答龍門ふりかえりなど

2/17に池袋GEKIBAで答龍門という大会がありました。この大会は若手限定の大喜利トーナメント大会で、出場者は2016年2月17日以後に生大喜利デビューした人、つまり生大喜利歴が3年以内の32人です。大会の形式としては3分1問タイマンのトーナメントで、つまり5回連続で勝利すると優勝ということになります。僕は大会運営のばらけつさんの推薦枠という形でこの大会に出場して、結果はベスト4でした。いい大喜利ができた上に準決勝で敗れたぐーがおさんも優勝したのでそんなに思い残すことはないと思っていたのですが、後から日を置いて考えてみると色々思うところが発生したのでブログにでもしますか、という気持ちでnoteを書いていきます。

1試合1試合を振り返っていく前に大会全体の自分の感触を簡単にいうと、今までにないぐらい安定して調子が良かったです。最強かと思ってた。では1回戦から振り返っていきます。動画が徐々に公開されていったので、動画が公開され次第記事内に埋め込む&記憶違いのところを訂正する&感想をつけ足したり消したりする という感じでいきました。埋め込んだ動画のすぐ下に試合のネタバレがあるので、動画を見る前にネタバレを食らいたくない人は先に動画だけ見るようにお願いします。会場に足を運んだ人や動画をすでに見た人以外は動画を見てから読んだ方が楽しめると思います。全試合の再生リストで通して見るのが会場の雰囲気みたいなのを一番正確に追体験できると思うし、それよりは時間がかからない方法として、直接対戦した相手の試合は1回戦から見ておくというのがあると思うので、時間がある人はそういう手段をとってもいいと思います。


1回戦 vs プリンゴ


お題
全員滑舌が悪いアイドルグループ「かちゅぜちゅ向上委員会」について教えてください
自分の回答
・Mステでめっちゃはっきり歌っていて、「おいこれ生歌じゃなくて舌パクだろ!」と言われる
・握手会でキモいオタクたちが「なんか結婚することになったわ~」ってめちゃくちゃ都合のいい聞き取り方をしている
・「センターを発表します! センターは……にゃーなん!!」にゃーなんは10人ぐらいいる

初戦の相手はデレマス大喜利からきっかけの一歩に参加したプリンゴさんでした。タイマントーナメントに参加すると決まったときから1回戦負けはやだなあと思っていたし、くじ引きで相手が自分より大喜利歴の短いプリンゴさんと決まってからはなおのこと負けらんね~と思っていました。自分の番になって呼ばれて一言を求められたけど何も考えてなかったのでなんも思いつかなくて、でもプリンゴさんもなんも思いついてなくて、これから面白いことを言おうとする二人とは全く思えない絵面で、そんなこんなでお題が出ました。お題を見てまず舌をキーワードに滑舌が悪いアイドルのことを考えたら1答目を思いついて、プリンゴさんが「舌を抜かれている」っていう回答をして小~中ウケしているのも把握しながら回答をボードに書いていました。舌パクの回答を出したら結構感触が良く、アイドルと言ったら握手会だなと思ったら2答目もわりとすぐ思いついて、これを出したらかなりウケて、3分で2問結構ウケたらまあまず勝ちだろうと思ってちょっと安心しました。最後の回答は時間制限ギリギリでもう1答出しとこうと思って絞り出したもので、答龍門は3分経ったら回答を書いている途中でもペンを置かなければいけない方式だったので、回答の細かいところに手を加えたりすることなく思い付きを原型で出す形になりました。あと10秒とか20秒ぐらいあれば「「センターは…なにゃなにゃななにゃーにゃん」 使える音が少ないぶん文字数で識別している」みたいにもう一段階ひねった回答にできていたと思うし、2答目で安心していなければその分の時間は作れていたと思うのでそこは反省点と言えば反省点かもしれませんが、戦局を冷静に見極められていたからこそこうなったとも言えるし、この回答を出したことで多分マイナスにはなっていないだろうし、実際パーフェクト勝ちしたので問題ないという考え方もあります。ウケたし勝てたしでホッとしたし嬉しかったです。始めの一歩で生大喜利を始めた身としては、きっかけの一歩で始めた人たちに興味津々&俺の大喜利を見てほしいという気持ちがあって、今までなかなか機会に恵まれなかったのですが、きっかけの一歩勢と呼ばれる人たちが多く参加する答龍門のきっかけの一歩の人との対戦で「これが先輩じゃい」と言えるような大喜利を示せたのはとても良かったです。
追記:公開された動画を見たら2答目の「聞き取り方」の「きき」の音が無声化していて、これは方言なのか僕個人の癖なのかわかんないですけど、聞き取りにくいので気を付けていきたいなあと思いました。

2回戦 vs デリシャストマト


お題
刑事「これはひどい… ○○てる」
自分の回答
・「これはひどい… 俺以外みんな頑張ってる」
・「これはひどい… 本当に何もわからない 正直もう諦めかけてる」
・「これはひどい… 犯人が自分で裁判の段取り進めてくれてる」
・「これはひどい… こんなの初めてだ… 人が人を傷つけてる」

