失敗学

失敗学と成功哲学

いきなりだが、ウィキペディアの引用からはじめよう。

『失敗学(しっぱいがく)とは、起こってしまった失敗に対し、責任追及のみに終始せず、(物理的・個人的な)直接原因と(背景的・組織的な)根幹原因を究明する学問のことである。』

『成功哲学(せいこうてつがく)とは、目標を達成するための思想や手法を法則化したものである。成功者の行動や思想を分析し、それを模倣することによって同じ効果を得ることができるという考えに基づく。 』

学問とは誰かに与えられた問題に答えるのではなく、主体的に課題を設定し自ら真理に到達しようとする知的活動のことだ。

「失敗」に関して深く問う学問が「失敗学」で、「成功」に関して深く問う学問が「成功哲学」と呼ばれるのはなぜだろう。

ぼくは近頃「失敗」を恐れなくなったのだけれど、元々は慎重派というか心配性な性格であった。学生の時分は友人や家族と麻雀を時々していた。お金もちょっと賭けていたが、レートはせいぜい「テンゴ」か「テンピン」まで。学生の頃はお金はないけど、時間は持て余していたので夜が明けるまで卓を囲んだことが何度もある。

当時ぼくがおそれていたことは「大負け」することだった。バイトで稼いだ僅かなお金を景気よく放出するのはとにかく嫌で恐かった。反対に麻雀をする目的は友人と時間を共有すること、雑談をすることで「大勝ち」はほとんど狙っていなかった。トータルで少しでもプラスになっていればそれで満足だったのだと思う。

人間だれでも「負け」で終わるのは嫌で「勝ち」で終わりたいという願望がある。
「負け組」と呼ばれるよりは「勝ち組」に入りたいはずだ。

2〜3年前に人気があったテレビ番組「しくじり先生」が面白かったのは、有名人だって「成功」する事もあれば「失敗」する事もあり、先生役のタレントさんが失敗から学んで復活することができ笑い話として披露していたからだろう。

「成功」は「幸せ」に近く、哲学的に考えられるもの。法則があるもの。
「失敗」はいろいろ種類が多すぎて、あらゆる種類の失敗に対して解決策が異なるから「失敗哲学」にはしにくいのかも知れない。

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「失敗」と「成功」は相対する言葉ではあるが、共通するのは『行為の結果』ということだ。つまり「何もしない」状態から1ミリ足りとも動かず行動しなければ、「失敗」にも「成功」にも決して到達できないということ。

人生において、「負け組」であるうちは「暇」と「お金」が両方あるということはまず有り得ない。自分が「負け組」だって自覚がある人は一見くだらない事でも「時間」をかけてやってごらん。ちょっとでも上達したらどんな事だって楽しいはずだ。自分の成長を自分で感じることができたら、それは心が豊かになったしるし。プライスレスな体験だ。

※参考サイト※


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