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絵本的、その後

今年もあとひと月足らずで終わってしまう、というような時の節目ごとの感慨に、僕はいつもかまいつけないようにしている。それはまやかしで、あるのは日々、今日この一日なのだという具合に。ところが今年は微花の復刊があり、それに準じて四月の末から八月の初めにかけて「絵本的」と題したトークライブツアーを、足掛け全国十箇所で開催してから今さらに落ち着いて、ふと、これを振り返らないでは年を越せないという気持ちになった。

振り返るにあたって、十箇所のうち、九箇所はその時の音源が残ってある。久々に聞き直すと、ここにあらためて仔細に書き起こすよりも、声として聞いてもらった方が良いように思う。そこで末尾にひとつ、初回の、長野の栞日における音源を載せて、各回様々に書きたいことはあるものの、すべてこの時の音源に譲りたいと思う。そうしてここには十箇所のうち、音源の唯一存在しない回、緊張のあまり録り忘れてしまった東京の本屋B&Bにおける、雑誌「母の友」の中の人との鼎談の一節を振り返りつつ、絵本的、その後について考えてみたい。

ちょうどそれは七夕の日だった。
願い事を短冊に書いて願う日に、復刊をきめてからひそかに願っていた鼎談が叶うとは夢にも思わない。音楽を愛してやまない様子がInstagramの投稿から伝わる母の友さんの指定されたカフェにも、壁一面を覆い尽くすレコードと並んで、ささやかな竹笹に短冊が揺れていた。
その打ち合わせの席で初めて顔を合わせた僕らは、本番のトークは即興性を大事にしたいということから、その内容には触れないだろうそれぞれの来し方や、内容のその先の、当時はまだ曖昧な予感としてあった微花のこれからについて話をした。

その一週間ほど前だろうか、微花としての打ち合わせに、「俺はいずれ個人宅の庭よりも、保育園や病院などの公共施設の庭を手掛けたい。そして、例えば作業療法、フィトセラピー、様々な遊びなど、その庭を使ってできることまでを含めて、ハードとソフトの両方を庭を起点にやってみたい。」と微花を始めた当初は、庭はおろか植物にさえ興味の無かった西田が、刊行を重ねるうちに次第に植物に惹かれてゆき、ついには庭師となって三年目の春に、そのように話をしてくれた。そこでなら、微花もまた生きそうですよね。それに保育園なら、「母の友」はきっと全国の保育園で販売されているから、今度聞いてみたら何かありそうですね、と話をした。

「それなら、この写真集はご存知ですか?
『Dandelion Room』Thomas Struthという写真家の作品なのですが。」

調べてみると、スイスのある病院からの依頼で、三十七ある病室の各壁面に、その" 病院の周辺 "で撮影した花々を飾った、その時の写真をまとめた作品があるということだった。僕らのぼんやりと想っていたような仕事は、海を越えたところではすでに形になってあるのだと、背中を押されたようだった。

「また病院といえば、たしか、母の友に挿絵を描いてくれている丸山素直さんが、長野のある子ども病院のデザインに関わってましたよ。」

これも後日調べて感動した。
このような素晴らしい仕事がこの世にあったとは、と思うと同時に、やはりこれこそ僕らの仕事なのではないか、と力の漲るような気持ちだった。またトークの翌日に母の友さんから届いたメールには、当の丸山素直さんから、「微花さんとのイベント、ものすごく行きたかったのですが、仕事が入ってしまって。」と連絡があったそうで、「つい、おふたりから、うかがった植物と病院のプロジェクトの話、伝えちゃいました。すぐではなくても、いつか何かつながるとおもしろいですね。」と書き添えられていた。こういう時はいつも、自分でも信じられない展開で、物事は動いていく。その流れのようなものを予感すれば、あとはその邪魔をしないよう素直に流されてゆく、いつもそのようにして流されて来た今ここ、そうしてこれからなのだろう。

このような流れの最初の予感は、いずれもこの春の復刊後にやってきた。

ひとつめは、「絵本的」の二箇所目にあたる東京・青と夜ノ空にて、イベントがおひらきになった後もその場に居残り話をしていた時のこと。あるお客さんから、「この本は病院の待合室にあったらとても良いと思う。病院には様々な事情でつらい思いを抱えた人たちがたくさんいる。そんな人たちにとって、この本はきっと癒しになる。」と薦められ、「手始めに、私の娘が鼻の手術でお世話になった病院にこの本を持って行こうと思う。」と自ら営業まで買って出てくださった。癒しという言葉が、今では何か表面的な印象に流れてしまった気がしないでもないが、なおより深いところでの癒し、医しといっていい癒しについて、その夜はいつまでも話が続いた。

