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惰性

 鞄の内ポケットをまさぐり、鍵を探す。向かいのマンションの屋上を見上げながら。
 なぜだかいつも、見上げてしまう。そこにはもちろん、何もない。
 正確には、夜空の中に貯水タンクらしき影が見えるのみで、例えば自殺しようとしている人とか、自殺した人の霊だとか、そんな非現実的なものは何もない。
 鍵はなかなか掴めない。苛々し出す。舌打ちしてしまう。なんて不細工な女、と自分で思う。
 目線を少し落とすと、何軒か明りの点いている部屋が見える。
 この一つ一つに人間が住んでいて、一つ一つにそれぞれの生活の営みがあるのだと思うと、なんだか気持ちが悪い。
 こんな風に思うのは変だろうか。
 ほかにも、歩道橋など高いところから渋滞する車を見た時にも、同じことを思う。
 みんな、どんなことを想い、何を思いながら生きているのだろう?
 誰しも死にたくなることくらいあるだろう。想像もつかない悲惨な過去を持つ人もあるかもしれない。
 それでも働き、恋をし、結婚して子供を儲け、生きていく。
 考えても考えても答えの出ない問題について、何度でも考えてしまう。
 学習しない脳だな、と思っていると、右手が鍵を掴んだ。
 でかした。

 まず、部屋の明かりを点ける。次にテレビ、エアコン。真っ暗で静まり返っていた部屋が、少し賑やかになる。
 着替えもしないで、座椅子に腰を下ろす。ぼんやりテレビを見つめる。つまらないバラエティ番組で、おバカタレントが騒いでいる。
 五月蠅い。これがこの人の仕事なんだろうけど。
 チャンネルを変えたいが、リモコンが遠い。2、3歩の距離が、とても遠い。
 退屈と気怠さを感じながら、気付けばさっきと同じ問題について考え出していた。
 テレビの中のおバカタレントと、それから、自分について。

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