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【又しても家内が倒れた】


【又しても、家内が倒れた】

一昨年の3月、駅で買い物中家内は脳出血を起こして入院。退院まで3ヶ月かかりました。
その間、自分の面倒は自分でみなければならないので、10年ぶりくらいで洗濯しましたわ。
そして、その頃愛読してた本は『アダム.スミスの夕食を作ったのは誰か?』/カトリーン.マルサルでした。

タイトル見るだけでわかりますが、この近代経済学の父は、生涯独身だった彼の夕食を作り続けた彼の母の労働を意識して経済理論を作っていたのか?から始まる、まぁバリバリのファミニスト経済学です。 イリイチの『シャドーワーク』より近代社会の具体例がひつこく出てきて、ある意味身近な説得力があります。
 
そしてこの本の概念の中心だと感じたのは、
「経済人と呼ばれる近代における個人は初めから一人前で理性があり、自己責任において選択をし、経済活動をする、となっているのだが、実際の人間は幼少時には全面的に他者に依存し、老齢期においても他者への依存が増える。 離れ小島で暮らすロビンソン.クルーソーのような存在ではなく、他者からのケアや、他者への依頼性に満ちたものであるが、歴史的にその部分を意識しケアするのは母性という聖性を負わされた女達であった。」
というコンセプトでした。

“まぁ、当たってること多いわ”と思いました。単純に家のメンテナンスしてるだけでもまぁまぁの苦労ですが、普段はあまり意識されない。この辺は言わずもがなに女の人がいつの間にかやっている的な文化の中にいたんだな、と。
そして、家内は夏の前に退院してきて、リハビリもうまくいって、そんなに「介護」という感じではなく普段の生活に軟着陸しました。

そして、まぁ、これでは学びになっていないと私の守護の霊達が思ったのか、それから約2年後、今度は在宅の状態でどんどん弱ってきて、転倒して救急車で運ばれたのですが医学的にはこれと言った原因がない、と帰ってきて2日後の定期検診では「腎臓の小さい結石が動いているせいかも」と言われて泌尿器科に紹介状を書いてもらったが、紹介先ではデータ的には緊急性がないとして診療は1ヶ月後のこととなりました。 家内は毎日ちょっと起きてはすぐ寝て、どんどん筋力等が低下して自分で起きられる回数が減ってきてる状態です。(なのでトイレに行くのに介助がいる)
 外部から何の助けも入らない介護の状態ですね。これが女の人が背負わされてきた状態かー、と考えたりしました。(こんどの木曜日には介護申請の調査の人がきますが)

それと、もう一つ厄介なのは私の心理状態。 去年長年の懸念であった統合失調症の兄が亡くなりました。幻覚に基づく暴力で父親を死なしてしまった人で、精神科医の中の一人の方の意見に基づいて直接身内が見ないほうがイイと言われて電話連絡を受ける位で20年以上顔も見ていませんでした。
一応葬式を出して帰ってきましたが、その後、長年未処理だった感情が吹き出してくる時がままあるようになりました。そして、最近家内が倒れてからやる言動が、精神障害者を連想させることがあると、急に物凄い憤り、怒りが吹き出してきます。
病人相手に激烈に怒るので、相手はとまどっています。 そこで、これは過去のことで今起こっていることと関係ない、と思ってもちょっとした言い間違い、口に出したことを実行しない、話しの途中で寝る、などを何度かやられると1日のどこかの時点で感情が爆発します。
これで、家内は消耗しているのもかも知れないです。 そう思っても1日の中で何度か上記のようなことをやられると、我慢は効きません。
コントロールする手立ては今のところ想いつきません。外部の誰かが干渉してくるまで同じことの繰り返しでしょうおそらく。
令和6年4月末ゴールデンウィークに、こんな気分で日常を過ごしている日本人はまずいないだろうと、感じてるんですが、けっこうおられるのでしょうか?
つまらないアンガーマネジメントのテクニックとかではなく、アドバイスのある方はご意見下さい。 
介護➕トラウマ的感情の処理は個人では難しいです。


(写真は最初に入院した頃、近所で咲いていたマグノリアです。)

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