《続》奈良教育大学附属小学校で何が起きていたのか?【下】
前々回の記事では、奈良教育大学附属小学校の教育課程を巡る大学側の対応が「悪手」であり、関係者による「対話」が必要だということについて書いた。
一方、前回の記事では、附属小学校側にも「脇の甘さ」や国立大学附属校としての「特権意識」があったのではないかということを述べた。
今回の奈良教育大学の対応については、多くの教育関係者が「教育の自由」や「大学の自治」という観点からの懸念を表明している。
その背景には、近年の「国際卓越研究大学」の制度や国立大学における学長選挙の結果などから、教育への政治介入や大学のガバナンスのあり方に危機感を覚えている関係者が少なくないということもあるのだろう。
今回の奈良教育大学附属小学校の問題については、3月11日付のニュースで、千葉大学名誉教授の片岡洋子氏による大学側への批判が紹介されている。
私は片岡氏の主張に大筋では賛成である。だが、たとえば次の一文には疑問を感じる。
「公立学校にはできない」という言葉が、「公立学校だと簡単にはできない」という意味ならば理解ができる。しかし、一般の公立学校への汎用性が乏しい「附属校にしかできない」教育ということであれば話は別だ。国立大学の附属校という特殊な環境や条件の下だけで通用する教育に、どれほどの価値があるのだろうか、と私は考えてしまう。
また、この附属小学校が道徳や毛筆の授業を実施していなかったのは、その分の時間や労力を「教員の個人的研究」や「学校の公開研究会」などに充てるためだったことは明白だ。そうした学校で実践された「実験的・先導的な教育」を、一般の公立学校の関係者が進んで取り入れるとは思えない。
・・・続いて、次の文章である。
附属校が公開研究会を行うことには何の問題もない。私自身も、これまでに地元にある附属校の公開研究会に何度か参加し、多くのことを学ばせてもらった。
だが、公開研究会を行うこと自体が目的化してしまい、それに向けた準備等が最優先になってしまうのであれば本末転倒である。見直しも必要だろう。
これまでにも、各地の附属校における研究のあり方については、そのパワハラ的な体質や過重労働が問題となっていた。
・・・附属校での勤務経験がある教員や学校管理職と話をしていると、
「公開研究会の直前には、連日、帰宅が12時を過ぎていた」
「先輩の教員からOKがもらえず、指導案を10回以上も書き直した」
といった「武勇伝」を聞くことがある。
だが、それを「伝統」や「美徳」とする学校風土については、明らかに再考が必要だ(これは附属校にかぎらず、公立のいわゆる「研究校」についても同じである)。
もしも、奈良教育大学附属小学校にもそうした体質があるのだとしたら、この機会に改善を図る必要があるだろう。
くり返しになるが、奈良教育大学附属小学校の教育課程を巡る大学側の対応は「悪手」だと思う。だが、附属校側にも改善すべき点がある、と私は考えている。
「悪いのは大学。附属小学校は何も悪くない」
と言い切ってしまうと、「贔屓の引き倒し」になってしまうのではないだろうか。それは奈良教育大学附属小学校のみならず、全国の附属校にとってもプラスにはならないと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?