大喜利登竜門感想

 4月22日に大喜利登竜門というbigiriの突貫企画がとけつだいこんによって開催されました


 匿名で投稿された回答の一部に対し、事前に指定された採点者が「自分はこの回答に投票しない」と思った理由をコメントするという、わりと実験的で世知辛い企画でした。
 僕はとけつだいこんとズブズブなこともあって採点者に選ばれ、それなりにコメントもつけた上であとから感想も話したのですが、まだ言葉足らずな部分や、後から思い返して新たに気づいたことがわりとあり、同意の上とはいえ多くの人を巻き込んだ企画ではあったので、自分が思っていることなどをちゃんと文章にしたほうが良いかも!と思い、書いています。

総論→お題1たくさん→お題2すこし→まとめ という流れで書いていきます

総論:そもそも

 大喜利登竜門の感想を見ていると、中には「勉強になりました」とか「食らった」とかそういう意見があります。これは今回のような「他人の回答に文句がつけられる企画」が最近開催されていなかったこと、コメントがある程度丁寧だったこと、などを反映していて、企画が成功したことを意味していると思います。でもそうだからこそちょっと不安なこともあり、別に自分が心配することではないのですが、採点者をしたこともあって自分の考えを書いておこうと思います。

 「採点者の考えを見たら自分の回答はダメだったとわかった」と思っている人がいそうだとなんとなく感じていて、ここからはそういう人に対しての話になります。まず、そもそもコメントをしていた採点者たちはそれぞれ一人の大喜利プレイヤーに過ぎず、採点者たちの中で見解が統一されているわけでもなく、権威というほど確かな存在ではないということは(もともとそう考えていない人にとっては言われたくないほど当たり前のことですが)考慮に入れておいてほしいです。特に今回の企画は「採点者が自分は票を入れないと思った回答にコメントする」という企画で、もし採点者の中で意見が割れるような回答があった時は否定的なコメントだけが付きやすい仕組みになっています。辛口なコメントがついていても他の採点者には面白いと思われていたり、たとえ採点者全員から面白くないと思われていてもそれ以外の人から面白いと思われている可能性は残っているので、自分がした回答について考えるときはその点を考慮に入れておくのが適切だと感じます。

 話題の間を補完する文を書かずにいきなり例を出しますが、「"校長先生→話が長い"というのはつまらない」と「"校長先生→話が長い"というのは面白い」というような感覚の違いがあったとき、
①なにを面白いと感じるかの感覚の違いに序列が成立するかどうか
②その序列が成立するとして、その序列は重視する価値があるかどうか
の2点について、それぞれ懐疑的に考えても良いと思います。
 少し説明すると、いい成績を残している人が面白い(つまんない)と思っていることについて、別の人がつまんない(面白い)と思っていたとき、その感覚の違いが、大喜利の強さとか理解度といった序列がつけられる属性とは関係なく、本当に単なる個人の好みとしか言えない部分にあるかもしれない、というのが①です。
 感覚の違いが大喜利の理解度とかセンス(センス?)とか知識とか上下を付けられるパラメータに依るものだった場合、パラメータが高い人が面白いと思っていることの方が優れた感覚のように思うかもしれませんが、別にパラメータが高いからってなんなんだよ、と開き直るのが②です。

 僕は個人的に「人がなぜその回答を面白い/面白くないと思ったか」や「誰がどういう回答に投票しているか」、「どういう回答が上位を取っているか」に興味があり、それらについての考えを知ったり意見を交換したりする場は有意義で楽しいと思ってはいます。が、それと同時に「基本的にはみんなに”自分が面白いと思う回答”を出してほしい」という思いがかなり強く、たくさんいる大喜利プレイヤーがそれぞれその人らしい回答を出して様々な回答が並んでいる環境がとても好きなので、あなたの回答に対する意見を、たとえそれが実績を残している人からの意見だろうと、必ずしもきちんと受け止めて言うことを聞く必要はないと思っています。
 回答に対する他者の視点を獲得することによって高まっていくなにかも必ず存在すると思いますが、各々自分の意志で取捨選択や重みの調節をおこなっていい塩梅で消化吸収していってほしいというのが、僕の個人的なお願いになります。


 ここからは大喜利登竜門で出た回答を見ながら思ったことや普段考えていることを書いていきます。全てを丁寧に言語化せず、適当な言葉に自分の感覚を乗っけた気持ちになって投げつけている部分もありますが、それでも総合的には割と丁寧に伝わるように書いているつもりです。




世界一の校長先生を決める大会で最下位になった校長先生の特徴

 世界大会がいい!ととけつだいこんに要求し、他の人のお題案とも合わさってこのお題になったようです。世界大会を要求した理由は「実在の国や地方をいじる」回答が出そうでそれが見たかったからだったのですが、校長先生との組み合わせの問題か、「世界一」であることはあまり重視されていなかったように思います(全然それで問題ないと思います)

各回答への評価としての「面白い」「面白くない」は「ハシリドコロは面白いと思う」「ハシリドコロは面白いと思わない」に読み替えてください。文体変えます。


69位 酒鮭
ハゲを恥ずかしがっている

 この回答は今見ると「校長先生はハゲてても偉そう」→「最下位は校長先生なのに恥ずかしがっている」という経路で作られた回答なのかも。採点時は単純に「校長先生→ハゲ」+「ハゲに対する何らかの動き」という作られ方の回答だと思って流していた気がする。解釈が変わったところで評価はあまり変わらないです。


68位 有識者
校長という役職を教頭や主任、只の教育実習生などの中でも1番低い役職にした。

 長い・漢字が多い・伝わりやすさがない・悪さが詰め込まれている、など、コメントではかなり酷評だったけれど、自分は逆にそういうひっかかりがちょっと面白いのでこういうのも別にいいんじゃない?と思う。もしきちんと伝えたいボケの核みたいなのがあってそれを書き方が邪魔しているとかなら書き方を変えたほうが良いと感じるけれど、この回答はむしろボケ方自体が全然大したことなくて無味無臭に近いので、書き方の変さの方にフォーカスしたい回答に思えた。(自分はこの回答を見た時に書き方の変さにフォーカスした。)

