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暑中三行半【R-18 BL版】

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※【近親相姦】【R-18】【BL】を含みます。

30分程度?

まや:丘の向こうに住む紺の絣の男。
ぼく:おかっぱ髪の少年。中学生。学校にはしばらくいっていないが、全く不自由していない。名前は「あさひ」。
兄:ぼくの兄。健康で明るかったが、ある日自殺した。遺書はあったが、自殺の原因は明確ではない。名前は「あけの」
母:あさひとあけのの母

+++

ぼく:兄の墓は海から遠い。

ぼく:(坂道をのぼる息)
ぼく:ふぅ、あっつぅ……
ぼく:あづ……
ぼく:日陰ないのかな。無いな
ぼく:あー!疲れたもう無理(手近な岩に座る)
ぼく:……墓遠いよ。な?金魚ちゃん。お前もゆだっちゃうよな
0:(右手には金魚鉢。二匹の赤い金魚)
ぼく:(金魚をじっと見て)喉乾いたなぁ
ぼく:(ぴょんとたちあがる)っと!
ぼく:忘れてた、はい、カップ酒どうぞー(墓石にかける)
ぼく:海水汲んできてあげるね、来年はさ。
ぼく:海、懐かしいでしょ。
ぼく:(足音に気づく)あっ
まや:こんにちは
ぼく:こんにちは
まや:「待ってたよ」
ぼく:え?……だれ
まや:兄さんの墓参りか。偉いね。
ぼく:兄さんの知り合い?
まや:ちゃんと赤い金魚連れて。赤い金魚だけ連れて。偉いね。
ぼく:(金魚鉢をひっこめて)さわんないで。誰?
まや:「兄さんのおとこ」
ぼく:……っ
まや:僕の家、そこなんだけど。寄っていくでしょ。

0:(白昼夢)
摩耶:赤い金魚でなくてはいけない?
兄:そうだよ
摩耶:黒いのは?
兄:嫌
摩耶:でもこれは紺だよ。僕の好きな色だよ
兄:そうなの?
摩耶:紺だよ。陽の光に透かしてごらんよ
兄:綺麗。でもだめだよ
摩耶:だめか
兄:これもだめ。
兄:あーあ、

0:(まやの家)
ぼく:喉乾いた。
まや:麦茶でいいなら
ぼく:うん
まや:(手を出して)金魚。
ぼく:なに
まや:金魚、涼しいところに置くから。貸して
まや:……ゆだって死んじゃうよ
ぼく:(渋々わたす)うん
まや:いい子。(撫でようと手を伸ばす)
0:(ちゃプン)
ぼく:(手を跳ねのけて)
ぼく:くさいっ
まや:え?
ぼく:……帰る
ぼく:帰る!
まや:(制して)「あさひ」
ぼく:!
まや:「あさひ」。何も臭くないだろう。落ち着いて
ぼく:なんでしってるの
まや:名前?
ぼく:なまえ
まや:君の兄さんからきいた。
ぼく:あんたの名前は
まや:「摩耶」。
ぼく:女みたいな名前
まや:兄さんもそう言ってた
ぼく:――喉乾いた。
まや:うん。待っててね。
0:(麦茶が置かれるまでの間)
ぼく:兄さんのお墓をここにしたのあんた?
まや:うん。そうだよ
ぼく:なんで?
まや:「そばに置きたかったから」
ぼく:ほんと?
まや:嘘
ぼく:ほんとは?
まや:教えない
ぼく:(麦茶を飲む)
ぼく:母さんが怒ってる
ぼく:墓があんなところにって。海から遠くにって。かわいそうにって。
まや:そうかな。別に魚でもないんだからさ。
ぼく:兄さんは海のそばにいなきゃいけないんだよ
まや:どうして。
ぼく:教えない
まや:はは。
まや:返してほしい?
ぼく:兄さんのお墓?
まや:うん。返してほしい?
ぼく:だって母さんが、
まや:お母さんじゃなくて、君はどう思うの。
ぼく:……
まや:返してあげてもいいよ。でも代わりに君がほしい
ぼく:え
まや:兄さんに似てる君がほしい。
まや:返してあげたって、いいんだよ。でも君をくれないと兄さんはあげない。
まや:(頬を撫でて)ねぇ、やっぱりくさい?
ぼく:……ううん
まや:そうか。いい子。
0:(口づけの音)
ぼく:金魚、どこやったの
まや:……
ぼく:ねぇ、どこやったの
まや:(口づけを深くする)

