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自己紹介と100周年への想い③

 いちのみや市100周年専門委員の櫻井理恵です。修文大学短期大学部生活文化学科で教員をしています。

私と一宮

 修文大学短期大学部の前身、一宮女子短期大学に就職した際に、「学校の近くに住んでください」と言われ、その時から、一宮市での暮らしが始まりました。

 私の毎日は自宅と学校の往復で過ぎていきます。直線距離で2キロ程度でしょうか。子供が小さかったころは、保育園や児童クラブもこの途中にありました。こう書いてしまうと、なんだかとてもつまらない毎日を送っているように思われるかもしれませんが、学校も、家もなかなか楽しいです。
(修文大学短期大学部生活文化学科インスタグラム:https://www.instagram.com/shubununiversity_seikatsubunka)

 2020年も間もなく終わりますが、コロナウィルス感染拡大の影響で、社会が大きく変わり始めています。ただ、私の暮らしは、「出来なくなったこと」ばかりではなくて、「出来るようになったこと」もけっこうあるなぁという印象です。

 「出来るようになったこと」の一つはICTに関わることです。4月から5月は学生が登校することさえもできず、授業はリモートとなりました。リモートで授業をしたことなどあるわけもなく、頼りになったのは先人たちが発信するYouTube動画でした。動画の作り方はもちろんですが、機材のことなども含めて、困ったらYouTubeです。驚いたのは多くのYouTuberが一人で撮影、編集し、動画を公開していることです。私たち教員もリモート授業は何でも一人でやらねばなりません。一人で授業資料や動画を作り、学生に向けて発信するのです。その場にいなくても、電磁波に乗せて伝えることができる!、発信者も受信者も、好きな時に発信、受信ができる!、手持ちのパソコンやスマートフォンで何とかなる!こんなに便利な道具は使わない手はない!、ということに気づき、前向きな気持ちになりました。

 今回「note」も初挑戦となります。また一つ出来ることが増えました。

いちのみや市100周年。

 さて、100周年。
 今まで「100周年」に何度か巡り合ったことがあります。

 最初の「100周年」は小学生の頃。通っていた小学校が「創立100周年」を迎えました。100周年の幟旗が学校の塀一面に飾られたり、式典が行われたり、盛大なお祝いだったと思います。私たち児童は100年前の小学生というテーマで仮装行列を行いました。和服を着せてもらうことで、明治時代にタイムトリップした様で、とても楽しかった記憶があります。良い思い出です。

 次は大学の「創立100周年」。すでに卒業していたので、100周年記念棟を建設するため寄付の依頼がきました。思いおこせば、大学には70年館、80年館、90年館と10年ごとに建てられた校舎がありました。在学中に意識したことはなかったのですが、あの校舎が、先輩方の寄付で作られていたことに気がつきました。10年ごとに立てられたた校舎は、学校の成長を示すモニュメントであったのだと思いました。現在、それまでのもとのは比べ物にならないくらい立派な100年館が完成し、次の120周年を迎えようとしています。

 ちなみに我が修文学院は来年80周年を迎えます。

 そして一宮市制施行100周年。最初に専門委員会が行われた昨年の段階では、希望にあふれ、あれも、これもという勢いがありました。2020年がこの様なことになり、出来ることにも制約が生まれました。でも、多くの市民にとって100年単位のお祝いは一生に一度のことだと思います。だからこそ、来年が一生の思い出になるような、1年になると良いなと思っています。

 2020年を経験して、自分が出来る様になったことを活かして、2021年の市制施行100周年に貢献したい。どこにいても、空間を自由に移動する電磁波の力を利用してなんでも伝えられる。発信する側も、受け取る側も日々成長しているはず!
 「note」を通じて発信することで、私たちがやりたかったあんなこと、こんなことを身近に感じていただけたらと思います。

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