 漢字が多いとか文章が長いとかの理由で伝わりにくい回答について、確かに回答がたくさん並んでいるときは一目見て内容が入ってこないとスルーされてしまったり、長めの回答は読むときに体力が削がれて面白く感じにくくなってしまったりするだろうけど、回答ひとつにしっかり時間をかけられるような状況では、「その回答が読みやすいかどうか」は面白さの強い基準というよりは、好みの問題の領域に回収される要素だと思う。
 もちろん通常と違う書き方をすればニュアンスの変化や普通と違うことに対するひっかかりが生じるけれど、それがどう作用するかは他の諸々との組み合わせで決まると思う。「何を通常と違うと感じるか」は当然人によって違っていて、みんなの多様な感覚の総体として「大喜利ではこの範囲のものが普通・ウケやすい」など価値観のお手本みたいなものが自動的に作り上げられるけれど、それの一端を既に背負っている個人がそこにさらに自分を寄せていく必要性は必ずしもないと思う。ボリュームゾーンの感覚に配慮して合わせていくことは「みんなを面白がらせたい」という欲求から生まれる自然な選択だろうしそもそも悪いことではないしその方が点も取りやすいだろうけれど、自分自身の価値観を発表する部分もみんなには持ち合わせていてほしいと個人的に思っている。そういう部分から生まれる回答の中には、多くの人が面白がる上に新鮮でもある、傑作みたいなものが含まれていると思う。
 あと漢字の読みにくさについてはとけつだいこんが放送で「例えば教育実習生とか5文字漢字が連続してるんで読みづらいなってなったらここを別の言い方にできないかみたいなところで自分は考えたりしますねえ」って言ってたけど、これはさすがに配慮というよりこだわりの領域だと思う。複数の単語をまたいで漢字が連続しているならともかく。


67位 秘匿のパン
ギャグがことごとくスベる

 Hsが「朝礼でとかもっと場面設定を分かりやすくしてほしいです」とコメントしていて、たしかに「朝礼でのギャグがことごとくスベる」の方が点を取れそうな形には見えるけれど、実際並べて見たり単発で出てきたときに回答の面白さが増してるか?と言われるとほぼ変わらないように思う。「朝礼で」とか校長先生に足しても解像度は上がるけれど情報量はほぼ増えない言葉を付け足すんじゃなくて、もっと別の設定を追加して、そのシチュエーション自体が面白かったり「そのシチュエーションでの校長先生」とか「そのシチュエーションでギャグでスベっていること」に更なる意味が生まれるような場面が作れたら面白くなりうるとは思う。
 ただ、たぶんそもそもHs(採点者の人たち)には「大喜利初心者が点を取れるようになるような実践的なアドバイスをする」という意図があって、その上でのコメントだと思うので、そういう視点で見ると、「場面設定+主体+動作」をそれぞれ意識して吟味するようにというアドバイスは点を取る上にも面白くするためにも有効だと思うし、「場面設定をわかりやすくする、など気を付けられるポイントがたくさんあるんだな!」というように何でもいいから新しい気付きを与えることは、その人がレベルアップすることにもつながるはず。


66位 斜め延髄斬り
車椅子の転校生を跳び箱の前に座らせて長話をした

 なんかハマったら面白く思いうる回答に感じたけれど自分には実際ハマらなかった。やっていることが校長先生として面白いことではないからかもしれない。


65位 旨味とは
お付きの生徒会長にたばこを預けてる

 ありそうな小さな動作を拾ってくるというのは回答の1ジャンルとして成立していると思っていて、これもまあそれだと思う。自分としては、預けるものとしてたばこは中途半端に感じたのと、「お付きの生徒会長」の部分のユーモア感が回答全体を見た時にノイズだった。


64位 オレ
同時開催のプールサイド全力疾走大会で、初出場ながら準優勝した

 大会のお題で別の大会を持ち出すようなことで自分にとってなじみ深いのは、「"~~なおじいさん"というお題に対して”~~なおばあさんもいる”という回答を出す」というやり方で、大喜利プラスという3分大喜利のサイトをよくやっていたときにそれなりの頻度で見た。お題の制約を守り切らないけれどお題に沿ってるみたいにはなるので考えやすいし、制約からある程度離れられるので他の人とも被りにくくなるし、手法として流行っていなければ答え方の角度の時点で他との違いを作れるけれど、インスタントな手法をあてはめるだけでは形式がマンネリになってしまうと思う。あなたが自分で持ち出してきた属性付きおばあさんや同時主催の大会が元のお題に立ち返って考えた時に実際面白いですかというのが結局は重要で、この回答については完全にマンネリとも思わないけれど特筆すべき面白さにはなっていないと感じた。

 「別の要素を足すのって自分も投票者も混乱しません?」については「別に混乱はしないですが、、、」と思った。もしかしたら混乱する人もいるかもしれないからわかんないけど、自分としてはこの話題に限らず配慮系の話については「配慮も行き過ぎると相手をバカにしているみたいにならないか?」という感想を持つことが多い。まあでもこの回答は別の大会を足しているだけじゃなくて準優勝とか初出場とかが登場していて、全体的にごちゃごちゃして感じるのを混乱と表しているのかも。


63位 こ
給食の時間になるまでずっとソワソワしてる

 「心理描写のためにソワソワなどのワードを使うのは安易、どうソワソワしてるのかを具体的に書いた方が良い、ソワソワを使うなら、あり得ないことでソワソワしてるという様にした方がいい」という神テクのコメントに、いいね!と思った。このコメント通りにしたら回答がより面白くなる方向に向かうと思うし、回答した人に(この時は)無かった視点だと思うし、これがベストコメントかも。

 「かわいげのある回答よりかは悪行のがいいと思います」というコメントについてはあんまりうーんだった。たしかに悪行の方が今一般的にウケやすいと思うけれど、(特にこのお題では)1:9とかで悪行がかわいげに勝ってるわけではないと思うし、この先どうなるかまだ決まっていない最初の方向性の時点でかわいげを切り捨てる必要はなくて、もうちょっと具体性が出てからどうこうする部分だと個人的には思った。ちょっとでもウケやすい方を機械的に貪欲に選択していったからといってその回答や大喜利全体が面白くなるわけではないと思うし、そもそも回答がウケやすくなる効能もそこまでないと思う。


