ボケクエスト6 スライムベス 予選振り返り 没ボケ紹介

ボケクエスト6、チームスライムベスはグループ内3位で予選落ちでした!ムキー!

例によって振り返りと没ボケ紹介していきます。回答自体が長いから当然めちゃくちゃ長い!一回で読み切るものじゃないと思います!目次を使って興味ある所だけ読むか、飛ばし飛ばし読むか、日を空けながらこまめに読むかしてください!


チーム紹介

スライムベス

トロフィーポイント:9

ボケクエスト4でも組んだ楽しいチームです。
ボケクエスト4の時の振り返り記事が4つあります。

   

あれから3年、進化した4人が再集結し、さらなるハーモニーを奏でるかと思いきや、意外とみんな実生活が忙しくなっていたのでそんなにめちゃくちゃ話し合ったり回答出しまくったりはできないという落とし穴がありました。

前回も予選落ち、今回も予選落ち、いつかまたリベンジするかもしれないです


ハシリドコロ

トロフィーポイント:5
 夜勤かぼちゃ・ダンジョンえび・花てろっつを経て、スライムベスに戻ってきました。迷惑とか考えず普段出さない回答をたくさん出せる&ほかのメンバーの回答をたくさん見れる ことを楽しみにしていて、その点は実際わりと達成できたと思います。
 (辻喜利以外の)常設企画や大会で良い順位にいることはほとんどないです。チーム戦だと割といいところまで上がれることもあるのですが、そういう時はかなりチームメイトの強さに依存した勝ち上がり方なので(チームメイトが得点源だったり、自分が上位を取るときもチームメイトの回答に影響を受けて合わせていたり)、スライムベスのチームメンバーを見渡してみて正直勝ち上がるのは厳しいだろうとは思っていました。が、やりたいことを完全にやった上で勝つ!と思ってしっかり負けています。アーン!俺たち気合だけ!
 どういうことを考えて回答を出していたかとかは個別の回答のところに書きます。

極道の娘

トロフィーポイント:0
 ごくむすは普段から仲良くしていて、時々他愛もない話をしたり何か新しい面白いことに巻き込んでもらったりしてるんですけど、仲良くなったのはボケクエスト4でスライムベスにごくむすを誘ったところからで、今回のボケクエは原点回帰だった、という見方もできます。
 ごくむすは圧倒的に平凡じゃなくて、ごくむすの感覚とか物事の理解の仕方でこちらが予想できない部分がたくさんあります。脳に情報を格納するときの整理の仕方が自分と(普通の人と)全然違っていて、自分の中では全然離れたところにしまってある2つの事柄がごくむすの中では近くにしまわれていて、ごくむすにその近さを指摘されて初めて「言われてみれば確かに近い部分もあるかも」とちょっと考えてから気づかされるような、そういう唯一性がある、と感じます。
 ただ、ごくむすにはそういう面しかないわけではなく、回答や結果についても話し合えるし、平凡なこと(の模倣)もできるし、コミカルで明快なウケ狙いもできるし、まともな文章や論理と予想外の構造を同時に扱えるので、実用性(?)も兼ね備えていて素晴らしい。理解できない存在として完全に隔離されているのではなく、満足に意思疎通できる方法がしっかりあるというのも、独自の思考回路があることとはまた別で珍しいことだと思います。ごくむすはスライムベスのムードメーカーでもあり、ごくむすがいなかったらチームの方向性が全然変わってくるだろうなあ。
 ごくむすはずっとすごいのに実績がなさすぎる!ごくむす側と投票側の両方からいい感じに歩み寄ればごくむすのすごさだけが圧倒的に輝くような瞬間もあっておかしくないと思うんですが、どうやったらいいんだろうねえ。ごくむすに1位を取らせるのは今回も失敗なので、またチャレンジしたいです。アーン!を教えてくれてありがとう。

堀手

トロフィーポイント:0
 堀手さんは最近大喜利をやっていなかったみたいだけど、スライムベス再結成の話が出たら快諾でした。堀手さんとのファーストコンタクトは「堀手さんが堀手さんが高校生の時に世界のナベアツをもとに自作した数学の問題の模範解答をツイートした時、その中の『自明』の使い方にケチのつけどころがあったのでケチをつけた」という出来事で、今回の予選3で数学の答えにケチをつけるような回答を出したのは原点回帰だった、という見方もできます。
 堀手さんが大喜利PHPとかボケ問答をやっていたころどういう回答を出していたのかはあまり知らないんですが、自分が堀手さんを認識してからの堀手さんの回答は一言でいうなら「荒らし」で、荒らし方にはバリエーションがあるんですけど、お題に対して堀手さんみたいな態度で回答する人は他に全然いないと感じています。今回も荒らし性がたくさん発揮されていて良かったです。
 荒らしでありながら知性や教養は深く、伝わりにくい回答・長くて複雑な回答・知識が必要な回答 をチーム会議で出しても、堀手さんの処理能力と学問能力💪に受け止めてもらえるという安心感があり、チームに堀手さんがいるのといないのではハシリドコロが出せるボケの幅が全然違ってきます。ということを堀手さんは完全にわかっていて「自分にしか取れない球が来たぞ」とほくそ笑んでわざとらしく優しくキャッチしてくれているときもある感じがします。
 この人ももしかして全然実績がない!?多才で器用な人ではあるはずなのですが、世の中ってスキル厨なだけでは何も成し遂げられないようになっているのかもしれません(かなり自戒含む)。ごくむすと違って、堀手さんの能力が突出しているのはみんなが目視可能で地続きな方向だと思うので(みんなが目視可能で地続きな方向でも突出していると思うので)、環境が堀手さんに注目するようになるだけでみんなが背中を追いかけようともがく人になりうるのでは?と思っています。でもそんなのどうでもよさそー

モモス

トロフィーポイント:4
 堀さん。堀さんとしか呼んだことがないんですけど、堀さんって書くとと堀手さんとの視認性が悪い説もあるのでモモスさんと書きます。うんこ青い炎という名前で大喜利プラスをやっていた時から存在を認識していました。大喜利東海杯という生大喜利の大会で初対面のモモスさんに長文回答を褒められたところから長文回答をたくさん出すようになったという部分もないわけではないので、今回のボケクエで長文回答ばかり出したのは原点回帰だった、という見方もできます。
 モモスさんはスライムベスの中では「他の人が面白いと思う回答」を出すことから軸足が外れていない印象で、面白さの基準がをどんどん複雑化させていくことはなく、むしろネット大喜利をある程度続けている大部分の人よりも「ネット大喜利をずっとやっていたら面白いと感じなくなってしまうこと」を「これはずっと面白いんだぞ」と大切にしていて(うんこを大切にしていて)、その上で大部分の人が手を出さない複雑寄りなテーマとか長文とか構造に挑戦している、という風に認識しています。温故知新と呼ぶには中間が抜け落ちている感じもしますが、古いものと新しいものをどちらも大事にしていて、それがモモスさんの人気の一つの要因だと思います。モモスさんと似たようなことをやっている人が全然いないのは、モモスさんが専門で開拓していて後から同じことを始めても二番煎じになり続けることになるから?
 チーム会議では軽めの回答を出しつつ重いものや変なものを混ぜ込んでくれて良かったです。スライムベスの土壌でもありながら、そこに実る果実でもある(うんこでもありながら、花でもある)モモスさんのおかげで、忙しがちだった今回のスライムベスのチームとしての形が保たれていたと思います。
 モモスさんは実績も一応あるし他のメンバーと比べて既に人気もあるので、今回勝てなくても機会損失含めてほとんど損してなさそうだと思いますが、主戦場対抗フェス2019で決勝まで勝ち上がっていったの時の「全員がモモスさんにつきあわされているうちにお互いに歩み寄ってどんどん面白くなっていく(面白いと感じられるようになっていく)」という現象を、モモスさん中心にスライムベス全員でもう一度引き起こせたら楽しそうだったのになあ、とは思います。


予選1回戦

昆虫博士がたった一度、虫に嫌悪感をもったエピソード

ハシリドコロ

小さい頃から虫の動きのマネしてて人前でも披露してたけど中学生になったときそれが完全にマスタベだと気づいた

いつものような回答


 大喜利で「虫」の要素が必要になったとき、「脱皮」「羽化」「擬態」「気持ち悪い」「いつの間にかいる」あたりのものがよく使われると思うんですけど、こんな感じで「あるものがお題になった時に抽出される要素」がワンパターンに偏っているのがあんまり好きじゃなくて、現実のものはもっといろいろな属性があって面白く拾える部分がたくさんあるはずなのに、「いつも使われている要素はこれで、他の要素は伝わるかわからないし、いつも上位を取っている要素を使えば安牌」みたいにみんなが考えてお互いにロックしあってそこそこの安定パターンで固定されてしまっているのはもったいないんじゃないか?と思っています。これは特にアフリカとか中国とか国や地域に対する昔のステレオタイプ回答が並んでいるときに強く感じるんですけど、虫とか生き物でもわりとあります。
 僕は結構虫とか生き物とかが好きな方で、世の中の平均からしたらかなり虫博士側の人間だと思うので、予選1回戦の虫博士お題は、虫をキモいもの、虫博士を知らない人、と自分から遠ざけて定番の要素として回答するのではなく、虫博士の立場に立ってちゃんと考えて、虫の要素もあまり使われていないものを丁寧に拾っていこうという方針で回答を作ろうとしていました。


アフリカの砂漠でNARUTO見てる隙にスナノミに寄生されてた

スナノミの動画(蓮コラ的グロ注意)

オタク系統の固有名詞+必然性のないぶん投げた感じの設定 に細かい虫知識を加え、ポップながらもお題に対してはしっかり返している

コバネガという蛾が、蛾のくせに噛む口をしていて、え!!!!!!!マジキショ!!!!!!!!と思った

蛾とか蝶ってだいたいはクルクル巻いたストローみたいな吸うための口をしているんですけど、原始的なチョウの仲間とされているコバネガは他の昆虫みたいな噛むための口をしていて、それが虫の要素のトロの部分だということにして出した回答です
「ヘビは好きだけどアシナシトカゲは不気味で気持ち悪い」って人に会ったことがあるんですけど、そのコラージュみたいな不気味な感じを狙ってるやつです

うんこの最中に世界一大きな蝶・アレキサンドラトリバネアゲハとうんこが入れ替わった

これ雑だけど面白い 本番これ出すか迷いました
「うんこの最中に世界一大きな蝶・アレキサンドラトリバネアゲハ」の部分は「とうんこが入れ替わった」が来るまで意味も分からず脳内で保持しておかないといけない感覚があって、こういう風に順次消化できずに一時的にメモリを占有する感じっておもしろいよなあと思っています


【エロあります】昆虫博士が大学4年生のときに配属された研究室に修士2年の女の先輩がいてその人は虫が苦手なのにコメの害虫の研究してて博士が虫周りを手伝うことも博士が研究のやり方を教えてもらうこともあって博士の人生で初めて人を好きになってその先輩が修論完成させて実家帰って就職するってなったときに一回だけならエロいことしないほうが不自然みたいな雰囲気ありますよね?その雰囲気になってまあ不器用ながらもゴールまでブチ抜いたあと、先輩に虫と仲良くね、じゃあね、って言われたときに違うよ、虫なんてどうでもいいんだよ僕は、と思えなかったから言えなかった

「長文回答は読まずに飛ばしていいかどうか論争」みたいなのがあると思うんですけど、僕は「自分は全部読むけれど、読む気ない人や忙しい人はまあ飛ばしてもいいんじゃない」と思っています。が、それはそれとして、やっぱり長文を書くときに最後まで読んでもらうためにどうしようかっていうのは考えるポイントとしてあって、「短い会話のやり取りにする」「読みやすい文章で書く」「ボケをこまめに入れる」などがよく使われている方法だと思います。この回答は、最初に「エロあります」って書くことによって性欲駆動で最後まで(エロが出てくるまで)読んでもらうっていうのをやろうとしたやつで、本格的にやるならもっと長くてもっとエロそうじゃないとだめなんですけど、このやり方自体はかなり浅ましくてほどよく人をバカにしていて面白いです。


先輩の博士がトドノネオオワタムシ(ユキムシ)の近縁種の新種を見つけたときにProciphilus mushusって名前をつけてたので何かと思って聞いたら複数形にしたとき種小名がmushiになるようにしたかったって聞いて学者のラテン語ジョークきっっっっしょと思って自然科学だがわずかな創作の余地が残されてる分野は全部ユーモアが汚れてておもんないと思ってる時期があった

「学者ユーモアおもんながち」っていうのは堀手さんが時々言ってることで、もともとわりと同意してて今回自分のものみたいに出てきた

昆虫好きが高じて人生かけて昆虫に取り組むために筑波大学生命環境科学群生物学類に進学し、サークルも野生動物研究会(通称やどけん)に所属するも、そこには大学進学前から論文を調べたり研究者とコンタクトを取ったりするほどの行動力と能力が伴っている虫好きが溢れていて、自分の好きは気持ちだけであって能力で劣るし、自分は純粋に好きという気持ちだけではなく人より昆虫に詳しいという能力に自惚れてしまっている面があったと気づき、一度嫌いになるとこからやり直してそれでもまた好きになれるまで知識や経験を積み重ねるしか生き方がないと思った

虫博士といえば筑波大学、筑波大学といえば野生動物研究会(やどけん)


クワコの幼虫を撫でていたとき指を登ってきたのでかわいがっていたら、死亡してドロドロに溶けた

※クワコ
カイコの原種と言われている。完全に家畜化されて逃げることも飛ぶこともしなくなったカイコと違い、クワコの幼虫はよく動き、成虫はよく飛ぶ。
※バキュロウイルス
昆虫に病原性を持つウイルスで、チョウ目の幼虫などに寄生する。バキュロウイルスは多角体というタンパク質のカプセルに包まれた状態で自然界に存在している。葉についたウイルスが幼虫に食べられて中腸に達すると、幼虫が出すアルカリ性の消化液によって多角体が溶け、中に包まれていたウイルスが幼虫に感染する。感染したウイルスは幼虫の全身に広がって増殖し、幼虫の行動をコントロールして木の上の方まで登らせると、そこで幼虫を死亡させる。ウイルスが作り出した分解酵素によって幼虫の死体はドロドロに溶け、それが雨や風や鳥の捕食などによって環境中に広がることで、体内にいたウイルスも拡散される。


博士はなぜ嫌悪感を持ったのでしょうか。指の上でドロドロに溶けたのが気持ち悪かったから?いえ、そんなはずはないでしょう。森やら池やらに平気で入っていくのが昆虫博士ですから、一時的に指が汚れることなんてなんでもないはずです。かわいがっていたのに死んでしまったから?いえ、昆虫の命が儚いことなんて、博士は物心つく前から理解していますから、今さら一個体が死んでしまったところで、それまでと変わったことはないはずです。
それではなぜ、嫌悪感を持ったのでしょうか。簡単に答えを言ってしまえば、昆虫に裏切られた気持ちになったから、と私は思います。
昆虫を愛し続けていた博士は、自分の愛が一方向で、昆虫から愛されはしないことを、ほんの少しだけ、気にしていたのだと思います。もちろん、博士は子供じゃありませんから、ペットを飼うということ、動物を愛するということが、どこまでいっても一方的な行為であることは知っていたはずです。ですが、ほんのかけらばかり、一方的な関係に嫌気がさしていたのでしょう。
その一つの証拠として、博士はカイコではなくクワコを愛でていました。カイコのほうが飼いやすいにもかかわらず、です。何千年も前から人間に改良され、逃げることも飛ぶこともできなくなり、人間に依存し一方的に利用され続けるだけのカイコではなく、自然界で自立して生きていくことができるクワコを選んだのは、少しでも自分と昆虫を対等な立場に近づけて、人間が昆虫を愛でることの一方向性を遠ざけたかったのが理由だと思います。
クワコが指の上で溶けたことで、なぜ昆虫博士は裏切られた気持ちになったか。それは、クワコに自分の愛が届き、通じ合えたと思ったのに、実際はバキュロウイルスに操られていただけで、全く通じ合ってなどいなかったからでしょう。切望していた昆虫からの愛を受け取ったと思いきやそれが幻で、何もない空間を両腕で抱きしめてしまった博士が、一時的に昆虫を憎み嫌ってしまうのは、不思議なことではありません。
でもおかしいじゃないか、博士はもともと自分の愛が一方的だと知っていたのに、なぜ裏切られたと感じるんだ、そのような声も聞こえてきます。確かにごもっともな疑問です。博士はもちろん愛が一方的だと人一倍理解していました。通じ合えないという性質を含め、昆虫を丸ごと愛していました。しかし、博士のその昆虫への愛が、正しい理解をゆがめてしまうほど大きかったのです。博士は、巨大な愛のせいで、自分の心の中にいる理想の昆虫を、目の前にいる実際の昆虫、自分の思い通りにはいかない現実の昆虫に重ねてしまったのでした。博士でありながら、自然をありのまま観察することができず、都合のいいように考えてしまったのです。
ただ、私は博士のことを責めることはできません。博士のしたことが、博士として不適切な行為だったとしても、私的な時間を共有し、直接肌で触れ合ってしまった愛する存在に対し、自分と相手の境界が溶け合い曖昧になったような感覚を抱いてしまうのは、何かを愛する一人の人間として、自然なことだと思います。
みなさんも、相手が昆虫ではないというだけで、博士と似たような経験があるのではないでしょうか。博士の抱いた感情は、痛いほど理解できるのではないでしょうか。まだ理解できない皆さんも、きっといつか分かるでしょう。このどうしようもない感覚を知ってこそ、豊かに人間らしく生きられるのだと、おせっかいながら、私はそう思います。
おせっかいついでにもうひとつ。あなたのお父様お母様がご存命で、あなたとの関係が良好なら、できるだけ頻繁に顔を合わせて、感謝の気持ちを伝えておいたほうが良いです。あなたが成人している場合、一生のうち御両親と同じ空間で過ごす時間を考えると、もう折り返し地点を通り過ぎているのですから。
以上、どこまでもおせっかいな、マン毛でした。

