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私が給食のおばさんだった時 vol.1

息子が小学生だった頃、私は給食のおばさんだった。

職場は神奈川県〇〇市のマンモス小学校。仮にマンモス小学校としておこう(そのままんじゃないか)生徒数約1200人。自校給食だ。
給食センターから給食が運ばれてくるのではなく、学校に給食室があって、そこで毎日作られている。
給食室のメンバーは、栄養士の先生を頭に、給食会社の40代の主任、20代の副主任、数名の若手社員。数名のパート。ちなみに栄養士の先生は女性。社員は全員男性だ。パートは全員女性。皆主婦である。


給食のメニューは同じ神奈川県でも、市によって違う。そして同じ市内でも作る場所によって味付けが変わる。作り方や調味料の加減に栄養士の先生の好みが出るからだ。
マンモス小学校の給食は、その界隈ではうまいと評判だった。中学に入りセンター給食を食べた子供たちは、給食のマズさに小学校に戻りたい言ったとか言わないとか。


朝小学校に出勤すると、まず給食職員専用の休憩室に行く。各自ロッカーがある。めっちゃ狭い。すれ違えない狭さだ。ロッカーには白衣と、着替え用のTシャツや汗ふきシート、制汗スプレー、飲み物なんかが入ってる。そうそう、手ぬぐいは必須だ。男子はタオルを使っていたが、パートは手ぬぐいだ。
他の給食室は知らないが、マンモス小学校の給食室は冷暖房なしだ。まだ冬はいい。ガタガタ震えて、あまりの冷たさに指が強張り、感覚がなくなるぐらいで済む。問題は夏だ。
Tシャツ短パンの上に白衣の上着、長パンツを着て、髪の毛が出ないようにネットのキャップを被り、その上に衛生帽子と呼ばれる帽子を被り、マスクもする。もう空気に晒されているのは、目の部分だけだ。男だか女だか、老人だか子供だかもわけがわからない。その格好で仕事をするから、白衣が汗でビシャビシャになる。白衣が汗で汚れないように、首にタオルや手ぬぐいをかけるのだ。保冷剤を隠し入れるものもいる。
休憩室で白衣に着替えると、コロコロで埃や髪の毛をとって、いよいよ給食室に向かう。給食室の入口で白い短靴に履きかえる。
まずやるのは手を洗うこと。必ず二度洗いだ。それからエプロンをつける。エプロンは、何を担当するかで変わる。
野菜や果物を切るのか、洗い物に入るのか、パンやご飯を数えるのか。肉を触るのか。卵を扱うのか、出来上がったおかずを数えるのか。白いエプロンのほか、ピンクやグリーン、イエロー、レッド、使い捨てのエプロンが揃い、都度エプロンを変えるのだ。
次に、手袋をはめる。手袋はブルーマンのように青い手袋だ。間違えて破れても、包丁で切っちゃっても、すぐに見つけられるように目立つ色になっている。
怪我をしていたら専用の青い絆創膏を貼る。この絆創膏は凄い。もしも誤って外れてしまって、給食に混入してしまい児童が食べてしまっても、レントゲンにうつるらしい。金属な絆創膏だ。なんかカッコいい。
手袋をはめたらまた手を洗い、それからようやく朝礼だ。


朝礼では、主任のくだらない親父ギャグと共に、その日の注意事項が伝えられる。例えばアレルギー用のメニューがあるかどうか。まだ届いていない野菜などがあるかどうか。おかずは何個付になるか。冬の時期は学級閉鎖があるかどうか。

主任が言う。
「俺の夢は皆で仲良く下ネタを話しながら、給食を作ることだ!」

やあ、主任ここは君の城だ!やっと調理が始まる。

(次回に続く)

#給食 #小学校 #パート #給食のおばさん

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