62位 あ))
輪ゴムの持ち方に一発でもらった目で生きてる認定された

 意味が通らない回答をどう思うかやどう扱うべきかは、議論の争点として伝統があってこの先もそうそう廃れない議題だと思う。自分としては、意味が分からなくてもその上で雰囲気とか語感で面白いと思えるものなら面白いでいいと考えている。全体を通して一貫した意味がなくても局所的には意味があったり、その局所的な意味のパッチワークが面白かったり、といったことも実際あり得ると思うし、意味が通らない(と感じる)回答を無理に拾う必要はないけれど、切り捨てる必要もないんじゃない、と思う。

コメントで「「認定した」名詞が「持ち方」なのは日本語として成立していない」と言われているけれど、この回答は
「輪ゴムの持ち方に一発でもらった目」で 生きてる認定 された
の方が自然な解釈で
一発目にもらった目 で 輪ゴムの持ち方 に 生きてる認定された
=輪ゴムの持ち方が(校長先生を)一発目にもらった目で生きてる認定した
という意味ではないだろうな(というか成立のことを考えるなら日本語として成立する読み方があるときに日本語として成立しない読み方は採用されない)とは思うけれど、こういう誤読が生じてしまうのも、文章の意味が取れないところ、具体的な光景を示さずに言葉の並びとしてしか成立しない(しにくい)ところ、が原因だとは思う。
 あと採点者も大変で、20分の制限時間内に全回答をちゃんと見て回答を選んだ上でそれについて思うことをいろんなことに配慮しながら言語化して頑張って文字を打たないといけなくて、そういう背景を考えると多義性を持ちうる文の解釈の勘違いが生じてしまうの避けられないことだと思うし、この回答だけじゃなくて他の回答も含めて採点者がコメントで多少変なことを言っていても、大目に見るのが妥当だと思います。


61位 とらすと
時間という概念を知らない

 「内容自体と、特に「という概念」の部分から「概念を持ち出してボケてますよ」ってしつこさと不慣れさを感じてしまって嫌だった。「時間を知らない」だったらいいかと言われるとそれはそれで微妙だけどまだマシかなあ。そもそもありきたりに見える上で、文章の長さに対する意味の密度が薄い」「これ 校長先生→話が長い を捻ったボケだという認識です」、とコメントした通り。他の採点者のコメントを見たら「校長先生→話が長い」を前提にしている雰囲気が感じられなくて、自分が余計な解釈を乗っけてしまっている可能性あるかも、と思った。
 こんな感じでボケの作り方を勝手に無理やり紐解いてしまうことがいいのか悪いのかはそれなりに議論できる話題だと思うけれど、自分も(みんなも)回答を読んで頑張って考えて探して紐解いているのではなく、回答を読んだときに感覚的に思うものなので、もしあんま良くないって話になったとしても、変えようとしてすぐ変えられるものではないだろうなあ、と思っている。


60位 匿名希望
バンポーブチキンの親という嘘

 バンプオブチキン(BUNP OF CHICKEN)をバンポーブチキンとしていることについて、自分は「BUNP OF CHICKENの親」より「バンポーブチキンの親」って言ってる方が「BUNP OF CHICKENを全然知らないけれど名前を耳にしたことはある」人がとっさについた嘘という意味が追加されて回答が強調されると思うので、この回答はBUNP OF CHICKENじゃなくてバンポーブチキンにすることにかなり意味(意図)があると思った。そういう小賢しいのが邪魔という意見もあるかもしれないけど、この回答に関してはそれを邪魔扱いして取り除いたら残るものがあまりないと思うので、伝わりにくさとかも考慮に入れた上でなんであれバンポーブチキン→バンプオブチキン(BUNP OF CHICKEN)という変更はしないほうが良いように自分は思う。


59位 コーポ、落雷
ルールを難易度で分けてる

 「ルール」という単語をこの回答で最初に見た時、自分は校長の権力者としての側面に考えが行ったので、ルールというのは大会のルールではなく校則のことか?と思った。でも絶対そうだろとまでは思わない。
こういう意味をはっきり取らせず言葉足らずで言いっぱなしの回答は、
①同じ内容を伝えるなら少ない言葉で伝わる方が面白い
②いろんな面白い解釈がそれぞれ生まれて面白い
③言いっぱなしなこと自体やその雰囲気が面白い
と3つ面白くなるポイントが存在すると自分は思っていて、①はだいたいみんな同じこと思っているだろうから話すことはほとんどないけれど、②と③は議題だと思う。
議題として根深くて解決どころか話が進んだところを見たことないし自分も自分の個人的感覚以上のことはあまり言えないので個人的感覚を言うと、②は肯定も否定もせず今は割とどうでもよくて、③は結構大事にしている。


58位 電気病院さん
机の下でチェリーブロッサムを刺し貫かんとしている

何言ってんだってなって面白かった。これもさっき言った③みたいなところがあるかも。コメント欄でも言われてるけど、自分も個人的に「貫かん」が邪魔な印象があって、「貫こう」の方が全体の印象がブレなくて好きかも。「刺し貫かん」より「刺し貫こう」のほうが「刺し貫く」という言葉がここにあることの異質さを引き立てると思う。

 「木曜屋さん一番言葉キツい割になんの内容もなくて怖いです」「言葉きついですか?」という応酬について、今から言うことはふざけて言っているだけなんだけど、これは文の内容だけではなく言い方みたいなところでミスコミュニケーションが生じていたというやり取りだけど、27位の回答についた「木曜屋さんどういうことですかしか言ってないですね」というコメントについてもミスコミュニケーションの可能性を考慮すると、これも文字通り木曜屋さんが「どういうことですか」しか言っていないと思った人が気づいたことを言っただけで文句や攻撃じゃない可能性もゼロとは言い切れなくて、もし仮に単なるミスコミュニケーションでお互い傷ついてたら悲しいね。