 カイコの家畜化の歴史とバキュロウイルスのライフサイクルについて説明しながら、押しつけがましくマン毛が愛を説く回答です。「君は君の人生の主役になれ」という本を読んで、良いこと言いながらおせっかいとか押しつけがましさが加速していくのおもしれ~という感想を(も)持って、そういう方向の回答をどっかでしてみたいとちょっと前から考えていて、今回ちょうどできたという感じです。バキュロウイルスはタンパク質生産系に利用されているというキャッチーなウイルスで、昆虫と鳥類の胃液のpHの違いで感染性の有無が変わってくる性質も何年も前から面白いと思っていたので、面白の文脈で吐き出せてよかったです。
 虫博士の内面に注目しつつ、クワコ(カイコ)固有の要素とバキュロウイルス固有の要素がうまく使われているし、それらの要素がなければ回答自体が成り立たないので、「虫博士の立場から虫の要素をちゃんと使う」という目標をきれいに達成できていると思います。完成度高い!この要素の使い方をもっとみんなが知っているモチーフでわかりやすく実現できたら相当強い回答になるはずで、普段だったらそれを目指したいけど、スライムベスでやるならこれでいいです。
 「クワコの幼虫を撫でていたとき指を登ってきたのでかわいがっていたら、死亡してドロドロに溶けた」の意味を解説している部分には、「単純に解説しないと伝わるわけがないから付け足した」「与えられた情報に納得できる解釈が展開されていく面白さをやりたかった」という意図もあるんですけど、「回答を深く読む」ことの是非が議題になることが時々あるので、その極端な例を1個投げたら面白いんじゃないの、というところからの着想もありました。例えば「ずっと地面を見てた」っていう回答(の一部)があったときに、「ただ単に地面を見ていた」と読む読み方もあれば、文脈次第では「気まずくて顔を上げられなかった」って解釈するのが自然な場面もあると思います。後者のような読み方がどんどん高度化していったらついていける人がいなくなって誤解だらけになるっていう意見もまあわかるけど、「文字通りの意味だけを読む」って慣れるまではたぶん相当難しくてだいたいみんな多少の解釈を入れちゃうと思うし、結局は是非とか決めないでいい感じにやるしかないと思うんですけど、それはそうととりあえずコーナーケースみたいなのを提示しておきたいっていうモチベーションがありました。これIQキッズ?(IQキッズ:自分の知能の高さを見せつけたいというモチベーションから、その行為の善悪や利益を気にせず(むしろ悪や不利益であることを好んで)ルールの穴を突いたり人を困らせたりした上で「自分は間違ったことをしていないから相手かルールが悪い」と思うようにしている子供(みたいな大人))
 長文回答のオチに対してもいろんな意見があって、最後が面白いことを最重視している人も多いと思うんですけど、僕は「オチがある方が面白い」→「オチが読めたりオチまでがのオチのためだけにあったりすると面白くない、オチがなくてフッと終わったほうが面白い」→「落としきれてなかったり関係なかったりする適当なオチが面白い」っていう変遷を辿っています。「いやマン毛かーい!」ってコロコロマリオくんツッコミして自分で面白くなってた。


極道の娘

家から車で30分ぐらいのところに祖母の家があって、まあ別に都会でも田舎でもないみたいなとこで、でマンションなんだけど、アパートか、その3階で、エレベーターあがってまあ入ってよみたいな感じで招き入れられて。で祖母あんまりご飯上手くないから、祖父はもうその時ボケてて、挨拶してもぼーっとしてたりして、そう、で焼きそばくらいしか作れないんだけど祖母のご飯は水っぽくて味も薄くて、鯖寿司買って行ったのよ、あと穴子のやつとか。生の魚そんな好きじゃないから、食べれるやつ。まあ適当にお皿に持って、箸用意して、でお茶淹れてもらったのね。緑茶。
ぼーっとテレビ観ながらご飯食べてて、そしたら急須の口のとこがやけにぷっくり揺れてるなと思って、覗いたら一匹の細い羽虫が口のとこでずっと出たり入ったりしてて、うわって思ったけど、なんか言えなくて。結局飲まずに無視して、その日は泊まらず帰ったんだけど。その時だなあ。

話の自然な散らかり方がよかった。その時だなあ。ってできるのイイネ

シャルル歌ってたら部屋に入ってきたハエ

おもしろい

セーラームーンの亜美ちゃんのパンツ覗こうとテレビに引っ付いてたらマジの蚊がちょうどの位置に止まって終わったと思った

普通におもしろい この回答はあんまりごくむすっぽくないというか、他の人がこの回答をいい回答として出してても違和感ないと思う

1967年5月11日、陽が差す中津川の郵便局の前で、摘んだ躑躅の中にいた小さなハチを、ゆっくり舌で触って潰した

ほぼ無意味な日付指定で解像度を無理やり上げるの面白い
なんか自分はツツジがハマらなかった(人生でツツジがハマったことないかも)けど、チーム内でも結構好評でした


堀手

蝶々がかすめて通るはビルディングの直線
蝶々の嵐の中で人は気が狂うだろう
蝶々のスカートに男が丸呑みされるのを見たんだ
蝶々は最後まで男を愛せないだろう

という詩を見て涙を流したあと、蝶々/蝶々/蝶々/蝶々が心臓/直線/女/女だと知った

こういう書いてあるものを2回読ませるみたいな情報負荷のかけ方って荒らしっぽくて堀手さんっぽい

細長い虫、というイマージュが、おれのノミの心臓を切り裂いた。

今まで見た回答の中で一番しゃらくさくてかなり笑った。しゃらくささでこれの上を行くのはなかなか難しいと思います

昆虫博士がたった一度、虫に嫌悪感をもったエピソード → 1+1*1 = 2
昆蟲博士がたった一度、虫に嫌悪感をもったエピソード → 3+1*1 = 4
昆虫博士がたった一度、蟲に嫌悪感をもったエピソード → 1+1*3 = 4
昆蟲博士がたった一度、蟲に嫌悪感をもったエピソード → 3+1*3 = 6
昆虫博士がたった三度、虫に嫌悪感をもったエピソード → 1+3*1 = 4
昆蟲博士がたった三度、虫に嫌悪感をもったエピソード → 3+3*1 = 6
昆虫博士がたった三度、蟲に嫌悪感をもったエピソード → 1+3*3 = 10
昆蟲博士がたった三度、蟲に嫌悪感をもったエピソード → 3+3*3 = 12

でたった一度とか無理ゲーだろ・・・と思ってたら

昆虫博士がたった零度、虫に嫌悪感をもったエピソード → 1+0*1 = 1

でよっしゃ一度きた!!!と思ってたら

昆虫博士がたった零度、蟲に嫌悪感をもったエピソード → 1+0*3 = 1

で一度が二度あるんかよ・・・と思った

例示多すぎる やりたいことはわかるけどそれやって何になるんだよ

バイオ4のミニゲームみたいなやつで屋根の上にいるニワトリだけ殺してあとは時間切れ狙う作戦の友達のニックネームが 虫殺さず で ニワトリ殺し乙 と思っていたら、そいつがバイオ5のリーパー(でかいゴキブリみたいなやつ)を殺した次の日にそいつのニックネームが ニワトリ殺さず で 虫殺し乙 と思った瞬間、僕は大好きな虫を殺してしまっていたも同然だった。

こうやって多少論理っぽい文章を羅列した後温度感が変わる変化球で落とすっていうやり方は堀手さんが結構やってるイメージあるけど、多少論理っぽい文章と変化球を実際どうするかの部分に他の人が真似しづらいものがあると思う

メガテンのマサカドゥスは平将門のパクリやし俺のアメンボゥスはアメンボのパクリやし

お前のアメンボゥス、パクリなのかよ

虫にまんこを陞叙された

羽虫に黽勉さをなんかされた

面白い 大喜利をバカにしてる?


大きすぎる世界に対峙する小さすぎる僕たちという構図をつくりたい、と思っているなら、実はね、小さすぎる僕たちより小さすぎる存在はノイズでしかないんだよ。世界は僕たちをつねに包含しているし、僕たちからすると世界はじゅうぶんに大きすぎるから、世界を軸とした関係は綺麗に成り立っているように思えるかもしれない。でもね、世界が包含しているのは言うまでもなく、僕たちだけではない。僕たちより少し大きすぎる建物であるとか、僕たちより大きすぎない岩石であるとか。それで、僕たちより小さすぎるもの、たとえば、本当は原子のつぶとかのような本当に小さすぎる存在を例に出すほうがいいんだけどね、そういうものもとうぜん世界は含んでいて、しかもそれらは、僕たちが期待している唯一の小さすぎる僕たちが大きすぎる僕たちに挿げ替えられてしまうほどに小さすぎるんだ。原子のつぶなんか存在するかどうか分からないというのであれば、そうだね、君の好きなあれが好例なんじゃないか?と言われた

相対的な大小の話を語り聞かせるようにだらだらとして急にお題に戻ってきてて面白いです。虫のことを「あれ」って指示語で示すに留めているのも雰囲気だけあって意図が見えなくておもしろい。
もともとは最後の部分が「好例なんじゃないか?と思った」でより入り組んだ回答になってたんですけど、さすがに本筋じゃないところで入り組みすぎでは?というチーム内の意見で「と言われた」に変更され、結果的に全然票が入らなかったので「思った」のままでよかったじゃん!という事態になっていました


モモス

ライオンの死骸など食い尽くせばいいのに、お上品なことに金玉を残している

お題の正面から、キンタマ

傷口から静脈にモゾモゾと入り込んで、心臓や、脳に進むのではなく、その時嫌だなと思う箇所や、コンプレックスの箇所に入りそうで入らないなどしている

嫌な虫

植木鉢の下を覗いたらちんこの下にうじゃうじゃいた

植木鉢の下を覗いたら? 関係ないのにちんこ出てきて面白い

寄生虫の中間宿主のくせに月明かりを浴びて汁を噴出している

「ネット大喜利っぽい書き方なのに内容が変で面白い!」と思い、チーム内でもこれで票を取る!っていう雰囲気があったのですが、実際投稿してみたら「ネット大喜利っぽくない内容なのに書き方が変じゃなくて面白くない!」という評価をされてしまったのか?寄生虫の中間宿主のくせに、月明りを浴びて汁を噴出しているんだぞ?内容を一度に頭に入れてみてください



予選2回戦①

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「○○○」

ハシリドコロ

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「ここでの閉廷は、フヨウのつぼみを無理やり開くような行為、いや、もっと正確に言うなら、蝉の幼虫を土から掘り出し、その皮を剥いて空に投げ上げるのと同じ、幼稚で恥ずべき社会的破壊活動にあたる」

比喩回答

極道の娘

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「わたしの目の中を覗き込んでいただくとピンクのインド人が写り込むと思う。これは私の心の泥です。私は自分をピンクのインド人に見せることによってわたしの問題を別のところにすり替えています。ところでピンクのインド人の好物はなんだと思いますか?数字が嫌いで鶯が好きか」

すり替えてることを自白するところおもしろい

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「黄ばんだ学者机のマットを捨てるように今の判決も成長のために一度捨てねばなりません」

これも比喩回答か?

堀手

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「デウス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

チーム会議で通話しててこの回答が面白いって話になった時「裁判を終わらせたくないという私欲のあまり、裁判所においてすべての判断と審判を行う最高位の存在としての責任を放棄し、より上位の存在である神に全てをゆだねて審判される側になってしまうという、見えていた枠がズレるお笑い」って感じのことを言ったらウケて嬉しかった

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「腹上死したいおじさんが交通事故で死ぬ話」

おもしろい

モモス

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「愛人のちんこ切った女の裁判はどうなったんだっけ?判例をたくさんください!」

持ってくる要素おもしろい


 ここで1回チーム会議があり、「まあ回答出せてはいるけれどなんかぱっとしないよねえ」「裁判の嘘要素(木槌を叩くなど)ばっかり浅ーく拾ってもさあ」みたいな話になって、このままだとありがちな範囲でしか回答を考えられないけどどうしましょうってことになったとき、モモスさんから「実際にあった判例を1つ選んで、その裁判だとして考えるのはどうでしょう」という発案があり、そのやり方でやることに決定しました。判例は判例検索のサイトで適当にワードを入れて検索し、大喜利との親和性が高そうな、猥褻文書の表現の自由について争われた裁判である「悪徳の栄え事件」に決定しました。教科書にも載っていたあの「チャタレー事件」の8年後の事件です。「悪徳の栄え事件」の高裁の控訴審判決の判決文をみんなで読んできて、その内容を踏まえてボケてみようという宿題が出て、余裕のある人は地裁判決最高裁判所の上告審判決の判決文を読んでもいいよねという話になりました。
 全員裁判素人法律素人判決素人なので、読んで内容を理解したり理解した部分をうまいこと使うのは結構大変で、完全に丸っと大成功なわけではなかったのですが、うまいこと使えることもあったり、そうじゃないにしても回答を作るとっかかりになったりと、コスパは悪いけれど有意義な行為ではあったと思います。


予選2回戦②

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「○○○」

ハシリドコロ

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「まあ芸術性と猥褻性は独立した項目だから裁判所は芸術性にタッチしないって言ってもね、そりゃ私だって性的道義観念と芸術性の関係について思うところはありますが、ちょっと今は人が多すぎる笑」

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「最近量刑のやつばっかだったんで、やっぱたまに有罪か無罪か決める裁判しとかないといわゆる動体視力?が鈍っちゃっててダメっすね自信ないです、下から見ててどうでした?」


ここで1回会議を挟んだところ、他の3人の回答が面白く、自分が出した回答には力が入ってなかったと反省し、高裁判決しか読んでいなかった自分を恥じ、地裁判決と最高裁判決を読んだ上で、自主的に居残り回答をすることに… 慌てて宿題やってるみたいで久しぶりでちょっと面白かったです。


判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「なぜ私が皆さんにまだ座っていてほしいかの理由を考えず、とにかく座っておいてもらえるのが、「私が皆さんに座っていてほしい理由」を最も尊重することになるのです。最高裁判所大法廷  裁判官 入 江 俊 郎  裁判官 草 鹿 浅 之 介  裁判官 城 戸 芳 彦  裁判官 石 田 和 外  裁判官 田 中 二 郎  裁判官 松 田 二 郎  裁判官 岩 田       誠  裁判官 下 村 三 郎  裁判官    色 川 幸 太 郎  裁判官 大 隅 健 一 郎  裁判官 松 本 正 雄」

最高裁判決の最後の名前がたくさん並んでるところ面白かった

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「いやー些細な量刑判断ならともかく罪の有無を認定する行為って緊張しまして、人間の行為って連続的なものというか、ある行為とごく微小な差しかない行為なんて無限に考えられますし、言い換えるとそちらがどんなに微小な差を言ってきてもそれよりさらに微小な差しかない行為を提示できるわけで、これが連続性の定義でもあるわけですけども、そのどこまでも連続的なものに線を引いて罪のあるなしという離散的な判断をするというのが、どうやっても不自然な行為であると感じられる日もありまして、不自然ではないにしろ、もし連続的な判断をする際に定量的な部分で多少ブレがあったとしても元のブレに適当な係数をかけた程度にしか結果がブレないのに対し、離散的な判断をする際には元のブレが十分小さくても結果のブレを十分小さくできないケースがあるんです、これが不連続性の定義ではあるんですけれど、ともかく離散的な判断をどうするかが裁判全体の結果である判決に大きく関わってくるわけでして、それが今回の裁判ではどのように行われているか振り返りってみましょうかね。今回の裁判中で出てきた連続→離散の変換が生じるポイントは、猥褻文書か否か、これを細かく見るなら(1)徒に性欲を興奮または刺激せしめるかどうか(2)普通人の正常な性的羞恥心を害すかどうか(3)善良な性的道義心に反するかどうか、の3つの箇所だというのはまあ当然として良いとして、この3つの離散的な判断が行われる前の連続的なパラメータと線を引く基準について考えると、(1)性欲を興奮または刺激せしめる程度→「徒に」の基準(2)文書が持つ性的羞恥心の刺激性の程度→普通人の基準・普通人が性的羞恥心を害されたと感じる基準(3)文書の性的道義性の程度→善良な性的道義心の基準、という感じにそれぞれなっていたわけですけれども、特に(2)についてはさらに「文書が持つ性的羞恥心の刺激性の程度」が「文書が表現している性的描写の内容の程度」と「刺激性を低減する芸術性・思想性の程度」に分解できてしまうわけでして、ここに挙げただけでも4つの連続的なパラメータと4つの基準があり、今回のような1審無罪2審有罪となった際どいケースでは特に、すべてのパラメータと基準について正確な衡量を行わないと小さな誤差で結果が大きく変わってしまう可能性があって、ではどうするかというと結局は裁判官の職人芸というか多数決というか、どれだけ真剣にやっても結果がおかしくなってしまう可能性がある中で感覚的にバランスをとって、やるしかないんです。あと(4)憲法で保障された権利に基づいて行われる行為が公共の福祉を損なう程度→守るべき公共の福祉の基準、という連続→離散の変換が行われているポイントもあったんですけれども、この離散的判断については裁判ってこんなんばっかで慣れてるんで割り切ってるんですわ。これは全然大丈夫です。」

法学力0人間なので完全に間違ったことを言っている可能性はありますが、判決文を読んで思ったというか一般的に何かをジャッジするとき「グラデーションでしかないもののどこかに恣意的な線を引いて区別する」という作業があって、その線の引く場所の微妙なずれで結果が大きく左右されるという現象があってたぶんそれは重要なことなので、判決を下すにあたって線を引いたポイントを抜き出して、線を引く行為について話させる、っていう回答です。連続不連続の部分はちょっと解析学っぽい言い方をしているんですけど、こういうのが面白いと思ったのは予選3の回答に繋がっていきます。

