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「環境保護活動」について想うこと

【ニュース/グレタさん一時拘束】
朝ニュースを見ていたら、環境活動家のグレタ.トゥンベリさんがドイツ警察に一時拘束されたとのことでした。
1日で解放されたらしいですが、このニュースはシンボリックなので少し環境保護活動について思うところを書きます。

最近は[環境テロ]という言葉も出てきて、若い活動家が名作絵画にペンキをぶつける話などを目にします。
彼らの論理としては、「今現在経済的に恩恵の多い立場にある先進国は、我々の共有の財産である地球環境を未来の世代から盗み、浪費している。」というのが自分達の活動を是とする論拠らしいです。
そして、「古い世界で大事にされてきたものと、これからの世界とどちらが大切か?」という主題を主張したいがためにシンボルに名作絵画を狙うらしいのです。
どうも、未来と過去とそして今現在の利害、が互いに蝕みあう状態に見えてきて変なことになっているな…と感じます。
それぞれが、大切なことなのでどう考えたものかと思います。

私は仏様の教えである、「古来現(こらいげん)はいずれも不可得である」という言葉を憶い出しました。
「不可得」という言葉はなんだか難しいですが、未来も現在も独立しては存在せず、まじりあっていると仰っているのだと思います。
一人の人の存在の中で、過去と現在と、未来への展望がまじりあって、現にその人が成り立っているので、そのバランスがくずれたらその人の存在が病む… とおっしゃっていると受けとめています。
その意味で古来現を歪みなく見通せるのは、仏様の智慧であり、我々は自分の関心のある部分だけを取り上げて実体視するので何らかの意味で歪み病んでいくのでしょう。
これを健全に戻すには、やはり人間を超えた健全性をもつ存在への信仰が基盤に無いと無理なのでは、と私などは思ってしまいます。
前述のグレタさんは発達障害なので、ある意味極端なのは当然ですが、彼女をシンボルに担いで騒ぐのは実は社会を蝕んでいる行為なのかも知れません。
そして何より我々の環境に配慮がいかない欲望と浪費にまみれた現在のみの経済生活が、第一の歪みの原因なのでしょう。
命に関わる問題だからこそ、我々は歪みなく考えなければ、と感じます。

歪みなくものごとを観れる存在から見れば、我々は何らかの意味で歪んでいて、そのことで苦しむのだ、は覚えておくべき真理だと思います。


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