二回戦の相手は一回戦でキャベツさんを下したデリシャストマトさんでした。先にキャベツさんの話をすると、キャベツさんは僕が生大喜利を始めた会である始めの一歩に参加していた同期であり、居住地の関係からか大喜利会への参加頻度はそこまで高くないものの時々爆発する回答を出して話題になることがあるので当たりたくないなあと思っていました。一方のデリトマさんは普段から強度の高い大喜利をすることが多い人で、天下一の予選でかなり良かったりかつてタイマンで負けたことがあったりという過去があり、デリトマさんはこの大会の優勝候補の一人だと思っていたので、こちらも当たったら負ける可能性けっこうあるなあと思っていました。結局どっちが勝ち上がってきても嫌だったのですが、デリトマさんがかなり良い仕上がりで勝ち上がってきたのを見てこりゃ気合い入れないとなと思い、1回戦と2回戦の間には楽屋で「頑張りましょう」と言い合いながら2人で変な動きをしていました。
お題が出て、「○○てる」の穴埋めを考えたら「頑張ってる」が一番初めに出てきて、それを使って1答目ができました。かなりウケたのでよしよしと思って、そのままの流れで出した2答目3答目も結構ウケていて、終了間際の時点でデリトマさんより合計ウケ量でも最大ウケ量でも勝ってるとは思っていたんですけど、自分の1,2,3答が全て同じ方向の回答でウケも減弱していったように感じていて、別のアプローチの回答もしといた方がいいなと思って別のアプローチを考えたところ4答目を思いつき、これも結構ウケていい感じで終われました。結果はたしかパーフェクト勝ちで、1回戦でかなり仕上がっていたデリトマさんを相手にしてこういう勝ち方ができたことで「今日かなり調子いいし優勝も全然あるのでは」と感じ始めました。
追記:動画を見てみた感想として、1答目3答目4答目の自己評価はだいたいあってたんですけど、2答目は記憶にあるよりはウケてなかったな(1>2>3かと思っていたら1>3>2だった)というのがあります。ウケを上方修正して記憶するなんて都合のいい海馬だこと。この回答の反省点としては「方向性が同じわりには面白さに新規性がない たぶん前フリが長い(”本当に”が要らない)」っていうのがあると思うんですけど、そのあと出した3答目は同じ方向性の回答でもウケが盛り返していたし、総合して見たらかなり上出来ということには変わりないですね。あとこういう穴埋めは「○○てる」の「てる」の部分を使わないと回答の面白さの割にウケが小さくなってしまうので、そういうところに気を付けるのは細かいことだけど大切だなと思いました。

3回戦 vs アオリーカ



お題
「お父さんのパンツと一緒に洗わないでって言ったでしょ!」みたいだけどちょっと違う娘に言われてお父さんが傷ついた一言
自分の回答
・お父さんの遺伝子、この体から取り除きたい
・お父さんの作ったシチュー、温度しかとりえが無い
・お父パン洗ないしょ! なんで伝わるの!?
・お父さんの何かしらと私の何かしらのあらゆる行為をやめて


3回戦の相手はアオリーカさんでした。アオリーカさんの強さは今更言わなきゃいけないことではないですが、去年行われていた色々な大会で(ほぼ確実に僕よりは)いい成績や回答を残していて、今大会も事前に行われた人気投票1位という枠で大会に参加しているし、普通に面白い大喜利をやる力に加えて圧倒的な演技力を持っていて、激強、優勝候補筆頭、1回戦で当たるのはやめてくり~ という感情でした。
お題を見て、まずは父親のことを汚らわしいと感じる娘の気持ちを発展させることを考えました。たぶん自分が父親の娘であること自体を嫌がるんじゃないかなあと思い、父親を父親じゃなくしたい、自分を父親の娘じゃなくしたいという方向性で考えて1答目ができました。この回答を出すときに「父親の遺伝子を完全に取り除いたら半分の母親になるじゃん」とか考えていたんですが、実際そこまで大きくウケたわけじゃないこともふまえて、半分の母親ってところまでを回答に含めるべきだったなあと今は思っています。1答目を出した後、僕がかつて始めの一歩で回答した「「男子ちゃんと歌ってよ!」みたいな感じで女子に言われたよく分からないセリフ」というお題と似ているなあということに気づき、その時と同じような思考回路で2答目ができ、かなりウケて、アオリーカさんを相手にしてるわりには落ち着いて3答目を考えようとすることができました。「お父パン」というフレーズが思いついたのでそれを核に3答目が完成して、出して、結構ウケました。4答目は時間ギリギリで思いついて書いたのをそのまま出したもので、ウケなくはなかったのでそれ以上回答の質について話してもしょうがない気はするんですけど、回答の語尾を「やめて」じゃなくて「やめてって言ったでしょ」にすることぐらいはテンパっててもできたはずなので反省ポイントですね。でも結果的にわりとしっかり勝つことができました。アオリーカさんを倒した時点でベスト4入り、強敵を2連続撃破したことでかなり優勝が見えてきました。
追記:動画を見てみて、自分が認識していたよりかなり危うい戦いだったと思いました。動画を見るまではアオリーカさんの回答を把握してなかったんですけど、しっかりした面白い回答を出していて、10日前に既に勝ってるのになんか焦りました。自分の勝因としては、シチューの回答が最大ウケだったこと、自分の3答目と4答目がアオリーカさんの3答目よりウケたこと、の2つかなと思います。アオリーカさんが最後に1答出していたらウケ次第で全然ひっくり返りうる状況だったと思う(爆ウケじゃなくても普通の大ウケでぐらいでひっくり返っていたと思う)し、4答目を出せるか出せないかは3答目完成のわずかな時間の差による回答順の違いによるものだっただろうし、こえ~~~!!でも勝ってるんだった!!やったぜ~~!!!1回戦と2回戦に比べて勝ったと分かった時の笑顔がはっきりしているので、結果を聞くまで勝敗がわかっていなかったことやこの勝負に勝てたことへの喜びが大きいことが伺えます。

準決勝 vs ぐーがお



お題
第17回世界クッキーおせんべい会議で顰蹙を受けたジジイの老害発言
自分の回答
・わしゃ歯がないからどっちも浸して食べてるね
・男がお菓子の話をするな すたるだろ
・おー、そこの、なんだ、チャラチャラした若い女が手でこねて作ったのか。ふん、くだらん。貰って帰るぞ。
・どっちも食べたがワシには味の違いがわからん どっちも好かん 早く醤油を飲ませてくれ

