人生のレート2000

カチャカチャ…
「ち。クソが」
手元から流れるコントローラーのボタンが弾ける音と、無意識的に口から発せられる文句の声は、僕の部屋の空気と一体化して一層悪い雰囲気を漂わせていた。
「いい加減に働け!」といった親父の罵声や、「まずは部屋から出てきてご飯食べたりお出掛けしたりしよ。」といった母親のお願いは、僕の部屋の"空気"にかき消されて僕の耳には届かなくなっていた。
「スマメイト2000達成したら働くって言ってるのに、なんで理解出来ないんだ。」
そういつも言っていたが、彼らにはどうせ解らないだろう。
「クソ、こいつの戦法まじで終わってるな。」
深夜にスマメイトをしていると、よく同じプレイヤーとマッチングする。負けると文句を吐きたくなるが、Twitterや紹介文で悪口を言って晒されるというのはスマブラ界隈の日常茶飯事なので、僕は基本的には我慢していた。

だが、この日は訳が違った。いつも当たる「あ」とかいう害悪プレイヤーに本当に我慢が出来なくなった僕は、紹介文に嫌味なことを書き込んだ。少しスッキリしたので、そのまま眠りに付いた。しかし2時間ほど経つと、スマメイトに熱中しすぎてトイレに行くのを忘れていたからか、トイレに行きたくなって目が覚めた。ついでにさっきのことを思い出すと、やはりまずいのではないかと不安が襲ってきた。「あ」という名前でTwitterもフォロワー3人なので特に問題はないだろうと思っていたが、他人に晒される危険もあるし、念には念ということで紹介文を削除しておいた。そして1つの不安もないまま再び眠りについた。
次の日も昼前に起きるなり僕はスマメイトを開始し、レートの上げ下げを繰り返していた。目標のレート2000を達成するためならどんな犠牲でも払う。当然の決意だった。

そして、あれから10年が経ち、僕は30歳になった。今でも毎日のようにスマメイトを続けている。スマブラは長い年月を経ても、その唯一無二のゲーム性から常に安定した人気を誇っていた。そして、スマメイトも。僕はと言うと、未だにレート2000には到達していない。達成したことと言えば、30期連続の対戦数1位の実績だ。スマ界隈では僕を伝説化している者たちまでいる。最近は両親も何か僕に語りかけてくることはなくなった。毎月6万円を部屋の前に置いてもらい、1ヶ月の食糧を買い込む生活を送りつつ、スマメイトに励んでいた。しかし、僕の精神は流石に限界を常に超えていた。終わりなき意味のない戦い、罪悪感と劣等感。だがレート2000を諦めて日常を過ごすことはもはや僕に取って死を意味する行いであった。今日は、記念すべきスマメイト100期の最終日だ。同時参加人数は1000人を超える時間帯も存在していた。しかしこんな日に限って、僕はスマメイトをしていない。今日が、僕の挑戦の終わりと言うことだ。僕は小学生の時から使っている勉強机付属の椅子に、ロープを引っ掛けて、首にあてがり、一旦手で押さえた。
「母さん、最近は全然母さんの料理を食べなかったけど、昔よく作ってくれた甘いカレーが大好きだったよ。生まれ変わったら、また母さんの子供に、いや、こんな仕打ちをしてそれは贅沢かな。せめて母さんの作るカレーの材料にでもなれたらいいな。さようなら。」
僕はロープから手を離した。

目が覚めた。生きてる?いつもの子供部屋とは違う天井、だけど病院って感じもしない。
「ここは、どこだ?」何も分からなかった。
「お父さん!おはよう!」「あなた、起きて、今日は買い物でしょ。」
横には2人の子供と、僕と同年代くらいに見える綺麗な女性がいた。僕は、思い出した。彼女らは、僕の家族だ。夢を見ていた。嫌な夢を。単なる悪夢ではなく、すごく現実的な、僕が追っていたかもしれないレート1000の人生を。

あの夜、僕はスマメイトに熱中して飲み物すら口にしていなかった。なので、眠った後にトイレで起きるなどあり得なかった。僕は「あ」に紹介文を送ったまま昼まで爆睡し、起きてTwitterを見るとその現実に絶望した。「あ」の正体はスマブラ界隈の人気プレイヤーだった。人気プレイヤーに嫌味を言った僕は晒され、フォロワーにも僕を異常者と判断しない者はいなかった。完全に居場所を失い、トラウマを植え付けられた僕は、スマブラを辞めた。
高校を中退して部屋に引きこもって以来、見ていなかった母の顔はどこか痩せ細りながらも、僕にだけは感じ取れる温かさをまだ少しだけ残していた。この温かさが完全になくなるのは、もう時間の問題だったのだとその時悟った。僕らは抱きしめ合い、泣いた。その夜は母さんの甘いカレーをたくさん食べた。父さんとも話し合い、数日後にはハロワに足を運び、なんとか仕事を得ることが出来た。そこから僕は過去を忘れて努力を重ね、ついに可愛い奥さんと子供と暮らすまでになった。今でも稼ぎが良いわけではないし、引きこもりだった頃のだらし無さは抜け切っていない。しかし妻はこんな僕を受け入れ、支えてくれた。

今日は、長男の誕生日だ。前から彼が欲しがっていたのはニンテンドースイッチと、スマブラSP。今日は食糧とゲームを家族みんなで買いに行く日だ。
「お父さん、今日一緒にスマブラ対戦しようね!」長男は笑顔で僕にそう言った。
「もちろんだ、父さんめっちゃ強いんだぞ!」
そう返してあげたが、内心は複雑だった。

顔を洗って、髭を剃る。僕は何気なしにスマメイトを開くと、無意識のうちに手が今使っているTwitterアカウントとの連携をしようとしていた。だが、弾かれた。今はGoogleアカウント認証らしい。だが、お陰で正気に戻れた。
「綺麗な妻に可愛い子供達。もうスマメイトの数字に拘る必要はもうどこにもない。あの夢は、神様が僕に教えてくれたもう一つの現実なんだろう。僕は負けないからな。」
そう意識的に呟くと僕は髭剃りに戻り、顎の方に目を向けた。目に入ったのは首元にある赤いロープの跡、僕がスマメイトのサイトを閉じると、それは跡形もなく消え去った。



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