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「無印良品」の魅力

最近、特に何か買いたいものがなくても生活雑貨のお店に足を運ぶ。ほぼ趣味に近い。気に入っているお店の1つに、近場の無印良品がある。

これまで無印良品で買ったもので、とりわけ「感動した!」というものはない一方で、「買ってみてイマイチだった」というものもない。1つ1つが、自然と生活に馴染んでいくような感覚がある。

「買うことから使うことにいたるまでの体験の心地よさは、どこからくるのだろうか」と、改めて考えてみたことを整理してみたい。

1. 「しるしが無い」というブランド

今や世界的に受け入れられ、グローバルブランドとして認知されている無印良品。けれど、彼らは、2002年のコーポレートメッセージの中で「無印良品はブランドではない」と言い切っている。

また、そのメッセージの中にはこんな言葉がある。

" 無印良品の商品の特徴は簡潔であることです。極めて合理的な生産工程から生まれる製品はとてもシンプルですが、これはスタイルとしてのミニマリズムではありません。それは空の器のようなもの。つまり単純であり空白であるからこそ、あらゆる人々の思いを受け入れられる究極の自在性がそこに生まれるのです。 "
引用:無印良品の未来

この想いを表現しようとすると、象徴的なしるしのようなものは必要ないということなのだと思う。

「ブランド」という言葉は、今でこそ消費者の経験、作り手の意思や思想なども加味されて、消費者の中で出来上がるイメージの総体を指すけれど、その始まりは、「焼印をつけること」を意味する brander というノルウェーの古ノルド語にあるといわれている。放牧している家畜に、所有物であることを示すために焼印を押していたそうだ。

本来、似かよったものを識別するためのタグのような役割であった「ブランド」。無印良品は、”モノの存在自体と、そこにある余白こそが独自性を醸し出すがゆえに、そういった「ブランド」の概念は必要としない”とでもいうかのような、凛とした主張が垣間見える。

「しるしが無い」ということが、結果的に1つのブランドとして多くの人に認知されているところに、無印良品らしい粋なかっこよさがある。

2. 日本文化的な哲学

無印良品の哲学のかっこよさは、以下のようなところにも感じられる。

"無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくことです。「これがいい」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「これでいい」には抑制や譲歩を含んだ理性が働いています。

しかしながら「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。無印良品は「で」の中にある小さな不満足を払拭し、明晰で自信に満ちた「これでいい」の次元を目指します。"

引用:What is MUJI?

無印良品の立場が明快にわかると同時に、禅や茶道にも通じる概念が含まれている。これには、コンセプト設計に携わった田中一光さんが、茶道をはじめ、日本文化の趣味を幅広く持っていたことが関係している。

茶道の精神にも通じる「足るを知る」という老子のことばにも重なるものがある。このことばが言いたいことは、「いつも満ち足りた思いでいる人(足るを知る人)は心豊かに生きることができる」ということだとすれば、無印良品は、生き方の基本のようなものを提案しているお店とも思える。

3. デザインの一貫性

個人的な感じ方になるけれど、無印良品で買ったものには、共通して優しい印象を持つ。そこにはものとしての無骨さがない。しなやかさや、柔らかさともいえるかもしれない。

その優しい印象はどこからくるのかというと、素材の質感だったり、素朴なカラーリングだったり、動かしてみたときの音だったり、要素はさまざまある。個人的には、とくにプロダクトの角の丸さとスタイリングのしなやかさから感じることが多い。また、そういった細かいところに一貫性があるように思う。

ゆえに、パッと一目見ても「無印良品のもの」と視覚的にわかるような佇まいとしての"らしさ"がある。

心理学の世界で有名な「ブーバ/キキ効果」の実験などにも表れているように、人がものの姿形から受け取る共通の声のようなものは、たしかにあるように思う。きっと人は、日々視界に入るあらゆるものと対話している。

その対話を心地よく感じられるのが、無印良品なのかもしれない。

※ブーバキキ効果は、上のような形を見るとほとんどの人が「左がキキで右がブーバ」と直感的に答えるというもの。

そんな無印良品で最近買ってよかったものを、次の記事で紹介してみたい。

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