準決勝の相手はぐーがおさんでした。ぐーがおさんは同じ始めの一歩から生大喜利に参戦した同期であり、途中半年ぐらい音信不通になって最近復活してとても良かったねという経緯があります。この日のぐーがおさんは右肩上がりにかなりノリノリで、ぐーがおさん自身が持つ陽の雰囲気とか発声とかしゃべり方とかそういう部分で会場の雰囲気を掴みながら準決勝まで勝ち上がってきました。ぐーがおさん視点の振り返りnoteもあるので気になる方はそちらも見てください。
3回戦までの自分の回答と勝ち方と回答が出てくる感じを考慮すると、準決勝もそれまで通りお題に沿って要素を深く掘って強度の高い回答を出せれば勝てるだろう、でもなんかぐーがおさんノってきてるしちょっとやだな、と考えていました。
お題を見た時に「老害」の意味で少し迷ったところがあり、1答目は老いゆえの身体機能の低下が周囲の人間にとって害になってくる方向性で考えました。クッキーとおせんべいそれぞれについて本気の人間が集まっている会議においてどちらのお菓子も台無しにする食べ方をしている老人がいたらめちゃめちゃ顰蹙を買うだろうというところまで考えてこの回答になったのですが、会場における老害の解釈と食い違うというかそもそも老害の一般的な意味と食い違っていたせいかそこまでウケませんでした。その後は「価値観の柔軟性を失ってさらにそれを押し付けてくる」という一般的な老害のイメージを回答の方向性として据えて、古いジェンダー規範を押し付ける方向で考えて2答目、女性性を見下しながらも性欲は持ち合わせているスケベジジイの方向で考えて3答目を出しました。2答目を出す前にぐーがおさんが「バカモーン!ウィーンでやったらクッキー圧勝じゃろうが」で大きなウケを獲得していて、僕の2答目は大きくウケたもののぐーがおさんのウケより少し弱いだろうという体感があり、その後のぐーがおさんの「おい!おせんべいにはしょっぱいのも甘いのもあるけど、クッキーはしょっぱいのはあるのか!しょっぱいクッキーあるのか。すまん。。。」という回答も素晴らしい演技力と合わさってめちゃくちゃウケていて、僕の3答目もかなりウケてはいたけれどやっぱり少し負けている気がする、という状況になりました。時間過ぎての回答となったぐーがおさんの3答目は結構ウケていて、それに続く僕の4答目は味覚がバカになってしまったジジイについての回答だったけれどそこまで大きくはウケませんでした。これらお互いの最後の回答は、準決勝という状況やそこまでの回答による会場の盛り上がりの慣性もあってそれなりの笑いは起きたものの、それ以前の2答と比べるとそんなに会場の心を掴んでいる感じではない、といった感触でした。結果としては3回戦のvsアオリーカ戦の逆ぐらいの得票率でぐーがおさんの勝利となり、僕の答龍門はベスト4という結果で終わったのでした。
追記:公開された動画を見て、対戦自体がかなり盛り上がっているというのと、自分がちゃんといい大喜利ができていてよかったなというのと、ぐーがおさんが回答を出すときの面白さにつながる表現力がすごいな、という3つの大きな感想を抱きました。ウケ量に関する認識は対戦中に自分で感じていたのと大きく変わらなかったので、冷静に大喜利できていたのだと思います。動画の3分15秒ぐらいから、ぐーがおさんが回答をボードに書き終わってから2答目を出すまでの様子が見られるんですけど、書き終わってから5秒ぐらいであんな面白い出し方を実現していて、自分は全然できないことをサッとやってのける様子を見て「エグいな」と思ってしまいました。エグ。
4答目の「味の違いが判らん」の「味」が聞き取りにくいのは反省ポイントですね。試合前インタビューの段階で、ぐーがおさんがまあまあ話している時点で自分もコメントすることになるのはわかっているはずなのに、ぐーがおさんが話し始めてから自分が話し終わるまでずっとペンを握っていて、こいつどんだけ大喜利したいんだよ と思いました。

このあとの決勝はぐーがおvs電子レンジという始めの一歩対決になり、とても盛り上がる試合となりました。結果として初代答龍門チャンピオンの座を得たのはぐーがおさんで、準優勝が電子レンジさん、ベスト4がハシリドコロとCRYさん、という結果になりました。

大会が終わってから多くの人に「面白かった」「途中優勝すると思ってた」「強い」などのお褒めの言葉をいただき、実際自分でも戦績試合内容ともにかなりよくできた方だと思うし取り立てて大きなやらかしもなかったし、ベストを尽くせたし結果に悔いはないな、と思って会場を後にしました。打ち上げも楽しく、帰宅してからもTwitterで褒められて、自分が会全体を通じていい大喜利をした様子が動画に残るのは初めてで喜ばしいし、3分1問×4試合としては自分史上最高の大喜利ができたことを改めて満足に思って、優勝できなかったのは残念だけどまあ満足だよね めでたしめでたし
っていう風に落ち着いたら問題なかったのですが、実際はそうもいかず、大会が終わった時から今回の負けはヤバイ負けだなということを考えていたのですが、家に帰ってよく考えてたらかなりヤバイ負けだという気がしてきて、noteを書くに至ったというわけです

追記:そういうnoteを書こうとは思ったんですけど、思考のつながりに分岐や循環が多くて文章にしづらかったり、よく考えたら自分の大喜利観の押しつけとか、考えが固まっていない仮意見を必要以上に強く主張してしまうこととか、冷静な思考ができていないこととか、そういう可能性が浮上してきて、とか言ってるうちに文章化の気力が減少し、でもなんも書かないのももったいないと思うし、このくだりも一度書いたのにChromeが落ちたせいで全部消えてガン萎えしたし、思ったことをただただ羅列していきます。話が行ったり来たりするかもしれないし、同じことを何度も言うかもしれないし、結局何が言いたいのかわからないかもしれないし、単なる不満のはけ口にしかならないかもしれないし、完全にnote執筆の見切り発車に失敗した形です。もうこのnoteは「答龍門俺回答集」ということして、ここからはおまけ、俺用メモ、思考のタイムカプセル、恥の文字列ということで。普通に今後月日が経ったら考え方がまるっと変わってここに書いてあることと全然逆のことをやっている可能性はあるので、あくまで今この瞬間の自分がどういうことを思っているか書き残している、ということでお願いします。



