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【ハゲ杯】ビールの歴史についてわかりやすく解説

『ビール』が美味しい季節になりましたね?

お好きな方もいらっしゃるでしょう。

私のお店でもビールばっかり飲むお客様もいらっしゃるくらい人気があります。

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そんなビールですが我が国で一年を通じ、一番多く消費されているアルコール飲料だってご存知でしたか?

その歴史とは、まさに激動の幕末……

今日は皆さんと一緒に、ビールの歴史を紐解いてみたいと思います。




ビールと言えば、どこのメーカーを連想するだろうか?

その昔、ビール社会を長きにわたり支配していたのが『キリン麦府(ばくふ)』である。

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ラガーという盤石な独自の政策を長年推し進めてきたが、ある藩から生ビールと言われる思想が生まれてからキリン麦府もとうとう生製品の発売に踏み切った。


これを『生類憐れみの令』という

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しかし、これを機にビール社会の権力集中を許さない諸藩が次々と名乗りを上げ、キリン麦府のラガー政策に対抗して生ビール政策を強化する。

その動きは、諸藩を討幕へと駆り立てた。


アサヒ藩、サッポロ藩、サントリー藩がそれである。


彼等は革命の図式を解りやすくする為、容器を瓶ビールから缶ビールに移し、自らを『缶軍』と呼んだ。

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そんな中、新しく開発された『ドライ』という大義名分を旗印にアサヒ藩の進軍が始まった。


その火は瞬く間に全国へと及び、全ての藩が『尊王ドラ夷論』を唱え始めたのである。

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これを発端として、史上まれにみる大規模なビール戦争が起きる。

これを『ドライ戦争』と呼ぶ。

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このドライ戦争の最中、浦賀に突如開国を求める【黒船】がやって来たのである。

バドワイザー、ミラー、カールスバーグ、ハイネケンなどの西洋諸国であった。

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新しい物好きの若者はすぐこれに飛びついた為、各藩は外国船団と修好通商条約を結んだ。

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その動きは輸入ビールを排斥し続けてきた、キリン麦府も条約締結を余儀なくされたのである。


街には胸にバドワイザーと書かれたボディコンを身にまとった女子がサービスする酒場が繁盛するようになる。

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今は滅亡した、『バドガール』と言われる西洋人であった。

そのバドガールが、生ビール政策を奨める藩士によって斬り殺される事件が起きた。

歴史に名高い『生麦事件』である。

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また同じ時期に『学生一揆』なる暴動が生じ、花見や酒場では『イッキ……イッキ』との掛け声に合わせて、酒を飲み干す姿が見られた。

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これとは別に、尊皇ドラ夷を唱える者が扇動した一揆を『沢村一樹』と呼ぶ。

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以前は討幕を旗印に連合していた諸藩であったが、アサヒ藩がドライ戦争で圧倒的な勝利を収めた事により目標が打倒アサヒへと変化する。


その後ビール社会は酒税法の改正が行われ、第二、第三のビールが現れるようになり、混沌なる世界に突入する事となるのであった。



「ビールそれは人生にも似た泡沫(うたかた)、いつかは消えてしまうもの」


ぬるくなって飲めぬのは、恋も同じこと。

恋は熱いのが良くて、ビールはキリッと冷えたのをググッと飲みたいですね?

ぜひ北新地にお越しの際は当店で!

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