【解説レビュー】映画『ぼくのお日さま』意味がわかると鳥肌必至…┊︎ハンバートハンバート×池松壮亮【ネタバレ考察】
ぼくのお日さま
はいどうも1分映画批評です
吃音持ちの少年
フィギュアスケーターを目指す少女
そしてそのコーチ
の3人がフィギュアスケートを通じて
交流していく様を描いた映画
ぼくのお日さま
見てまいりました
ライバルもいませんし
必殺技的なトリプルアクセルもありませんが
主演3人の心の交流を
ゆっくりと見守るような
優しく温かい素晴らしい映画でございました
で今回は
ぼくのお日さま
光の演出、非常に良かったと思います
脚本、撮影、監督、編集と
全部
奥山大史(オクヤマヒロシ)が担当しているので
ここらへん光の扱い方かなり
こだわりあるようなので
というか見た人だれもが気がつくと思いますが
劇中の光演出について
個人的な解説考察を2つしていきたいと
おもいます
ちなみにここからさきは
ネタバレ含む内容となっておりますので
ご注意ください
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それではぼくのお日さまの
光演出解説
1つ目は
①常に画面上に何らかの光が差している点ですね
この映画は画面に常になんらかの光があって
例えば
それは外の日差しだったり
窓から差し込む太陽だったり
家の中の電球だったり
整氷車のライトだったりと
つねになんらかの光が画面上に存在しているっていう
不思議な映画で
その光が常にあることで
映画にものすごい温かみを感じることが
出来るんですよね
スケートの夢を諦めた池松も
フィギュアスケーターになれるか不安なサクラも
吃音に苦しむタクヤも
光が差し込むスケートリンクだったり
太陽の光がある奥外だったりだと
ものすごい安心感、ものすごい多幸感を
感じられていることがわかるし
それぞれの家、池松とタクヤメインですけど
それぞれの家でも、ふとした照明だったり
カーテンからの日差しがあることで
なにか明るい未来があるような
感覚になってしまうというのが
この映画の演出の素晴らしいとこ
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で
逆に光のない所
ロッカールームとか
保護者との応接室とか
さくらが来なかったスケート会場とかには
光が画面に写ってないので
ものすごく冷たい感じ
ものすごい不安な感じってのが対比として
現れてるっていうね
ここらへんもわかりやすいんですけど
めちゃくちゃ効果的な演出だったなと思いますし
ラストの太陽溢れる、外での再会ってのも
なにかしらの希望、とまで行きませんが
ポジティブな感情で終われるラストも見事だったなと
思います
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で
光演出2つ目は
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