・大会が終わった直後や打ち上げの時「いやいや俺これで今日勝てないならずっと勝てないでしょ」とか「結局明るくて面白い人間が面白いんかい」みたいなことを言っていた。回答を出すときの話し方とか振る舞い方とか雰囲気で面白さが変わってくるという現象はそういうものとして受け入れられているというか、そういうステージパフォーマンス的なもの全て込みにしてこそ生大喜利だと思っている。文章としての回答としての質が似た程度だとしたらその他で面白い方が面白いという事実自体について不満があるわけではないというかそれは感覚的にも当たり前だと思う。でもじゃあ自分がそういうステージパフォーマンスができるかというと全然できなくて、文章としての回答を邪魔しない程度には一応話し方とかふるまい方に気を付ける、そういうスタイルで俺はやっている(やらざるを得ない)。ざっくりまとめて「フィジカル」と呼ばれるような話し方とかふるまい方とかそういう能力があり、自分はフィジカルパワーがあんまりないので「フィジカルなしでやってやるよ オラオラ」みたいな気持ちをいつも心のどこかには持っている。答龍門では「フィジカルなしでやってやるよ オラオラ」がかなり成功していて、文章としての回答の面白さだけで準決勝までは勝ってこれていたと思う。ところがどっこいフィジカルがかなりあるぐーがおさんに負けてしまい、かなり良い感じで大喜利できている日でも結局フィジカルがある人に負けるんか~いちょいちょい と思っていた。やっぱ回答出すならフィジカルあると強いなあと思っていた。

・打ち上げのときはこのくらいのことまでしか考えていなかったけれど、帰宅してから考えていたら事態はもっと深刻だということに気づき始めた。まずそもそも俺は今回の自分の大喜利よりもいい大喜利を今後どのくらいの頻度でできるのだろうか、という疑問がある。お題に沿って要素を拾い深部に迫った回答をする人、例えば答龍門の参加者、U3の枠組みでいうとCRYさんとかおせわがかりさんが挙げられると思うけど、今回の自分は3分という時間制限と回答数をある程度確保することを考えると実質彼らに迫るクオリティの大喜利ができていたのではないかと感じていて、そういう理想的な状態で勝てなかったことを考えると、況や普段をや ということを考えてしまう。1,4回戦の自分はお題に沿って想像を巡らすという点ではかなり良かったはずで、1回戦はかなり良い大喜利をしたからかなり良い結果が得られたけど、4回戦はかなり良い大喜利をしたのに結果はついてこなくて、これ大丈夫なのか?と思っている。もちろん1vs1の勝負でどちらかが負けてしまうのは当たり前なので自分だけじゃなくて相手も調子が良かったらかなり良くても負けてしまうのはわかっている。例えば2018年の東京地獄大喜利~天~のハシリドコロ vs ATP戦では今回と俺の勝敗は逆だけど、両回答者共にお題に沿ってひらめきと想像力と文章化によって回答を作り出し、いい回答がいくつも出て結果決着がついたということで全然スッと受け入れられる。でも今回はそれとは違うと俺は思っていて、もちろんフィジカルで差を開けられたという点も違うのだけど、今言いたいのはそこではない。4回戦の自分の(ウケた)回答は「顰蹙を買ったジジイの老害発言」についての回答だったけど、ぐーがおさんの(ウケた)回答は「ジジイの発言」であって、顰蹙とか老害とかお題に直接含まれている要素がそこまでしっかり回収されていなかったと思う。別に俺は「お題の要素は全部回収すべし」と言いたいわけではなく、総合的な面白さを考慮してお題の一部に沿うことをやめるという選択肢は全然ありだと思っている(自分でもやるし)。でも回答を評価する段階になった時は、「お題に沿っている回答とそこまでしっかり沿っていない回答が2つあったとして、2つの面白さにそこまで大きな差がない時にはお題に沿っている方が評価される」というルールというか価値観が全体に共有されていると今までの自分は信じ込んでいた。今回の結果はその信じ込みに合致しないように思えるので、もしそういう価値観がわりと自分だけとか少数派のものであって広く共有されているものではないなら、大喜利の回答を考える時に今まで盲目的に頼りにしていたメルクマールが失われてしまったなと思った。もしくは俺が思っている以上に俺の回答とぐーがおさんの回答の面白さの差が大きかったし俺はそれをわかっていないという可能性もあり、それはそれで感性がかなりずれているという話になってくるのでかなりしんどい。フィジカルパートで面白さに大きな差をつけられているという状況だとしたらそれはかなり絶望的だと考えている。つきしまさんみたいに暴走自爆大喜利原子力機関車みたいな人ならともかく、ぐーがおさんのフィジカル面白はポップさとか人柄感から来ている部分が大きいと思うし、そういうのは回答を邪魔しない形で自然に発せられているから恒常的に面白ポイントに加点されてくると思うし、空気づくりとかを含めてわりと意図的に自分でコントロールできるタイプのやつだと思う。今回調子の波の上の方にいてこれよりもクオリティを上げる見込みがあんまないような状態の俺が全然太刀打ちできないなら、ぐーがおさんみたいな人がある程度調子悪かったとしても勝てないままなんじゃないかという気がする。結局ポップで面白い人が面白いんかい、お笑い陰キャじゃだめなのかよ、という毒づきがお笑い陰キャの思考をよぎる。他には俺がお題の内容を勘違いしているとかぐーがおさんの回答がちゃんと沿っているのを読み取れていないという可能性もあって、だとしたら脳の機能低下が激しいので一度休んだ方がいい(こういうのは休んだら治ると信じている)。

