鎌倉時代の時世

最近なにかと、取り沙汰されている鎌倉時代、源頼朝の時代について

いくつか思った事を書いてみようと筆を執ってみました。(正確にはキーボードをたたいてみました)

戦国時代の終わりから江戸初期にかけてと違って、鎌倉時代から室町時代(戦国時代)にかけては世の中が目まぐるしく変わっていく、

いわゆる下克上や裏切り、疑心が目立つ時代であったことがわかります。

頼朝も清盛から命だけはかろうじて助けられて、流刑ですみ、北条家や坂東の豪族たちに助けられ、源氏の再興を図るべく平家討伐に動き出す、

弟の義経らも駆けつけて兄弟の絆を確かめ、華々しい戦果を残し、見事平家を滅ぼすことに成功する。とここまでは良かったものの朝廷の策略に、翻弄され兄弟同士疑心にかられ、仲違いがはじまりついには、義経を討てと
頼朝の下知が坂東武者たちに下される。 義経を探し出すために置かれたとゆう守護地頭。
色々な場所に義経の逃亡の足跡が残されているが、結局幼少期に世話になった、奥州藤原氏に助けを求め下向するが、そこにも頼朝の手がすでに及んでいて、義経を匿えば藤原氏共々滅ぼすと、脅され、藤原兄弟に殺される義経。 あまりに悲惨な最後に、人々は逃げ延びた義経は蝦夷(北海道)に渡り、最後は大陸モンゴルに渡りチンギスハーンとして世界制覇を成し遂げた。 そんな伝説まで残っている。

その後も頼朝が落馬が原因で亡くなり、有力御家人の梶原景時が殺され、2代鎌倉殿の頼家を呪詛したとして頼朝の異母弟の坊主、全成まで首をはねられてしまう。

頼家の長男一幡を担いでいた比企能員に謀反の兆候ありとして比企一族も粛清され、政治は一気に北条氏の手に傾く。

病気で虫の息だった2代頼家は息を吹き返すが、すでに頼朝次男頼家の弟の千幡(3代実朝)を担ぎだす予定の北条時政、義時親子は頼家を誅殺する。

大まかに言うと、この後3代実朝(千幡)は頼家の次男善哉に暗殺される。

まさに血で血を洗う、謀略の嵐。
その後執権として1世紀半を治める北条氏なんですが、これは血筋を見込まれ北条の肩入れで(政子を妻にしたことも大きいと思われるが)世を源氏のものにしたまでは良かったが、人を信じられなかった頼朝の影響が大いにあるのではないかと思うのですが、結局源氏の血は3代で絶えてしまいます。

北条義時は頼朝のやり方をしっかりまねて世を治めて行ったように思われる。決して野心などは無かったが。


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