0:(白昼夢)
摩耶:赤い金魚でなくてはいけない?
兄:そうだよ。
摩耶:これもだめ?
兄:赤以外はだめ。
摩耶:なんだよ、せっかくとってきたのに……
兄:あーあ、
兄:喉乾いた。

0:(からん、麦茶の氷が鳴る)
まや:これからここに住むでしょ?
ぼく:お、……おふろ
まや:どうぞ
まや:ね、帰らないでしょ。もう。海沿いの君の家には
ぼく:(朦朧としている)うん……うん。
まや:風呂場は、そこの突き当り。台所の横。
0:(のたのたと風呂場に歩いていく)
ぼく:っしょ、と(浴槽の蓋をあける)
0:(赤い金魚が無数に泳いでいる)
ぼく:あ、金魚。ここにいたんだ。
ぼく:……増えたなぁ。2匹しかいなかったのに。
ぼく:お湯平気なの、きんぎょって……
0:(ちゃぷン)
ぼく:あ。死んだ。
ぼく:魚くさい。
ぼく:金魚も魚臭いんだなぁ。
ぼく:ぼ、ぼく、ぼくも、さかなくさい?
ぼく:ふ、うふ、うふ、うふ……(泣くとも笑うともつかない声が続く)
0:(ちゃぷン)

0:(眩暈)
兄:あのねぇ、あさひ。
兄:金魚は赤いのでなくちゃいけないんだよ。
兄:赤い金魚はかわいい。黒いのは、気色悪い。
兄:お母さん、お母さんが、そう言ってたんだから。
0:(ちゃぷン)

まや:君の兄さんは……なんで死んだの?
ぼく:知らないの?
まや:知らない
ぼく:知らないならもう知らなくていいじゃない
まや:知らないことは知りたくならない?
ぼく:ならない。知ってもどうにもならないこと多いもん
まや:そうか。でもこればっかりは知りたい
ぼく:遺書。読む?
まや:ん?あるの、そんなの
ぼく:うん
ぼく:お母さんが手帳に挟んで隠してたから、欲しくなって取っちゃった
ぼく:あげる
まや:くれるの
ぼく:あげる。僕は要らない。
まや:(カサ、と飛行機の形におられた紙をひらく)……
ぼく:……
まや:君さ、これ読んだ?
ぼく:(首を振る)
まや:ふぅん。(紙を丸めて捨てる)
ぼく:あっ
まや:こんなものは遺書じゃない。ラブレターだったよ。
ぼく:誰宛て?
まや:わかっていて聞くんだ。
ぼく:わかんない。兄さんのことなんてわかんないもん。
ぼく:兄さん…………兄さんとどんなことをしたの、摩耶

0:(白昼夢)
兄:臭い。
摩耶:風呂に入れば
兄:風呂には金魚がいるから
摩耶:じゃあ他のことをしよう(肩を抱く)
兄:さかなくさい……
摩耶:あ?僕が?
兄:わからない。あんたも臭い。母親も。あさひだけ臭くない
摩耶:海沿いに住んでるからじゃない?鼻の奥まで海になっちゃってんだよ
摩耶:(首筋に顔をうずめながら)君のかわいい「あさひ」は何の匂いがするの
兄:うちの庭の植え込みの陰の、湿った土と、血の匂い
兄:ん!……やめろよ
摩耶:やめない
兄:くさい
摩耶:あさひはかわいい?
兄:かわいい……あ、いたい
摩耶:いまさら痛くもないはずだけど
兄:う、あ
摩耶:痛がるふりをして何がしたいの?
兄:ふ、ン、あげない、あさひはあげない
摩耶:君がいるからいらないよ
兄:俺がいなくなったら?
摩耶:それは欲しくなっちゃうな
兄:うふ、あ、は、あはは。あげません!あげなぁい……あさひはあげない……お、俺の墓をあげる……
摩耶:いらないよそんなの……

