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おうちじかんを3ヶ月過ごして


野球観戦3回、テニス観戦3回、舞台が2回、友人とのご飯3回、そしてバイトが23日(23日……?)
どうやら去年の私の5月はこんな調子だったらしい。

それが今年はほぼ在宅での仕事が18日とリモート会が2回。それだけ。
(去年の方が労働日数多くて引いた)


「そんなに大したことなさそうじゃない?」と言っていた1月末が嘘みたいに、生活は全く変わってしまった。「そろそろ開幕するね〜」と沖縄キャンプでワクワクしていたはずなのに、プロ野球はまだ始まらない。野球がない5月という概念がなさすぎて、気持ち的にはまだ冬なのに季節だけが進んでいる感覚だ。

明日にでも東京の緊急事態宣言が解除されるかもしれないけれど、元の生活に戻るわけじゃない。新しい生活様式とやらでしばらくは過ごさなきゃいけないらしい。しばらくって、いつまでだろうね。


長い自粛生活にももうかなり慣れてきて、正直違和感もなくなってきてしまっている。幸い在宅で大きな問題なく仕事ができていて、父も出勤せざるを得ない状況で日々働いてくれているという前提があるからなのだけど。

私は元々あまり家が得意でない人なので(家族と仲が悪いとかではなく)、最初のうちは家にいなきゃいけない、人と会えないのが苦痛で仕方なかった。


でも数ヶ月も経てば、人は慣れてしまうらしい。外に出たい、誰かと会いたいって感情もあまりなくなった。


4月半ばくらいから、なんとなく麻痺してしまっている感じがしていた。

楽しみにしていたライブや舞台、大会が中止になっても、悲しいと思わなくなってきた。甲子園でさえも早すぎる決断だとは思ったけど「でもまあしょうがないよな」と思ってしまう自分がいた。何かが奪われることそのものへの悲しさではなく、奪われても大して悲しいと思わなくなってきた自分が、なんだか悲しかった。


ただ、いざ緊急事態宣言が解除されますよ、となると、麻痺していた感情がちょっとだけ戻ってきた感じがある。


悲しいことに、私が元の生活で好きだったのは、密なものばっかりだ。結局、私は外に出たかったわけじゃなくて、元の生活に戻りたかっただけだった。

そんなにお酒が美味しいわけでもないけど好きな人たちと喋っていれば超楽しい大衆居酒屋のざわざわした感じとか、一つのプレーに鳥肌立つくらい歓声が沸くスタジアムの感じとか、無数のペンライトが光って会場全体で作り上げるライブの感じとか。そういう密だからこそ成り立つ空間が、好きなのだ。

だから「外に出てもいいですよ、ただ新しい生活様式を守ってくださいね」と言われても、もちろん一歩進むなという多少の安堵はあるものの、あまりうれしくないのが正直なところだったりする。宣言が解除されることによって、そんな元通りの生活が戻ってくるわけじゃない、という現実が逆に際立って、なんか久々につらい気持ちになっている。


不要不急かもしれないけど、私にとってはどう考えてもやっぱり「要」だ。しばらく麻痺してたからなくても何とかなるな、とか思ってたけど、全然何とかなりやしない。早く昼からみんなで球場でビール飲んで、喜んだり文句言ったりして、夜も懲りずに飲んじゃったりしたい。ライブでめちゃくちゃ盛り上がって「あー、生きててよかった」って言いたい。言いたいなあー。密が恋しいよ。

多分だけど、この先自分が好きだった当たり前に生活の中にあったものが、当たり前じゃなくてどれだけ尊いものかを思い知る機会はそうないと思う。というか、どうか来ないでほしい。そして次スタジアムに行った時、ライブに行った時にはそのありがたみを噛み締めたい。ちょっとうるっとしちゃったりするのかな。


そんなこんなで、今の気持ち。ずっと家にいたからこそ、朝の読書とラジオ語学講座が続いたり、普段はほぼ見ない映画を見たり、毎日19時配信の動画でたくさん笑ったり。なんだかんだ上手く過ごせたので、元気です。

まあ結局、人間、心も体も健康第一だよね。もうしばらくイレギュラーな暮らしは続きそうだけど、のんびり頑張ろう。

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