発達障害の行き着く果て

発達障害にも色々あるのは知っているが、それが社会から受け入れられる部分と全くそうでない部分があって、そうじゃなかった場合、社会から総スカンを食らうことになる。
根本的には個人の人間性によるものが大きいので、同じ事をしていてもAさんは許せるけどBさんは許せないみたいなところもあるだろう。
そういった事も踏まえて発達障害の方には謙虚な部分と傲慢な部分が混在している所が多く、最初は仲良く楽しくしていた人達が、徐々に距離をとっていったり、めちゃくちゃ人間性を誉めてくれていた人が次第に怒り狂って攻めてきたりする。
本人は全く悪気は無いのだけれど、そんな経験を積み重ねていくうちに自暴自棄になったり、「この人もいずれ仲悪くなるんだろうか」と不安になりながら人付き合いをしていく。
それでも少しばかりいつまでも付き合いを続けてくれる人とかが居て、その人達に感謝の想いは果てしなく持ち、そういった人達に心配や迷惑を掛けた人生を送らないように頑張ろうと一念発起するが、却って空回りして悪循環に陥り更に自己嫌悪に陥る。そして鬱や依存症に陥り益々社会生活を難しいモノにする傾向がある。
それは甘えだとか、本当にそう想ってたらちゃんと出来るはずだとか言われたりもするのだけれど、何故かマジで身体と頭が動かないこの感覚を人に説明するのは本当に難しい。「じゃあ今からライオンが目の前に居ても動けないのか」と言われたらそれは動ける。
そういう危機的状況に関しては動けるのだ。ただその時だけね。継続して危機的状況と言うものが殆ど来ないから困る。仮にそんな状況に常に身を置けるように人間は出来ていないだろう。だから働き過ぎる定型発達の人もバタバタ逝っちゃう人が出てくるんだと思う。
しかし、僕わたしは発達障害だからよろしくね。みたいな表現は僕自身好きでは無い。自分は努力しませんが、周りの方々、社会が受け入れてくださいね。と言われているみたいだからだ。重度の知的障害の方々や身体が完全に動かない方々など、どうしても努力出来ない方は仕方がないと思うけれど、自分の出来る範囲での努力を怠っている人に伸ばされる手はない。それは障害に限らずだけれども、そんな風に世の中は出来てはいると思う。だから、僕はその出来る限りの努力を発信していければと思っている。障害以前にそもそもの僕自身の人間性や、表現の仕方に至らない所があったり、明らかに間違ってるよね。と思われるところがあり、読んで頂いている方々の機嫌を損ねる可能性もあるかもしれないけれど、少しでも良い方向へ向かう為の声になれればと思っております。

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