ふたつめは、微花の読者として出会い親しくなった本の好きなひとに、花と本を贈り合うサンジョルディの日のお店の、選書を依頼したことから始まった小さな本屋「nmn」の、五月のある日の出店での出来事だった。

""先日森へ出向いたときのこと。身体の自由があまりきかなく、外へ出づらくなってしまった母へ、この本を贈ろうとおもう、と微花を連れ帰ってくださった方がいました。道なかで見かける植物の写真を、ひらいていると、優しくなれるねと。この本を知って外へ出ることが嬉しくなった私にとっては、あたらしい発見でした。出られないときにも、寄り添ってくれる本なのだと。""

ここで森とは、「Sō-En Local Market」というイベントのあった小さな森のことで、その一画に設けられた本屋nmnのブースに、入院して外へ出づらくなってしまった母へ微花を贈りたい、彼女は花が好きだから、という方が訪れた。それも同じ日に、別々の二人の方が、全く同じ理由から微花を買っていったのだというから驚きである。これまで読者からは様々な感想を頂いたが、この微花の届き方、読まれ方は思いがけず、また数日前には東京でのこともあったから、これは何か只事ではないような気がした。

そのつもりのない本、宛先の想定のない本が、どうしてこのように受け取られ、届きつつあるのか。それが腑に落ちたのは、たのしい打ち合わせの後に待っていた、母の友さんとの鼎談でのことだった。

ところが振り返ろうにも、壇上にあがった途端に緊張が回って、自分の話したことはほとんど覚えていないのだが、そのお終いに母の友さんから、「いやあ、本当に、子どもができると、近くのコンビニさえ遠く感じますよね。それは確かに辛いことでもあるんですけど、遠くに行けない分、これまであまり見えていなかった身近なところ、花とか、鳥に、自然と目が行くんですよね。」と、大阪から遥々やって来てくれた僕の親友家族へ、共感を示すように話し掛けるその光景は、どれだけ僕を打っただろう。

そうしてまた、この言葉によってこそ、病院や保育園などへ微花が届いていくだろうという予感が、確信へと変わったのだった。つまり微花は、ともすれば「足元の世界に目を向けましょう」というわかりやすいメッセージに流れやすい。間違いでもないが、本当はそうではなく、思えば自分も、あるとき精神的にかなり追い詰められたその先で、はじめて植物に目ざめたのだった。意志でもなければ趣味でもなく、それはもうどうしようもない仕方で、自然と身近に目が行く。追い詰められたその場所に、花は咲いている。そこが微花の場所なのではないか。

当初は自分でもよくわからないまま、微花は絵本だと思い立ち、春を駆け抜けるように制作し、これを全国に届けたいとツアーに乗り出た「絵本的」の最終章、母の友さんの一言に、ようやく微花の本懐をさとった。またそれだけではなく、作者にはあまり見えていなかったものの数々を、読者は見ていた、そう見ていましたよ、と母の友さんだけでなく、「絵本的」を巡る各地で思いがけない感想を頂いた。そうであればこの本は、子を持つ親へ、その子どもへ、それから様々な理由で追い詰められている人々の居る場所へと届くだろう。それはもっと届くだろう。

ただ正直、どのようにして、これより先に届けたらよいのかがわからない。わからないままにいつのまにか、日々の明け暮れにその気の薄れていたところへ、先日、越して間もない福岡に友人が遊びに来た。泊まって翌朝、「いま、微花ありますか?実は福岡のある病院に友達が入院していて、その友達から、おつかいを頼まれて。」
また届いた。そうして思った。せめてこのことは、きちんと書いておかなければならない。届いたといういくつかの事実と、よりいっそう届くだろうという確信だけがある。けれど、いまだその計画には至らない。病院に営業というのもしっくり来ないのだ。そんな僕らにできることは何なのか。わからないままに、日々写真を撮り、文を書いている。わからないけれど、そのような日々の中で、今も耳を澄ましている。そうして本当にその時が来たのなら、僕らはいつでも受けられるよう準備をしている。

2019年4月28日
「絵本的 於 栞日」音源

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