0:(けたたましい呼び鈴の音)
母:母です
まや:誰の?
母:あさひの母です。
まや:へぇ?
母:あさひがこちらにお邪魔しているでしょう。
まや:妙に若いね。ほんとうのお母さん?
母:そうです
まや:それで?
母:連れて帰ります。
母:あの子学校があるんですから
ぼく:(壁越しに膝を抱えて細く息をする)
ぼく:学校って、いかないといけないかな。
ぼく:何もかも足りているけどな。
ぼく:おばあちゃんの従妹の本とMDを全部もらったから、もう一生飽きることないよ。そこらへんの中学生よりたくさん本を読んで音楽を聴いているよ。お母さんより難しい漢字も読めるよ
ぼく:学校の先生は何にもわかってないよ。僕の将来に見当違いに口出すんだもん。漁師になるんだって言ってるのに、きちんとした人間にならないといけないって言うんだ。
ぼく:(歌うように)「シャツはきちんと」「上着もきちんと」「挨拶の・声はきちんと」「整列は・きちんきちんと」
ぼく:漁師になるんだってのにさ。
ぼく:……ねぇ母さん。学校って、いかないといけないかな。
ぼく:……
ぼく:兄さんがああなったのに?
0:(まや、ぼくが聞いていることを察している)
まや:……どうして「あけの」の時は迎えに来なかったのに、「あさひ」は迎えに来るの?
母:「あけの」とあの子は違うんです……!
まや:そうかな?
母:そうよ
母:連れて帰りますからね。
まや:(母の腕をつかむ)
母:ひっ
まや:そうだね。違うね。違ってよかったね、お母さん。
母:な、なに
まや:(囁いて)「あさひ」はまだ××を呑まないよ
母:ぃ、やめて
まや:赤いのでないといけないんだ、「あけの」にはそうだった。
母:やめてっ!もううんざり、うんざりなんだから!!もうそんなわけのわからない、い、異常者の話!
まや:あんたも僕が臭い?臭いんでしょ。
母:離してぇ、う、はぁっ、汚い、汚い汚い
まや:ね、臭いんでしょって。魚臭いんでしょ?教えてよ、不思議だったんだ、なんで「あけの」も「あさひ」も僕を臭いというの?
母:(呼吸が浅い)ひぃっうぇ、ひ、ひ、ひ…っあぐ…離せよぉ、あー!(腕を振り回す)
まや:(腕が顎にあたり)ウっ!
母:ハー、は、はぁ……
母:き、気持ち悪い
まや:っ。
母:……か、帰ります
0:(不規則なハイヒールの音)
0:(カツ、カツ、という音が呼び起こす単調な会話)
摩耶:―――でなくてはいけないの?
兄:そうだよ
摩耶:―――は?
兄:嫌
摩耶:でもこれは―――だよ
兄:でもだめ
摩耶:だめか
兄:だぁめ。
0:(ごくン)
摩耶:「そう言うと「あけの」は××を呑んだ。」
0:(白昼夢)
兄:お母さん
ぼく:お母さん
兄:おかあさん
ぼく:おかあさん
ぼく:くさい。
兄:魚くさい。
母:やめて
兄:あさひ
ぼく:兄ちゃん
兄:かわいい
0:(三者面談のあと)
母:あけの、算数が苦手ねぇ。算数きらい?
兄:(幼かった兄)数すき。掛け算はきらい
母:数すきだよねぇ。いっつも歩数数えてるもんねぇ
兄:うん。
母:じゃあね、うちから齋藤さん家まで50歩かかるでしょう、前そういってたよね?
兄:うん。そうだよ
母:それで、学校まで300歩っていってたよね。
兄:うん。ちょうど300だよ
母:それじゃね、明日学校にいくときにこの問題考えてね。
母:「あけのは学校まで、さいとうさん家を通って、いつもの道を歩きます。あけのの家からさいとうさん家まで50歩で着きます。学校まではさいとうさんちまでの歩数を何回数えたら着くでしょう」
母:あ、それとね、あさひを保育園に連れて行ってね。お母さん明日、電気屋さんがくるから。
0:(次の日、兄がぼくの手を引いている)
兄:1、2、3、4、5、……(歩きながら数え続ける)
ぼく:あ!ねこがいるよ
兄:10、11、12、13、14、……
ぼく:にいちゃん、ねこ
兄: 20、21、22、23、24、25、
ぼく:にいちゃん、にいちゃんまって、あっ!(転ぶ。手が離れる)
兄:30、31、32、33、
ぼく:にいちゃん、にいちゃんまって!まってぇ、まって、まって、
兄:(遠ざかっていく)40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50。1、
ぼく:(激しく泣いている)
母:あさひ!?どうしたの!お兄ちゃん、あけの!
兄:10、11、……
母:あけの!何してるの!だめでしょう!あさひ置いてっちゃ!
兄:(腕を掴まれて)あ、数えてるの!数えてるの!
母:あさひが泣いてるでしょ!
兄:ぇ、あ……あさひ、あさひごめんね、