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「閉廷の前に、裁判所が担う業務について改めてもう1回言う。法律中に明確に言葉で定められた部分がある一方、細部について言葉で明示されない部分があったり、もしくは今回の裁判で言うところの猥褻性や性的道義観といった細部まで定義が定まりきっていない言葉が使用されている部分があったりするのは、国家秩序を保つという原理原則を維持しながらも細かな社会的通念が時代ともに移りゆく中で法律を時代に合わせて適切に運用できるようにするためだけでなく、そもそも罪の有無や程度を定める際に考えるべき条件は各事案について微妙に異なり、その境界線の複雑さと比べ、いくら説明を尽くしたとしても事前に言葉で示した法規では粗雑な境界しか引くことができないため、事案ごとその都度適切に細かな境界を設定する必要があるからである。もちろん似たような事案には似たような判断が下されるべきことが多いと想定されるため、事案の近辺に一度設定した細かな境界がある場合はそれを利用するべきと考えられ、これが過去の判例の積み重ねである。そもそも人が遵法性や善悪を判断する際、いきなり境界の細かな形を気にすることはなく、明らかに遵法のものとそうでないものはすぐに分別でき、その中で境界に近いより際どいものについては、より細かな境界条件を持ち出して分別し、それでも際どいものはさらに細かな境界を持ち出す、といったように、境界の細かさの階層性を利用して判断にかかる時間と手間を減らすという行為は自然なこととして行われており、法律で細部までを明示しないことも、階層を意識し手間と時間を減らしながらも実行的に機能する制度を構築するための自然な設計であり、細かな境界を全ての事案について予め設定しておくには、起こりうる事案の種類が多すぎるのである。以上を念のためもう2回言って、閉廷するかどうか改めて考え、宣言する。閉廷の前に、裁判所が担う業務について改めてもう1回言う。法律中に明確に言葉で定められた部分がある一方、細部について言葉で明示されない部分があったり、もしくは今回の裁判で言うところの猥褻性や性的道義観といった細部まで定義が定まりきっていない言葉が使用されている部分があったりするのは、国家秩序を保つという原理原則を維持しながらも細かな社会的通念が時代ともに移りゆく中で法律を時代に合わせて適切に運用できるようにするためだけでなく、そもそも罪の有無や程度を定める際に考えるべき条件は各事案について微妙に異なり、その境界線の複雑さと比べ、いくら説明を尽くしたとしても事前に言葉で示した法規では粗雑な境界しか引くことができないため、事案ごとその都度適切に細かな境界を設定する必要があるからである。もちろん似たような事案には似たような判断が下されるべきことが多いと想定されるため、事案の近辺に一度設定した細かな境界がある場合はそれを利用するべきと考えられ、これが過去の判例の積み重ねである。そもそも人が遵法性や善悪を判断する際、いきなり境界の細かな形を気にすることはなく、明らかに遵法のものとそうでないものはすぐに分別でき、その中で境界に近いより際どいものについては、より細かな境界条件を持ち出して分別し、それでも際どいものはさらに細かな境界を持ち出す、といったように、境界の細かさの階層性を利用して判断にかかる時間と手間を減らすという行為は自然なこととして行われており、法律で細部までを明示しないことも、階層を意識し手間と時間を減らしながらも実行的に機能する制度を構築するための自然な設計であり、細かな境界を全ての事案について予め設定しておくには、起こりうる事案の種類が多すぎるのである。閉廷の前に、裁判所が担う業務について改めてもう1回言う。法律中に明確に言葉で定められた部分がある一方、細部について言葉で明示されない部分があったり、もしくは今回の裁判で言うところの猥褻性や性的道義観といった細部まで定義が定まりきっていない言葉が使用されている部分があったりするのは、国家秩序を保つという原理原則を維持しながらも細かな社会的通念が時代ともに移りゆく中で法律を時代に合わせて適切に運用できるようにするためだけでなく、そもそも罪の有無や程度を定める際に考えるべき条件は各事案について微妙に異なり、その境界線の複雑さと比べ、いくら説明を尽くしたとしても事前に言葉で示した法規では粗雑な境界しか引くことができないため、事案ごとその都度適切に細かな境界を設定する必要があるからである。もちろん似たような事案には似たような判断が下されるべきことが多いと想定されるため、事案の近辺に一度設定した細かな境界がある場合はそれを利用するべきと考えられ、これが過去の判例の積み重ねである。そもそも人が遵法性や善悪を判断する際、いきなり境界の細かな形を気にすることはなく、明らかに遵法のものとそうでないものはすぐに分別でき、その中で境界に近いより際どいものについては、より細かな境界条件を持ち出して分別し、それでも際どいものはさらに細かな境界を持ち出す、といったように、境界の細かさの階層性を利用して判断にかかる時間と手間を減らすという行為は自然なこととして行われており、法律で細部までを明示しないことも、階層を意識し手間と時間を減らしながらも実行的に機能する制度を構築するための自然な設計であり、細かな境界を全ての事案について予め設定しておくには、起こりうる事案の種類が多すぎるのである。閉廷保留。」

 判決文を読んであんまり定義されてない言葉をいい感じに決めつけて結論を出しているのが気になったところからできた回答です。法学力0人間なので普通に間違ったことを言っている可能性はありますが、なにかを判定するときの判定基準について、判定基準がある程度単純なら判定のコストは低いけれど、判定基準が複雑である必要がある場合、1回の判定に必要なコストが高まるだけではなく、判定基準を設定することに必要なコストがかなり高まるという現象が一般的にあるはず(機械学習の文脈だとよくある話なはず)なんですけど、それが裁判とどう関係するかについての正しそうな一般論みたいなのを想像して書いて、それを荒らしっぽく嵩増ししています。この荒らしっぽい要素は完全に堀手さんから影響を受けているなあ。
 「裁判を終わらせたくない」というお題なので、中身の薄い長文をだらだら書くのは単なる荒らしではなく、お題に対して正着になってはいると思います。

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「私は根っからの文系で、数学なんてちんぷんかんぷん、理科も全くわかりませんので、そういうものについては何事にもオリジナルのイメージで考えているわけですけど、例えば糖分の取りすぎ、これが体に悪い理由としては、食べた砂糖が結晶になって血管の中をめぐって、その粒が血管の壁をひっかいて傷つけたり、臓器に詰まったりするから体に悪い、そういう風に思ってるんですね。もちろん実際はそんなこと起きていないんでしょうけど、糖尿病は全身に悪影響を与える病気ですから、全く知識がない人と比べたら私の理解って格段に実用的だと思うんです。こういう実用可能だけれど正確性さとは無縁な感覚は何も私だけのものじゃありません、例えば今日傍聴に来た方、被告人の方、頓珍漢な弁護人の方、検察の方の一部もそうかな?あなたたちの法律に対する認識はぜーんぜん全然ぜーんぜん全然ぜーんぜん全然ぜーんぜん全然ぜーんぜん正しくない。今までうまくいってたのかもしれないけれど、タコがサッカーの予想してたようなものです。パウルくん。だからすごいよ。よくできたと思う。奇跡だよ。でもなんにもわかってないよ。素人だよ。他の裁判官も言ってます。あんたたちはそれぞれタコの足で、足の先端から根元にたどっていっても、他の足があるだけ。頭がないの。終わってるね。タコのヒトデだよ。タコのヒトデわかる?タコのヒトデは、なにか弁論したいことある?」

 結局チーム内で選ばれたのはこの回答でした。読んだ判決文とはあんまりつながっていなくて、強いて言うなら最高裁判長が反対意見をはねのけまくって判決を出しているって部分だけつながっています。長文回答としてもわかりやすい回答というか、しゃべって展開してボケて畳みかけて、みたいな割と普通の構成になっていると思います。ワールドカップの時期に過去のワールドカップの話をしたのは狙っていたわけじゃなくて偶然なんですが、結果にどう影響したのかは不明。
 「外形は正しいけれど本当のところは理解していない」みたいな話が面白いと思ったのは予選3の回答に繋がっていきます。


極道の娘

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「ビニール袋がハレでキッチンペーパーがケ、バッグがハレで鍵がケ、テーブルがハレで椅子がケ、ガラスがハレで蝋燭がケ、地面がハレで植木がケ、ベッドがハレでぬいぐるみがケ、網がハレで虎がケ、まな板がハレで包丁はケ、洗濯機がハレで扇風機がケ、毛糸がハレで針がケ、オランダがハレでベルギーがケ、ドアがハレで蝶番がケ、双六がハレで数字がケ、マットがハレで足の裏がケ、モンスターがハレで祈りがケ、馬がハレで沓がケ、ポケットがハレでクッキーがケ、水面がハレで鯉がケ、箪笥がハレで茶器がケ、目がハレで埃がケ、母子手帳がハレでキルトがケ、ニックネームがハレで口元がケ、セーラー服がハレで山がケ、チヤタレー夫人がハレで門番がケ」

おもしろい!ひたすら羅列するのは暴走っぽく見えてお題に沿っているし、関係あったりなかったりするものをハレとケに分類するのもおもしろいし、最後チャタレー夫人と門番でチャタレー事件に戻ってきて裁判にするのもおもしろい!この回答好きだったな~

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「チヤタレー取り締まるべからず.大宮駅のヤリチン取締るべき.」

ここから大宮駅のヤリチンの話をひたすら展開

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「私が幼稚園に通っていた頃、秋頃の話である。先生やほかの子どもたちと近くの森まで散歩に行き、気に入った木のみを幾つか拾い、持ち帰った木のみに紙コップを被しテープで止めた、小さなマラカスのような玩具を作るという時間があった。不気味な程大人しく、外に出ることが少なかった年少の私にとってそれは初めての体験で、先生の隣を逸れないよう慎重に歩いたことを覚えている。松ぼっくりとぽてっとした丸い太ったどんぐりを気に入り、いくつか持って帰ったはずだが、何の不注意か、気づけば帰る頃にはポケットには一つも入っておらず、そのことがわかった先生は他の子の木のみを寄越してくれた。勿論、態々持ち帰った木のみを取られた側にとっていい気はしないということはわかっていたのだが、私は何も言わず、その何の愛着もない木のみを握ってコップに入れた。家に帰ってから私は父親にファミリー・レストランに連れて行かれた。ホットドックに添えられたポテト用の余ったケチャップを指につけて舐めている時、やっと私は自分の愚かな心を自覚した。私は自分を制御しなくてはいけないと感じ、裁判官を目指した。自覚できない小さな罪を、罪として自分の中に芽生えさせる勉強の道具として使おうと思った。 幸い勉強は不得手ではなかった。判例を読み漁り、罪である部分を見つけて右手に持った鈴を鳴らす。鈴を鳴らすことによって自分の外と中どちらでも罪を知覚できるのだ。鈴を使わない手はないと思った。私の中の罪の芽はすくすくと枝葉を分け、鈴を持たなくても、鈴は鳴るようになり、42の頃、私は最高裁判所の裁判官に命じられた。 恥ずべき事だが、私が初めて 『チヤタレー夫人の恋人』を読んだ時、鈴は鳴らなかった。この事について、私は気にするべきではなく、放っておくべきものであると思っていたのだ。 猥褻である猥褻でないは、正直取るに足らないことだ。普段の生活の、何も脅かすことがないと私は思っていた。 私が千疋屋で菓子を選んでいる間、レジの上でスズメが脚を広げて交尾していても、全く差し支えなく、さらにスズメの愛液がグリーンがかったブルーの包み紙に染みたとしても、私はそれを気にすることがない。労働者階級と上流階級の性行為に、特別なエロスを感じるか?華奢で可憐な婦人が逞しい森番の男に揺さぶられる時の、その背骨の軋みを想像するのか?柿を啄んでいるカラスの横姿に興奮するのか?消えていたライトが灯く時の光のまたたきで、ささくれだった木が柔らかな皮膚に刺さる一瞬で、君は射精することが出来るだろうか。もし出来るのならばそれは君の、エロスを貪ろうとする力があるからであって、そのものには何の罪もなく、よってこの文書においても、同じことが言えると私は思っていた。 軈て気づいたことであるが、フルーツサンドを食べる時、私の中で鈴が鳴っていた。二ヶ月に一回、食べに行く喫茶店で毎回鳴る。私は別段気に留めることがなく、それは常に裁判について考えている、私の勤勉な気持ちが鈴を鳴らしているのだと思っていた。 挟まっていた薄い苺が落ちた時、私は自分がおかしくなったと思った。フルーツサンドに込める力を弱めることができず、そのまま黄桃がぼとぼとと落ちた。クリームまで出し切ってから、私は自分の性的欲求について自覚し、また罪の気持ちを持った。次に私がこの文書を読んだ時には、鈴はひたすらに鳴るようになり、私はこの本は規制すべきだと確信した」

ごくむすの長文だ!持ってきたモチーフ自体はごくむすっぽいけど、話の設定も展開もしっかりしてて放り投げてる部分が全然ないし、こういうのもできるんだよねえ。テーマはちょっとモモスさんみたいかも(判例がそもそもモモスさんの長文みたいな判例かも)。とはいってもエロいかもしれないものの例示で異常なものが示されて続けている部分がかなりおもしろい!お題に対しても真正面から返しているし、偉い!しかし、グループ内40位、残念… 普通の長文みたいに見えるのかもしれないけど例示の部分とか力入れてる部分が明らかに普通の長文じゃないってわかるようになってると思ったけど、投票する側からしたらだから何?って感じか トホホ…


堀手

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「文書の個々の章句の部分は、全体としての文書の一部として意味をもつものであるから、その章句の部分の猥褻性の有無は、文書全体との関連において判断されなければならないものである。したがつて、特定の章句の部分を取り出し、全体から切り離して、その部分だけについて猥褻性の有無を判断するのは相当でないが、特定の章句の部分について猥褻性の有無が判断されている場合でも、その判断が文書全体との関連においてなされている以上、これを不当とする理由は存在しない。したがつて、原判決が、文書全体との関連において猥褻性の有無を判断すべきものとしながら、特定の章句の部分について猥褻性を肯定したからといつて、論理の矛盾であるということはできないのですが、論理的にはそうでも実際どうなのかということがあるので、ここに集まったみんなで原判決摘示の当該箇所である 第1の場面、ジユリエツトとオランプとの女性同志の同性愛、および、これにひきつづくジユリエツト、オランプ及び5人の娘たちをまじえた7人の女性たちによる集団的な同性間の性行為 第2の場面、ジユリエツト、オランプの2人の女性とギイジ、ブラツチアーニの2人の男性との組合せによる2組の男女による相互的な性行為 第3の場面、ジユリエツトとリユシフエルとよばれる犬との性行為すなわち獣姦 第4の場面、ジユリエツトとローマ法王ピオ6世プラスキとの肛門性交 第5の場面、右第4の両名に加え、6人の青年と3人の娘とによる集団的性行為 第6の場面、ブリザ・テスタとジユリエツト、クレアウイルとスブリガニの2組の男女が入り乱れて行う性行為 第7の場面、ソフイーとエンマおよび2人の娘による女性同志の集団的同性愛 第8の場面、ブリザ・テスタと北欧秘密結社の結社員たちによる男女入り乱れての性行為 第9の場面、ジユリエツト、クレアウイルらによる娘4人、妊婦4人、青年4人をまじえこれらをなぶりものにして行う性行為 第10の場面、前の場面にひきつゞいてそれらの男女入り乱れて行う性行為 第11の場面、ジユリエツトとデユランという2人の女性間の同性愛 第12の場面、ゼノ、ジユリエツト、ロザルバが少女ヴイルジニを虐待しながら互いに入り乱れて行う性行為 第13の場面、ジユリエツト、フリネエ、4人の女中、フオンタンジユら女性たちによる同性愛 第14の場面、ジユリエツトとノアルスイユがその娘や息子達に残虐行為を加えながら行う乱交でそれぞれ1回ずつ計14回しこれるかやりませんか」

最高裁の面白い部分を面白いままドカッと使って面白くてとても感銘を受けた!

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「起訴状記載(1)中の「生涯にこれ程の快楽を味わつた例しはないつもりです」、「彼女たちの愛撫を受けているあたしは、最も甘美な淫楽の極致に身を浸らせつつあるのではないかと思いました」、「こうして陶酔の一時間を過しますと……」、同(2)中の「これ程の激烈な快楽にあえて身を委ねるときにはその快楽をして十分な発露あらしめるべきよ」、「永い快楽生活のおかげで……」、同(3)中の「獣のやさしい愛撫」、「きつと堪能させてもらえる」、同(4)中の「こいつは素晴らしい」、「我を忘れている様子」、「苦痛と逸楽の交つた奇妙な圧迫感」、「あたしを快楽に向わせ……」、同(5)中の「この淫欲の激斗にあたしたちは耐え切れませんでした」、「彼の法悦を告げ知らせ、同時に私の法悦をも誘うのでした」、「2人とも快楽に呻きながら」、「何という素晴らしい快楽でしよう」、同(6)中の「この見事な一物からおれが頂載するのは快楽という宝物だ」、「誰がみても美しい彼女の尻は、さかんな讃辞を受けました」、同(7)中の「えもいわず気分を高められたので……」、「今あたしがあなたのためにしてあげた、いろいろな心遣いや楽しいことを……」、「こうしておれ達3人は快楽の海を泳ぎまわつた」、同(8)中の「おれ達はせいぜい快楽の海を泳ぎまわろうではないか」、「その享楽に悩ましさと洗練された心遣いとを示した……」、「熱狂と有頂天とを惜しみなく示した」、「今まで味わつたすべての快楽を一瞬にして忘れるほどであつた」、同(9)中の「あらゆる楽しい淫蕩行為を行なつた」、そのすぐ後に続く「何てあなたは想像力を楽しく掻き立てる術に通じていらつしやるんでしよう」、同(10)中の「苦痛と快楽の溜息がここで聞かれる唯一の物音でありました。そのうち一きは力強い完頂の叫び声が聞えました」、「ざつとこんなことをやつてあたしたちは楽しんでいた……」、同(11)中の「まだ色香は少しも失われてはいず、よく手入れの行き届いた美しい姿態を誇つておりました」、「快楽の時にはひどく嬉しがる性質でした」、「何と淫奔で、何と肉体の喜びに熟練しているのでしよう」、「あたしたちは一ばん楽しい気持にさせる趣味」、そのすぐ後に続く、「あたしたちは彼女を実に上手に満足させてやりましたから彼女は快楽のあまり絶えなんばかりでした」みたいな感じの裁判にしたいですね」

これも「みたいな感じの裁判にしたいですね」以外のところで努力をしていない、作るコストを読むコストが上回る荒らし回答

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「原判決摘示の当該箇所である 第1の場面、ジユリエツトとオランプとの女性同志の同性愛、および、これにひきつづくジユリエツト、オランプ及び5人の娘たちをまじえた7人の女性たちによる集団的な同性間の性行為 第2の場面、ジユリエツト、オランプの2人の女性とギイジ、ブラツチアーニの2人の男性との組合せによる2組の男女による相互的な性行為 第3の場面、ジユリエツトとリユシフエルとよばれる犬との性行為すなわち獣姦 第4の場面、ジユリエツトとローマ法王ピオ6世プラスキとの肛門性交 第5の場面、右第4の両名に加え、6人の青年と3人の娘とによる集団的性行為 第6の場面、ブリザ・テスタとジユリエツト、クレアウイルとスブリガニの2組の男女が入り乱れて行う性行為 第7の場面、ソフイーとエンマおよび2人の娘による女性同志の集団的同性愛 第8の場面、ブリザ・テスタと北欧秘密結社の結社員たちによる男女入り乱れての性行為 第9の場面、ジユリエツト、クレアウイルらによる娘4人、妊婦4人、青年4人をまじえこれらをなぶりものにして行う性行為 第10の場面、前の場面にひきつゞいてそれらの男女入り乱れて行う性行為 第11の場面、ジユリエツトとデユランという2人の女性間の同性愛 第12の場面、ゼノ、ジユリエツト、ロザルバが少女ヴイルジニを虐待しながら互いに入り乱れて行う性行為 第13の場面、ジユリエツト、フリネエ、4人の女中、フオンタンジユら女性たちによる同性愛 第14の場面、ジユリエツトとノアルスイユがその娘や息子達に残虐行為を加えながら行う乱交 に関してですが、 文書の個々の章句の部分は、全体としての文書の一部として意味をもつものであるから、その章句の部分のシコリティの有無は、文書全体との関連において判断されなければならないものである。したがって、特定の章句の部分を取り出し、全体から切り離して、その部分だけについてシコリティの有無を判断するのは相当でないが、特定の章句の部分についてシコリティの有無が判断されている場合でも、その判断が文書全体との関連においてなされている以上、これを不当とする理由は存在しない。したがって、原判決が、文書全体との関連においてシコリティの有無を判断すべきものとしながら、特定の章句の部分についてシコリティを肯定したからといって、論理の矛盾であるということはできない。」

