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苦手なことを仕事にする!2・・・一匹狼が人をまとめる??

最初の会社を退職するときに「退職金」を始めていただきました。ある程度まとまったお金が入り、もう一度子どもの仕事に戻るべく、リトミックの勉強をし始めました。とはいえ、あとあととんでもない学校だったことに気づくのですが、とりあえず教室の仕事が始められたので、おかげさまでもあります。

その頃のリトミックの教室の仕事は、メイン講師とアシスタント講師が1組でやっていました。はじめは見学に数か所行かせていただき、本当に先生ごとに違うことに驚きましたが、それはそれで私のやりやすさにもなっていたかも。

数か月して、2か所のアシスタント講師をさせていただけることになり、1年経った頃には、メインの教室1か所と、アシスタントの教室が5か所・・・つまり週6で教室に関わっていました。とはいえ、勉強の身。ぜんぜん仕事として成立するわけもなく、午前中教室、午後アルバイトという生活が始まりました。もちろん学校へも通っていたので、結構めいっぱいだった気がします。

その間、いろいろなことで学校と対立したり、講師同士での勉強の場を作ったりなんだかんだで10年近く所属してはいましたが、いつも間にか講師の代表みたいな形で学校には目をつけられていました。もともと一匹狼的な性格の私が人をまとめるなんてという感じでしたがね。

教室はこうしなくちゃいけないということが全くなかったので、その分自分で勉強しなくてはいけなかったのですが、好きにできるところは一匹狼気質の私には向いていたのかもしれません。

その頃、講師同士の勉強会をやろうと公共施設を借りて不定期で開催していました。もちろんそれは情報交換もできたり、ネタ探しにもつながったりで人数も増えていったのですが、回を進めるうちに中には「お金を出してほかで勉強してきたものをタダでほかの人に伝えたくない」という人も出てきて、自然消滅したような記憶です。今の私だったら、「アウトプットしない限りインプットもできないし、アウトプットしたことが別の形で自分に戻ってくるよ」と言えそうな気がするんですが、その頃は私より年下でも講師歴は長い方にこの考え方の方が多く、そうは言えなかった。まあ、その後も勉強会という形にはならなかったけど、お茶やお酒を飲みながら情報交換はやっていましたけどね。

ちなみにアルバイトは問屋街での販売をさせていただいており、リトミックの教材も格安で手に入れていました。このアルバイトも7年で退職することに・・・。でもここでも人に恵まれ、もちろん嫌なこととか大変なこととか、お客さんにすごまれたこともありましたが、相対的には楽しく過ごさせてもらいました。

そうそう、たま~に外国人が来たりもしました。百貨店の時も外国人の方がいらしていて、まったく・・・ま~ったく英語が話せない私は、身振り手振りでやっておりましたが、この問屋さんでも英語を話すお客さんに日本語で対応する私という感じでした。ただ、話せないのに堂々としていたんでしょうね。ある日店長から内線電話があり、「〇階に来てくれる?」って言われていったら、外国人の方と話してほしいということでした。私英語話せませんけど・・・って言ったらすごく驚かれて、私の方が驚きました。

まあ、定期的に仕入れに来る韓国の方がいらして、たくさんのカゴに目いっぱい商品入れてきて、レジ打つと数十万円。それを「手持ちは10万円なので」と言われて10万円分商品を選んで売ってみたり、アメリカの方に秋葉原までの行き方を聞かれて説明したり、カナダの方に「蚊取り線香」の説明をしたり、自分でもよく日本語だけでやりあっていたなあと思います。

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