57位 抹茶
校庭に咲く一輪の花を踏み潰した

 今までさんざん回答を無理やり分解してきた口で言うのは変かもしれないけれど、逆にこの回答はよくある「花壇を踏み荒らす」から来てるとは思わなかった。これ単なる逆張りか?花壇を踏み荒らすのと一輪の花を踏み荒らすので光景としての印象が違っていて、「一輪→花壇」と大げさにするのではなく「花壇→一輪」と小さくしていたので回答改変痕跡センサーに引っかからなかったんだと思う。「校庭の真ん中に咲く一輪の花を踏み潰した」みたいな感じの印象を受けていた。

 「一輪より花壇踏み潰したほうが悪だと思います」について、花壇の方が悪度が高かったとして一輪より花壇の方がいいかというと自分はそうは思わなくて、善悪とか強弱とかそういう程度は必ずしも極端なのが一番面白いわけではなく、ましてや程度が大きくなればなるほど面白いというわけではなく、ちょうどいいラインみたいなものが存在することがある場合が多くて、なにが良いかは回答の他の部分とかお題とか他の回答によって変わってくるものだと思う。

 ベタについて。「花を踏む」がベタなのはまあそうだと思うけど、ちょっと広げて、悪い事として「何かを踏む」こと自体がそもそもベタと言おうと思えば言えると思う。それでも自分含め多くの人はじゃあ何を踏むかということによって感じる面白さが変わってくるものだと思う。こういうことに目を向ける人が増えるとどんどん価値観が先鋭化する人や逆にスタート地点に戻って頑として動かなくなる人が現れるようになり、そういう出来事を離れたところから見たら現象としてかなり面白いと思う。
 これは「花を踏む」だけではなくベタとされているものに共通して言えることだけれど、もしベタだとしてもそれを含んでいたら絶対ダメとするのはあんまりよくないと自分は思っていて、お題を見て回答を見た時に面白ければ、それが機械的にベタだと判定できるものだとしても面白いと評価するという意志を自分の中に確保しておいた方が界隈としても個人としてもいい感じになると思う。たとえば「花を踏む」を含んだ回答でも「校庭の真ん中に咲いている一輪のシャクヤクを体重計に乗るみたいに踏んだ」だったとしたら、ベタな要素はわかった上でそれでも面白いと自分は感じる。

56位 あーし
校長になった日から今日だけと思って高い肉を買っている

 「お題の「最下位」に負けないぐらいの悪さがない」について、別に最下位に負けないぐらいの悪さが必要なわけじゃなくて、ここまで出てきた回答や上位の回答にも最下位に負けない悪さがないものはたくさんあるし、悪さが足りないというよりは「悪さの程度がちょうどよいところにない」と言いたいのだろうと勝手に思っている。「最下位になった校長先生の特徴」というお題に対しては「最下位になるだろうと納得できる特徴を書く」という回答の仕方もあれば、「こんなことが原因で最下位になっていたら面白いという特徴を書く」という方法もあるし、「最下位になった校長がこんな特徴も持ち合わせていたら面白いという特徴を書く」という方法だってあると思う。「お題に沿うか裏切るか」も議題になりがちだけど、お題に沿うことの難易度が高いか低いかで沿うことへの評価が変化し、他の回答がどうしているかも評価に関係してくる、という認識でいる。

 「べつにしてもいいでしょ」について、詳しいことは2つ目のお題の方で書くけれど、「それがしてもいいことかダメなことか」だけではなくて「回答した人が別にいいこととして書いてそうか本当にダメなこととして書いてそうか」が効いてくると思う。この回答について自分は「ちょっと嫌なこと」をあるあるを交えて詳細に描写しようとしたボケだと思ったので、「なんでダメなんだよしてもいいでしょ」とは別に思わなかった。


55位 犬犬
校章を私の顔にしたところですが

 「学校固有の創作物+意外なもの+校長の自己顕示欲」という回答の作りは、10位として出てくる「校歌に自分のラップパートがある」とかなり同じになっている。これ本番にちゃんと気づいて指摘したかった。

 この回答はちょっと違うけれど、回答中に創作物を登場させることで非現実感をあまり生じさせずお題から離れて自由にボケられるテクニックがあると思っていて、たとえば「○○が××しているポスターが貼ってあった」というようなことをすればお題から外れない形で剛腕を振り回しやすくなる。自分はそういう回答は結局その剛腕が面白いかどうかで評価することが多い。というかそもそも基本的にどんな回答に対してもいろいろ考えようと思えば考えられるけれど、採点するときは「自分が感覚の部分にまで落とし込んで直感的に評価できる価値観によって面白いかどうかを評価する」という、結局は「面白いと感じるかどうか」というかなりシンプルなやり方を採用している。

 Hsの「言動の途中まで書くのはお題への回答と少しズレてる気がしました 校章を自分の顔にした の方がお題を受け止めてる気がしませんか?」というコメントについて、自分は少しズレてるけど別に少しズレててもいい(というか回答者もわざとやってる)と思った。お題への回答のズレで言うと「理由を問うお題への回答を「~から」で締めない」とか「文末に句点を打たない」ことが敬遠されていた時代も大昔はあったらしいけど、自分は共感できない。まあでもこの例示は冗談で、Hsはそういうことを言いたいのではなくて、状況を答えさせるお題で場面の中にいる人のセリフで答えることとかはよくあると認識している上で、特徴を答えるお題でセリフの途中まで書くのは効果的な効果を生まない、と言いたいんだと思う。
 意味が取れれば文末はズレていても基本的にどうでもいいからやりたいようにやればよくて、でも変に外すとむしろあえて狙っている感じがしゃらくさかったりミスマッチだったりするので、答え方の形式はお題の問い方を気にした上で必要に応じて介入するべきポイントだと自分は認識している。


54位 ロイト
背が132センチ

 手抜きとシンプル(とスカシ)の違いを回答から判断するのは結構難しい話だと思う。大喜利をやっててある程度ちゃんと向き合ってると雑な回答に嫌な気持ちになる瞬間があると思うし、これはベタなことをずっと言ってる人への反感みたいなのともある程度同源だと思う。でもある人がこれこそ至高!とかこのシンプルさで刺す!と思ってあえてその回答を出したのか、それとも雑に適当に出したのかは、回答見るだけじゃ確かなことはわかんないよねえと思う。ただ今回は「大喜利初心者が回答する」みたいな構造があらかじめ設定されていたので、採点者として「これはあえてやってるのかもしれないな」とは思いにくく、未熟そうなところがあったら飛びついてしまいやすい環境だったと感じる。
 この回答自体については、132センチってないとは言い切れないがそれでも非現実的に小さいし、身長でシンプルにボケるならいい感じの大きさだと自分は思った。