猥褻性をシコリティに置換した、オリジナリティのある回答

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「私は原判決摘示の当該箇所である(1)48頁3行目から51頁12行目まで、(2)76頁7行目から77頁16行目まで、(3)88頁15行目から89頁9行目まで、(4)113頁7行目から115頁18行目まで、(5)119頁2行目から同頁18行目まで、(6)132頁6行目から136頁4行目まで、(7)148頁3行目から152頁4行目まで、(8)166頁14行目から169頁8行目まで、(9)230頁11行目から232頁11行目まで、(10)240頁5行目から241頁17行目まで、(11)277頁11行目から280頁6行目まで、(12)306頁16行目から308頁13行目まで、(13)335頁6行目から337頁11行目まで、(14)351頁7行目から355頁8行目までの14の場面で14回しこりまして、私の性思想を知らない貴方達はそれぞれの場面で1回ずつしこったんだろうと推察するでしょうが、私は犬とアナルが好きでして、じゃあ内訳は(3)7回(4)7回確定だろとお思いかと思いますが、私は犬のほうがアナルより差し引き4回ぶん好きということを考慮するに、畢竟(3)9回(4)5回確定っしょとお思いかと思いますが、残虐行為を加えながら行う乱交も結構しこれることに最後に気づき、かつ、犬→アナル→残虐乱交でしこりあげたこともあり、その1回分のためにアナル1回を丸々諦めたため、正確には(3)9.3333...回(4)4.3333...回(14)0.3333...回の14回しこれまして、3つで14回しこれるということは14つで65.3333...回もしこれすぎる訳でありまして、めちゃくちゃしこれるので刑法175条の猥褻の文書にあたるものとしたのは正当であり、したがって、原判決に所論憲法の違反があるということはできません」

地裁判決の面白い部分をドカッと使って、あとは算数を変なしゃべり方でやってる回答ですが、地裁と最高裁の判決を見比べて内容とナンバリングを対応させないといけないので、上のやつよりは労力がかかっているか?労力の大きさは関係なくこの回答が一番面白いということになりました。意味はあるけど実質無駄みたいな情報で脳のメモリが無駄遣いされるのやっぱり面白い


モモス

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「ん?しばしお待ちを、気になる点が・・・・・・、今一度、判例を復唱させてください!このまま終わっては悪例になるかもしれないっ!!! 復唱しますっ! 事件番号 昭和37(う)2670 事件名 えっちぃ本販売同所持各被告事件 裁判年月日 昭和38年11月21日 主 文 原判決を破棄する。 被告人Aを罰金一〇万円に、被告人Bを罰金七万円に処する。 被告人両名において右各罰金を完納することができないときは、金千円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。 押収にかかる単行本「ToLOVEる(続)ToLOVEるダークネス」二九一冊(昭和三五年東地領第九七〇〇号の二および東京高裁昭和三七年押第一〇四〇号の二ないし六五)を被告人両名から没収する。 原審の訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。 理 由 本件控訴の趣意およびこれに対する答弁は、東京高等検察庁検事渡辺薫が差し出した東京地方検察庁検事山本清二郎名義の控訴趣意書および弁護人大野正男、同中村稔、同柳沼八郎、同新井章が連名で差し出した答弁書に記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。いわゆる「いちご100%事件」に関する最高裁判所の判決(昭和二八年(あ)第一七一三号、同三二年三月一三日大法廷判決)は、刑法第一七五条の「えっちぃ本」の意義について、従来の大審院の判例である「性欲を刺戟興奮し又は之を満足せしむべ き文書図画その他一切の物品を指称し、従つてえっちぃ物たるには人をして差恥嫌悪の感念を生ぜしむるものたることを要する」とする見解(例えば大審院大正七年(れ)第一四六五号、同年六月一〇日判決)ならびに最高裁判所の「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」とする見解(最高裁判所昭和二六年(れ)第一七二号、同二六 年五月一〇日第一小法廷判決)を是認した上、要するにこれ等判例によれば、えっちぃ本たるためには、羞恥心を害することと性欲の興奮刺戟を来すことと善良な道義観念に反することが要求されるとしているのである。原判決の骨子は、この「いちご100%事件」判決において最高裁判所が支持確認したえっちぃに関する従来の裁判所伝統の解釈を是認し、えっちぃ本たるためには、その内容が(一)徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ(二)普通人の正常な性的羞恥心を害し(三)善良な性的道義観念に反することが要求されるとし、更にこの三箇の要素は、いずれもえっちぃ本たるために欠くことのできない要件であると解した上、本漫画(フランス一八世紀の作家 長谷見沙貴 の著作「ToLOVEる」を被告人Bによつて作画されたものの後半であつて、前半部分たる「ToLOVEる」の下巻として昭和三四年一二月一六日頃被告人Aによつて「ToLOVEる(続)ToLOVEるーダークネスー」という表題で出版された単行本)の中検察官の指摘する一四箇所の性的場面の描写は、いずれも同性または異性相互の間に行われる淫蕩にして放埓な場面の描写であつて、性的行為の姿態、方法、行為者の会話、その受ける感覚の記述を交えて相当露骨かつ具体的に描かれており、本漫画は社会通念に照らして判断すれば、明らかに普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する本と認められるが、一面本漫画は全体が異常に大胆、率直な性的場面の描写で貫かれているにもかかわらず、一般的にその内容は空的、非現実的であり、その表現は無味乾燥であつて読者の清緒や官能に訴える要素が乏しいばかりでなく、検察官指摘の性的場面のうち、一部には春本類似の描写によつて性的刺戟を与える箇所がないでもないが、これはいずれも犬化、触手、性別変化、集団催眠など、極度に残忍醜悪な場面の描写が性的場面と不可分的に一体をなすか、あるいは性的描写の前後に接続し、このため一般読者に極めて不快な刺戟を与え、性的刺戟の如きは、この不快感の前には全く消失させられるか、殆んど萎縮されられる性質のものと認められ、一般社会の普通人は本漫画の持つ残虐醜悪な雰囲気に圧倒され過度の性的刺戟を受けることはないと認められ、この点において本漫画はえっちぃ本たる要素を欠くものであり、結局本漫画は、えっちぃ本たるために要求される三要件の中普通人の正常な羞恥心を害することと善良な性的道義観念に反することとの二要件は充足するが、徒らに性欲を興奮または刺戟せしめることという要件を欠くから、刑法第一七五条にいう「えっちぃ本」に該らないとし、この前提の下に被告人等を無罪としたのである。これに対する検察官の論旨の要点は、漫画が性行為非公然性の原則に反する内容を有するものと判断される以上、その漫画は当然人の性欲を興奮刺戟せしめることにより正常な性的差恥心を害し、同時に性的道義観念に反するものというべきであるにかかわらず、原判決が、本漫画が性行為非公然性の原則に反することを認めながら最高裁判所がえっちぃ本たるために要求されるとした「羞恥心を害すること」「性欲の興奮、刺戟を来すこと」「善良な性的道義観念に反すること」をそれぞれ 独立並列的関係にあるものと解し、その前提の下に、本漫画は過度に性欲を刺戟興 奮させるものではないからえっちぃさが否定されるとしたのは、右最高裁判所の見解に 対する見方を誤まり、ひいて刑法第一七五条の解釈適用を誤つたというにある。 当裁判所は、刑法第一七五条にいう「えっちぃ本」の意義については、最高裁判 所がいわゆる「いちご100%事件」の判決において支持確認し、原判決もこれに従つたわ が国裁判所のとつて来た伝統的解釈は、今日においてもなお変更の要を見ず、正当 として維持すべきものと考える。 <要旨>わが国裁判所の伝統的解釈は、原判決も述べているように、えっちぃ本たる ためには、その内容が(一)徒らに(過</要旨>度に)性欲を興奮または刺戟せし め、(二)普通人の正常な性的羞恥心を害し、(三)善良な性的道義観念に反する ことが要求されているとすることができる。そして右(一)ないし同の要素の存在 がそれぞれえっちぃ本たるために欠くことのできない要件であるかどうかという点に ついては、従来特に問題とされたこともなく、判例も特にこの点に言及したことは ないのであるが、この点は、原判決のいうように、右(一)ないし(三)の要素は それぞれえっちぃ本たるために欠くことのできない要件をなすものと解すべきである。 すなわち、従来の判例に示されたえっちぃの意義に関する見解ないし定義は、刑法に いうえっちぃの概念が、その規定自体からは必ずしも明らかとはいえないため、裁判所が具体的事件の判断において、その事案に即し、さらに検察官弁護人等の論旨に応えて打ち出されたものであり、それは、刑法上のえっちぃの概念を、より明確にし、ま たより厳格に解し、もつて、法に安定性と劃一性とを与え、法の適用、運用を適正 ならしめるためのものといわなければならない。(そしてこれ等の集積がいわゆる 判例法をなし、えっちぃに関する法の安定的な適用を保障しているのである。)従つ て、その判例にあらわれた見解ないし定義は、これ等が打ち出された趣旨から見 て、その意義を全体的に限定的、制約的に解すべきであり、この観点からすれば、 前記(一)ないし(三)の要素は、原判決もいうようにそれぞれ、えっちぃ本たる ために欠くことのできない要件をなすと認めるが相当である。 そして、従来の判例もこの趣旨においてなされていることは、判例にあらわれて いる判旨の文言自体からも文理上明らかに察せられるところである。すなわち、たとえば、前記昭和二六年の最高裁判所第一小法廷の判決は刑法第一七五条にいうえっちぃとは、「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」をいうとなし、ここでは少くとも「性欲 の興奮、刺戟という前段を「性的羞恥心を害し、性的道義観念に反する」という後 段に結び付けるのに「且つ」という接続詞を使つているのであつて、文理上いずれ も要件とされていると解するが自然である。その後間もない「いちご100%事件」の第一 審判決(東京地方裁判所昭和二七年一月一八日判決)によればえっちぃ本は「一般的に性欲を刺戟するに足る表現があり、これにより人が性的興奮を惹起し理性による 制御を否定又は動揺するに至るもので、自ら羞恥の念を生じ且つそのものに対して嫌悪感を抱く本」と定義し、さらに同事件の第二審の判決(東京高等裁判所昭和 二七年一二月一〇日判決)によれば「第一に、えっちぃ本たるには徒らに、性欲を刺戟又は興奮せしめるに足る描写、又は記述の記載あることを要する」とし、さらに、第二の要件として「右第一の徒らに性欲を刺戟又は興奮せしめる記載がある結果、普通人即ち一般社会人の正常な性的羞恥心を害し且つ善良な性的道義観念に反するものなることを要する」と説示し、ここでも第二の要件とされている中に、前 記(二)(三)の要件とされているものが且つという接続詞によつて併せ列挙され ているのであるが、さらに、ここではしめて明文上いくつかの要素を明確に「...... ことを要する」という形で表わしており、さらに、同事件の上告審たる前記最高裁 判所の判決においては、「要するに判例によれば、えっちぃ本たるためには、羞恥心 を害することと性欲の興奮、刺戟を来すことと善良な性的道義観念に反することが 要求される」としているのであり、これ等の判例、特に最後の最高裁判所の判旨の 文言から見れば、前記(一)(二)(三)の要素は、いずれもえっちぃ本たるために 欠くことができない三箇の要件をなすことを説示しているものと認められるのであ る。 もとより、これ等三箇の要素は互に密接な関係を有し、一箇の要素を具えているものは、同時に他の要素を具えている場合が少なくないとは認められるが、さりと て、検察官のいうように、本の内容が性行為非公然性の原則に反する限り、これ は当然人の性欲を刺戟興奮させることにより正常な性的羞恥心を害し、同時に善良な性的道義観念に反するという関係にあるとすることはできない。右三箇の要素が以上説明のような関係にあるとすれば原判決が本漫画の内容が他の二箇の要件は充足するが、徒らに性欲を興奮又は刺戟させるという要件が欠けるものとしてえっちぃ本たることを認めなかつたのは、その判断の仕方としては誤つ ているとはいえない。しかしながら原判決が本漫画の内容は全体として性欲を徒らに興奮または刺戟せしめるものとは認められないとして、結局本漫画のえっちぃさを否定したことは当裁判所のにわかに首肯し難いところである。すなわち本漫画の中、検察官指摘の一四箇所の性的場面の描写は原判決の認めているように、いずれも同性または異性相互の間で行われる淫蕩、ハレンチ!な性的場面の描写であつて性的行為の姿態、方法、行為者の会話、その受ける感覚の記述を交えて相当露骨かつ具体的に描かれており、これ等の描写は前記最高裁判所判決のいう性行為非公然性の原則に反するものであることは疑いない。原判決は更にこれ等は明らかに普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する漫画と認むべきであるとしながら、漫画全体から見ればその部分は過度に性的刺戟興奮を来すものとは認められないとし、その理由を詳しく述べているのである。なるほど本漫画は全体が異常に大胆卒直な性的場面の描写で貫かれているにかかわらず、一般にその内容が空想的、非現実的でありその表現は、無味乾燥であり、これがため、いわゆる春本等に比し、読者の情緒を官能に訴える要素がうすいことはこれを認めざるを得ない。また問題の性的場面で、残忍醜悪な場面と一体をなして描写せられ、あるいはこれと前後に接続して描写されたため、その性的場面の描写による性的刺戟の程度が、残忍、醜悪な場面に対する不快感により影響を受けていることも認められるのである。しかしながら、本漫画の内容を通読検討した結果によれば、原判決のいうような関係で、当該性的場面の人に与える刺戟、興奮が、全く消失するか、あるいは、社会通念に照し問題とならない程度に萎縮されているとは、到底考えられないのである。本漫画の問題部分は、原判決ならびに弁護人の見解にかかわらず、徒らに(過度に)性欲を刺戟せしめるに足る記述描写であると認められる。さらに、それは原判決も認めているように、普通人の正常な羞恥心を害し、且つ善良な性的道義観念に反するものと認められ、かような記述描写を含む本漫画は、結局刑法第一七五条にいうえっちぃ本にあたるものといわなくてはならない。原判決のこの点に関する判断は、法の解釈、適用を誤つたものであり、それが、判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。なお、弁護人はその答弁書において、いわゆる「いちご100%事件」に関する最高裁判所の判決は、今日において到底文明と法治国の規準に堪えないものとし、えっちぃ罪に関する問題点として (一) 社会的に価値ある作品についてえっちぃ罪を適用することは表現の自由(憲法二一条)学問の自由(同二三条)の保障に反しないか (二) 右判決にいう「性行為非公然性の原則」は如何なる範囲で考えるべきか、性「行為」とその「表現」との本質的区別を如何に考えるか (三) 作品の芸術的、思想的価値はえっちぃ罪の成否にどのような影響を与えるか、いわゆる両立説は現代の法と文明の原則に牴触しないか (四) 作者、作画者、出版者の意図はえっちぃ罪の成否に関係しないか (五) えっちぃさの判断は作品全体を通じてなさるべきか、あるいは一部分でもえっちぃなら全体としてえっちぃか (六) えっちぃさの判断は誰を基準とすべきか、通常人か、未成年者か、あるいは未成年者を含む通常人か (七) 作品はそれ自体として読者層や読書環境販売広告方法如何にかかわらずえっちぃか否かが決定されるのか、それともそれ等の条件により相対的に決せられるのか (八) 諸外国の判例、学説、立法の趣旨をわが国刑法第一七五条の解釈として取入れることはできないかとの諸点を挙げてその見解を述べているのであるが、かような問題点については概ね右最高裁判所および原判決が判断を尽していると認めるので以下簡単に所見を述べることにする。 (一)(三)について 論旨は結局その芸術性、思想性により社会的価値があると認められる作品は、刑法第一七五条のえっちぃ本たり得ず、また、形式的に同条に該るとしても、同条を適用するのは憲法の保障する表現の自由または学問の自由を侵すものであるとするのである。 漫画(作品)におけるえっちぃさと芸術性、思想性との関係については前記最高裁判所の判決ならびに原判決の見解に従うものである。すなわち、えっちぃさと芸術性思想性は、その属する次元を異にする概念であり、芸術的思想的の作品であつても、これと次元を異にする道徳的、法的の面においてえっちぃさを有するものと評価されることは不可能ではない。そして作品が、その有する芸術性思想性にかかわらず、えっちぃさありと評価される以上、それが刑法第一七五条の適用を受け、その販売、頒布等が罪とされることは当然である。論旨はこの考え方を、えっちぃという法的評価を無条件に優先させるもので不当であるというが、現行刑法の下では、裁判所は、漫画が法にいうえっちぃであるかどうかという点を判断すれば足りるのであつて、この場合、裁判所の権能と職務は、漫画のえっちぃさの存否を社会通念に従つて判断することにあつて、その漫画の芸術的思想的の価値を判定することにはなく、また裁判所はかよ うな判定をなす適当な場所ではない。結局裁判所においては、芸術性思想性の評価がえっちぃさに関する法的評価に優先するとすることができないことは当然といわなければならない。表現の自由、あるいは、学問の自由も、害法によつて保障された他の自由と同じく、公共の福祉のため制約を受ける場合あることは已むを得ないところである。刑法第一七五条は、性に関する社会秩序、性道徳の基盤を形成している普通人の正常な性的羞恥心およびその善良な性的道義観念の維持をその法益とし、この性に関する社会秩序は、社会秩序一般の重要な一環であり、憲法にいう公共の福祉の一部をなし、それ自体、法の力をもつて保護するに値するものといわなけれ ばならない。そしてこの法益の重要性から見て、この規定の適用の結果、表現の自由、学問の自由が一部制約を受けることが想定されるとしても、それ故に右規定自体を違憲とすることはできず、更に芸術性、思想性があり、社会的に価値があると認められる作品であつても、その内容のえっちぃさの故に、この規定の適用によつてえっちぃ本とされ、その結果出版が不可能となる事態が生じたとしても、その適用をもつて憲法に反するとすることができないのは当然である。 論旨は結局芸術至上主義の見地に立ち、法の任務とする性的秩序の維持、最少の性道徳を維持するという役割を不当に低く評価するものである。 なお、附言すれば、刑法第一七五条の「えっちぃ本」に関するわが国裁判所の伝統的の考え方は、本に表現されている思想(テーマ)を問題とし、その思想が現存の性道徳性風俗に反するが故にこれをえっちぃとする(いわゆるイデオロギー的えっちぃ)ものでなく、また、そこに取り扱われている反風俗、反道徳的なテーマ(たとえば、姦通、近親姦、獣姦)の故に、これをえっちぃとするものではない。ただその叙述(表現)の仕方が前記最高裁判所判決のいう性行為非公然性に反するかどうかと いう点か問題となるのであつて、この観点に立てば、同条の規定によつて制約を受けるのは、ある思想の表現そのものではなく、叙述(表現)の仕方に止まるといえるのであり、(ただ、本漫画の性描写が作者長谷見の性思想の必然的結果であつて、かような性的描写によらなくては、その性思想を表現することができないという関係であれば、本条の適用によつてその思想そのものの表現が妨げられる結果とはなるが)このことは、えっちぃと表現の自由との関係を考えるについて留意さるべきであろう。 (二)について 最高裁判所のいう性行為非公然性の原則は単に現実の性行為に関する原則たるに 止らず、本による性行為の表現についても認められなくてはならぬ原則である。 論旨は、行為とその表現とは本質的に差異があり、行為に関する原則はそのままその表現に関し適用さるべきではないというが、本による性的行為の表現は、その表現の仕方によつては、現実の性的行為が公然行われたと同様、あるいはそれ以上の心理的影響を、見る者に与え、更に本の性質上、現実の性行為によるものより影響が広範囲に亘る虞れがあることを考えれば、本による性行為の表現も、現実の性行為と同じく、性行為非公然性の原則の適用があると解するのが相当である。 また論旨は、性の問題は人間の最も本源的、日常的のものであり、更に古来これに対する考え方ほど多岐に亘るものはなく、性については、特に表現の自由が尊重されなければならず、性行為非公然性の原則は、そのまま表現に適用さるべきではないと主張するが、この点については(一)において説明したとおりであり、特に、刑法第一七五条の規定が叙述の仕方に関するものであることに留意さるべきである。 (四)(六)(七)について 漫画(作品)がえっちぃかどうかの判断はその漫画自体から客観的に判断されなければならない。このことは、読者の漫画から受ける性的刺戟その他の心理的反応はその漫画自体の内容に由来するものであることからして当然であり、漫画自体に表れていない作者作画者、出版者の主観的意図如何にかかわらないからである。そして、刑法第一七五条のえっちぃ本たるためには、羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺戟を来すことと善良な性的道義観念に反することが要求されているのであるが、如何なる人を基準として考えるべきか。それは、原判決も詳しく説明している 様に普通人のそれを基準とすべきであつて、性的描写が一般読者に与える性的刺戟や羞恥心の如きも、読者の年令、性別、教養、経験、生活環境の差異によつて、一律に決し難いところであるが、一般社会において、普通人の全部ないし大部分がほぼ同様の程度に受け取る性的刺戟および羞恥心の存することも否定できず、ある作品が与える性的刺戟や羞恥心の程度はかような普通人のそれを基準としなければならない。世の中には、ささいな性的刺戟にも敏感な年令の低い未成年者や性的に腐敗しやすい成人もあれば、反対に極端に性的に潔癖な人もあり、また通常の性的刺 戟に対しても格別の反応を示さないような人もあることはいうまでもないが、かような特殊な人の受ける反応を基準として判断することはできない。ただ、その作品の特殊な性格(学術書、科字書、医字書というような)、出版方法(限定出版等)、販売広告の方法如何によりその読者層が自から限定され、あるいは、一定の読書環境が想定される場合があることは争えず、このような場合その作品の読者に与える心理的影響を、限定された読者層あるいは一定した読書環境における読者を 基準として考えることは、あながち不合理とは考えられない。そして、この観点に立つとき、えっちぃさの判断はその作品自体によつて判断されるのであるが、ただえっちぃさの判断を如何なる人を基準として定めるか(読者層が限定された場合には、その読者層におけるいわゆる平均人を、読書環境が一定している場合には、その環境における普通人を基準とすべきものと考える。)によつて本のえっちぃさか相対的に認定されることになり、一種の相対的えっちぃさを認める結果となるが、この考え方は刑法第一七五条のえっちぃの解釈にとり入れる余地があると考えられる。ただ、これは前述のような特殊の場合に考えられることであつて本漫画のように、普通の少年漫画として出版されってちょいちょいちょーい!判例荒らされとるやないかーい!!!やったの誰ー!(笑)」

