぎじゃなくて大好きだったらしいのである。おお我が神よ!

シンボパンでパッと流し読みした時点でえらいこっちゃ! と私を色めき立たせた『ちいさいアボカド日記』の作者が、ずっと前から私のうたを聴いていてくれてたというのは2014年ナンバーワンぐらいの大事件だったのだけれど、そこからほんの数回メールのやり取りをしただけであっという間に昔からの友達だったような感覚になってしまったのだから、この世のしくみはやっぱり面白くて不思議だ。

まず、レイキンは私と同じ三多摩の人で、しかも多摩地区からあまり出たがらない系の多摩っこだった。そして、同じくらいの時期にお母ちゃんになっていた(10か月差)。しかも男児の。そんでまたその男児同士が同じ星出身の生き物感満載(なんだけどそれはまた別の機会に書くかもしれないし書かないかもしれない)。しかもしかも、ゆったり余裕綽々の構えで子育てライフ楽しんでます~♪とかでもなくて、私ほどじゃないにせよ割と右往左往して白目むいてる方のお母ちゃんだったのだ。

そんなこんなで、お互いに大喜びの大ノリノリでアボ日記1~4巻セットと、その年にリリースしたばかりのアルバム「umareta」を物々交換した。「umareta」とはなにかというと、私たちがMomo-Seiと名付けた2012〜2014年頃の動きの記録。物としては、要するに音楽CDである。こんな取引ならずっとしていたい。で、レイキンから届いたアボ1~4巻を、改めてがっぷり四つに組んで読み通した私の胸には、ある一つの確信が芽生えていた。

「やっぱりこの人、岡田あーみん好き! 鋤! に違いない…!!」

後編に続く

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