・・コメントを受けての追記 他の可能性として俺が「老害発言」という言葉を細かくとらえすぎている可能性もあって、「デカい声出すジジイの発言なら必然的に全部顰蹙老害発言だ」みたいな捉え方をする人にとっては全然両者ともにガッツリお題通りの回答をしてるということになると思う。以前何かでやった大喜利で「こんな○○は切ない」みたいなお題が出て、その時のみんなの回答は基本的に「こんな○○は悲しい」というお題に対する回答になっていたことがある。俺は「切ない」と「悲しい」は似た意味だけど若干ニュアンスが違うと思っているので「切ない」という形でお題が出ている以上単なる「悲しい」ではなく「切ない」になっている回答にしたいと思っていたけれど、こういうのは細かすぎるかもしれない。逆に今回のお題だと自分は「第17回世界クッキー/おせんべい会議」の「第17回」とか「世界」については勝手に重要じゃない単語だと判断しているところがある。これには理由が2つあって、1つは「第17回世界クッキー/おせんべい会議で」顰蹙を買ったジジイの老害発言 というお題なので、顰蹙を買うようなジジイの老害発言を答えれば最悪クッキーやおせんべいに関係なかったとしても、「実際にそういう会議の場で発せられて顰蹙を買った老害発言」ということになってお題への回答として最低限の形式は満たしていると考えられること。もう1つの理由としては、お題を作る時にもともと「第○○回世界○○会議」という大規模な会議を示す言葉の型みたいなのがあって、今回はそこに「おせんべい/クッキー」を代入して数字は強い意味を持たないものを適当に入れただけだろうな、と考えたということ。2つ目の理由については完全に主観というか独断で、似たような理由で「顰蹙を買ったジジイの老害発言」を「ジジイの一言」ぐらいに翻訳していいと捉える人がいるのもわからない話ではない。俺は「老害」という言葉の意味と重さやそれに伴う面白さを結構重視しているので老害発言かどうかの判定が厳しくなっているのだろうけど、逆に「第17回」とか「世界」とか「会議」とかについて厳しくて顰蹙とか老害とかは些末な部分だととらえる人がいる可能性もあるし、俺は個人的なお題に対する感覚を以て「おせんべい/クッキー」とか「ジジイ」とか「顰蹙」とか「老害」に比べたら第17回とか世界とかはどうでもいいだろと思っているが、突き詰めていくと人それぞれだよねってパターンのやつかもしれなくて、だとしたらまあひとつ溜飲は下がるなあ、と思う。あともちろん「第17回」とか「世界」とか「ジジイ」とか「老害」とかありとあらゆるお題中の要素を全て拾って面白い回答が作れるならその方がいいとは思っている。面白さのためにお題への沿い方を取捨選択するときには簡単に捨てていいところとそう簡単に捨ててはいけないところがあって、それが具体的にどの部分かとか、どこまでが拾っててどこからを捨てたとするかが、人によって違うんだろうな という話。

・・あと勝敗とかウケを考えるうえでは試合単体での評価だけじゃなくて3回戦までの雰囲気を考慮しないと多分正確な話はできないと思う。俺はまだそこらへんを十分に理解していないのでちゃんとはわかんないけど、ぐーがおさんのポップで面白いオーラの蓄積みたいなので会場が湧きやすくなっている部分はあっただろうし、逆に俺は俺でお笑い陰キャでも3回戦まで強い大喜利をし続けていた甲斐があってそれ以降ある水準以上の大喜利をしたときにボーナス評価点みたいなのが実質的に加算される状態にあったと思うし、準決勝ということでどちらの回答もハネやすくなっていたと思う。そういう雰囲気みたいなのについてはなんとなくわかってもしっかり理解していないし、実際にその場にいて全試合通してみたからこそ生まれるものもあると思うし、結局今こうやって考えたりなんなら動画を見返したりしても完全にはわかんないだろうな、と思う。

・・・・動画を見ての追記 ここまではその場での記憶をもとに書いてきた話だったから、いざ動画を見てみたら自分の認識と事実が大きく乖離していてここまでの話は存在しない土台に建てられた架空の建築物だった、というおそれもあったけど、自分の認識と動画を見ての印象がそこまで乖離していることはなかったのでまずそれは良かった。隣で必死に大喜利していると強くは感じないけれど、客席からの視点だとやっぱりぐーがおさんのキャラクターや表現力の要素がしっかり面白さに加算されるのが体感できて、ぐーがおさんおもしれ~~となった。ただ自分もかなり良かったし、会場ウケがいまいちだった1答目と4答目も自分では面白いと思えるものだったので、やはり現実的にはこれ以上ないぐらいのパフォーマンスをしたのにも関わらずフィジカルパワーでひねられてしまったのが厳しいということについては変わらない感想を抱いている。俺がアゲアゲの人のフィジカルパワーに対抗できるとしたらお題に対する深さとか芯の捉え方とか切り込む角度とかで、相手と比べて相対的にそういう俺の長所がちゃんと発揮されていたのにも関わらず、結果的に判定でわりとしっかり負けてしまったのがそこそこ絶望的だという話についても、動画を見る前と見た後で変わらない意見を持っている。ポップなアゲアゲ人間を刺す方法、俺もアゲアゲになるしかないのか? たぶん俺が銀ジャケの皮みたいなベストを着ても面白くならないもしくはそれ自体は面白くても俺の大喜利の評価には悪影響になると思うので、アゲアゲ感を出すなら出すで上手い事やらないといけない。なんならこの答龍門は自分としてはかなりアゲアゲ感が出ていたと思う。入場時の声援みたいなのも試合を重ねるごとに大きくなっていったし。てことはやっぱりぐーがおさんのポップさ最強すぎないか?そういうプロの芸人なのか?