0:(去年の夏)
兄:あさひは泣き虫で、やわっこくて手が小さい。
摩耶:あさひはかわいい?
兄:かわいい、僕の世界で一番かわいい。肌が弱くて水泳が下手で、魚が好きで。
摩耶:学校はいかないの。
兄:夏休み、だから。夏休みが終わったら一日だけ行ってやるんだ。退学届を出すの
摩耶:ふぅん。ところで君の母さんは迎えにこないね。
兄:来ないよ。
兄:あの日のかくれんぼでおかあさんが見つけちゃったから。僕たちが……
摩耶:ねぇ、かわいい「あさひ」と何をしたの、あけの

0:(あざやかな回想)
0:(自宅の庭。植え込みの影の湿った土のあたり。午後のくっきりとした影の中)
ぼく:(幼いぼく)兄ちゃん、こんなとこにきんぎょがいるの?お水がないのに?
兄:(少し幼い兄)あさひ
ぼく:兄ちゃん、くすぐったいよ
兄:あさひ
ぼく:なにするの、にいちゃん
ぼく:い、いたい、兄ちゃん
兄:痛くない
ぼく:やめてよぉにいちゃん
兄:きんぎょをあげるよ、縁日でとってきてあげる
ぼく:やだぁ
兄:あさひ、
ぼく:はぁ、はぁ、いたぁい
母:あさひー?どこにいるの
ぼく:さかな、くさ、い、にいちゃ、
兄:あさひ、はぁ、
兄:あさひぃ、お前はかわいい、かわいい
母:ヒィ!
母:何やってんの!?(頬を打つ音)
兄:(すすり泣いている)あさひぃ、あさひ
ぼく:兄ちゃん、兄ちゃん
母:やめなさいよ気色悪い!
母:(頬を打つ音)
兄:(すすり泣いている)
母:あんた……××臭い……!いやぁ!出てって!あさひに触らないでよぉ!!