みんなの良く知ってる本と知ってる言葉に置き換えられて、具体例が思い浮かびやすくわかりやすくなってるよ!

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「判決は以上になります。これから話すことは私から被告への私的なメッセージになります。私がかつて駆け出しの裁判官だった頃、被告が翻訳した文書を読み耽りセンズリをこいておりました。それが猥褻文書であることの何よりの根拠になりました。私はあなたの翻訳がどのような猥褻文書よりも、いや、どのような女性よりも、猥褻でした。私はこの裁判を担当すべきでは無かった!私が担当することが決まった時点であなたの翻訳文書は猥褻文書であることが確定したのです。猥褻であることは我が陰茎が何よりも知っています。しかし!私はセンズリ愛好家である前に裁判官です!法の奴隷であり、これに従う他ありません。私は自分で自分の首を絞めてしまったのです。私も貴殿も生まれる時代が早過ぎました。決して遠くない未来で、貴殿の翻訳は取り締まられることなく、太陽の下でロッキングチェアに揺られながら読まれていることでしょう。以上!これより閉廷する!」

こんな思いを抱えながら裁判やってたんなら、そりゃ最後に吐き出さないと終われないよなあ

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「イタリー刑法第五二九条、英国一九五九年法第四条一項の規定は前者は、芸術、科学の作品は原則として猥褻とみなさない旨、後者は猥褻(読者を腐敗堕落させる方向)の作品でも、その出版が公共の利益に合致するものであれば有罪としない旨を定めておりますが、我が国の法律はこの裁判の結果によって骨子ができあがるので慎重さが要求されます。私個人の意見としましては、芸術だろうと科学だろうと陰茎を勃起させ得るものは猥褻なものであり読者を腐敗堕落させる方向のものです。またその出版が公共の利益に合致しようとも陰茎を勃起させ得るものは読者並びに私を腐敗堕落させる方向のものであり発禁に充分値するものであり事実資料として読んだだけの私がそれ以来シコり猿と化しまともな判断能力を奪われ、あの頃の裁判長には戻れぬ水準にまで達しており、威厳損失、家庭崩壊、シコり猿更に加速加速の日々となっております。判決後にこのようなことを言ってしまい申し訳ないですが、私の理性がまだ残っているうちに、完全なるシコり猿となる前に、再度検討して頂きたく存じます。私はしばらく暖房ききたる別室で待機させていただきます」

最後おもろ

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「作品の猥褻性の有無の判断は、恣意的にその一部を抽出し、これを拡大して検討するごとき方法をもつてすべきものではないのであるから、本件訳書は結局において、性的快感をくすぐり、性慾を刺戟興奮せしめるものではなく、猥褻性の定義を、前記チヤタレー事件における最高裁判所の判決の示す見解によつたとしても、これを刑法一七五条の猥褻の文書とすることは誤であるといわねばならないのである。 昭和四四年一〇月一五日 最高裁判所大法廷 裁判官 入 江 俊 郎 裁判官 草 鹿 浅 之 介 裁判官 城 戸 芳 彦 裁判官 石 田 和 外 裁判官 田 中 二 郎 裁判官 松 田 二 郎 裁判官 岩 田 誠 裁判官 下 村 三 郎 裁判官 色 川 幸 太 郎 裁判官 大 隅 健 一 郎 裁判官 松 本 正 雄 裁判長裁判官 横田正俊、裁判官 奥野健一は、退官のため署名押印することが できない。ておい退官すな」

そんなこと言っても退官しちゃってるんだよなあ
やっぱ最高裁の最後の名前の部分面白い

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「『猥褻性の判断は誰を基準とすべきか、通常人か、未成年者か、あるいは未成年者を含む通常人か』という箇所なんですけど、私は劇団員を基準にすべきだと思います」

なんでだよ これが面白いのでこれで行こうということになり、劇団員の部分を推敲することになりました。

モモスお題

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「『猥褻性の判断は誰を基準とすべきか、通常人か、未成年者か、あるいは未成年者を含む通常人か』という箇所なんですけど、私は○○○を基準にすべきだと思います」

↑この穴埋めお題面白い CGIの見た目が良かったです

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「『猥褻性の判断は誰を基準とすべきか、通常人か、未成年者か、あるいは未成年者を含む通常人か』という箇所なんですけど、私は栄養士さんを基準にすべきだと思います」

判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「『猥褻性の判断は誰を基準とすべきか、通常人か、未成年者か、あるいは未成年者を含む通常人か』という箇所なんですけど、私は性獣を基準にすべきだと思います」

性獣になりました


予選3回戦

お題 画像で一言


ハシリドコロ

どう折り合いをつけようとしても自分が社会に存在するべきでない人間なのだと気づいてしまわないように気持ちの言語化はほどほどにしろよー

考えることに対して否定的で変に実践的な教えが先生から来たら面白い


 予選1の虫博士のお題で言った本当の要素の話と近いんですけど、学校のお題で授業内容が浅いところしか要素にならないのもわりと気に入らない部分だったので、授業の内容の学問的な部分を使うことをためらわず、その中で面白い部分を探そうと思ってました

1:タルク(滑石)

モース硬度の一覧でだいたいかっこ書きされているイメージがある 先生がモース硬度を下から言い出したら面白い。「最後に、10が、ダイヤモンド。」

摩擦圧接の授業は金工室だよ

さすがに摩擦圧接(動画)は学校で習ってない(習わない学校を出ている)けど、摩擦圧接って大喜利で見る気配すらなかったから面白いと思って使っちゃった

震央から震源までの距離の作図しろよー

 中学理科(2分野)で、観測地点3つと震源までの距離が与えられたとき、コンパスと定規を使って震央の位置を地図上に作図するというのはみんなやってる問題だと思いますが、それにちょっと付け足して震央から震源までの長さを地図上に示させる問題があって、ちょっと変わった問題として記憶に残っています

円周角の定理の逆の証明で場合分けしろよー

 円周角の定理の証明は補助線引いて2等辺三角形の底角と外角を足したり引いたりするだけですが、「円周角の定理の逆」の証明は、円周上の角と同じ大きさの角が円周外と円内と円周上にある場合で場合分けして、円外にあるなら円周上にはより大きい角が作れて、円内にあるなら円周上にはより小さい角が作れるはずだけれど、円周角の定理より円周上にある角は同じ大きさなはずなのでおかしくて、ということは円周上の角と同じ大きさの角は円周上にある、というような中学数学にしては入り組んだ構造の証明だったので、ちょっと変わった証明として印象に残っています

【まだ途中!先生と女が数学やって男が外からツッコミ入れるやつです!】

先生「それじゃあユウキくんとミルカちゃん、次の問題は解けるかな」

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問:
実数全体を定義域とする連続な関数fがある。任意の2つの有理数x,yについて f(x+y) = f(x)+f(y)が成り立つとき、次の問いに答えよ。

zを任意の実数として、
(i)任意の整数aについて、f(az) = f(z)・a になることを証明せよ
(ii)0でない任意の整数aについて、f(z/a) = f(z)/a になることを証明せよ
(iii)任意の有理数pについて、f(pz) = f(z)・pになることを証明せよ
(iv)f(z) = f(1)・zになることを証明せよ

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ユウキ「ゲロ吐きそう。でもここで着いていこうとするのを諦めたら、しばらく無能として過ごすことになってしまう。ミルカちゃんもこういうの苦手だったら過ごしやすいけど」

ミルカ「えーと、fがどんな関数かは具体的にはわからないけど、f(x+y) = f(x)+f(y)が成り立つってことね。てことは例えば
f(2) = f(1+1)だから、f(2) = f(1)+f(1)になって、
f(3) = f(2+1)
 = f(2)+f(1)
 = f(1)+f(1)+f(1)
になるってことか。じゃあ(i)はできたかも!」

ユウキ「最悪だ、こっちが全然なにも進んでないうちに、着々と何かを掴み始めている」

ミルカ「(i)は、az = z + z + z+... +z(※zがa個)と表せることを考えると、
f(az) = f(z + z + z+... +z) (※()の中のzがa個)
 = f(z) + f(z + z+... +z) (※f(z)が1個、()の中のzがa-1個)
 = f(z) + f(z) + f(z+... +z) (※f(z)が2個、()の中のzがa-2個)
 ...
 = f(z) + f(z) + f(z)+... +f(z) (※f(z)がa個)
 ってできるから 、

f(az) = f(z) + f(z) + f(z)+... +f(z) (※f(z)がa個)
 = f(z)・a

が示せたよ!先生、どう?」

先生「なるほど、たしかにaが正の整数のときはそれで良さそうだね。でもミルカちゃん、(i)ではaが負の整数のときのことも示さないといけないよね、マイナスのときはどうするの?」

ミルカ「えーっと、同じように、は無理だから… どうするんだろう…」

ユウキ「やった、ミルカちゃんもかなり序盤で詰まった、この感じじゃ(iv)に行く前にギブアップするんじゃないか?」

先生「じゃあユウキくんとミルカちゃん、この関数、f(0) = 0が成り立つんだよね、まずそれを証明できるかな?」

ユウキ「なんか簡単なところから始めようとしてるんだろうけど、まずどうやって考えたら証明を自分で思いつくのか、思考のとっかかりが見えたことがない」

ミルカ「えーと、とりあえずf(x+y) = f(x)+f(y)に0を代入してみると、
f(0+0) = f(0)+f(0)
f(0) = f(0)+f(0)
あ、てことは両辺からf(0)を引いて、
0 = f(0)
だ!できました!」

先生「そうだね、これでaが0の場合にもf(az) = 0 = f(z)・0 = f(z)・a が示せたことになる。
じゃあ(i)に戻って、aが負の数のとき、わかりやすく書くと、nが自然数だとしてa = -nのとき、f(az) = f(z)・aはどうやって示せるかな?
f(0) =0 を使うことになるよ。」

ユウキ「難しい問題が簡単な問題に分割されて少しずつ解決してるだろうってことはわかるけど、それぞれの問題の内容や難易度が全然わからないから、体感としてはむしろ問題の数が増えてしんどくなってる感じがするぞ」

ミルカ「えっと、f(az)とf(0)とnが式に入るってことは、a+n = -n+n = 0とか、az+nz = -nz+nz = 0を使うのかな?
f(az+nz) = f(az)+f(nz)
f(-nz+nz) = f(-nz)+f(nz)
f(0) = f(-nz)+f(nz)
0 = f(-nz)+f(nz)
だんだんそれっぽくなってきたかも!

0 = f(-nz)+f(nz) から移行して
-f(-nz) = f(nz)
nは正の整数だから右辺は最初に示した通りf(z)・nにできて、
-f(-nz) = f(z)・n マイナスを払って
f(-nz) = f(z)・-n
-n = aだから代入して
f(az) = f(z)・a だ!
これでaが負の数でも示せたから、(i)が解けた!先生、あってる?」

先生「ミルカちゃん、正解。整数を正、0、負の3パターンに分けて、すべてのパターンで証明できたね。次は(ii)を解いてみようか。aが整数のとき、f(z/a) = f(z)/a となることを証明できるかな?」


ミルカ「f(z/a) = f(z)/a を示せればいいんだよね。f(x+y) = f(x)+f(y)は足し算で、これは割り算だから、そのままだと手の付け方がわかんないな。でもきっとさっき負の数の時に移項したら証明できたみたいに、最終的には両辺をaで割って証明することになるんだろうから…」

元々あった差だけじゃなくて、今、さらに差が開こうとしている

ミルカ「f(z/a) = f(z)/aの両辺にaをかけた
f(z/a) ・a = f(z)
を示せればいいのか。 あ!これはできそう!
(i)より、f(z/a) ・a = f (az/a) だと言えて、az/a = zだから、
f(z/a) ・a = f (az/a) = f(z)
両辺をaで割って
f(z/a) = f(z)/a
だ!先生!どう?」


先生「細かい議論は雑だけど、ほとんど正解といっていいかな。」





なんか自分より数学できる女の人って引け目感じちゃうし、あんまかわいいとかも思えなくなるな


ユウキ「有理数は整数の分数で表すことができる数っていうことはわかるよ。

先生「正解!」

ユウキ「その部分はなんの問題もない。授業も受けてるし。有理数の定義を聞いてくれたら答えられる。でも有理数の定義を用いて何かを示さないといけなくなったり、他の数と有理数の違いが重要になってくる場面に出くわしたりしても、じゃあこれを使って何をどうしたらいいかっていうのが、全然わからないんだ。道具の形はわかるけど、使い方が全くわからない。」


ミルカ「(iii)は(i)と(ii)を組み合わせるだけだから作業だね。」

ユウキ「」

ミルカ「pは有理数だから2つの整数a,bを用いてa/bと表すことができる。これをf(pz) = f(z)・pに代入すると、
f(az/b) = f(z)・a/bになる。これを示せばいいんだけど、(i)より
f(az/b) = f(z/b)・a
にできて、f(z/b)に(ii)を使って、
f(z/b)・a = f(z)・a/b
ってなって、f(az/b) = f(z)・a/bが示せた。
これはp =a/bだから
f(pz) = f(z)・pってこと!
どう?正解?」

先生「うん、細かな議論は足りてないけど、ほぼほぼ正解だよ。」

ユウキ「素直に正解って言わずに足りてないとかほぼほぼ正解とか言ってるけど、マウント」

(iv)は、ついに実数全体の話になるわけね。もしこのzが有理数pの場合は、(iii)の式f(pz) = f(z)・pにおいてzが1になった形だと思えば、f(p) = f(1)・pが成り立つのは明らかと。考えなきゃいけないのはzが無理数のときってことだよね。
うーん、じゃあzを10進数で表示して、桁ごとに分けて考えるのはどう?
例えばzが有理数で、z=25.8とかだった場合は
f(25.8)
= f(20) + f(5) + f(0.8)
= f(1)・20 + f(1)・5 + f(1)・0.8
= f(1)・25.8
ってできるわけだけど、それと同じことを無理数でもやればいいんじゃない?

たとえば z = πのとき、π=3.141592....だから、
A1=3, A2=0.1, A3=0.04, A4=0.001,,,
みたいにπを桁ごとに分けた数列Anを考えると、
f(π) = f(A1+A2+A3+A4+...)
 =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
ってできて、Anはそれぞれが有理数だから、
 = f(1)・A1 + f(1)・A2 + f(1)・A3 +...
ってできて、f(1)でくくって
 = f(1)・(A1+A2+A3+A4+...)
で、π = A1+A2+A3+A4+... だから
 = f(1)・π
になる!

こんな感じでどんな無理数でも桁ごとに分けて考えたら、zが無理数の場合でも、
f(z) = f(1)・z
が証明できる!先生!どう?」

ユウキ「ずっと何言ってるか分からなかったけど、ミルカちゃんは」


先生「うーん、大間違い。」

ミルカ「え!?」

先生「さっきからミルカちゃんはチェックするべき条件を説明なしに飛ばし続けていて、『わかってて省略してるのかな~、それともわかってないのかな~』と思っていたけど、今ので完全にぼろが出たね。」

NTRだ

f(A1+A2+A3+A4+...) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
って操作は本当にできるのかな?
f(A1+A2+A3+A4+...An) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...f(An)
が成り立つからって、
f(A1+A2+A3+A4+...) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
もできると勘違いしてるよね


え!
f(A1+A2+A3+A4+...An) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...f(An)
は成り立つのに、
f(A1+A2+A3+A4+...) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
は成り立たないんですか?! どうして? 有限回でも無限回でも、結局同じ操作をし続けるだけじゃないですか!有限回なら何度繰り返しても成り立つ性質は、無限回でも成り立つ(☆)んじゃないですか?