 木曜屋さんの「132センチだと何がダメなのでしょうか」は最下位性の少なさを単純に指摘しているだけだと思うけど、読み方によっては低身長をバカにすることへの批判にも読めてちょっと異質で自分で勝手に面白かった。チビハゲデブブス黒人ユダヤ人部落民女キチガイなど、現代で公的にやるにはポリティカルコレクトネスに引っかかってしまうような要素を大喜利でどうするかについて、そこまで多くを語ることはしないけれどざっくり自分の素朴な気持ちの中でそこまで当たり障りのないことを言うと、「本当に完全なポリコレの導入ならまあいいけど(そんなの存在する?)現状のポジション争いの武器として使われてるポリコレの介入はまっぴらごめんだぜ」と思っている


53位 バス屋
一番、リハーサル通りだった。校長は何も準備しないでほしい

 状況に対してツッコんだり感想や意見を言ったりと回答者自身が回答に登場するボケだ!と久しぶりに思った。ネタボケで一時期かなりこの形式が流行っていた気がする。「~~で、ヤバすぎると思った」「~~していたけど、○○なら××だろ」とかそういうの。こういう回答の効果はお笑いにおけるツッコミと多分同じで、「~~」の部分に対して抱く感想を固定してそこで共感させることができるから、結果的に面白く感じやすくなるんだと思う。「~~」の部分だけだと意味が伝わらない人に対して、その意味をツッコミとして説明することで解釈の介護みたいなことができる効果もありそう。この形式も極まって「~~していて面白い」とかまでになると「面白い」という感想を固定しにかかっているので、後半を無視して~~の部分でフラットに判断するか、卑怯であさましいと感じるか、卑怯すぎて面白いと感じるか、など対応が人によって分かれると思う。
 この形式だと状況の部分と感想の部分のギャップがちょうどいいときに一番面白くなると思う。この回答についてはもうちょっとギャップがあってこちらがある程度は裏切られるような感想だった方が自分は面白く感じる。


52位 にゃんにゃんポリス
無駄に広い校長室

 採点していてスカシかと思った。コメントしている採点者はあまりスカシ扱いしていなさそう。前述の通り評価コメントする企画という都合上スカシ判定せずマジレスしやすくなってしまう状況ではあるが、自分もそれを補正しようと無意識にやりすぎて逆に振り切ってしまっているかもしれなくて、実際どういう意図だったかはわからない。回答の形式については55位のところでも書いたけれど、この回答についてはこの答え方が良いと自分は感じていて、「校長室が無駄に広い」ではなく「無駄に広い校長室」と答えることで物のイメージだけをぶん投げてきている感じの異質さが出てそれが効果的に働いていると思った。形式だけ整えた「校長室が無駄に広い」よりかは「無駄に広い校長室」のほうが引っかかりがあって面白いと思う。


51位 保
半濁点使い

 別に全く想像できないとかではないがこれだ!というイメージが定まらないタイプの「意味が分からない回答」で、かわいくて変だった。自分にはそこまでハマらなかったが、ハマる人にはハマるものを出す!というのも大喜利や面白さに対して誠実なスタイルの一つとして確立・認知されていいと思う。


50位 本日のハイスクール
その年初めて実ったみかんを、躊躇いなく食べる

 躊躇いと書くかためらいと書くかなどの漢字ひらがな問題について、その人が「躊躇い」だと感じているなら無理に開く必要はないと思うし、そうでなくても意図的に漢字にしたいなら漢字にしていいと思う。この回答についてはどっちでも自分にとっての面白さは変わらなくて、まあそれなら読めない人や漢字が嫌いな人のためにひらがなにした方が人々からの回答の評価は上がりそうだけど、評価を気にせずこだわることによってしか到達できない地点もあると自分は考えているので、回答者の損得を考えてもどっちでもいいと思う。

 回答者がコメントで批判がほしいと言っていたので回答を見て考えたことを言う。2問目の2位だったマジックの回答にやり方や形式は似ているけれど全体として1ランク落ちてるような印象を持った。「その年初めて実った」が実はそこまで強くないかもなのと、最後が「食べる」だと動作が面白くなりにくいのかも。


49位 ドトール
ドーピングをしてフィリピンに児童ポルノの売春に行っていた

 コメントで指摘されてる変なところ、普通はそんなことしないから、これだけたくさん重なってると逆にちょっと面白いかもと思ってしまっていた。
 「大喜利の回答」自体を前提にしてそこからの変化で面白くしていく行為も議題で、内輪の自己満足性が高くなってしまうとか、文脈から切り離して面白くないものは本当に面白いわけではないんじゃないかとか、そういう理由で「大喜利の回答」自体を前提にした面白を忌避する気持ちもわかるし、自分の中にそういう部分がないわけではないけれど、でもスカシで笑えるというのは日常的で自然な反応で、笑えるのに笑わないのも不自然だし、内輪でも文脈ありきでも実際自分が面白いとか凄いとか感じられたらいいじゃん、と思い、忌避することなく自然な受け止め方するというのを自分の中での結論にしている。実際は回答が出される場の雰囲気とか自分がどういう気持ちで取り組んでいるかによって面白いと思えるかどうかが変わるので、スカシなど際どいものへの対応は一貫してはいない。

 回答の意図と違うところで笑うということについても、少し議論の道筋は違うけれど、上述のものとほぼ同じ結論で、結局全部込みで自分が面白いと思えるかどうかを重視して評価している。


