忠臣蔵についてわかりやすく解説
先日、お喋りしてたホステスさんが「忠臣蔵」を知らなかったので……
今日も、アホでもわかるように説明しようと思う。
だいたい、年末から正月付近になるとテレビで忠臣蔵やりますよね。
それは、討ち入りが12月くらいのその時期だったからだよ。
それは、むかーし、むかし……今から300年程前の江戸時代は、五代将軍 徳川綱吉のときのお話
『生類憐れみの令』でも有名な将軍だね。
江戸城中の松の廊下って場所で……
(きっと松の絵が書いてる廊下なんだろね)
赤穂のお殿様「浅野たくみのかみ」が、三河の名家「吉良こうずけのすけ」に斬りかかったの。
そもそも、何で浅野は斬りかかったかと言うと……浅野は朝廷接待の儀式に呼ばれ、江戸にやって来たんだけど吉良がマナーとか作法の先生役だったんだ。
で、何だかんだと意地悪されて……我慢出来ずプチーン!とキレた浅野は、脇差(短剣)で斬りかかった。
『殿っ!殿中でござるっ!』
後の処分の事を考えれたなら、どーせやるなら殺すべきだったんだけど、何故刺さなかったのか……
脇差で斬っても、そうそう死なないよ。
また、すぐキレるあたり、そこら辺が甘ちゃん殿様だったんじゃない?
案の定、吉良は死ななかったんだけど、斬りつけた浅野は即日切腹されられたのに、喧嘩両成敗のはずが吉良は、お咎め無しでした。
一方的なお咎めを、赤穂の藩士達は不服に思ってたんだね。
でも、リーダーの「大石くらのすけ」は昼行灯
(読み:ひるあんどん 意味:役に立たん)と呼ばれながらも、わざとバレないようにやる気ない様に見せ掛け二年の間に下準備を済ませ、ある晩に赤穂藩士47人は吉良の家に討ち入りに行くんだ。
で、吉良の首を取って凱旋するんだけど、幕府は『よくやった赤穂浪士』って世論を考慮して彼等に名誉ある死に方の切腹をさせるわけ。
これで、仇討ちは成功して彼等はヒーローになるって、お話です。
で、この話には赤穂藩士以外にカッコイイ男がもう一人いて、大石くらのすけが武器をこっそり調達していた、大阪の武器商人「天野屋利兵衛」って人がいるんだ。
武器を作ってた所、奉行所に連れて行かれ拷問を受けるも『天野屋利兵衛は男でござる』と言って、口を割らなかった。
カッコイイじゃないか、商売人の鑑だな。
私も仕事柄、守秘義務が発生する事が多いのだが「口は災いの元」いらんこと言わんように気をつけましょ。
今回は、オチもなにもないお勉強ネタでした。
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