うーん、それは間違ってる。間違っちゃうこと自体は別にいいんだけど、自分が何をしていたかはちゃんと自覚して、自分の行動に責任を持った方がいいよ、ミルカちゃん。

どういうことですか?

きみは無理数zを lim(n→∞)Σ(k=0, n)Ak 、つまり A1 + A2 + A3 +... っていう有理数の無限和の形で表そうとしたよね。

はい

2つの有理数の和って有理数になるよね。Akは全て有理数だから、A1+A2は有理数だし、ということはA1+A2+A3も有理数。この調子であと何回操作を繰り返しても有理数だ。
でもA0+A1+A2+A3+...は無理数になるって、ミルカちゃん自分で最初に言ってるよね?これって有限回の操作で成り立つことが無限回では成り立たない例の一つだよね?自分で最初にやってるよね?

ブーメランだ。


無限回の操作と有限回の操作は違うんだよ。無限を扱うときに勝手に直感で独自の操作はしない方がいい。それで結果的に嘘ついてるし、ミルカちゃんは誘導に乗って手当り次第試行錯誤すれば問題を解けることが多いからって、自分にはセンスがあると勘違いして調子に乗りすぎ。ミルカちゃんは本当は数学が得意とかじゃなくて、ちょっと要領がよくて出題者の意図を汲むのが上手なだけだよ。

女王様が奴隷みたいなこと?

重要な部分はもう言ったから聞き流してくれてもいいけど、今日の問題と似た形になるようにさっきの話をまとめた例を出すね」

----
有限回なら何度繰り返しても成り立つ性質は、無限回でも成り立つ(☆)ことへの反例の1つ(ミルカ):

実数を定義域に持つような関数gで、g(x)の値が
?@xが有理数の時0
?Axが無理数の時1
になるようなものを考えると、有理数x,yについてg(x + y) = g(x) + g(y) は成立する。(注:g(x + y) = g(x) + g(y) = 0)
よって、nが自然数のとき、有理数からなる数列Anについて、
g([Σ(k=0, n)Ak]) = Σ(k=0, n)g(Ak)
は成立する。

しかし、さっきの無理数zについてg(z)を考えると、g(z) = g(A0 + A1 + A2 +... ) = 1である一方、g(A0) + g(A1) + g(A2) +... = 0+0+0+... = 0 となる。

つまり
g([Σ(k=0, n)Ak]) = Σ(k=0, n)g(Ak)
でも
g([lim(n→∞)Σ(k=0, n)Ak]) ≠ lim(n→∞)Σ(k=0, n)g(Ak)
となる例が存在する
----

というふうに、ミルカちゃんが早口で言って雰囲気で成立させかけてた主張は、普通に全然成立しない大嘘なんだ。これでそもそも(☆)が間違ってることがわかるよね。

ブーメラン

たしかに
でも今回の問題では間違ってること言ってないと思うんです。感覚的にも…

感覚とかそういう話をされるのは最悪だけど、この問題ではたしかに(iv)の条件は成り立つ。これは「fが連続な関数」という定義から導けるよ。

あ、今、受精した…

プロトタイプです。1回目のチーム会議(1/4)のときはテーマが決まって数学部分の展開を考えるところまでで、ユウキのセリフはその時点で思いついてることを書いているだけでした。この時点でこの回答が一番高評価だったのでこれを完成させることが確定しました。

先生「それじゃあユウキくんとミルカちゃん、次の問題は解けるかな」

----
問:
実数全体を定義域とする連続な関数fがある。任意の2つの有理数x,yについて f(x+y) = f(x)+f(y) が成り立つとき、次の問いに答えよ。

zを任意の実数として、
(i) 任意の整数aについて、f(az) = f(z)・a になることを証明せよ
(ii) 0でない任意の整数aについて、f(z/a) = f(z)/a になることを証明せよ
(iii) 任意の有理数pについて、f(pz) = f(z)・pになることを証明せよ
(iv) f(z) = f(1)・zになることを証明せよ

----

ユウキ「ゲロ吐きそう。でもここで着いていこうとするのを諦めたら、しばらく完全な無能として話を聞くことになってしまう。ミルカちゃんもこういうのが苦手だったらしばらく過ごしやすいけど」

ミルカ「えーと、fがどんな関数かは具体的にはわからないけど、f(x+y) = f(x)+f(y)が成り立つってことね。てことは例えば
f(2) = f(1+1)だから、f(2) = f(1)+f(1)になって、
f(3) = f(1+2)
 = f(1)+f(2)
 = f(1)+f(1+1)
 = f(1)+f(1)+f(1)
になるってことか。じゃあ(i)はできたかも!」




(長すぎたので中略)




ユウキ「ねえ、ミルカちゃん、そっちに行かないでくれよ、先生と一緒に進まないでくれよ。僕とミルカちゃんと先生で、みんな別々なんじゃなかったのかよ。」

ユウキ「僕とミルカちゃんの間にできたように見えた溝と同じ溝が、ミルカちゃんと先生の間にもできたと思ってたけどそれは勘違いで、先生とミルカちゃんの間にその溝はなかった。先生とミルカちゃんの間に数学の能力の差があるのは明らかで、でもそれが溝になってないってことは、溝の正体は、数学の能力の差じゃなくて、挫けずに課題に立ち向かう能力や態度の有無の差だったのかよ!学校の教訓すぎる!みんな一緒に不幸になってくれよ、死ね!」

さすがに長すぎるし数学パート伝わらないだろうに全部載せて意味あるか?と思って中略した時もありましたが、チームメイトの全文投稿への後押しもあり、全文投稿することになりました。

先生「それじゃあユウキくんとミルカちゃん、次の問題は解けるかな」

----
問:
実数全体を定義域とする連続な関数fがある。任意の2つの有理数x,yについて f(x+y) = f(x)+f(y) が成り立つとき、次の問いに答えよ。

zを任意の実数として、
(i) 任意の整数aについて、f(az) = f(z)・a になることを証明せよ
(ii) 0でない任意の整数aについて、f(z/a) = f(z)/a になることを証明せよ
(iii) 任意の有理数pについて、f(pz) = f(z)・pになることを証明せよ
(iv) f(z) = f(1)・zになることを証明せよ
----

ユウキ「ゲロ吐きそう。でもここで着いていこうとするのを諦めたら、しばらく完全な無能として話を聞くことになってしまう。ミルカちゃんもこういうのが苦手だったらしばらく過ごしやすいけど」

ミルカ「えーと、fがどんな関数かは具体的にはわからないけど、f(x+y) = f(x)+f(y)が成り立つってことね。てことは例えば
f(2) = f(1+1)だから、f(2) = f(1)+f(1)になって、
f(3) = f(1+2)
 = f(1)+f(2)
 = f(1)+f(1+1)
 = f(1)+f(1)+f(1)
になるってことか。じゃあ(i)はできたかも!」

ユウキ「最悪だ、こっちが第一歩を踏み出そうとすらしていないうちに、着々と進んで何かを掴み始めている」

ミルカ「az = z + z + z+... +z(※zがa個)と表せることを考えると、(i)は、
f(az) = f(z + z + z+... +z) (※()の中のzがa個)
 = f(z) + f(z + z+... +z) (※f(z)が1個、()の中のzがa-1個)
 = f(z) + f(z) + f(z+... +z) (※f(z)が2個、()の中のzがa-2個)
 ...
 = f(z) + f(z) + f(z)+... +f(z) (※f(z)がa個)
 ってできるから 、

f(az) = f(z) + f(z) + f(z)+... +f(z) (※f(z)がa個)
 = f(z)・a

が示せたよ!先生、どう?」

先生「なるほど、たしかにaが正の整数のときはそれで良さそうだね。でもミルカちゃん、(i)ではaが負の整数のときのことも示さないといけないよね、マイナスのときはどうするの?」

ミルカ「えーっと、同じように、は無理だから… どうするんだろう…」

ユウキ「やった、ミルカちゃんもかなり序盤で詰まった、この感じじゃ(iv)に行く前にギブアップするんじゃないか?」

先生「じゃあユウキくんとミルカちゃん、この関数、f(0) = 0が成り立つんだよね、まずそれを証明できるかな?」

ユウキ「なんか簡単なところから始めようとしてるんだろうけど、まずどうやって考えたら証明を自分で思いつくのか、思考のとっかかりが人生で一度も見えたことがない」

ミルカ「f(0) = 0を示すのか、えーと、とりあえずf(x+y) = f(x)+f(y)に0を代入してみると、
f(0+0) = f(0)+f(0)
f(0) = f(0)+f(0)
あ、てことは両辺からf(0)を引いて、
0 = f(0)
だ!できました!」

先生「そうだね、これでaが0の場合にもf(az) = 0 = f(z)・0 = f(z)・a が示せたことになる。
じゃあ(i)に戻って、aが負の数のとき、わかりやすく書くと、nが自然数だとしてa = -nのとき、f(az) = f(z)・aはどうやって示せるかな?
f(0) = 0 を使うことになるよ。」

ユウキ「難しい問題が簡単な問題に分割されて少しずつ解決してるだろうってことはわかるけど、それぞれの問題の内容や難易度が全然わからないから、体感としてはむしろ問題の数が増えてしんどくなってる感じがするぞ」

ミルカ「えっと、f(az)とf(0)とnが式に入るってことは、a+n = -n+n = 0とか、az+nz = -nz+nz = 0を使うのかな?
f(az+nz) = f(az)+f(nz)
f(-nz+nz) = f(-nz)+f(nz)
f(0) = f(-nz)+f(nz)
0 = f(-nz)+f(nz)
だんだんそれっぽくなってきたかも!

0 = f(-nz)+f(nz) から移項して
-f(-nz) = f(nz)
nは自然数、つまり正の整数だから、右辺は最初に示した通りf(z)・nにできて、
-f(-nz) = f(z)・n マイナスを払って
f(-nz) = f(z)・(-n)
-n = aだから代入して
f(az) = f(z)・a だ!
これでaが負の数でも示せたから、(i)が解けた!先生、あってる?」

ユウキ「内容は全然追えなかったけど、この自信満々な声の感じだと、たぶんすっきり解けたんだろうな」

先生「ミルカちゃん、正解。整数を正、0、負の3パターンに分けて、すべてのパターンで証明できたね。次は(ii)を解いてみようか。aが整数のとき、f(z/a) = f(z)/a となることを証明できるかな?」

ミルカ「f(z/a) = f(z)/a を示せればいいんだよね。f(x+y) = f(x)+f(y)は足し算で、これは割り算だから、そのままだと手の付け方がわかんないな…」

ユウキ「よし、詰まった!このまま何度も詰まれば、いずれ諦める瞬間が来るんじゃないか?」

ミルカ「…でもきっと(i)の負の数の時に移項したら証明できたみたいに、最終的には両辺をaで割って証明することになるんだろうから…」

ユウキ「最悪だ、さっきの問題で一般的に通用するテクニックみたいなのを学習してるぞ。元々あった数学の能力の差が、この問題を解くという経験によってさらに開こうとしている」

ミルカ「f(z/a) = f(z)/aを示したいってことは、この両辺にaをかけた
f(z/a) ・a = f(z)
を示せればいいのか。 あ!これはできそう!
(i)より、f(z/a) ・a = f (az/a) だと言えて、az/a = zだから、
f(z/a) ・a = f (az/a) = f(z)
両辺をaで割って
f(z/a) = f(z)/a
だ!先生!どう?」

先生「細かい議論は少し雑だけど、ほとんど正解と言っていいかな。」

ユウキ「なんか萎えたかも。自分より数学できる女の人を目の前にすると引け目感じちゃうし、あんまかわいいとかも思えなくなるなあ。自分より足が速い女の子のこと好きになれないみたいな感じで、自分より数学ができる子もかなり嫌だ」

ミルカ「やった!この調子で(iii)も解いちゃおう!」

ユウキ「得意げに盛り上がってるけど、自分より明確に能力があることって誇示されたら、普通に嫌な気持ちするけどね。もし古くから女性がする仕事とされている料理とか、裁縫とか、そういう部分で上回られていても、「自分はそもそも女性の仕事をしようと思ったことないから今その能力で負けてたとしても最初から勝負しようとしてないだけ」って思えるけど、数学みたいに誰もが一度は挑戦したことがあって才能の差が明確に結果として見える上に、どちらかと言えば男の得意分野とされている部分で上回っていると見せつけられると、自慢してマウント取って男をバカにしたいだけにしか感じられないから、もう結構ミルカちゃんのこと苦手かも。ミルカちゃんが何かに成功しているのを見たくなくなった」

先生「(iii)は有理数の場合どうなるかだね。ユウキくん、有理数ってどんな数のことかわかるかな?」

ユウキ「有理数は、整数÷整数の形で表すことができる数ですよね。」

先生「ユウキくん、正解!」

ユウキ「そういう部分はなんの問題もない。授業も受けてるし、有理数の定義みたいな教科書通りのことを聞いてくれたら答えられる。でも有理数の定義を用いて何かを示さないといけなくなったり、他の数と有理数の違いが重要になってくる場面に出くわしたりしても、じゃあこれを使って何をどうしたらいいかっていうのが、全然わからない。道具の形と名前はわかるけど、使い方が全くわからない状態」

先生「じゃあ、(iii)を解いてみよう」

ミルカ「(iii)は簡単、(i)と(ii)を組み合わせるだけだからほぼただの作業だね。」

ユウキ「解く前から作業とか言ってるよ、そういう態度とか言葉遣いの節々に、こちらを貶す意図が見えてきちゃうんだよな。ミルカちゃんは(iii)を見下してるつもりなんだろうけど、(iii)を見下すということは同時に(iii)より下にいる人も見下しているということに自覚的になったほうがいい。そこに自覚的にならずに「自分は数学得意ですし良い子です」みたいなアピールをしている偽善者の顔面に、男の全力で拳を叩き込んだらさぞかしスッキリするんだろうな」

ミルカ「pは有理数だから2つの整数a,bを用いてa/bと表すことができる。これをf(pz) = f(z)・pに代入すると、
f(az/b) = f(z)・a/bになる。つまりこれを示せばいいんだよね。f(az/b)について、(i)より
f(az/b) = f(z/b)・a
とできて、f(z/b)に(ii)を使って、
f(z/b)・a = f(z)・a/b
ってなって、f(az/b) = f(z)・a/bが示せた。
ここでp =a/bだから
f(pz) = f(z)・pってこと!
どう?正解?」

ユウキ「どうせあってるよ今回も、僕と違って数学得意なんだから。正解だってわかってるのに正解?って聞くなよそんなに人に正解って言ってほしい?」

先生「うん、細かな議論は足りてないけど、ほぼほぼ正解だよ。」

ユウキ「あーこいつもこいつで素直に正解って言わずにさっきから議論が少し雑とかほぼほぼ正解とかずっとちょっとケチつけててウザい。こいつも数学出来る女が嫌いだから調子乗らせたくないのか?だとしても全然仲間意識持てないな、結局男女どうこうと関係なく数学できるかできないかの分断が僕にとって重要で、もし数学できる人が自分と同じ考えを持っていてもそこに至った経緯が全く違うだろうから仲間とは思えないね」

ミルカ「この調子で最後の問題も解いちゃおう!」

ユウキ「ここでミルカちゃんが(iv)を解けたら、もう一緒にはやっていけない、縁を切るしかない。でももし解けなかったとしても僕より数学得意ってわかっちゃってるから、今までみたいに素直な気持ちで遊んだり話したりはできないだろうな」

ミルカ「(iv)はf(z) = f(1)・zを示せばいい、ついに実数の話になるわけね。もしこのzが有理数pの場合は、(iii)の式f(pz) = f(z)・pにおいてzが1になった形だと思えば、f(p) = f(1)・pが成り立つのは明らかと。考えなきゃいけないのはzが無理数のときってことだよね。」

ユウキ「状況を整理しているだけのつもりでやってるんだろうけど、整理している内容を口に出している気持ちの中に、自分の思考が整頓されていることを見せびらかしたいという気持ちが全くないと、天に誓って言えるか?」

ミルカ「うーん、じゃあzを10進数で表示して、小数点以下を桁ごとに分けて考えるのはどう?
例えばzが有理数で、z=25.82とかだった場合は
f(25.82)
= f(25) + f(0.8) + f(0.02)
= f(1)・25 + f(1)・0.8 + f(1)・0.02
= f(1)・25.82
ってできるわけだけど、それと同じことを無理数でもやればいいんじゃない?

たとえば z = πのとき、π=3.141592...だから、
A0=3, A1=0.1, A2=0.04, A3=0.001...
みたいにπの小数点以下を桁ごとに分けた数列Anを考えると、
f(π) = f(A0+A1+A2+A3+A4+...)
 =f(A0) + f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
ってできて、Anはそれぞれが有理数だから、
 = f(1)・A0 + f(1)・A1 + f(1)・A2 + f(1)・A3 +...
ってできて、f(1)でくくって
 = f(1)・(A0 + A1 + A2 + A3 + A4 +...)
で、π = A0 + A1 + A2 + A3 + A4 +... だから
 = f(1)・π
になる!