48位 テレビ朝日
錆びたノコギリを捨てている

 具体的描写がたまたま琴線に触れないだけでこういうボケ方で面白いと感じるものはあるなあ、と思う。


47位 匿名
生徒を番号で呼んだ

 流石に狙っていると思った。自分が経験してきたネット大喜利においては「これのLサイズください」とか「ここからでも入れる保険」とかよりよっぽどだと思う。
 こういう回答が露骨さを失わないまま増え続けたら大喜利登竜門が成り立たなくなるから、ちゃんとガチで回答するか巧妙さを増すかなどなどみんないい感じにやっていってほしい。


46位 えーたー
ヘルメット被って「幸せです」と言った

 滑稽だしちょっとキショいと言えばキショいしこれで大会の最下位になることを含めてけっこう面白いと思った。
 この書き方の形式は一定のやり口と言えばやり口だけど、やり口をやって実際に回答を面白くできるかどうかはお題と照らし合わせた上での具体的穴埋めにかかっているから、自分は短期間で似たようなのを複数回見たり並んでいたりしない限りあんまりありがちだと思わない。


​45位 勘定
鳩にポテチ撒いてる

 鳩にポテチ撒く行為をジジイあるあるのなんでもないこととしているのかジジイあるあるのダメなこととしてるのかわからなかったけれど、かといって回答にコメントしようとも特に面白いとも思わなかったので本番スルーでした。今もほぼスルーだ。

 こういうスルーのやつにコメントするのも難しいし書くのも結構な手間だということに気づいてきたのでこれ以降特にハッキリ言うことがなかったりすでに言った事と同じようなことしか言うことがない場合はその回答をスキップすることにします。


43位 ケチャップ
じょうろの穴を未だに疑ってる

 小さいことを描写する回答だけど、これは48位の「錆びたノコギリを捨てている」と違って普通はしない動作の回答で、少し別のジャンルだと認識している。さんざんジャンルとかやり口とか言っているけれど、別にそういうものに自分の中で分類されたからと言って、結局お題と照らし合わせて面白かったら面白いしそうじゃなかったら票を入れないのは変わらない。ただ「今まで見たことなくて面白い!」という理由で票を入れられる可能性がないだけ。


42位 けつサーモン
保健体育の授業で精子のサンプルが必要と言われたのでまことちゃんを見に行った

 「なぜまことちゃんなのでしょうか」について、自分はなぜかはわからないけれど別に理由なんてなくてもいいだろ、と思っている。お題に対する必然性みたいなのがないと何でもありになってしまうけれど、別に何でもありでいいと思う。
 精子について、下ネタとか残虐性とか差別とかを含む回答は議題で、制度としてのポリコレではなく直接関連する人たちの気持ちに基づいて話を進めると、面白いと思う人もいれば不快に思う人もいて、こんな中身のない当たり障りのないことを言っていることからもわかる通り、これは難しい程度問題だと思う。大喜利に限らず、難しい程度問題には何が絶対に正しいとかはなく、いろいろな程度に基準を持つ人たちがたくさんいて、全部を合わせた結果いい感じのところでボヤっと線引きされ、線のむこうとこちらに質的に大きな違いはないがそこに線を引くことになっている、という感じで落ち着いていることが事実上ほとんどで、それを破壊して質的な線引きを導入したところで結果良くなるかと言われるとそんな都合よくうまくいくものは少ないが、線を放置すると割を食う人もいるのは確かで、どうやっても基本上手くいかないが、今よりちょっとでも改善するように努力する姿勢を否定するもんじゃない、という認識でいます。

 人を不快にさせるとかとはまた別で、下ネタや固有名詞や言い方ふざけはしない/おもしろくない という大喜利観は結構色んな所で見つける。大喜利固有の性質から離れた面白さを容認すると他のコンテンツと比較したときの優位性がなくなったりゲーム性が悪化したりしてみんなうれしくないのに、飛び道具を使ってコミュニティを下げて自分だけ上がろうとするのは卑怯だ、という感覚なのだと勝手に想像している。


41位 シト
まだ教頭先生の匂いがする

 校長なりたてを捻っていて、方向としては面白くなりうると思うけれど、「匂いがする」よりももっと見たことない、あり得なくて鮮やかなイメージを想起させるようなもののほうが面白いし票も取りやすいと思った。

 比喩表現を比喩じゃなく現実に引きずりおろすみたいな種類の回答って時々あるよね、と思うけど、そういう形式の回答の穴埋めの部分に入れられるものが大喜利の回答として珍しいものが多い気がしてるから、マンネリどころかむしろたくさん見たいかも。


40位 ゆうき
朝ドラをリアタイで見たいから学校に遅れる

 回答に対する感想は「校長先生の立場でやったら面白い事→子供がやること というボケ方自体はありがちで、その上で具体的な内容がそこまでおかしくもなく、お題に立ち返って考えた時に面白くなるということも別にないかなあ」、とコメントした通り。「時間という概念を知らない」と同じで勝手にボケの作り方を逆算してしまった。別に逆算可能だから面白くないと思っているわけではなく、逆算可能だったとしてもお題に対して面白いと感じたら面白いと感じることにしている(?)けれど、この回答はそこまでいかなかった。生徒がする行動の中で「学校に遅れる」を選んでしまうと校長先生の普段の動作に回収されてしまい、回答の逆性(逆性?)とかインパクトが減少してそう、と思った。


35位 参考書を買い忘れた
話続けて春が訪れた

 基本的には「校長先生→話が長い に誇張を組み合わせているけれど、ありがちな要素に対して組み合わせるなら誇張の部分があんまり見たことないやつじゃないと陳腐に感じるかも。陳腐っぽいときはバカバカしいやつだったらまだいいけどエモい感じにボケようとしていると陳腐さがさらに増して感じる」、とコメントした通り。バカバカしいと陳腐さをそこまで感じないのはあまりそういう回答を見ないからであって、「バカバカしければ陳腐じゃないんでしょ」というモチベで作られたバカバカしいベタ回答をたくさん見るようになったらベタで陳腐だと感じるようになるかも。


33位 lolipop
玄関で上履きをパスしてた

 これ採点をしたときになぜかパスを「投げて渡す」ではなく「またぎ越す」の意味で解釈して変で面白い回答だと思っていたが、今見たらさすがに投げて渡す方だった。
 投げて渡すとわかった上で考えると40位の朝ドラの回答と大枠の作りは同じだけど、普通の校長先生からの離れ具合や動作自体の絵としての面白さがこの回答の方が上で、全体としてもこっちの方が面白いと思った。


