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【トラウマ的体験について】


【トラウマ的体験について】

言語に関する関心は続いているのですが、今月は先々月に少し触れたトラウマ的体験とそれに続く感情について書きます。
それというのも今やっているNHK の朝ドラ『虎に翼』で戦災孤児の問題に主人公が家庭裁判所職員として関わるエピソードが出てきていて、それが私が関わったことがある、ある印象的なお葬式を思い出させたからです。


あれは何年前でしたか? 多分12、3年は経ってるかと思います。 勤めたお葬式の故人が戦災孤児として終戦後の2年ばかりを上野で過ごした人でした。 あらかじめわかっていたのではなくて儀式終了後に火葬場にいくタクシーに同乗していた故人のお兄さん(だったと想う)から聴いた話です。

たしかに、お葬式にどう見ても素人には見えない、ヤーさん風の男5人ばかりが焼香に来ていて、ちょっと場がザワッとなっていたのには気がついていました。 しかしこっちは読経をしているので深くは考えていませんでした。
その人たちが、終戦時にこの故人の方と上野で浮浪児として一緒に生活していた人達だったそうです。 実家は確か池袋あたりと言われてましたが、焼けてしまい、親戚のところへ疎開したのですが、混乱の中で迷子になった故人だけが生き別れ状態になったそうです。 気にはなっていたが色々生活に追われ、警察に保護されたことで身元が判明し、(言い方悪いと“浮浪児狩り”で)2年後やっと再会したそうです。

さぁ、それで家族一緒に生活し始めたのはいいのですが、何かあるとすぐに家出をする。そして上野の時の仲間のところでしばらく過ごしてから帰ってくる。そして上野の浮浪児の中ではだんだんと組織性の強い犯罪に染まっていった子もいたそうで、家族としては「もう、あいつらの所には行くな!」と何度も言ったそうですが、全然聞き入れない。
 お兄さんは「あいつにとっては、浮浪児仲間が家族より信頼できる人間だったようで…。」と言葉をつまらせておられました。
その後、戦後復興した日本社会で故人は生きていかれたのですが、一生その人たちとの付き合いはなくならなかったそうです。確か独身で通したようでした。

ちょうど、先日専門家がトラウマを受けた、例えば戦場トラウマを持った人が何故自分の子供等に暴力を振るうのか? について新聞記事で「過覚醒」という言葉で説明していました。
強いストレス状況の中で、生き延びるために「逃走か?、闘争か?」というスイッチが脳に入り、命を守っていたのですが、もうその状況ではないのにそのスィッチが切れなくなっている状態で、その状態でもの事に対処した結果、暴力行為になる、ということのようでした。

この話しの故人は家庭内で暴力をふるったりはなかったそうで、純然たるトラウマとは言えないかもなのですが、小学校中学年くらいで浮浪児でいるというのは毎日が命の危険にさらされている感覚で、そのテンションを共有している仲間が一番心を許せる友達になったのは、さもありなん、と思われます。
話しを聴いて、人生の最初の方での体験が一生尾を引くのかーと、切ない気分を味わいました。


でも、これは私や家内にとってもあまりひと事ではなくて、身内に精神障害者(もしくは予備軍?)がいると、子供期や思春期前半に“命が危ないかな?”という感覚を持ったことがあって、それが尾を引いて、そうでもない日常時の出来事に“過覚醒”のように反応をしていることがある気がします。
ここまで広げた話しにすると読者の方にも、思い当たる経験のある人がおられると思います。
こうして我々は過覚醒反応しながら、不適切に反応し、人の話しが耳に入らない状態で社会生活を送っているのだと思います。

そして、又急にものすごく話しを拡げると、イスラエルの保守派などと言う人達も、集団性の“過覚醒”に落ちいってるような人達で、理性による説得を聞かない人達かな、という気もします。
話し合ったり、議論したりする前提に「過覚醒」の解除、という手続きを経ないと、話し合いも成り立たないくらい病んでる人達が多くて、それが結構各国で権力を持ってる人達の中にいると考えると、こんなに国際情勢がキナ臭いのも、“さもありなん”な事なのかなと思わされます。

集団性のサイコセラピーを社会的地位のある人達に受けさせるわけにもいかないので、宗教家である私達のような人間が何か考えなければならないのか?と、想ったりもし、気がゾワゾワしたりしています。

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