こんな感じでどんな無理数でも桁ごとに分けて考えたら、zが無理数の場合でも、
f(z) = f(1)・z
が証明できる!先生!どう?」

ユウキ「ずっと何言ってるか分からなかったけど、結局ミルカちゃんは(iv)も解いちゃったみたいだ。さっきまでと解き終わった後の表情が全く同じだもん。どうせ正解。これで終わり。さよなら」

先生「うーん、大間違い。」

ユウキ・ミルカ「「え!?」」

先生「さっきからミルカちゃんはチェックするべきいろいろな条件を説明なしに飛ばし続けていて、「わかってて省略してるのかな、それともわかってないのかな」と思っていたけど、今ので完全にぼろが出たね。ミルカちゃんはわかってなかった。」

ミルカ「そんな…どこが間違ってるんですか…?」

ユウキ「すごい、なんだろうこの感じ、数学できるから嫌だった人が数学のことで鼻っ柱折られてるのに、それはそれで悲しい気持ちになる自分がいる。僕の中で今何が起こってるんだ?」

先生「いいかい、
f(x+y) = f(x)+f(y)が成り立つとき、
f(A1+A2+A3+A4+...) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
って操作は本当にできるのかな?できないよね。だって右辺の...で省略されているものの中に必ずf(m + m+1 + m+2 +... )っていう無限項を含むようなfの項が残っているはずだから。

ミルカちゃんはたぶん
f(A1+A2+A3+A4+...An) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...f(An)
が成り立つからって、
f(A1+A2+A3+A4+...) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
もできると勘違いしてるよね?」

ユウキ「ヤバい、なんかそれっぽいことを言われてる!」

ミルカ「え!
f(A1+A2+A3+A4+...An) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...f(An)
は成り立つのに、
f(A1+A2+A3+A4+...) =f(A1) + f(A2) + f(A3) +...
は成り立たないんですか?!どうして?有限回でも無限回でも、結局同じ操作をし続けるだけじゃないですか!
有限回なら何度繰り返しても成り立つ性質は、無限回でも成り立つ(☆)んじゃないですか?」

ユウキ「こっちも正しそうなことを言ってるんだろうけど、口調が焦ってるぶん間違ってそうな感じが強い!」

先生「うーん、ミルカちゃんのその主張は間違ってる。間違っちゃうこと自体は別にいいんだけど、自分が何をしていたかはちゃんと自覚して、自分の行動に責任を持った方がいいよ、ミルカちゃん。」

ミルカ「どういうことですか?」

先生「きみは無理数zを lim(n→∞)Σ(k=0, n)Ak 、要するにA0 + A1 + A2 +...っていう有理数の無限和の形で表そうとしたよね。」

ミルカ「はい」

先生「2つの有理数の和って有理数になるよね。数列Anは全て有理数だから、A0+A1は有理数だし、ということはA0+A1+A2も有理数。この調子で有理数を足すこの操作をあと何度有限回繰り返しても結果は有理数だよね。一方、この操作を無限回繰り返したA0+A1+A2+A3+...について考えると、これはz、つまり無理数になる。
じゃあこれって、「有理数+有理数=有理数」という有限回の操作なら何度繰り返しても成り立つ性質が無限回の操作でも成り立つ(☆)わけではない、そういう例の一つだよね?しかもA0+A1+A2+A3+... = z っていうのはミルカちゃんが自分で言い出したことで、つまりミルカちゃんは、☆が正しくないって自分でわかってて、最初はそれを利用してたわけだよね?それでいてその口で、☆だなんて抜かしたんだよね、自分の解法を守るために」

ミルカ「…」

ユウキ「これブーメランだ。具体的なことはわからないけど、ミルカちゃんが自分で言ったことがそのまま自分に刺さってるみたいだ。数学でブーメランとかあるんだ、ミルカちゃんさっきまでのドヤ顔からの落差で今相当恥ずかしいんじゃないか?」

先生「無限回の操作と有限回の操作は違うんだよ。無限を扱うときに勝手に直感で独自の操作はしない方がいい。それで結果的に嘘ついてるし、ミルカちゃんは誘導に乗って手当り次第試行錯誤すれば問題を解けることが多いからって、自分にはセンスがあると勘違いして調子に乗りすぎ。ミルカちゃんは本当は数学が得意とかじゃなくて、ちょっと要領がよくて出題者の意図を汲むのが上手なだけだよ。自分がやっている操作の意味も分かってない。」

ユウキ「そんな厳しいこと言わないでほしいと思っちゃうけど、なんでなんだろう。ミルカちゃんが数学出来ないのは僕にとって嬉しいことなはずなのに…」

ミルカ「…」

ユウキ「そうか、ミルカちゃんの鼻を折ったのはあくまでミルカちゃんより数学ができる先生だし、ミルカちゃんが僕より数学ができることは変わらなくて、数学ができる人ができない人にマウントを取る構造が解決しているわけじゃないからスッキリしないんだ。ミルカちゃんは僕より数学ができるんだから、他の人より数学ができない姿を見せられちゃうと、僕の数学のできなさが際立ってしまうのか… わかった、これNTRだ。年上で子ども扱いしてくる彼女が経験豊富なおじさん上司に寝取られるみたいな、別にミルカちゃんは彼女じゃなくてもうむしろ嫌な相手だから元カノみたいなもので、それでこのシチュエーションでおじさんに対応する先生が実際におじさんなのは偶然だけど、とにかくNTRと同じで、だから心がかき乱されるんだ」

先生「重要な部分はもう話したし分かってると思うから聞き流してくれていいけど、今日の問題と同じ形になるようにした反例を出すね」

----
「任意の有理数x,yに対してg(x+y) = g(x) + g(y) が成り立つとき、有理数からなる数列Anに対しg(A0 + A1 + A2 + A3 +... ) = g(A0) + g(A1) + g(A2) + g(A3) +... が成り立つ」という主張への反例(「有限回なら何度繰り返しても成り立つ性質は、無限回でも成り立つ(☆)」わけではないという、卑怯者のミルカが一度利用したのにその後で都合よく無視していたこと):

無理数zについて、その整数部分をA0,小数第1位×0.1をA1、小数第2位×0.01をA2... というように構成した数列Anについて考えると、
z = lim(n→∞)Σ(k=0, n)Ak = A0 + A1 + A2 + A3 +...  と表せる。

実数を定義域に持つような関数gで、g(x)の値が
(1)xが有理数の時0
(2)xが無理数の時1
になるようなものを考えると、有理数x,yについてg(x + y) = g(x) + g(y) が成立する。(注:g(x + y) = g(x) + g(y) = 0)

このとき、nを任意の自然数として、有理数からなる数列Anについて、確かに
g(A0 + A1 + A2 +...An) = g(A0) + g(A1) + g(A2) +... g(An) = 0
(※ g([Σ(k=0, n)Ak]) = Σ(k=0, n)g(Ak) )
は成立する。

しかし、さっきの無理数zについてg(z)を考えると、g(z) = g(A0 + A1 + A2 +... ) = 1である一方、g(A0) + g(A1) + g(A2) +... = 0+0+0+... = 0 となる。

つまり
g(x + y) = g(x) + g(y)が成り立つからといって、g(A0 + A1 + A2 +... ) = g(A0) + g(A1) + g(A2) +... が成り立つわけではない
(※ g(x + y) = g(x) + g(y)が成り立つからといってg([lim(n→∞)Σ(k=0, n)Ak]) = lim(n→∞)Σ(k=0, n)g(Ak)が成り立つわけではない)
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先生「というふうに、ミルカちゃんが大声早口で言って雰囲気で成立させようとしていた証明は、普通に全然大嘘なんだ。そもそも☆が間違ってるし、ミルカちゃんもそれはわかってなきゃおかしいからね」

ユウキ「こんなの人格否定じゃない?ミルカちゃんもうボコボコだよ、ちょっと可哀想になってきた。やっぱり素人が下手に数学なんかやってもろくなことがないんだ」

ミルカ「…でも、今回の問題ではやってることは間違ってないと思うんです。感覚的にも…」

ユウキ「ミルカちゃん、情けないこと言ってもがいてないで負けを認めなよ、早くこっち側に来いよ、見苦しいよ」

先生「さっき感覚で間違えた人がまだ感覚とかそういう話をしているのは最悪だけど、この問題ではたしかに(iv)の条件は成り立つ。これは「fが連続な関数」と定められていることから導けるよ。」

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zが無理数の時、f(z) = f(1)・zが成り立つ証明:

無理数zについて、その整数部分をA0,小数第1位×0.1をA1、小数第2位×0.01をA2... というように構成した数列Anについて考える。z = lim(n→∞)Σ(k=0, n)Ak = A0 + A1 + A2 + A3 +...  と表せる。
Bn = Σ(k=0, n)Ak = A0 + A1 + A2 +... + An とする。このとき、任意の自然数nについてBnは有理数となる。 lim(n→∞)Bn = z である。
Bnは有理数であるため、f(Bn) = f(1)・Bnが成り立つ(★)。

fは連続関数であるため、任意の実数aについて、lim(x→a)f(x)=f(a)が成り立つ。

(★)の両辺でn→∞の極限を取ると、
lim(n→∞)f(Bn) = lim(n→∞)f(1)・Bn
となる。
左辺 lim(n→∞)f(Bn) について、n→∞でBn→zなので、fの連続性から
lim(n→∞)f(Bn) = f(z)である。
右辺 lim(n→∞)f(1)・Bn = f(1)・zである。
よって、無理数zについて、f(z) = f(1)・z が成り立つ
----

先生「このAnの取り方は一例に過ぎなくて、有理数からなるzに収束する数列ならなんでも大丈夫だよ」

ユウキ「なんでこの人はあれだけ言っておいて普通の教師の役割に戻れるんだよ」

ミルカ「なるほど…連続性の定義なんて当たり前だから大して重要じゃないって今まで思ってたけど、今回みたいに関数の形が具体的に定まってない時は、問題の設定から何が言えて何が言えないか考えるのが大事で、そういうときにこういう定義が重要になってくるんですね。私の発想は無意識にfの連続性を利用しようとしていたのに、それを証明に取り入れなかったのがダメだったのか。勉強になります」

ユウキ「おい前向きになるな、何かを学び取るな」

先生「うんうん。まだ問題を解くことに重心を置きすぎていて根本的な態度が改善されてないように思えるけど、一個ずつ学習していくのは進歩だね。数学においては、その人がいくら過去に間違えていたり、犯罪をしたりしていても、主張の内容が正しければそれは正しいから、ミルカちゃんも今日のことは気にせず、心を改めて数学をやっていこう!」

ミルカ「はい!先生!今後もよろしくお願いします!」

ユウキ「ねえ、ミルカちゃん、そっちに行かないでくれよ、先生と一緒に進まないでくれよ。僕とミルカちゃんと先生で、みんな別々なんじゃなかったのかよ。」

ユウキ「僕とミルカちゃんの間にできたように見えた溝と同じ溝が、ミルカちゃんと先生の間にもできたと思ってたけどそれは勘違いで、先生とミルカちゃんの間にその溝はなかった。先生とミルカちゃんの間に数学の能力の差があるのは明らかで、でもそれが溝になってないってことは、溝の正体は、数学の能力の差じゃなくて、挫けずに課題に立ち向かう能力や態度の有無の差だったのかよ!学校の教訓すぎる!みんな一緒に不幸になってくれよ、死ね!」

数学の回答にした理由
 学校お題で授業の内容を具体的に使うにしても、忘れちゃってたり習ってない投票者がいたらその人は門前払いされてしまうので、できるだけその分断を避けるためにはどうしたらいいか、というのを考えた時、「覚えてなくても考えればできるやつがいい → 数学じゃん」と思って数学の問題にすることにしました。まあ数学も苦手な人がいるのはわかるけれど、「知らないからわからない回答」と「知らないことはないけど面白さが理解できない回答」だったら後者の方が印象良いのと同じで、「暗記科目のわからない回答」と「考える科目のわからない回答」だと後者のほうが印象良かったりしませんか?しないか。しないとわかってるからユウキみたいな人間を回答に登場させているので、この議論はハシリドコロが善人面したいだけ(真顔でマスハラしたいだけ?)でした。スマン! ただ、そもそもの問題の難易度はともかく、解答の行間はできるだけ開かないように丁寧に式変形や説明をしているつもりだし、同じような回答の中ではできるだけ多くの人に内容を理解してもらいやすいように努力したつもりです。
 「論理的に話が展開されていく中で面白い構造が自然に出現する」とか「名探偵が推理していくときに事実が明らかになるけど納得できる」みたいなのをかなり面白いと思っていて、予選1の回答も多少そういう面白さが含まれているとは思うんですけど、この「論理的に話が展開されていく中で構造が自然に出現する」を一番カッチリやってる身近なものと言えば数学なので、数学をやって出現する構造から面白さをうまく組み取れれればかなり面白いし、新しくもあるんじゃないかなあと思っていました。「偶数奇数」とかは大喜利で使い古されているし、ネタボケ初期にchokudai(ネタボケのレートを考案したAtcoderの社長)が算数回答をしているのも見たことはあるんですけど、「問題を提示して正しい解説をしながら進んでいく」っていうのは見たことなかったです。
 数学回答をすることで「数学を考えられるか数学を考えられないか」の分断が大喜利に持ち込まれたはずなんですけど、この分断が「共感できるかできないか」「面白がれるか不快か」の分断と違うのか、もっと言うと「回答の意味を考えられるか考えられないか」の分断もあるはずで、そこらへんについて何らかの意見を発している人を最近見てないんですけど、もし意見を発する人がいたらここら辺まとめてセットで考えないといけないことだと思います。

具体的な問題の決め方
 数学の問題を軸にして回答を作ろうと思って、数学の問題のどういう部分が大喜利ユーモア的に面白いかなあと考えたところ、「出た答えは偶然当たっているけれど考え方が間違ってるから根本的に全然間違っている」っていうのが面白いかなあと思いました。これは予選2で出したパウルくんと同じで、つまり2戦連続で同じことをやっています。「答えは偶然同じだけど途中が間違ってる」ことが自然に起こる問題ってどういうのがあるかなあといろいろ考えて、角度を求める初等幾何の問題だと結構そういうのが多いし気軽に理解できるものも多いんですが、いかんせん回答は文字で書くしかないので幾何の問題はさすがにボツになりました。

これのb+cは?とか

幾何じゃない中で考えて、「高校数学の極限って適当な定義しかされてないから適当なこと言う人が多い」っていう事実があるので極限が関連する問題にしようかなと思い、とっつきやすさとか厳密さの必要性とかを考えて、コーシーの関数方程式をテーマにした問題を軸にすることにしました。
 コーシーの関数方程式は実数上f(x+y) = f(x)+f(y)が成り立つ関数についての方程式で、これを背景にした受験問題がたぶんまあまあ有名で、ある程度のレベルの問題集には載っていると思います。有名すぎてもうあんまり受験には出ないみたいな話があるみたいだけど、もし受験で出たらこの問題の感じでやればいい感じにできると思います。ハシリドコロは受験生の皆さんを応援しています。「極限が使われている関数方程式」と思うと数Ⅲの範囲(なのか?)で、この問題の(iv)を解けるようになるべきところまで数学を習った人はあまり多くないと思いますが、(iii)までなら数Iの範囲で、f(x)みたいな記法が分かれば中学生でもできる等式変形のパズルだし、極限自体もまあ数Ⅱで習うので、現役高校生の参加者がいることを考えても、テーマとしてそこまで難しすぎないと思います。
 一般的なコーシーの関数方程式の条件を若干変えて高校生が問題として解いたらいい感じになりそうな形にした上で、極限とか無限とかで厳密性をよくわかっていない高校生がやりそうなミスをいくつか考えたら、そのうちの一つがうまいことブーメランになっていることに気づき、予想外に面白くなりました。完全にカッチリした論理展開の上ではないですが、ある程度必然性がある展開の中でブーメランというちゃんと面白い構造が浮き上がってきて、テンション上がりました。

数学ガール ストーリーと役割
 
会話しながら数学を解いていく回答を書こうとして、「これ数学ガールじゃん」と気づきました。数学ガールは結城浩という人(聖書を愛読しているプログラマ)が書いて出版されている小説で、簡単に言えば会話しながら数学を勉強してなんか勝手に恋愛も進んでる話なんですけど、今回やりたい回答と形式同じだしパロっちゃえばいいじゃん、ということで女の子の名前をミルカ、男の子の名前をユウキかヒロシか迷ってユウキにしました。キャラクター性は全然違うので原作リスペクトはほぼゼロというか、「ミルカこんなんじゃないだろ」で面白いつもりです。
 当初から考えていたのは先生がミルカをコテンパンにする部分だけだったんですが、さすがに投票者への歩み寄りが少なすぎるし笑いどころも少ないのでユウキを架け橋になるキャラクターとして採用しました。ユウキは数学が致命的にできないだけで、それなりに複雑な発言もしているんですけど、今までの感じから大喜利の人たちが「ユウキの言っていることが難しくてわかんない」とはならないだろうから架け橋として成立するんじゃないかと考えました。ユウキがたくさん喋ることで大喜利っぽいものと数学っぽいものがまじりあうようになり、結果的に良いものができたんじゃないかと思います。
 投票する人の数学レベルが登場人物の誰に近いかで回答の読み方が変わってくると思います。単純に誰に共感できるかだけではなく、投票者が回答の数学パートをどこまで理解できるか、例えばブーメランを事前に気づくか言われて理解するか言われてブーメランだということだけ知るか、によって回答に感じる面白さが変わってくる(どう変わるかは不明)仕組みになっているも、今までそういう回答を見た覚えがないので新しくて面白いと思います。
 あと念のため付け加えておくと、回答中ではボコボコにされていますが、高校生でミルカぐらいスムーズに問題が解けたら、よっぽどちゃんとやりたいとかならともかく結構数学出来る方だと思います。厳密に考えることとかは操作が習熟した後からでも身につけられるので、回答中で先生の言っているマスハラを真正面から受け止める必要はありません。

文化融合
 自分の知り合いの数学ができる人たちのことを想像してみると、回答の中身とかこういう回答とかはあんまり好まない気がします。そもそも数学は着想した理由とかモチベーションとかに関係なく「書いてあることが論理的で正しければ正しい」という性質のもので、態度とか甘えとかそういうのは全く関係ないということがあるし、数学が得意な人たちはそういう数学の性質自体をある程度好きなのもあって、「人の心情や価値観を(確かな証拠もないのに)推測したり想像したりして人間性をジャッジする」みたいな行為を嫌がる様子が想像できます。あと「数学が一番できる人以外は自分より上がいるんだから数学の能力の差があっても見下してはいけない、見下す人は見下された時に文句を言ったり不満に思ったりしてはいけない」みたいなことを考えている人も多そうな印象で、そこをユーモアにするのも好きじゃなさそうな印象です。
 まあでも自分は数学の場にいるわけじゃなくてネット大喜利をやっているわけで、数学出来る人たちが嫌がるとしても「だからなんなんじゃ」って感じです。文化が触れ合うとき今までにない価値観や食い違う価値観に触れて不快になるのは普遍的なことだと思うので、そういうのはしょうがない。大喜利側で数学に不快な思いをする人については、ネット大喜利の場にいる当事者という点で数学側の人との違いはありますが、ネット大喜利の場で利害関係はないけれど好みの問題で不快だとかはもう今更過ぎるのでそれもまあしょうがない と思っています。

文字数と可読性
 9975字です。名人維新のcgiが多分10000文字制限なので、ギリギリまで書いたことになります。正直長いと思いますが、文字数制限は簡単に設定できる(はず)のなかこの制限になっていると思うと10000字以内の長さの長文は明確に許可されているのだと思うし、本当に読むのが大変なら投票する人が飛ばせばいいだけだと思うので、まあ長いのは問題ないと思っています。
 文字数が長いだけではなくて内容が濃いという点でも可読性が低くなっていると思います。この問題を知っている人とか目で見るだけで普通に解ける人にとっては内容薄いかもしれないですけど、一般的に見たら他の回答と比べて読む側が頭を使わないといけなくものになっていて、その分も負担が増えていると思います。でもこれも(そのせいで面白くなくなるかはともかく)別に問題ないと思っています。内容が濃いのと先の展開が読まれにくいのはある程度近い概念かも。

点の入り方
 
結果はグループ内9位で、思ったより点が入りました。数学パートがどうだったかとはあまり関係なく、ユウキのセリフとか展開とかがちゃんと面白くなっちゃった(?)のが票をたくさん入れてもらえた原因だと思います。あたりまえだけどただテーマに沿って実験してるわけじゃなくて普通に大喜利をやっているわけで、面白いことが何よりも重要なので全然たくさん点が入ってオッケー喜ばしいです。
 「内容が面白いかどうかというより強くて分かってる人が書いた回答だから票を入れる」みたいな面白さ以外で票が入る現象がありますが、この回答ではそういうのはどうだったか考えると「読む時間はないけれど飛ばすのは申し訳ないから点を入れる」「数学分かってると思われたいから点を入れる」「誰が書いているか当たりが付けられるから票を入れる」などの不純な投票動機が思いつくのですが、実際どんなもんだったんでしょうか。それが大部分だったら面白いけど、さすがにそんなことないか。
 「内容を分かっていないのに書き方だけで点を入れる」行為は割と普段は嫌がられることというか公言するべきではないことみたいになっていると思うんですが、この回答においては「どこまで理解したら内容をわかっているか」「回答はどういう意味・意図か」というのが他の回答と比べて格段に複雑になっていると思うので、そういうところに対しても一石を投じる存在になっているかも?これは最初から意図していたわけではなく後付けですが、なんかもめたりしたら引っ張ってきてもいい例になったと思います。

特に気に入ってる部分
・ユウキが有理数の定義を言うところ
・ミルカが作業って言うところ(あるある)
・先生が実際におじさんなのは偶然 の丁寧な論理展開
・ブーメランを詰めるところ
・投票者へのメタっぽく読める部分だいたい全部

ミス
誤字はともかく数学パートで間違ってること言っていたら台無しなのでミスがないかは気を付けていたのですが、ちょっとありました。最後の方の「このAnの取り方は一例に過ぎなくて、有理数からなるzに収束する数列ならなんでも大丈夫だよ」はAnじゃなくてBnです。まあでも文脈から自然にわかるしダメージはあんまりないと思います。


極道の娘

スティーヴィワンダーにがり食べて気絶

おもしろ文

先生「やかんの中にある世界に行ったことがありますか。」
女「ありません」
男「あります」
先生「では、そこであったことについて教えてもらえますか。」
男「夫人が虎を奴隷に変えて、奴隷は蓋に集まっていました」

女終わったな

レンチで塔作った先生ありがとう!