31位 スペイン牛祭り
真っ二つのスポーツカーで来て、コッペパンを食べて怒って帰った

 胃もたれボケだけどちゃんと胃もたれする回答は好きだからこれも割と面白いと思った。「怒って帰った」が胃もたれにしては気合入ってない感じがするのでここ変えたらもうちょっといけるかも?とも思う。


30位 ガチの電気屋さん
ドリブルで全教科の先生を抜いていって満場一致でサッカー選手になった

 今見てみるとコメントに書いたことよりも「ある動作をしたらその職業に認定される」というボケ方に対する漠然とした既視感、もっと言えばトムとジェリー空間の「足を支えるものがなくても気づくまでは落ちない」みたいな、認識によって現実が都合よく改変される感じかつチープな感じに対する既視感と陳腐さ、みたいな部分でひっかかるのかも。なんでこんなにこの回答に悪い意味で引っかかるのか自分でもあんまり解明できていない。なんにせよ「満場一致で」とか表現部分には結構変更の余地が残されていそうで、より票を集めたり面白くしたりできそうな雰囲気を感じる。


25位 浜田松本
卒業証書を渡す時にボソッと「おめでとう」と言ってるのかと思ったら「お米でどう?」って言ってる

 ダラダラ書いてボケまで引っ張ってるからなありがちな面白どころにつなげてくるのかと予感していたら、「お米でどう?」とかいう全然うまいことも言ってない少しかすってるだけの言葉が出てきて、肩透かしで意外と面白かった。


22位 スライス侍
自然が止むのも待った

 「話し声が自然に止むのを待つだけではなく」、自然が止むのも待った だと理解した。「話し声が自然に止むのを待つ」はこの回答を見ただけで想起されるという前提で、しかも「自然に止む」に対して「自然が止む」という自然の用法が違う違和感のあるフレーズが出てきて、短いながら引っかかりが大きくて面白いと思った。
 あと「自然が止むの"を"待った」ではなく「自然が止むの"も"待った」にしたことで意味が増えていて意味の密度が上がるのでこういうのは結構面白いと思っている。坂本ラインと呼ばれていた回答の一部はこれで、こういうのを見ても革新的とは思わないけれど、面白いやつはおもしろい(とくに多くの回答の中で異質だとより面白く感じやすい)と思う。

 「話し声が自然に止むのを待つ」がベタなのはそうなんだけど、ベタなのはわかってるよと言わんばかりの回答なのでその点は全く気にならない。


21位 脳髄
審査員室を手ブラで訪問

 お題に立ち返って面白いかどうかを考える時に、人が面白い動作をしていればとりあえずある程度は面白くなる、と自分は経験則的に思っていて、そうなるとジェスチャーのあるボケばかりに投票することにもなっていくけれどそれはやりたいことの直感に反するので、こういうボケを見るとちょっと心が迷うことがある。


14位 腐女子
ロケットの先っぽで昆虫とキスしている

 「かなり個人的な感覚だけど、昆虫の種類を明示しないと絵がちゃんと浮かばなくて(あてはめる昆虫の種類によって描写から感じる印象がかわってくるからボケに対する印象が上手く形成されなくて)あんまりおもしろいと感じないかも。(ボヤかしてる方が面白いこともあるので必ずこういうわけじゃないけど、キスで昆虫だと自分は今回みたいに思う)」、とコメントした通り。時々回答に出てくる「アフリカ」とかもちょっと同じで、自分がそれなりの解像度を持っているものを雑に処理されると、共感できなかったり単に嫌だったりする場合がある。
 これは完全に個人の細かな好き嫌い話なので、別にみんなが自分自身の基準で物事を雑に括って回答していいとも思っている。


10位 自転車
校歌に自分のラップパートがある

 「「学校→校歌」の順当な発想と「校歌→ラップパート」のありがちな裏切りが骨格で、そこに校長の自己顕示欲が乗っかっている回答だけれど、要素の拾い方と自己顕示欲のボケ方にまず意外性が無くて、意外性がないならないでお題に対して面白い答えになっているかというとそんなこともないので、自己顕示欲の感じでいくならもうちょっと捻ってないと投票しないかも」、とコメントした通り。
 ベタが含まれているとダメなのではなく、回答を見て新しく感じる何かがないというのをあんまりよくなく感じる。お題と照らし合わせて面白いときには、初めて見るようなお題による新鮮さがあったり、お題に対しての返し方に意外さや新鮮さを感じたり、なんらかの新しさが含まれることが多いかも。これは結構適当に言っているので全然不正確な嘘かも。


9位 角栓
生徒よりささくれ見ている時間の方が長い

 「ささくれ見ている」は、「生徒を見ずに別のものを見ている」の「別のもの」にささくれを代入した意味しか持たないのではなく、「空を見ている」みたいに悩みとか退屈とかそういうニュアンスを持つ表現だと思ったので、「ささくれ」と「見ている」は切り離して考えられないと思った。でも何度も言うけど採点者が時間内に全部ちゃんと見て正確にコメントするのは結構難しい事で、こうやって自分だけ後から他人のコメントに時間かけてコメントしていることの卑怯者感も自覚しているので、みんなもハシリドコロのコメントに対して後からコメントしてくれていいよ。


8位 ラランドの男の方
パイプ椅子に座ってから怒り始めた

 「本気で怒ってたら座る前に怒るから何らかの打算があるニセモノの怒り」ぐらいまで思ってたけど、深読みしようとしすぎかもしれない。「わざわざ座ってから怒るのは普通じゃない」ぐらいの意味までなら文からかなり近いところにあると思う。
 深読み問題も議題だけど、字義通りに解釈することだけを許すのは表現の幅が狭まりすぎるし、どうせ字義通りに読もうとしても訓練を積んでいない人は普段無自覚にしている解釈が挟まっちゃって字義通りに理解できないと思うし、それぞれが自分にとってちょうどいいぐらいの深さで読んで自然に無理なく評価するのが結局いいと思っている。