・「ポップで面白い人」とか「お笑い陰キャ」とか言ったけど、大喜利の回答者を分類するときにはもっと細かい区分が必要だと思っている。例えば「お笑い陰キャ」にも「ボソボソ言うのが個人の回答のカラーに寄与している」「不気味さに期待感がある」「本当に回答者の振る舞いが全く面白さにつながっていない」などのタイプがあると思うし、そういう小分類は陰キャ感は共通していても本質的にはかなり違ってくると思うので、「お笑い陰キャ」は分類群としては適切ではないと思う。じゃあどういう分類がいいかという話だけど、まだそこまでちゃんと考えられていないし回答者を見るときの解像度も足りていないのでちゃんとした分類はまだできない。ゆくゆくは見えてくるし明文化できるようになると思うけどたぶん例示しまくったり専門用語を作ったりしないと言葉で表すのは難しいという予感がある。

・回答者じゃなくて回答の種類についても同じで「アホ」「うまい」「スカシ」「サイコ」「シュール」「エモ」みたいな区分は回答者のタイプ区分に比べてわりと正確に整備されているように感じるけど、まだ不十分なところがあると思うのでこっちももっと解像度を上げていきたい。回答者のタイプ分類は(少なくともまだ)趣味の領域でしかない(大喜利も趣味だけど、趣味の趣味(趣味の趣味???))けど、回答のタイプ分類についてはそのまんま大喜利力に結び付いてくると思うので、わりと高いモチベを持ちやすいと思う。

・自分がこういう風に大喜利に対してメタな視点の話をすることについて。昔はそういう行為に少し抵抗があったというか、メタな視点を持って考察を進めていろんなことを分かってしまった時点で大喜利を楽しみづらくなってしまうのではないか、という危惧を抱いていたけど、今のところ全然大喜利が楽しくなくなっていることはない。単純に回答に笑っていた楽しみが分析の楽しみに転化したとかそういうことですらなくて、回答自体の面白さが減っていることは一切なく、単純に色々考えようとする面白さが加算されている状態になっている。ただこれは自分の大喜利についてをメインに考えているからであって、例えば他のフィジカル先行みたいな人のフィジカルテクについて分析するとか、面白ワード力が高い人の頻出ワードについて分析するとか、そういうのは大喜利の単純な面白さを減弱させるかもしれないなあと思って踏み出せていない部分がある。メタに色々考えてそれを公表することのデメリットとしては、そういうことをやっている人の大喜利を見るときは見方がちょっと変わって来ちゃうというのもあると思う。アホっぽい回答をする人の回答が計算の上で成り立っていることを公表したらウケ量が減ってしまうってことはあるかもしれない。ただ自分の場合はそれこそお笑い陰キャが大喜利をやっている感じで、全然ポップじゃないので、色々考えてる人だと思われることについてそんなにデメリットがないと思う。ということで自分にとってはいろいろ考えた方が楽しいのでいろいろ考えていきたい。いろいろ考えると楽しくなくなるフェーズに突入することがあったらその時はまた違う選択をするかもしれないけど、まあ今後しばらくはそんなに大喜利真理に迫れることもないと思うので大丈夫だと思う。

・・・動画を見ての追記 3回戦の動画から各選手に二つ名がつけられていて、自分は「分析家 アナリスト」とのこと。二つ名を付けられる経験が今までの人生にほとんどなくて、大喜利についてはT-OSTとかEOTとかで呼びだされる時の二つ名とか口上みたいなやつとか、冬の鬼30人組手の挑戦者紹介とかをかなりうらやましく思っていて、答龍門では推薦枠としてばらけつさんに紹介文を書いてもらえるし、二つ名もつくし、かなり良い。こんなかんじのブログ書く人を他にあんまり見たことないので自分が「分析家」として扱われることに異論や不満はないけど、じゃあ実際自分は分析しながらデータ大喜利をやっているのかというとそういうわけではなくて、そもそも客席の雰囲気とか場の流れみたいなものに対する嗅覚が全然ないからこそこうやって終わった大会について後から思考を巡らせているわけだし、自分が大喜利の回答を考えるときの思考回路みたいなのはあえてブラックボックスにしているというかなぜその回答が思いついたかは深く追求しないことにしている。俺は自分の回答を面白いと思っているというか、当然自分好みの方向性の回答が多いのでいい印象を持っているけれど、じゃあいざ自分の回答が作り出されるプロセスを完全に理解してしまった時に自分の回答を面白いと思い続けられるかどうかという部分については自信がない。今のところは自分のひらめきについて自分で意外性を感じられていて、その部分にも大喜利の楽しさがあると思っているので、自分がそこまで重要視していない「回答の出し方」とか「場の雰囲気の掴み方」みたいなのについてはいろいろ考えていくことで楽しさが増していくと思っているけど、本当の本当に面白さの核だと思っている回答そのものの発想の部分については変なことになるの嫌だしあえてノータッチで行こうという、ある種逆説的な考え方でやっている。

・・・あと動画を見てわかったこととして、ずっと自分の大喜利見ていると本当に面白いのか全然わからなくなってくるな、というのがある。他の人の回答についてはその場で見た時とほとんど変わらない感想を持ち続けられるというか、面白い回答を何度も何度も見たところでつまんない回答だなという感想に変化することはなかったけど、自分の回答に関しては最初は面白いと思っていたものでも何度も見るうちに「どこが面白いんだこれ?」となってしまうものが多かった。特にアオリーカさん戦では動画再生4回目ぐらいで「これ全然アオリーカさんの勝ちなのでは?」とか思い始めてしまって危なかった(危なかった?)。1回戦の動画を見ていても「こんなにウケていいのかこの回答で」と思ってしまって、でも1回戦の2答目は見てた人たちに一番褒められた回答だから面白くないはずはないので、じゃあたぶん俺は俺の回答を何度も見ているとちゃんと評価できなくなるという性質を持っているんだな、と考えてそういうものとしてやっていくことにした。これで実際は俺の回答がfakeだから誰でも何度か見てたらつまらない回答だということを看破できる、他の人の回答はちゃんと面白いので何度見ても面白い、とかいうオチだったらめちゃくちゃやだな。これを書いている段階ではまだぐーがおさんとの試合の動画は公開されていないんだけど、自分のこういう性質を踏まえると普通にぐーがおさんが100倍面白いな、とか思っちゃって正確な評価ができなくなってしまうかも、という危惧がある。もし実際に100倍面白かったら準決勝について思ったことみたいなくだりの前提が崩れて全部無意味な文章になってしまって悲しいし普通に恥ずかしいな。