オークの杖を奪って、小さな学生食堂を作った

そうなんだ

藤井風が父が信じたサイババを信じたように、先生は母の教えを信じ、水牛の像に毎日唾を垂らしている。
君たちは宗教の自由についてどう考えているのかな。

わたしはカモメを、僕は自分を、双頭とし鉄塔の側で共に錆びることを待っています。

これチーム内で好評でした

わたしのことを知ってほしいvs金管楽器(先生)を汚したい

これおもしろい

地獄ザラメがやってくる!地獄ザラメは青空のような顔をしてきょうにゅう(巨乳)をいじめる(いじねる)

これも()の使い方が統一されてなくておもしろい

僕「藤井風が父が信じたサイババを信じたように、先生は母の教えを信じ、水牛の像に毎日唾を垂らしている。
君たちは宗教の自由についてどう考えているのかな。
わたしはカモメを、僕は自分を、双頭とし鉄塔の側で共に錆びることを待っています。」

女の子.。oO(わたしのことを知ってほしいvs金管楽器(先生)を汚したい)

先生「地獄ザラメがやってくる!地獄ザラメは青空のような顔をしてきょうにゅう(巨乳)をいじめる(いじねる)」

面白かった3つが合体した 「僕」が一人で全部言ってるせいで入り組んでしまい、その結果票に結びつかなかった?1つだけの方が票を取ってたかもしれません


堀手

「時間経過により作品自体がノスタルジーとなった例」と、「ノスタルジックなモチーフまたは作り手のノスタルジーがテーマとなった例」は、後者は「ノスタルジー」の成立そのものにフィクションが介在しているのに対して、前者はどちらかというとそのフィクション及びその受容の経験に対する時間的距離がノスタルジーの成立に与しているような気がするという意味で性質が異なっている気がしますが、それを「フィクションのノスタルジー」という観点でどのように論じられるのかに興味を抱いたのが俺たち3人です

急なお題回収が面白いし、お題の画像を見て「こいつら全員フィクションのノスタルジーという観点でフィクションに感じるノスタルジーとフィクションのテーマになっているノスタルジーについてどう論じるかに興味あるんだ」と思うのもおもしろい

男友達から結婚した知らせが来て、おめでとうー!から奥さんの話になったんだけど「まぁ結婚したからには子供さえ産んでくれれば問題ない」って言い始めたから今日から顔見知りに降格した。

先生面白い!

先生面白い!

先生おもしろい!シリーズはいくつかありました

先生「
統一感がある(unified)
バランスが取れている(balanced)
まとまっている(integrated)
生気がない(lifeless)
のどかな(serene)
陰気な(sombre)
ダイナミックな(dynamic)
力強い(powerful)
鮮やかな(vivid)
繊細な(delicate)
感動的な(moving)
古臭い(trite)
センチメンタルな(sentimental)
悲壮な(tragic)
優美な(graceful)
華奢な(dainty)
かっこいい(handsome)
端麗な(comely)
優雅な(elegant)
けばけばしい(garish)
かわいらしい(lovely)
きれいな(pretty)
美しい(beautiful)
物憂げな(melancholy)
ごてごてした(flamboyant)
らんらんとした(fiery)
どぎつい(gaudy)
安らかな(restful)
病的な(sickly)
味気ない(insipid)
威風堂々たる(majestic)
壮大な(grand)
壮麗な(splendid)
荒々しい(violent)
どっしりした(massive)
しまりのない(flaccid)
弱々しい(weakly)
枯れた(washed out)
ひょろい(lanky)
無気力な(anemic)
青ざめた(wan)
愉快な(joyous)
がっしりした(robust)
きんきんした(strident)
乱雑な(turbulent)
無秩序な(chaotic)
元気な(vigorous)
力に満ちた(energetic)
生き生きとした(lively)
単調な(monotonous)
簡素な(austere)


ヤリマン「先生面白い!」

ヤリチン「先生面白い!」

ヤリマンとヤリチンだったんかい これも荒らしだなー

秋葉原はかつての秋葉原ではない。俺もかつての俺ではない。俺は死んだほうがいい。

先生面白い!

先生面白い!

結局は先生おもしろいシリーズの中でこれが一番面白いってことになりました。先生しょっぱいなー


モモス

「橋が落ちました。雨は降り止まず、川の水嵩は増すばかりです。校舎は取り残され、川が決壊すれば水没します。電話線も切れ、外と連絡する手段はありません。助けが来るのを祈るしかありません。もしかしたら助からないかもしれません。覚悟しておいてください。あなた達二人が好き合ってるのを先生は知っています。教師という立場でこんな事を言うのは間違ってるかもしれないし、お節介かもしれません、本当はもっと段階を踏んで、愛を育んでいくものなのでしょうが、最期かもしれません。悔いの残らないように、輝かしい人生であったと思えるように、やるべき事をやってしまいなさい。鍵を渡します、保健室でも和室でも、好きに使いなさい。先生は図書室で本を読んで過ごします」

 かつて炭鉱で栄えた町も資源を採り尽くし、若者は都会へ出て行った。教師一人と生徒二人になった学校は二人が卒業したら廃校になる。

「先生はああ言ってたけど、僕は助かるって信じてる。だから、その、急がなくてもいいというか、あ、もちろん堯子ちゃんのことは好ましく思ってるよ、でもその」
「私は和室がいいな」
 堯子は、舜の手を引いて和室へ向かった。

 堯子は覚悟が決まっていた。このような事が無くても、舜と"やる"つもりだった。2匹獲れたカブトムシの大きい方をくれた時から、そうしようと覚悟が決まっていた。カブトムシが好きな訳ではない。選択肢がある時、必ず舜は堯子が得をするようにしてくれるのだ。ショートケーキもイチゴが大きい方をくれるし、荷物を運ぶ時は重い方を持ってくれる。周りに同年代の男が舜しかいない補正はあるだろうとは思っていたが、舜でいいし、舜で申し分ないし、舜以外考えられない。天の力を借りずとも舜と成すつもりではあったが、天がくれたこの僥倖を逃す堯子ではない。

「舜がしてみたいこと何でもしていいよ」
 堯子は畳の上に坐り、瞼を閉じた。

 舜は血液が沸騰しそうだった。身体中の細胞が覚醒して唸り声を上げている。唾を飲み込むタイミングが分からなくなり大きな音を立てて唾を飲む。初めて会った時はもちろん雷が落ちたような衝撃を覚えたし、微笑みかけてくれたら天使だと思ったし、共に成長していく日々は幸せだったし、女性らしくなっていく体つきも見ないようにしながら周辺視野と光の屈折と風の動きで凝視していた。その堯子が「何でもしていい」と言って畳の上に坐っている。次の一手。舜の、次の一手で二人の間に境目を無くすことができる。しかし舜の口からでた言葉は舜自身、訳の分からぬ盤外からの一手だった。

「将棋がしたい」

 和室はかつて将棋部の部室であり、将棋盤が床の間に飾られていた。華道部の部室や茶道部の部室だったこともあるが今は関係ない。

「将棋なら引けないわね」

 駒の封を解き、パチリ、パチリと丁寧に並べる。

「999勝999敗。決着をつけよう」

 振り駒をして舜が先手となった。

▲「7六歩」

 △「8四歩」

▲「6八銀」

 △「3四歩」

▲「7七銀」

 △「6二銀」

▲「4八銀」

 △「4二銀」

▲「5六歩」

 △「5四歩」

▲「5八金」

 △「3二金」

▲「6六歩」

 △「4一玉」

▲「6七金」

 △「6四歩」

▲「7八金」

 △「6三銀」

▲「6九玉」

 △「7四歩」

▲「2六歩」

 △「5五歩」

▲「んっ

        同歩」

 △「同角」

▲「あ
      う
   
          2五歩」

 △「5四銀」

▲「2四歩」

 △「ふふっ

      同歩」

▲「同飛」

 △「2三歩打」

▲「2八飛」

 △「2二角」

▲「5七銀」

 △「5三銀」

▲「5六歩打」

 △「5二金」

▲「7九玉」

 △「8五歩」

▲「6八銀左」

 △「8六歩」

▲「う、あ 同歩」

 △「あん
     同飛」

▲「8七歩打」

 △「8二飛」

▲「3六歩」

 △「1四歩」

▲「9六歩」

 △「9四歩」

▲「3七桂」

 △「6三金」

▲「4六銀」

 △「4四銀」

▲「3五歩」

 △「んっ    同歩」

▲「いくよ 5五歩」

 △「うん  
        同銀左」

▲「6五歩」

 △「ちょっと待って   
 
       4四銀」

▲「待たないよ6四歩」

 △「もう     同金」

▲「5五歩」

 △「あん 6三銀」

▲「4五桂」

 △「9五歩」

▲「同歩」

 △「9八歩打」

▲「同香」

 △「9七歩打」

▲「同香」

 △「9六歩打」

▲「あああぁ  同香」

 △「8六歩打」

▲「同歩」

 △「同飛」

▲「積極的だね
         6五歩打」

 △「だって        同金」

▲「3三歩打」

 △「舜もじゃん   
         
        同桂」

▲「ずっと こうしたかった




              5三桂成」

 △「私だって      同銀」

▲「9七角」

 △「9六飛」

▲「成るよ 5三角成」

 △「やだ   5二銀」

▲「やなの?    9七馬」

 △「もう    同飛成」

▲「同桂」

 △「3一角」

▲「3四歩打」

 △「私だって成るんだから 9七角成」

▲「んんんっっ  8八銀打」

 △「ふふっ 
    我慢してね  
          4二馬」

▲「な  
   何がだよ 
       3三歩成」

 △「同金」

▲「5四桂打」

 △「5三馬」

▲「6六歩打」

 △「8七歩打」

▲「同銀」

 △「8六歩」

▲「ぃ 同銀」

 △「3六桂打」

▲「3四歩打」

 △「うそ


      そんなとこ


           3二金」

▲「1八飛」

 △「2六桂打」

▲「うそだろ

       5八飛」

 △「5七歩打」

▲「同飛」

 △「5六歩打」

▲「同金」

 △「あんっ    同金」

▲「うっ   同飛」

 △「あんっ  8六馬」

▲「うっ   6二桂成」

 △「いや
     もう
       3一玉」

▲「ふんっ 5二成桂」

 △「6七歩打」

▲「同銀」

 △「9七角打」

▲「ぐっ 8八歩打」

 △「7七香打」

▲「4一飛打」

 △「ああん
        やめ 
  
            2二玉」

▲「7七金」

 △「同馬」

▲「ふんっ 3三銀打」

 △「あんっ 1三玉」

▲「おらっ 1一飛成」

 △「ああん 1二金打」

▲「好きだっ 同龍」

 △「私も好きぃ 同玉」

▲「堯子ちゃんっ
        1一金打」

 △「舜っっ
      同玉」

▲「堯子ぉぉぉ 
      1三香」

 △「舜んんん
       1二飛打

▲「堯子好きだぁ同香成」

 △「舜好きぃぃぃ同玉」

▲「うぁうぁっ2二金打」

 △「あっあっ同金」

▲「んっはっ同銀成」

 △「んんんんんん同玉」

▲「ふん!ふん!3三金打」

 △「んもっとぉ1三玉」

▲「2三金!」

 △「同玉ぅぅぅ」

▲「2五香打ぃぃ!」

 △「2四香打ぃぃ!」

▲「ありません」

 △「え?」

▲「ありません」

 △「え?」

▲「手が続きません、参りました」

 △「あ、うん」

▲「ごめん」

 △「んー、大丈夫、大丈夫、最初はそういうものらしいよっ、またチャレンジしよっ」

▲「お、お願いします」


 禹太郎は、武田信玄に憧れていた。信玄は戦のみならず、治水でも名を残している。信玄堤。民の安寧の為に成した治水事業である。禹太郎よ、今こそ武田信玄になるべき時だ。
 図書室で本と睨めっこしていた禹太郎はかく言った。

「我が策成れり、あとは実行するのみ」
 
 理科準備室で、硝酸カリウム・硫黄・木炭を調達、木炭を乳鉢ですり潰し、硫黄を混ぜ合わせ、革の鞄に詰め込み硝酸カリウムを加えた。あとは・・・。

 リヤカーにありったけの黒色火薬を乗せ、幌を被せ、引いて歩いた。
 氾濫しかけの川と鉄扉で封鎖された炭鉱の入り口が見える。ここだ。ここを爆発させれば、炭鉱に水が流れ、氾濫が緩やかになる。それに伴う問題が起こるかもしれぬがそんなことは知ったことではない。生徒二人の命が無事ならばそれでいい。
 禹太郎はリヤカーを止め、導火線に火をつけ、走った。背後を振り向かず走った。


 ゴオオオオオオオオ



つるビーのおすすめ

山梨県都留市の観光親善大使「つるビー」です。
ぼくがオススメする都留市の情報をどんどん紹介するよ。
2011.12.22 Thursday

宝の山に、昔栄えていた町があったこと知ってる?@宝鉱山跡地

おはよう☆
つるビーです♪

今朝も寒いね>_<

おひさまも出ていないから、空が白くて、余計に寒く感じるよ。
今日は、おうちの中でいちにちぬくぬくしていたい気分。
さて、このあいだ、宝の山に行ったときに、宝鉱山の跡地を見にいってきたよ!!
宝の山は時々飛ぶんだけど、
宝鉱山の坑道を覗いてみたのは初めてだったんだ♪♪

宝鉱山は明治5年に発見されて、昭和45年に閉山となった山梨県内唯一の鉱山だったんだよ。今の宝の山ふれあいの里がある場所に、宝鉱山で働くひとたちの町があって、
そこにたくさんの人たちが暮らしていたんだ。
そこには病院も学校も映画館まであったんだよ!!

宝の山ふれあいの里の施設からは想像できないよね。
今は当時の建物はすべて壊れてしまっているけど、
今でも当時のカラミ(鉱石)捨て場や坑口が、
かろうじてそこに鉱山があった名残として残っているんだ。

今から40年も前に閉山して、ここに住んでいた人たちはあちこちに散らばってしまったけど、
時々、昔を懐かしむように宝の山に来てくれるんだ。
そして、宝の山ふれあいの里で懐かしい鉱山時代の昔話をして帰っていくよ。

ぼくは、宝鉱山が栄えていた頃のことはぜんぜん知らないけど、
都留市にこういう場所があって、今はなくなってしまった集落があって、
人々の生活がそこにあったってことを想像すると、
なんだか不思議な気持ちになるし、
もっといろんなことを知りたいなって思うんだ。

宝鉱山のことを知りたいなって思ったら、
宝の山の番長に聞いてみて!!

今は自然体験をする施設になった場所に、
当時はいろんな人がいて、
学校で子どもたちが勉強して遊んで、
秋にはみんなで運動会をして・・・。
そんな暮らしがあったこと、みんなにも知っていて欲しいな♪♪

 予選3のモモスさんが会議に出したのはこの1ボケだけでした。「棋譜を見て並べてどんな対局だったのかを理解しないと回答の全貌が理解できない」という投票者の理解への負担のかけ方は、偶然にもハシリドコロの「数学の問題を理解しないと回答の全貌を理解できない」とかぶっていました。長文いろいろ考えると同じ事を思うこともあるんだねえ。本当に同じモチベーションで棋譜を入れたのかどうかは全く確認していないです。
 モモスさんらしい長文というか、ふざけている展開なのに登場人物はまじめにやってる感じの部分も、つるぴーの哀愁漂う感じの部分も、良いです!
 堯、舜、禹が名前なのもふざけていて、最初に見た時なんで中国の神話の皇帝なんだよと思って不意打ちでバカバカしくて面白かったです。
 チーム内で理科室で作れる爆薬について議論する時間があったんですけど、それも今となってはいい思い出です。


まとめ

6万字超えてる!なげー!
長文回答を大喜利の回答として出すことの功罪ってあると思うんですけど、今回のボケクエ、特に予選2と予選3を通して、ネット大喜利のユーモア観の中の長文としてしか形にならない面白い長い文章って存在するような気がしました。

スライムベスはみんな忙しくて予定合いにくかったわりにはそんなの関係ないぐらいいろいろ楽しくできてよかったです。会議も楽しかった!みんなでもっと通話して結果に対してムキームキー言いたかった


ボケクエ6はまだまだ続く
スライムベスの炎は、灰の下でも消えず…



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