側にいますよ
「くん、おちゃかな、ちゅき」
小さな息子が、おしゃべりしている。
「くん」は自分のこと。「おちゃかな」はお魚。「ちゅき」は好き。
わたしは、「うんうん」と、うなずきながらきく。
「あーん、ぱくって、たべゆ」
ふふふ。そうだね…
手真似も添えて、得意げに、話し続ける息子。それが当たり前だった日を、ふんわりと思い出す。春だからかなぁ。
そんな息子は、17才。春。どうしても、新しいことが満載。そういう時が息子は苦手だ。というわたしも、苦手だ。慣れるまでは、どうしても緊張し過ぎて、お腹が痛くなりやすい。
高校が休みの日。皮膚科へ行き、その後、眼鏡の調整をしてもらいに行く。お店に着き、息子がお願いする様子を、隣で見てる。これも初めての体験だから、念のため。大丈夫そうだから、息子に任せて、わたしはその場を離れた。
離れて見てても、やっぱり、ものすごく緊張しているなぁ。この後、本屋さんに行く予定だけれど、行けるだろうか…
昔は、この状態に慣れさせようとか、それでもがんばらせようとか、していたなぁ。そうじゃないと、将来困るからって。よかれと思ってしたことだが、息子はとってもしんどかっただろう。
そういうのが積み重なって、とんでもなく大きな体調不良がやってきて、いろんなことができなくなって、という時期が息子にはある。今も、程度はかなり軽くなったが続いていて、それと付き合っていく覚悟みたいなものが、少しずつだけれど、息子にできてきているように感じる。
時々は、そうならない友達たちをうらやみながら、でも、自分はこうだからって、その時にできることを、できるだけやっている。そうして、過去ばかり懐かしがっていた息子は、未来に目を向けるようになった。
世の中には、なんとなく、「これくらいはできる」というような基準があり、それから大きく外れていると、困ることがある気がする。息子は、週2、通信制高校に通うペースで、いっぱいいっぱい。疲れやすく、緊張しやすいからだ。こういう子は、あまりいないし、さぼっているように思われやすい。わたし自身だって、息子を誤解していたことがあったなぁ。
息子のこと、未だよくわからない。わかってやれなくて、申し訳ないと思ったこともある。でも、今は、それでいいかと思うようになった。息子も、「わかろうとしてくれるだけで、うれしい」と言ってくれるし。
わからなくても、息子がそうだと言えば、そうなのかと、ただ受け止める。感じていることや考えていることを、話してくれたなら、最後まで遮らないで、ただきく。
そう言っても、わたしはおしゃべりで、自分のことを優先して、しゃべってしまいがちだ。それに、話をきちんときいていないときもある。
そうなるたびに、息子に鋭く指摘される。腹が立つし、時に落ち込むけれど、それでも、そう言ってくれるのが、うれしい。何よりの信頼の証だと思う。わたしは、この年になるまで、親に言いたいことが言えなかったし。
昨年、息子が高校に入った時、わたしに言った。
「自分の一番しんどい時に、側にいてくれてありがとう。」
そこ、なんだ。目から鱗だった。わたし、あなたの側にいていいんだね。
親って、それだけができたらいいのかもしれないなぁ。いや、そういう関係を築くこと、そんなに簡単じゃなかったね。ぶつかって、息子を傷つけて、自分も傷ついて…わからない中を、体当たりでやったきたもの。
こうやって、本当に時々だけれど、ご褒美のように、想いのこもった特別な言葉をもらえたら…また、がんばれるんだ。
ぼんやりしてたら、息子が戻ってきた。息子、本屋さんにも行くって。
はい。側にいますよ。
あなたが「もういいよ」って、言うまでは、ね。
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