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奄美を訪れて感じた島民性と文化的背景

今月、航空会社のPeachが関西空港から奄美線を就航させる。それに際して、ロフトワークで奄美の魅力を発信するイベントを企画運営することになって、僕はこのプロジェクトで初めてプロジェクトマネージャーを任せていただいた。そこで、まずはその土地のことをちゃんと知って、ちょっとでも自分ごととして捉えられるようになりたいと思った。

「奄美」と聞いて僕がイメージしたのは、綺麗な海やマングローブなどの雄大な自然だったり、パッションフルーツやサトウキビ畑だった。最初にWebでリサーチしたときも、自然や食に関する情報を目にしつつも、島での暮らしや、その文化的な側面にフォーカスした情報は比較すると少ないように思った。ただ、そういった情報の方が特徴的なものが多くあって、その底流には奄美諸島の根源的な魅力のようなものが横たわっているように感じたりもしていた。

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そんなことを感じつつ、先日奄美大島に初めて訪れた。そこで知った文化を紹介しながら、僕が感じた島の人らしさについても触れたいと思う。

訪れるまで、奄美大島周辺の島々を含む「奄美諸島」が大きく5つの島からなっているということも僕は知らなかった。

奄美諸島には島ごとに多様な文化が色濃く残っている。さらにそれらの島々にはたくさんの集落があり、奄美大島だけでも150以上に上る。集落単位でも異なる文化を形成している。

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中でも特に驚いた文化といえば徳之島の闘牛の文化だった。藩政時代から行われ、約500年の歴史がある。農民が、税を完納できた収穫の喜びを祝うための娯楽だった。勝ちそうな牛にお金を賭けて楽しむこの娯楽は、今も島の人々の日常に根付いていて、子供の頃からお年玉を闘牛に賭けて遊んだりもするそうだ。大人になったら嗜むものというよりも、子供の頃から当たり前にあるものらしい。

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一方で、少し大きく捉えてみれば、おそよ共通している文化もある。それは祭(あるいは催事)が1年を通じて数多くあること。島や集落によって異なっていて、本当にたくさんある。今回奄美大島を巡る際にお世話になった奄美テレビの方に聞けば「四季折々に何かある」というよりも「いつも常に何かある」という感覚に近いらしくて、話題には事欠くことは少なくて、明るいニュースが多いらしい。

それらに纏わる踊りや島唄も数多くあって、これがまたおもしろい。そもそも島唄の「島」は奄美の言葉で「集落」を指すそうだ。つまり、集落ごとに色んな島唄があるのだけれど、それぞれの島唄にはメロディーはあっても決まった歌詞がないそうで、その場の雰囲気や掛け合いによって変化する。そこには、ジャズのセッションにも近い文化があるように思う。

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今回強く感じたことの1つは、そういった祭の豊かさが育んできた高い即興性を島の人が持っているということ。余興のレベルが高いために、そのすごさを競うイベントがあることや、日常のコミュニケーションの中で無茶な振りにもおもしろおかしく応えようとする島の人のようすなど、色んなところで即興性を垣間見る。

そんな人々が暮らす集落自体も、基本的には祭とその背景にあるアニミズム(精霊信仰)を中心に据えて設計されている。多くの集落が、山を背に海に面していて、山は神山と呼ばれ、神が降り立つとされる。山と海の両方からは、集落の中心部に向かって神道という道が伸びていて、そこには神を祀るミャーという空間や、トネヤ、アシャゲなどの祭場があって、それぞれの配置がある程度決まっている。人の暮らす世界は、集落近くの森と潮だまりまで。そこから先は神の領域。そういった信仰があるために、山の中の道路があまり整備されていなかったりもする。かつて集落から集落への移動するときは、海岸沿いを船で往き来していたらしい。

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奄美諸島の信仰の中心にはアニミズムがありつつも、街で時々教会を見かけることもあった。加計呂麻島を巡っているときに、気になってガイドをしてくれた役場の方にその話をすると、それは侵略され続けてきた奄美の歴史の1つなんだと教えてくれた。

奄美諸島は、琉球王国→薩摩藩→米国の順に3度侵略されてきた歴史がある。薩摩藩に侵略されたときに長崎県の文化が入ってきたらしく、教会は当時建てられたものだそうだ。また、加計呂麻島は、第二次世界大戦で米国に侵略された当時の戦跡も数多くあり、基地としての島の構造や、そのときの雰囲気を今尚留めていた。

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島の人々は、侵略されてきたことを「受け入れてきた」とも表現するときがあって、そこにおおらかさのようなものを感じた。そのおおらかさは、島の外から来た人を柔らかく受け入れてくれる雰囲気や、島で出会った一人一人の仕草やちょっとした機微、呑み屋や宿に行けば気軽に僕に話しかけてくれて、人を紹介してくれたことだったり、いろんなところでそれを感じて、とても嬉しくて有り難く思った。自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿ると信じながら受け入れてきた精神性が、島の人々のそんなおおらかさとして息づいているのかもしれない。

「即興性」と「おおらかさ」という僕が感じた島の人々の個性は、少し方向性の異なる特徴のようにも感じる。けれど、即興で何かをやることは、言葉を超えて他者と協調したり、場の空気を受け入れていくことで成り立つものでもあるように思うし、その意味では自然なことのように思ったりもする。

今回は3日間と短い期間だったけれど、また訪れて、島の人にたくさん出会って、繰り返して訪れる中で、奄美の土地やそこで暮らす人のことをもっともっと知れたらと思う。

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