街探シリーズ<5> 三鷹郊外の新川団地と島屋敷通り

新川団地は三鷹郊外の大型団地で、開発も早かったため、最近では5階建ての団地が10階近くまで高くなり、エレベーターも完備された結果、高齢者にも住みやすい団地にリノベーションで生まれ変わった。歴史のある団地は、どこかくすんだ感じになってしまっているが、新川団地はイメージを一新した。
また、新川団地の周辺には、中央自動車道をはじめ、東八道路(通称30m道路)、人見街道、吉祥寺通り、連雀通りなどが走り、都心への便もよい。電車なら中央線、京王線が都心と結んでいる。足元の道路では「島屋敷通り」という、ちょっと気になる名前の道路が、団地内から周辺を走っている。
とはいえ、私にとって新川団地は、これまでは三鷹と京王線の仙川を結ぶ通り道にある団地に過ぎなかった。したがって、新川団地中央のバス停で降りてみることもなかった。せいぜい、この団地はリノベーションできれいになったなと思う程度だった。

島屋敷通りという道路名に惹かれる

それがある時、バスから「島屋敷通り」という通りの名前を見て「あれ!どんな屋敷なんだろう?」と急に興味が湧いてきて、改めて出かけてみた。ただ、最初は降りるバス停を間違えて、三鷹の中原あたりを迷い歩き、結局セルフの無人野菜販売ロッカーで万願寺とうがらしを買って帰っただけだった。
そこで、今日少し下調べして、再度出かけてみた。調べたところによると、大阪夏の陣の後に、徳川家康に召し抱えられていた柴田勝家の孫、柴田勝重が上仙川村(現新川)、中仙川村(現中原)付近を加増されたのが始まり。その後、柴田勝重は、新川の島屋敷に居住し、開発に努めた。幸い、同地は水は仙川から引くことが出来、畑作だけではなく、水田でのコメ作りもできた。
そして、孫の勝重が祖父より与えられた金の兜を水神の森に鎮めて、社殿を建立したのが勝淵明神社(現勝淵神社)だ。今、同神社は広い丸池公園に囲まれるようにある。今、この辺りは南に丸池公園、東にみはらしやま公園、北に雑木林公園、そして西に仙川が流れて、四方を自然に囲まれた素晴らしい景観だ。
こうした、自然豊かな勝淵神社界隈を歩いてみようと思い、出かけたのだが、またも迷ってしまい、いつもながら、今日も老婦人に道を聞くことになった。「リハビリを兼ねて散歩中なんで、わかりやすいところまで、ご一緒しましょう」と親切に教えてもらった道を行くと、ズバリ勝淵神社に着いた。かつて柴田勝重が住み暮らした、島屋敷は現在は芝生を敷き詰めた公園になっているが、神社上の雑木林には、かつての武蔵野を思わせる大木が立ち並び、新川団地との住居群と好一対を成している。


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