1位 消え湯
「耳が太ってきた」と言って徒歩で帰った

 意味不明なこと言って徒歩で帰ったとしか理解してないけど、「耳が太ってきた」も面白いしそれを踏まえて後半も面白いしで面白いと思った。



老人ホームから追い出されたおばあさんの特徴

 1つ目のお題の方でたくさんいろいろ言ったのでこのお題は特に言いたいことあるものを4つだけ選んで端的にコメントしていきます。


56位 テレビ朝日
手あそび歌でバズろうとしている

 コメントした通りだけど、今コメント見てみると意図してたよりも言い方強いかも。
 そこに書かれていることが別にいいことかダメなことか」の程度をこちらで判断した上で「回答者が別にいいこととして書いてそうか本当にダメなこととして書いてそうか」についてもこちらで勝手に判断し、そこにギャップがあるとうーんとなるという、かなり自分勝手っぽい仕組みで回答を評価した。この回答についてなぜ「回答者がダメと思っていそう」と判断したかを今考えると、「バズろうとしている」という言い回しが原因だと思った。「バズる」という言葉には歴史の少なさとか大衆のエンタメに関連する言葉であるが故の軽薄さがあって、しかも大喜利では使われにくい分使われた時にはより一層その性質が強調されるように感じる。そんな単語を他者に対して「バズろうとしていた」という形で使うと、その他者が軽薄なことをしようとしているというニュアンスを感じるのと、「追い出される人の特徴」というお題も相まって、バズるバズらないをやっている人たちをそもそもバカにする意図を感じて、その意図の感じ方がバズろうとする行為自体に対して実際に自分が感じている軽薄さを超えてきていた。それでいて回答者の意図を想像したときに「バズろうとする行為を過剰にバカにしよう」という意図は想像できず、「バズろうとする行為をバカするという共感の得られやすい見下しジョークをしよう」、という意図があるように思ってしまった。というような上述のたくさんのことことが感覚的に一瞬で処理されて嫌だなーと思ったんだと思う。好き嫌いとかの感覚を無理に言語化しようとすると長ったらしい上にやたら自己中心的に見えて大変だ。別の角度から説明すると「バズろうとするのをバカにする」ことが「海外ボランティアサークルは偽善者」とか「クラスで声デカいやつは面白くない」とか、そういうこの属性はバカにしていい!みたいなのを冗談交えつつ自尊心を高めるために言っている2chとかツイッターのネタみたいで、それをそのまま回答にしただけの感じが嫌だったのかも。


50位 電気病院
チキン野郎とよく言い争いになっていた

 「チキン野郎とよく言い争いになっていた」というひとまとまりの言葉によって無理やりチキン野郎の存在をあるものとして飲み込まされるのが面白かった。後半が薄味な感じもチキン野郎の面白さに対してちょうどいい。


37位 創設者
家系図を書くとき、いつも関係の外のユタとしての自分を書く

 みんなが知っている知識だけを回答に使うべきかもずっと議題だし程度問題だけど、自分は多くの人よりも「お前が思う言葉をそのまま使え」と思っている方だと思う。家系図って入ってる回答でこんな回答になるんだ。


25位 参考書を買い忘れた
施設のトイレを引っこ抜けるだけ引っこ抜いて自家用おまるとして使う

 「あり得なさすぎる」というコメントについて、回答に「あり得なさすぎる」と思って嫌になることもあるけれど、あり得なければあり得ないほどいいこともあるし、要するにあり得てほしいときもあり得ないでほしいときもある。あり得具合が面白さにどう影響するかはお題の設定によって左右されて、あり得るやつを出すのが難易度高いときはあり得るやつが面白い傾向にあると思う。これは1つ目のお題のの56位のところで話した「お題に沿うか裏切るか」の話と似ていて、あり得るかあり得ないかを「現実に沿うか裏切るか」と捉えたら単に「沿うか裏切るか」の話として統合できるかもしれない。こんなことを統合して嬉しいのはオタクだけ。
 自分はこのお題についてはあり得なくていいと思う。

 

回答ごとのコメントは以上です。なげー。



言い残したこと

・僕は上位に票を入れず下位に票を入れることが結構あるので、僕の好みを基準に回答を作ると成績が悪くなるとかは平気で起こり得ます。

・「大喜利そのもの自体を楽しむことを考えた時、「他の人がつまらなく感じるものでも面白いと感じる」というのは得でこそあれ損ではない、と思います。順位をつけるとなった時に出す回答の選別が緩くなるのは弱みかもしれませんが。自分が面白いと思えるものの幅が増えたり面白がり方を習得したりすることも大喜利をやっていくにあたって楽しいことだと感じます。

・大喜利登竜門は1回限りの企画ではなく、今後も開催される可能性がありそうです。そのときハシリドコロが採点者として呼ばれているかはわからないですが、せっかく面白そうなものが回り始めたので、いい感じに回ってほしいと思います。「回答に対して思ったことを言う」という行為自体は昔からいろいろなところで続けられていますが、それが文章の形で残された上に、何年か後に見ても理解可能で、かつアクセスしやすい場所にしっかり残っていることはあまり多くないと感じています。大喜利登竜門が盛り上がった結果、多くの人が自分がどう考えているかをコメントの形で残したり、そこから波及する形で議論したりして、どんなボケが点を取りやすいかの具体的な形がいくつも明示されたり、どんな考えの人がどのくらいの割合でいるのかがわかったり、どういうものを面白いと思うかに認知の各階層でどのくらいバリエーションがあるかがわかったり、そういう今まで限られた中でしか起きていなかった情報の交流が、空間的にも時間的にも今までより広い範囲で起きたりしちゃったら、そのあと何が起きるんだろうというのが夢物語ではありますがかなり楽しみです。
 今後開催される会のことを考えると、みんなが慣れてくるにつれて採点者の人たちのコメントに求められるハードルが徐々に上がっていきそうなもんですが、とけつだいこんが仕組みをうまくやったり相談したり人選をうまくやったりみんなが訓練したりして、うまく行ったりうまくいかなくなったり、とにかくいい感じに面白い実りある新しい出来事がたくさん生じたりドデカく生じたりしたら、いいですね。


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