・・・・上の文章を書いた翌日にぐーがおさん戦を見たけど別にそんなことはなく、俺は俺好みの大喜利ができていたので全然自分でも面白いと思えた。ぐーがおさんもかなり面白かったし華があったけど、この試合については延長(もしくは自分が勝ち)でいいのでは?という感想はそんなに変化しなかった。他の人との対戦を振り返ると自分の評価が下がっていくのにぐーがおさん戦でそうならなかった理由を説明する仮説としては、俺が潜在的に天邪鬼というか、なにかを検証するときに本当にそれが妥当なのかを確かめるため批判的な物の見方をしているところがあってそれが関係しているという説がある。ウケているものはそんなに面白くないんじゃないかと疑いウケてないものは面白いんじゃないかと疑うことで事前の先入観によるバイアスを補正してフラットな状態で物を見ようとしていて、何度も検証しようとする間に補正が過剰になって逆方向にバイアスがかかってしまっている可能性がある。まあちょっとぐらいならいいと思うけど、あんまり過度にそうなってしまうとフラットからは程遠いただの逆張りマシーンになってしまうので、そういう傾向があることを自覚して気を付けないといけないな、と思った。この性質はベテランと言われる人たちや面白い人とされている人たちの大会での大喜利を見るときにも発揮されることが予想されるので、もし俺が過剰補正で逆バイアスをかけている様子に気づいた人がいたら過剰補正だよって言ってください。普通の大喜利会とかだったらフェアな評価とかはあんまり考えなくてもいいので、補正かけ過ぎちゃうことはないと思う。面白い方向にズラすようなバイアスについてはまあ面白いと感じる方向なのでそこまで問題じゃないけど、面白くないと感じてしまう先入観についてはなるだけ排除したいなと個人的には思っていて、でも「面白い」っていうのはいろいろ要素があれど結局はその人がどう感じるかに帰着する部分がかなり大きくて、ってなると先入観とかそこらへんは難しい問題になってくるというかほじくってもそんなにいい答えが得られるタイプの問題ではないだろうなと思うので、たぶん今後も俺は今まで通りなあなあな感じでやっていくはず。

・お題に深く潜るということについて。これは慣用的に使われる表現で、その意味はまあ直感通りお題が提示する特殊な世界とかお題に登場する人の気持ちを想像して想像の先で説得力のある非自明なシチュエーションを見つけ出してそれを回答に使う、というような感じで、自分はそういう行為が好きでそういう大喜利がしたいと思っている。これとは対極と言える面白ワードバトルみたいなやつとか、体を大きく動かす回答とか、全然関係ない面白いやつとかも好きなんだけど、一番好きなタイプのお題といったら深く潜れるお題、深く潜ることで面白くなるようなお題になってくる。KUMITEなどでネイノーさんとかばらけつさんが出すお題にはこういうお題が多く含まれていて(本当に好き)、今回の答龍門でも結構そういうお題が多かったし、それが自分にとって追い風だった面もあると思うんだけど、とにかくそういうタイプのお題が好きで、こういうお題を見たら真正面からお題に向き合うぞ~~という気持ちになる。大喜利の評価基準の信じ込みもそういう自分の嗜好から生まれているのかもしれない。

・生大喜利に限らずネット大喜利でももともとそういう想像系のお題が好きで、その後色々好みの変遷をたどったけれど最近はまたそういうお題で深く考えるのにハマっていて、辻喜利というタイマン大喜利のサイトではわりとそういうお題を選んで6連勝を達成し、好きだし勝てるしいいなあと思っていた。しかし辻喜利は6連勝後3連敗していて、特に直近の2敗は自分で気に入っているし対戦相手の回答と見比べて一度は勝ったんじゃないかと思ったもので、深くてお題を生かしている回答がいいんじゃないのか?という疑問は生のみならずネットでも抱いているところで、自分の中で今ホットな話題になっている。だからこそこんなnoteを書いているんだと思う。
その直近2連敗のスクショを貼ります。

貼りました。
1つ目の画像について、これは2つの回答が並んだのを最初に見た時、相手の回答は「犬が投げられること」と「犬は投げられたものを拾う存在であること」の2つを繋げた回答であって、自分の回答は「犬が投げられること」「犬は投げられたものを拾う存在であること」の2つを使った上で、さらに犬視点や細かい描写や最終的なルール説明への帰着という別の要素が加わってより面白くなっているし、これは勝ったのでは?と思った。結果はしっかり負けていて、これについては長い回答が面白くないと思う人の存在や、六角電波さんの回答がかなり綺麗にまとまっているのでその点で評価されているのだろう、と思い、自分と投票者の好みの違いに帰着させて納得した。
2つ目の画像について、この時は1つ目の時の失敗を踏まえて「要素を拾いつつも回答は短くしよう」という意識を持って回答を考えた。2つの回答が並んだのを最初に見た時は、相手の回答は重曹が「白い」「粉」であることを利用していて同じ性質を持つ雪の代替物として雪不足のゲレンデで使うという回答、一方で自分の回答は重曹の「アルカリ性」「粉」という性質を利用していて「酸性-中性-アルカリ性」という性質を生かしながら酸ババアという新規性のある存在を素手で殴る目的を達成する方法の解説を短い文章に詰めこんでいる回答、だということで圧倒的に自分の回答の方がお題に対して丁寧に向かい合っていて(白よりアルカリの方がより重曹らしい概念だと思う)面白いと思っていたけれど、結果はまあまあの負けだった。
深さを求めるあまり面白い要素が失われてしまうというのはたぶんよくある話で、面白要素がない回答を評価するかは人とか状況によって変わってくるものだと思うのだけど、この回答については深さでも面白でも相手の回答より勝っていると思っていたので、それでも負けるということは自分の考え方のどこかになにかおかしな部分があるのではないかという話になってくる。自分の考え方におかしいところがない場合のこの結果の解釈はいくつか思いついていて、「重曹がアルカリ性だということが知られていない」「悲鳴を上げているゲレンデ という表現が雪不足を意味する慣用表現としてではなく字面通り超現実的な表現として伝わっている」という知識(?)の差異によるものや、「酸ババアが中性ババアに変化したことが伝わっていない」「酸ババアは素手で殴れないというイメージが共有されていないし文章から読み取られてもいない」という伝えたい内容を短文に押し込めたせいで情報の読み取りやすさが減少したことによるものが考えられると思っている。自分の考え方におかしいところがあるとして、「"酸ババア"は面白くない、むしろサムい」「"敷き詰める"が面白い」などワードレベルの問題については想像可能だけれど、そうじゃないもっと根本的な部分で何か違っているとしたら俺はそれがちゃんとはわからなくて、だとしたら生大喜利でも共通の問題が発生する可能性があり、こういうところは不安要素だなあ と思っている