0:(去年の夏)
兄:(すすり泣いている)あさひは……
兄:肌が弱いから、僕みたいに黒く焼けないでまっかかに腫れちゃうんだ…りんごみたいに。
兄:おかあさんは「あかくてかわいいねぇ」て、……
兄:あかくてかわいいあさひ……僕のなのにお母さんがとった
摩耶:そんなに好きなら、あさひもここに連れてくれば。
兄:嫌だ、あさひはあげない
摩耶:わがままだなぁ、僕は君に金魚を山ほどとってきてやったのに。
兄:……帰る。明日、学校へ行く。
摩耶:海の側の?嫌いなんだろ?海も学校も
兄:海も学校も嫌いだ。
摩耶:嫌いなところへ帰らなくてもいいよ。
兄:僕の肌は真っ黒になるし、潮の匂いがずっと……
兄:……ずっと魚の匂いがする。
摩耶:僕もする?魚の匂い(顔を近づけて)
兄:(顔を避けて)ん、やだ、もう混ざりすぎてわかんない
摩耶:そう。……(耳に口づけして)ね、退学して、また来るんでしょ。ここに
兄:……うん。
兄:明日、帰る。さいごの学校にいく。

0:(屋上)
兄:(深呼吸している)
兄:「この問題を解いてください。あさひとお母さんの距離を1としたら、お母さんと僕の距離は、いくつでしょう。また、あさひと僕の距離は、いくつでしょう」
兄:「……書いているうちに気が変りました。僕はもうとっくに答えを知っているので、解いてくれなくっても構いません。僕の墓は、お母さんと僕の距離の1万倍、海から離れた場所に作ることになっています。わかるでしょう、あの丘の上です」
兄:「それから。僕の一回忌には、あさひに「赤い金魚」を持って墓参りに来させてください。あさひだけ来てください。お母さんは要りません」
兄:あさひだけ来てください!お母さんは要りません!
兄:(紙を飛行機型に折る)
兄:あーーーー!
兄:プール、塩素のにおい、飛び込み用意、……いちに、セット!(息を吸い)

0:(ごとん。薬缶を置く)
ぼく:兄さん、は、屋上の、その上の貯水タンクの上から、プールに飛び込もうとしたんだけど、貯水タンクから飛び込みを決めたら、屋上の縁(ヘリ)で頭を打って、死んじゃった
まや:そうなの?
ぼく:馬鹿だなぁ。
まや:海に飛び込めばよかったのにね。
ぼく:兄ちゃんは海が嫌いだった。僕と違っていくらでも泳げたし、真っ黒に日焼けもできたのに。
まや:君は海が好き?
ぼく:好き。将来は漁師になる。
まや:やめた方がいいよ
ぼく:どうして?
まや:魚臭くなっちゃうよ
ぼく:やっぱりそうかなぁ
まや:魚臭くなるし、まっかっかに日焼けもするよ。だから海になんか行かないでここにいなよ
ぼく:僕がここにいる場合、兄ちゃんの墓は?
まや:うん?返してあげる。
まや:あのさ、あの墓を欲しがってるのは君なの?君の母さん?
ぼく:母さんだよ。
まや:へぇ。生きている時は迎えに来なかったのに、おかしな話だな。
まや:僕は墓なんかいらないんだ。「あけの」は欲しかったけど、墓になっちゃったら別に。
ぼく:僕がいるからもう墓は要らないんでしょ?
まや:そうだね。君がいるから
ぼく:僕がいなくなったら?
まや:君はいなくならないよ

0:(カラン、氷の音)
0:(次の日の朝)

ぼく:「前略。」
まや:「前略、兄さんと、兄さんのおとこ。
まや:暑中お見舞い申し上げます。
まや:もうこれっきり
まや:草々」
まや:……はあっ……
まや:行ってしまうの。行ってしまうのか。
まや:「あけの」は?「あけの」……(ふらふらと立って行く)
まや:約束が違うよ、約束がちがう……(次第に足を速めて丘をあがっていく)
まや:はぁ、は、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、
摩耶:(丘の上に墓石を見つけ)あ……「あけの」……そこにいるの
摩耶:君は返さないよ。「あさひ」をくれなかったのに。
0:(陽射しに目をくらませながらふらふらと歩み寄る)
摩耶:……執念深いよね。あんな当て付けを書いて死ぬなんてさ。
摩耶:(じっと見下ろしながら)いいよ別に。君は別に返したっていいよ。墓なんていらないんだから。「あさひ」をくれるなら君を返したっていい。
摩耶:でも、くれないでしょ。君は執念深いよね。僕は金魚をたんとあげたのに
0:(じりじりと陽ざしが照り付ける中、摩耶は立ち尽くしている)

