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忘れないでいることで、じぶんをまもる

悲しみとしっかり向き合うことが、じぶんを生きることにつながる

「相手を許す」とか 
「怒りを手放す」ということに ずっと違和感を抱いていた。
手放そうと思って できるんなら苦労しないわ って。

上の言葉は、いろんな状況を ひとくくりにし過ぎている。

たとえば、誰かから ひどい言葉を投げつけられたとて、もうその人に二度と会わないとか、言われたことが自分の存在を揺るがすほどのものではない、なら 許すかどうかはわかんないけど、忘れることも不可能ではない。

が、たった一度しか会わない、たとえば通りすがりの人に言われたことでも、それがアイデンティティの崩壊につながることなら、その後の生き方に影響が出ることで、悲しみなどを手放すのが簡単ではないだろう。

また、相手と会わない、という選択ができない場合もある。自分の暮らす空間に相手がいるために。
こういう場合、「手放す」試みは、有効じゃない。「手放したい」と思うことそのものが、その人が近くにいる状態を強化してしまう。「手放したい」と思うということは、逆に言えば「今、近くにいて、手放せない」という状況だ、という意識を確認しているだけ、ということである。

となると、手放そうとすることが逆効果なので、他の道を探る必要が生じる。
どうするか。ポイントは、自分が抱え込む負担をいかに軽くするかだ。

相手の様子を極力知覚しない工夫は必須。相手の言動を見聞きすることはストレスになるから。
また、可能なら、自分の状況を知ってくれている人を確保すること。ひとりじゃない、わかってくれる人がいる、そのことだけで、ずいぶん心強い。

そして、自分自身は、相手がどんな人かを忘れないこと。
正確に言うと、相手が自分にどう振る舞った人かということを忘れないこと。
水に流す必要なんてない。水に流して、相手を許そうとするから、いつまでも相手に失礼な振る舞いを許すことになるのだ。


望まない方向に許してしまって、自分がダメージを食らうくらいなら、油断してはだめだ。「常識」や「こうあるべき」などの世間の感覚よりも、自分の感覚を守らねば。自分のことを守ってくれるのは、自分しかいないのだから。

許さないでいると、大人気ないのでは?とか、いつまでもひきずるかも?という心配は不要。本人がしかと自分の今の状況や、自分の気持ちと向き合うことで、
時機がくれば それ相応の状況に身を置くことができるようになる。


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