演劇の感想

先日ある芝居を観たので、メモがてら忘れないうちに感想を書き留めておくことにする。

話は一人の漁師を中心に展開していく。
その人は小さな船の船長で、40代のベテランと30代のお調子者と、後々船員になる臨時バイトでやってきた20代の若者の4人がその漁師のグループで、一緒に酒を飲んだり、飯を食ったり狭い部屋の中で一緒に過ごす時間が描かれる。
冒頭のご飯を作るシーンが圧巻で、ほんとに毎日こうやって作っているんだろうなという手際の洗練され方と自然なセリフ回し、もはやセリフを言っているというより、そこにいる人がしゃべっているという自然さでこの作品がどういうテンションで進行していくのかを説明してくれる。

そのもう一方で隣の部屋では、新しく引っ越してきた家族が描かれる。認知症の祖母とその息子である父、とその父の娘の3人が過ごす時間が漁師組と並行して流れていく。

この舞台美術がまたすごくて、精巧に作られた左右対称の部屋が並べて作ってあって、下手に漁師、上手に家族。部屋の間取りは左右対称で変わらないのに、細部に生活の跡が施されていて、漁師のその部屋での生活の歴史が刻まれている。

隣り合った部屋の会話はリンクしようがないのに、並行に語られていく。
お互いがお互いに少しずつ関係しあって、それぞれが各々の問題に直面していく。

漁師は認知症の母と娘の様子を縁側から見てしまった事によって、影響を受けてしまう。認知症という単語すらも知らなかった彼にとって何がそこまでの衝撃を与えて漁にも出れずに酒におぼれていく。
そうなってしまった彼をよそ目に、他の漁師たちはバタバタと騒動を起こしていく。
若者は酔っぱらって漁に出ようとして、それに激昂した中堅がぼこぼこに殴りつける。その騒動の後、ベテランの漁師が親の病気を理由にここを辞めないといけないと語り始める。
男はそれをぼんやりとただ聞いている。ただどうしようもなさだけがその部屋に積み重なっていく。

一方で、家族もそれぞれが追い込ま江れていく。
日に日に祖母は認知症がひどくなり、娘はその得体のしれない感じに苦しめられる。飲み物や食べ物をぶっかけられたりなかなか悲惨な目にあってはいるのだけども、個々の行為よりも、その分からなさに苦しめられているように僕からは見えた。父は離婚しているからなのか、元々の娘との折り合いの悪さに加えてその状況と、祖母の介護で日に日に憔悴していく。それでも頑張ろうとする父の姿には胸打たれるのだけども、どこか空回ってしまう。
その空回りの果てに娘はおばあちゃんと私らは何なのかと問う。父の家族やろという答えの切迫さが胸に迫る。けど僕は若者視点で見てしまうのでその言葉に若干の苛立ちも覚えてしまう。理不尽だなあと思ってしまう。
いつか自分の祖母や親がこうなってしまった時どうするんだろうと考えてしまう。
それを言ったきりの父親の背中をずっと見てしまった。いつかあの背中に背負っている荷物の中身を理解できる日が来るんだろうかなどと考えた。

漁師はその間も酒を飲みながら、洋画のつまらん映画をぼんやりと見つめ続ける。どうしようもないどこにも逃げようのない閉鎖的な夜がじーっと続いていく。行き場を無くした夜のまま舞台は暗転していく。誰もが眠るように。

そして夜が明ける、舞台は暗転を挟んでも何も転換する事なく朝になる。どうしようもなく、朝。けど、娘が昨日おばあちゃんがボケて潰したカニを使って朝ごはんを作る、殴られて痛みで眠れなかったからと言い訳する彼がおでんを山のように作って船長の家に持ってくる。
僕はこのシーンがたまらなく好きだ。湯気の立ちこめる様子は希望が立ち込める気がする。元気が出る。
どうしようもない夜も、朝をつないでいる。そこには朝の希望の光がそっと差し込むのだと思う。
その先を切り開いていくのは、若い世代であってほしい。
それを感じられるこのシーンが好きだなと思う。

結局この家族はまた越していく。
そのまま漁師の生活は続いていく。

形はそのままではないし、二つの関係はもう交わることはないのだろうけど、それぞれの日常は進んでいく。
最後に暗転した後なんと二つの部屋が一瞬物理的に動いて分かれる。
そこに一筋の光が差し込む。
日常は日々刻々と気づかないうちに、変わったりしながら進んでいく。
その道にどうか光あることを願いたいと思った。

サポートしてもらえるのは嬉しいものですね。