0:(一年後)
0:(坂を上がって墓参りをする「ぼく」)

ぼく:今年はちゃんと海水もってきたよ。
ぼく:兄さん、海、きらいだった?
ぼく:嫌いだったよね。何が嫌いだった?
ぼく:潮臭いのがきらいだったんだよね。
0:(海水を墓石にかける。どぼどぼ)
ぼく:ぼくはね。兄さんの汗の匂いが嫌いだった。土の匂いも嫌だった。血の匂いも嫌だった。
ぼく:「あの日」から。あの日兄さんが僕に塗り込んだ、魚みたいななまぐさい匂い。
ぼく:学校にでかける兄さんの、制汗剤のにおいも嫌いだった。綺麗ぶってさ。
ぼく:海は好きだよ。兄さんと魚の匂いを洗ってくれるから。
ぼく:兄さん、僕漁師になるんだよ。学校なんてやめてやったんだ…兄さん
ぼく:もう墓参りも来ない。まやのところにももう行ってやらないんだ。
ぼく:兄さん、だから来年から墓なんて意味なくなっちゃうんだよ。僕来ないんだから。
ぼく:……なのにこんな立派な石をたててさ。
ぼく:(墓石を抱きしめる。息を吸い込む)
ぼく:くさいなぁ、僕。うみのにおい?汗の匂い?(深く息をする)
ぼく:(墓石に腰を擦りつける)あ、は、ぁ、
ぼく:ふ、僕が海で死んだら、ハ、そしたら、そしたら……まやに引き取ってもらおう
ぼく:んん、兄さ、ん、も海に帰ろう、ね。
ぼく:お母さんがさ、準備してるから。兄ちゃんはお父さんと一緒にうちの墓に入るんだよ
ぼく:は、あは、はぁ、ぅ、あ、
ぼく:まや、は、僕を欲しがるだろうから、僕が代わりに、ここに、うまってやろうかな、あは
ぼく:兄ちゃぁん!残念だったね!せっかく死んだのに。
ぼく:あ、あー……
0:(××と同時に白昼夢)
摩耶:赤い金魚でなくてはいけないの?
兄:そうだよ
摩耶:黒いのは?
兄:嫌
摩耶:でもこれは紺だよ。珍しいよ。
兄:そうなの?
摩耶:僕がとった時は紺だった。日焼けしたんだ、きっと
兄:(歌うように)日焼けして黒くなるようなのは駄目。
摩耶:赤は一匹しかとれなかった。先に言っといてくれりゃあさ、赤ばっかりとってきたのに。
兄:……むかぁしさ。
兄:お母さんが僕をひっぱたいたときがあったんだけどさ。
兄:それはつまり僕たちが庭の植え込みの裏に金魚をさがしに行って、
兄:あさひが両肘と両膝をすりむいて、ズボンが汚れちゃって、「いたいいたい」って泣いちゃった日。
兄:僕とお母さんの距離が1万倍になっちゃった日。
兄:僕の、ひっぱたかれて赤くなった頬っぺたをお母さんがどんな目で見ていたと思う?
兄:ウットリ蕩けそうな目だったよ。
兄:……赤いのは、かわいいから。黒いのは気色悪いんだから。そう、お母さん、お母さんが……
0:(ごくン)
母:『あかくてあかくて、かわいいねぇ』
ぼく:「ひっぱたかれた赤い頬を兄はそれはそれは大事そうに、つまんでいました」
兄:ああ、
兄:……喉乾いた……

摩耶:「あけの」の墓は海から遠い。もう悲しまないように。もう魚臭くないように。
摩耶:それでもまだ執念深く、魚の匂いがムっと墓石から匂い立っている。

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