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虹色の落ち葉

 落ち葉って、枯れた葉っぱだろ?
 俺……、頭打ったのか……?
 足滑らせ、たんだ。濡れてた枯れ葉に。で、転んだ。それも前に。
 首、痛ったいな……。身体、重っ……。
 運動不足だったから? 普段から、最低限の栄養剤は入れてるのに、何が足りないんだよ?
 まあ、いっか……。もう、やりたい事も無いしな……。
 落ち葉が、なんで、こんなに綺麗に見えるんだろ。
 枯れて干からびて、枝から落とされて。ああ、木を守るために。
 春は芽吹き、緑が茂り、夏に陽を浴びて木に栄養を送って、秋が来て用が無くなり、冬、幹だけを生かすために切り捨てられる。
 いいじゃないか、利用して切り捨てて。間違っちゃいない。
 そうして、土に還って、また次の養分になって利用される、その繰り返し。
 そんなループから逃れられない奴はどこにでも居るさ。
 俺は、自分の力で、そっち側から逃げた。いろんな奴を養分にして。
 別に法律は破っていない。投資や株、取引きには、顔の見えない、一生知ることのない負け組が五万と居て。勝ち組は一握り。幹を守るために、切り捨てる。その繰り返し。哀れだとか、負けた側を認識する暇なんて、一瞬も無い。繰り返し繰り返し、サイバー空間の中で、騙し合いと負けと勝ちがあるだけ。
 そうやって、どこまでもどこまでも高みを目指す。
 ああ。あの階段を昇るみたいに。最初の一歩は、何時だったかな。もう思い出せないくらい遠い昔のような気がする。
 つったく。こんな所で、なんで俺が、枯れ葉に頭突っ込んでなきゃならない?
  周囲を睥睨する、最新のタワーマンションに居たのに。パソコンやネット機器以外、ほとんど何も無い部屋。窓は広いが、ソファもカーテンも、元々あった家具をそのまま。服も、黒のハイネックが一週間分、ジャケットは適当に。ボトムもジャケットに合わせると言う店員に任せた。
 食事も、通販で栄養剤。サービスの真空パックのチキンは、空の冷蔵庫に入ったまま。コーヒーも飲まない。なんで飲まないのか、お節介なことを言うような人間も回りには居ない。
 誰かに合わなければならないほど、金に困っちゃいないから。
 ……なのに、なんで……。
 立ち上がろうと手を突こうとして、右手首に激痛。
 また、枯れ葉の中に顔を突っ込んだ。骨、折れた? なんなんだよ、あの栄養剤。カルシウム入ってるだろ? 定着率高いとか書いてあったじゃん。
「……くっそ……」
 別にここで死んでもいいけどね。部屋はほとんど持ち物無いし。一応、なんかの時用に、銀行の信託入れてるから、後始末はしてくれるだろ。
 金で、大抵の事は片付くんだよ。人間の最後も。落ち葉と同じで、誰だって、最後は落ちて朽ちるだけ。
 もう十分、高い所まで来たよ。誰よりもトップというほどじゃないけど、遠くまで来た。間違いなく。
 キーを叩き終わって、ふと振り返ったら。
 ……なんもないな、この部屋……。と感じた。
 がらん、としたリビング。最新式の空調も静かで、音もしない。
 窓から見えるのは、青い空だけ。
 ネット機器だけが、低い音を響かせている。
 時間が流れているのはパソコンの中だけ。部屋の中、外。自分の周りは、ほんとうに時間が流れているのか?
 確かめたくて、窓に駆け寄った。見下ろした。握りこぶし程度の緑色の茂み、その中心にあった、黒々とした瓦屋根。
 小さな神社があったはず。……別れたあいつと通った神社。
 二人で笑って、手を合わせて、……何を祈った?
 突然、胸の中で何かが開いて、部屋を飛び出していた。
 気付いたら、転んでいた。
 物のない部屋。パソコンと頭脳一つで、多くのものを手に入れた部屋なのに。何も持っていないような部屋。
 ほんとうに、俺には何も無い……。
 祈り、すらも。
 どこを見てたんだ? 誰かの見ている先が、自分も見たい世界だと勘違いして。それを叶えようと、一つずつ捨てて。あいつと過ごす時間も、あいつも、自分の快さも。最後に自分の気持ちも、枯らして捨てた。
 幹があるだけ。
 それって、なにか意味があるのか?
 枯れ葉、きれいだ……。一つ一つ、赤、黄色、オレンジ、緑、紫……。
 虹の色か。虹色の道が、緩い階段に続いてる。
 でも俺はもう、あの階段は昇らない。
 もう、いいんだ。
 右腕を抱え込むように、ゆっくりと身体を丸めてみる。
 あったかい。降り落ちる太陽の光も。自分自身の肉体も。まだ暖かい。
 カサカサと枯れ葉がこすれる。カラカラと風に鳴る。
 ふわりと虹の欠片が降り落ちてくる。ふわりふわりと。
 もう。欲しいものは無いから。
 時間だけが、欲しい。虹色の今を味わう時間。
「……ちょっとだけ、腹、空いたな……」
 笑って、みた。
 

※この小説は、一枚の画像からひとつの小さなお話という企画のもとに作成しました。

今作は、この画像と一緒に書かれた、以下の一文にピンと来て、入れたいと思ったのですが、消化しきれませんでした。
 でも、すごく響きました。以下引用。
『その時初めて、自分は、今まで遠くばかりを見すぎていて、遠くばかりに思いを馳せすぎていて、自分のこと、自分の空間を心地よいものにしたり、癒してあげることを全然してこず、むしろ、ずっと厳しい、居心地の良くない環境に自分を入れていたんだなあ。と思いました。そりゃ、遠くにも行きたくなるよね。と思いました。
癒される空間作りをしていなかったのも自分がしたこと。そうやって厳しく自分にしていたのも自分が決めてしたこと。変な決まりや、壁、固定概念を作って、自分を窮屈にしていたのも自分でした。

コロナ渦で、私の身近なモノたちが私に教えてくれ……』
逆に自分は、めっちゃ溜め込む人なので、シンプルに暮らす側の人には凄いなぁと感動しきりなのですが。過去の自分は過去の自分として、今の気づきもちゃんと大切に見つめる姿勢。「遠くばかり見過ぎて」という感覚は、人間、そゆ時、あるかもなと。
昨今、成功や稼ぐことを頑張る方が多いわけで。それも遠くを見過ぎているような気もするし、正しい感覚だとも思うし。成否を問う気はないですが。
時には、枯れ葉も綺麗、と思える感覚も大事だな、と。
この素敵な画像に、気持ちが膨らんだ、みたいです。

勝手に使わせて頂き、有難うございました。すみません。
地べた視点の画角は珍しいですね。私は、よくやります。コンデジではなく、一眼で撮影してる時、視点が変わって結構面白いので。

つか、後書き解説は、ちょっ興ざめでしたが。引用部分を語りたかったので、ご容赦下さいませ。

虹色の枯れ葉、なのに、ふわふわっとした話にせずにスミマセン。あはは。
逆を行きたい、アマノジャクなので。はは。
ラスト誰かを出そうと考えてたんだけど、今回辞めました。
通りすがりの若い女性を出して、恋愛な期待感に続けるか、もしくは幼児に声をかけさせてほのぼの終わりか。迷いましたけど、無し、にしました。
虹色を強調して終わりたかったから。

ここまで、お読み頂き有難うございました。感謝致します。心の支えになります。亀以下の歩みですが、進みます。皆様に幸いが有りますように。