色々と患っている



斜視である

 斜視である。斜視の中でも、両目が外側に違う方向を向いてしまう、いわゆる外斜視である。

 今でこそ、自分で目の動きをコントロールして、斜視にならないようにできるようになったけど、小学生の頃は、朝起きて斜視になっているかで、一日の楽しさが決まった。

 原理はよく分からないけど、朝起きて斜視の状態だと、その日は一日、斜視で過ごすことになる。それからどれだけ寄り目にしても、その日は治ることはない。眠ると何故か全てがリセットされて、次の日には治っていたりする。この場合も、どれだけやっても、その日は斜視になることはなかった。

 目が覚めて、斜視だと自分で気づく方法は簡単である。両目が違う方向を向いているので、右目と左目で見えてる世界が重なって、視界が二重になる。目が覚めて視界が二重だと、ああ今日は斜視か、と落ち込んでランドセルを背負っていた。

 体感だけど、前日の夜にDSをやりすぎると、次の日は必ず斜視になっていた。次の日に学校行事や、卒業アルバムの写真撮影などがある時は、DSをやらないで早く寝るようにしていた。

 眼科に掛かってみると、両目の視力に生まれつき差がありすぎるので、斜視になっている、と言われた。それから成長するに従って、両目の視力が丁度いいくらいに下がってきたので、今では自由自在に目を動かすことができるようになり、斜視とそうでない時を瞬時に行き来することができる。

 その特徴的な見た目から、街中ですれ違った知らない人にも差別的な発言をされたことがあるので、これは根深い問題だと考えている。



喘息持ちである

 喘息持ちである。正確には、今は寛解していると言って差し支えないけど、現在でも呼吸器全般が弱すぎるので、長距離走などが甚だしく苦手である。

 いわゆる小児喘息とのことで、小さい頃はいつも吸入器(霧状の治療薬を口から吸う行為、またその為の機械)が手放せなかった。幼かったので、なぜ自分がこの機械を口に咥えているのか、ということすらも理解できずに吸入をしていた。

 吸入をしすぎて、吸入器の咥える部分の塗装が剥がれてザラザラになっていた。口に突っ込まれたものは何でも噛むクセがあったので、仕方のないことだった。

 喘息持ちとして、唯一よかったこととして、誰かにタバコを勧められても、自分喘息なので、と言って逃げ切れることだった。

 


顎関節症である

 顎関節症である。中学二年生の頃から、顎関節症である。私の場合は、顎が開きづらい、顎を開こうとするとカコカコと音が鳴る、という症状がある。痛みがほとんど無いのが不幸中の幸いで、患ったばかりの頃は音が鳴るのが面白くて一日中、顎を鳴らしていた。

 一度、マウスピースを作ってもらって、症状が寛解しかけたことがある。そのマウスピースも、大学一年の時に、所属していたサークルで行った鬼怒川温泉で、全力で卓球をしていたら真っ二つに折れたのですぐに捨てた。

 顎関節症になった日のことは、よく覚えている。中二の冬のある朝、目が覚めたら、いきなり顎がポリポリと鳴るようになっていた。二、三日でもすれば治るだろう、と思って放っていたら、もうかれこれ十年の付き合いになってしまった。

 感情が昂ぶって口を大きく開ける機会があると、稀に、本格的に“ヤバい”領域まで口が開きかけて、焦る。そこを越えると、恐らく痛みが生じて、顎が完全に外れてしまうのだと思う。

 顎関節症の患者によくあることらしいが、私は顎が綺麗に左に曲がっている。しかしユーモラスに顎がしゃくれているわけでもないので、ただただ不愉快に顔が曲がっている人になってしまっている。



側湾症である

 側湾症である。側湾症とは、簡単に言うと背骨が自然と曲がってしまう病気である。元々、母も兄も患っていて、優希くんも一応診ておきますか?と言われて診てもらったら、あれ、怪しいな、となって病院に通うことになったらしい。

 私の場合は生まれつきで、物心つく前から側湾症の治療をしていた。治療と言っても、レントゲンを撮ってもらって、進行してないね、と言ってもらうだけである。

 あと、両手を合わせて前屈みになって、背中の左右の凹凸のバランスから背骨の曲がり具合を見るような診察もある。背中の上で先生と母が色々と話しているが、私は両手を合わせて前屈みになっているだけなので、いつも背中の上で何が起きているのか分からない。

 症状が悪化すると、装具を付けることになったり、手術をすることになったりするらしい。私の場合は幸いにも悪化はせずに、今でも両手を合わせて前屈みになるだけなので、なんかお坊さんが深々とお辞儀をしているみたいだな、と思ったりして、いつも診察が終わっている。






 心身が健康なことに越したことはない。






小林優希

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