落ちてこそ穴

円く切り取られた青空。
空色の丸窓に白い雲が目まぐるしくフレームイン・フレームアウトを繰り返す様子は案外見飽きない。

はるか頭上まで立ち上がる、滑らかな弧を描いたコンクリートの壁。挫いた足と粉々になったスマホ。
あかるく賑やかな初夏の休日から突然切り離され、気付けば私はこの穴の底にいた。

落ちる直前、オレンジ基調でとてつもなく派手な、魔界のパンジーみたいな物体が目の端に映った。
思い返せばそれはピエロの扮装をした中年女性だった。オレンジ基調に見えたのは、彼女は頭の上、広げた両腕の上に三角コーンを何本も逆さに立ててバランスを取る芸を披露していたのだった。
おそらくあの三角コーンは、今私が落ちているこの蓋の開いたマンホールの周りに置かれていたものだろう。そのせいで私は唐突に路上に口を開けていたこの穴に落ちたし、私が落ちたことに誰ひとり気付かなかったのも、彼女のパフォーマンスに通行人たちが皆目を奪われていたからだ。時折、わあっと子どもたちの歓声が遠く聞こえてくる。腹立たしい。

そう、蓋。
落ちて初めて、今まで私が「マンホール」と呼んでいたのは「マンホールの蓋」だったのだなあと気付いた。今となっては、どっしりと重く頼もしく、華やかなレリーフの施された存在感のある鉄板にその名は全く相応しくないと感じる。
まだ腹部の底に余韻を残している、唐突な地面の消失と浮遊感。
あの圧倒的な不在こそ、穴(ホール)と呼ぶべきだったのだと。

ほーる。

なんとなく口に出して言ってみる。
その名は自身の仄暗い内部に茫々と響きながら出口を目指して昇っていき、そして再び聞こえてきた一層大きな歓声と拍手にかき消された。
大技が決まったようだ。

ここから救出され、あの魔界パンジーの身元を突き止めて然るべき措置を取り、足を治したらジャグリングを始めたい。上手になったらここでパフォーマンスを披露しよう。ピエロの衣装も用意して。


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