・こういう回答から要素を抽出するみたいな話をすると「そんな細かいこと考えて回答読んで(聞いて)ない」「直感で評価しろ」「それで面白いのか」みたいな意見がある人もいると思うけど、文章化すると長くなるだけで生大喜利ではわりと感覚的にやっている面もあり回答聞いてからしばらく意図的に考えていることもあり、ネット大喜利では意図を汲めなかった回答については意図を汲み取る時間をかけようとはするしどういう要素が使われているかの比較は割と感覚的に行っている、という感じで、直感とか感覚みたいな概念は頑張れば言語化できると思うのでそうした結果うさん臭く見えているだけという話だと思う。あとやっぱり作品のクオリティとか界隈のクオリティを上げたり保ったりするためには評価者側にそういう意識がないと難しいと思うので、評価基準が人によって違うのは全然いいと思うけど(それはそういうもんなので)何かしらいい感じのものを心の中に持っておこうという心掛けが必要なんじゃないかなあと個人的には思っている。まあでもわりとみんな自覚的にしろ無自覚的にしろ何か持っていると思うので、単純にそれを言語化して表明しているかどうかの違いだけに落ち着く部分も大きいと思う。

・さんざん深く回答することが思ったより評価されないのかよみたいな話をしておいてだけど、じゃあ自分がこれからやっていく大喜利が変わるかというとたぶんそんなに変わらなくて、やっぱりお題に沿って深く考える大喜利が好きだし俺はそれが面白いと思うので今後もそうやっていくと思う。今後やることが変わんないならじゃあここまで書いてきたことはなんなんだと言われると困ってしまうな。なんなんだろう。まあでもわかっててやるのとわからずやるのは違うと思うので、やるにしてもわかってるうえでやりたいな。あと普通に勝ちたいという気持ちもあるので勝つために別の指標を見つける必要があるというのは感じているのでここまで書いてきたことは無駄じゃないです。

・あと単純に評価者の好みのブレみたいなのは確率で効いてくるので、散々いろいろ考えたけど「運でした」が正解の可能性もある。その時は「運かよ」と言います。

・あと「答龍門の自分はかなり調子よかったしこれからそれを超えるのは簡単ではない」という前提で話を進めてきたけど、答龍門でのパフォーマンスの良さが調子の波ではなく成長によるもので、今後あの水準をコンスタントに出し続けられるという可能性もなくはない。ハシリドコロ覚醒爆成長仮説が正しいとするなら全然希望の方がデカい。

・「相手が調子悪くない限りずっと勝てないのかよ」みたいなことを言っているけど、U3に限らなければ相手が調子悪くない限り勝てなさそうな人は普通にいて、そういう人たちに対してはあんまり強い感情を抱いていないというか負けて当たり前だと思っているところがあるので、やっぱり自分の中に始めの一歩同期や似たような世代の人に対するライバル意識があるのかなあと思うと、自分に人間味があって面白いな。人間なので。(今回の回答の深さの話は別に相手がベテランだったとしても同じことを思っただろうけど、やっぱり負けの重みみたいなのは相手がぐーがおさんだったからこそみたいな面はある、次は自分の大喜利でギャッとやってちゃんと勝ちたい)(俺に負けた人たちから似たような感情を向けられていると思うとそれはそれで熱いな、次も俺が勝ちます、残念。)

・始めの一歩に参加した直後は本当に1つ1つ回答を出すことしか考えていなくて、しばらく経って人間の感情を回答に登場させられるようにようになろうという意識を持ち始めて、それができるようになってきて、調子が悪い時に回答を作る時の命綱が欲しいなあと思ったり、文章としての回答1つ1つだけじゃなくて出し方とか雰囲気とかお題・試合単位の流れにも目を向けようかなと思ったりして、でも答龍門では出し方とか雰囲気とか流れとか、回答作成の命綱とか、そういうこと考えなくてもいいぐらいに調子が良くて、人間の感情が核となった回答でウケて、ちょうど始めの一歩やその直後の完全上位互換みたいな大喜利ができて、その上で自分が持っていないものを持っている始めの一歩同期に負けたという、1年間での成長と今後への課題と自分らしさみたいなのが同時に現れる、ハシリドコロの大喜利の歴史の節目としてはかなりいいイベントだったのではないのでしょうか。ハシリドコロの大喜利の歴史とか関係なくめちゃくちゃいいイベントだったけど。あらためて主催のネイノーさんばらけつさん星野流人さん、その他スペシャルサンクスの人々、マジでありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

ハシリドコロの大喜利、To be Continued... (2期決定)

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