マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第18回「手ごねハンバーグ」

東京へ出てきて3年目は、阿佐ヶ谷のアパートへ引っ越して始まった。住まいは北口だったが、駅前に可愛らしいロータリーがあり、小さな商店街の始まりが「ベルク」というベーカリーで、急に文化的な生活になったような気がしたものだ。30メートルほどの商店街を過ぎ、右手に行くと真言宗豊山派の世尊院と天祖神社(現在は神明宮)が並んでいる。それまでの2年間とは、住まいのロケーションが違うことに感激した覚えがある。
まだ中杉通りが旧道の時代で、狭い道路を中村橋行のバスなどが、アクロバチックに行きかっていた。貸本屋が全盛の頃で、里中満智子をはじじょせぃ女性漫画家の作品の面白さを知ったのも、貸本マンガだった。
このころ、大学3年から4年にかけては、大学は違うのだが、同じゼミの友人を介して知り合った大阪出身者と、同じ阿佐ヶ谷だったため、行動を共にすることが多かった。
確か3年になると、学費値上げ反対闘争でゼミ以外は授業がなく、生活のリズムは夜起きて昼間寝るという昼夜逆転になっていた。昼の3時頃起きだして、駅近の喫茶店で落ち合い、おしゃべり、夕食、また最近読んだ本の感想などが続き,12時過ぎにお開きとなる。お互いお金がなかったから、どちらかの部屋でしゃべることが多かった。
ある時、私の方がアルバイト代が入ったばかりで、少し懐が豊かで、トンカツでも作ろうかと、豚バラブロックを買って帰ったことがある。豚バラを一口大に切り、衣を付けてカツを上げるまでは良かったのだが、食べてみてその脂っぽいことといったらなかった。口のなかが脂で溺れそうだった。

ハンバーグを成型する手際の良さに感激

そんな貧乏大学生の二人だが、仕送りが届いたり、少し率の良いアルバイトがあった時など、よく行く外食店が2店舗あった。一つが駅前すぐの「フジランチ」という店だったように。もう一つは、駅前商店街を抜け、少し行ったところにある店舗だ。
駅前ということもあり、フジランチのほうが少しリーズナブルで、もう1店舗のほうがやや高めという設定だった。高めといっても、ハンバーグランチで100円ぐらいしか違わないのだが、いつもピーピーいっている学生にとって大きなポイントだった。
また、ハンバーグを頼むと、仕込んであるひき肉が入っているバットを取り出し、包丁を上手に使って成型していく、その手際の良さを、カウンターに座って見るのも楽しみだった。手際が良ければよいほど、出来上がってくるハンバーグもおいしく感じるもの。マスターのリズミカルな動きは、お客に伝わり、食べるほうもあっという間に食べ終わるのが常だった。
もう一つ、フジランチのハンバーグランチを美味しく感じたのは、ほんの数年前までの私の食生活が鮮魚中心で、肉料理が少なかったことも影響していそうだ。ハンバーグは日本の洋食の大定番メニューだが、それさえも食べる機会が少なかった私にとって、まさに「ごちそう」だった。

 

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