イメージすること

イメージすることが大事だとこれまで何度も聞いてきた。イメージすることがいつか現実になる。自分がワクワクするようなイメージをすることが大事だ。

だけどイメージするということも、はいわかりました、じゃあやりますといってすぐにできるものでもなかった。2年くらいイメージすることを続けているけど、イメージすることも修業が必要なものなのかもしれない。

イメージすることは彫刻に似ている。あらゆる可能性が雲のようにふわふわとしている中から、具体的な輪郭を見出していく作業のように感じる。彫刻は石の中にその石の持つ固有の彫刻の形を見出すことで作品を作るのだという。ミケランジェロは石の塊の中に既に天使があると言った。それをノミで削り出す作業が彫刻であると。

大まかな形を切り出してから、そこからさらに細かく彫って彫刻の解像度を上げてゆく。長い作業だ。同じようにイメージすることも長く続く。ある程度イメージしても、さらに細かく掘り出していくことができると感じる。2年くらいずっとイメージしているけど、ずっとまだ彫れるなー、まだいけるなー、みたいに感じている。しかし、物語はとバランスこそが善だ。ある程度のところで止める必要はあるのだろうと思う。

物事は螺旋のように深まっていく。一度到達したと思ってもまだ深みが在って、潜っていくと最初にいた場所に戻ってきたりする。でも実は最初の場所のようで一段深いレイヤーの場所に移動している。同じようで同じでない場所だ。それがずっと続いて行くようなイメージを僕はあらゆる物事に対して思っている。

イメージすることもそうかも知れない。ある程度イメージできたなと思ってもまだまだ深める余地が残っていて、同じところをグルグルしているようでいつの間にか深いところまで到達しているのかもしれない。

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