真・物語「淡路島紀行」 第2回「弥生時代・五斗長垣内遺跡の真実」

弥生時代中期、年代でいえば紀元100年代前半に、淡路島北部の丘陵の上に五斗長垣内-ごっさかいとー(現在の住所は淡路市黒谷)の集落遺跡が現れる。第2回はその五斗長垣内遺跡を中心にした物語だ。

乱れた時代にあらわれた鍛冶工房
ここが発見されたのは、つい最近の2004年のこと。台風によって農地が崩壊したり、貯水池の決壊など大きな被害があったが、農地だった地面の下から、弥生時代の遺跡が現れ多数の鉄製品の出土品が出てきた。また、23棟の竪穴建物跡のうち、12棟で鉄製品を作る作業を行った炉跡が見つかった。
つまり、この五斗長垣内遺跡は、当時としては最先端を行く鍛冶工房群だったのだ。しかも、驚くべきことに工人たちの住まいは別にあり、ここはあくまで、いまでいえば工場だったのだ。
さらに不思議なことは、紀元100年代の弥生中期、倭国が乱れに乱れた時代に突然現れた五斗長垣内は、卑弥呼によって倭国がまとまりつつあった弥生後期には、これまた忽然と消えてしまうのだ。
また、この遺跡の北へ六kmほどの場所に、やはり鍛冶工房の舟木遺跡がある。ここからも100点を超える鉄製品が発見されている。ここも標高150mの丘上にあり、五斗長垣内遺跡よりも規模が大きかったとみられている。普通に考えれば、五斗長垣内の工房が手狭になったため、工人たちは舟木の工房に移ったのではないかと考えられる。しかし、舟木遺跡の土地は私有地のため、ごく一部分しか発掘されておらず、全貌は見えていない。
しかし、弥生中期ぐらいに淡路島北部に、当時としては大規模な鍛冶集落が作られ、150年ほど後に今度は忽然と消えたのはなぜか?実は考古学的資料も乏しいため、学術的エビデンスに基づいた実証は難しい。そのため、この後は、当時の倭国の情勢を踏まえつつ、想像も交えて淡路島北部にあった、鍛冶工房をめぐる物語を紡いでみたい。

五斗長垣内遺跡、舟木遺跡が高台にある理由
その前に五斗長垣内遺跡は200m、舟木遺跡でも150mの標高がある丘陵上に、どうして鍛冶集落が作られたかについての、私なりの仮設を提示しておきたい。現在は県道を利用して簡単に五斗長垣内遺跡に着くことができる。車ならあっという間だし、歩いてもそれほどの距離ではない。ただ、徒歩で県道を行くと、ずっとなだらかな上り坂が続き、見た目には行けども行けども道が続くようだ。しかし、遺跡に着けば、天気さえ良ければ播磨灘が一望のもとに見渡せ、高田屋嘉平もさもありなんという気分になる。
そんな情緒的なことは別にして,ここが高台にある理由は、土地が隆起して海水面が下がったためではないかと思う。したがって、五斗長垣内遺跡では、育波川がすぐ近くまで迫り、朝鮮半島で製鉄された輸入鋳鉄を船泊まで運び、陸揚げしたのではないかと思う。事実、私の出身地である南あわじ市では、室町時代にそれまで塩田だった場所が陸地化し、海岸線が下がってしまったところがある。そこでは今でも、かつて塩田だったといわれている掘り返すと、海の砂が現れる。

古代人の争闘に翻弄された淡路島に鍛冶集団
弥生時代中期には、まだ倭国には砂鉄を含めて製鉄技術はなかった。かろうじて輸入された鋳鉄を、鍛造する鍛冶のための炉が散見される程度だ。五斗長垣内遺跡も、輸入鋳鉄を使って鉄加工品を作る鍛冶集落だ。燃料となる油分の多い松の木は、すぐ近くに深い森があり問題ないが、問題は鋳鉄を交易で得る対価だ。この時期の倭国に輸出品などない。あえて挙げれば、生口(奴隷)だが、弥生時代で200万人といわれる人口では、それも難しい。
そう考えると、縄文の終わりから弥生初期にかけて、日本列島に移住してきた大陸や朝鮮半島の人々が、九州に上陸してやがて、播磨から河内、大和へ移動し、先住民と混血を重ねて豪族化していった人たちが、水田耕作や漁労の生産性を上げるため、朝鮮の宗家に鋳鉄が欲しいと、頼っていったことは十分に考えられる。ルーツを同じくする朝鮮の宗家は宗家で、倭国にフロンティアを求めて貴重な鋳鉄を譲ってくれたのだ。
五斗長垣内遺跡で働いていた工人たちは、そうして得た鋳鉄を闘争や狩猟のための鏃にしたり、釣り針や原野を切り開く鉈の刃先に加工していった。
そういう形で朝鮮半島の人々とも連絡を取り合って、豪族化していったが、基盤はまだまだ脆弱だった。まだ人口も少なく、富の集積も十分ではなかった。そこへ百余国に分立していた,九州地方の人たちが、卑弥を中心にまとまり、邪馬台国に統一される。つまり、一足早く力を付けた九州地方の国が畿内に攻め込み、国に形が大きく変わる。淡路島の五斗長垣内にあった鍛冶集落も踏みつぶされ、再び元の海人族として、漁労や塩づくりに帰っていった。
しかし、栄枯盛衰は世の習い、邪馬台国も卑弥呼が亡くなり、後を継いだ壱与では国が収まらず、九州から海流に乗って紀伊の国に越えでヤマトへ侵攻した、自称天孫族のヤマト政権の人々に攻められ消えてしまう。

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