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GIFTに関する備忘録②

↑の続き。

開演

予告動画にあった文言が羽生さんの声で場内に流れるところから。

そこに 幸せはありますか
誰かと繋がっていますか
心は壊れていませんか
大丈夫。大丈夫。
この物語とプログラムたちは
あなたの味方です
これはあなたへ
あなたの味方の、贈り物

最初にこのキャッチコピーを聴いた時、まるで彼のこれまでを垣間見るような言葉たちだと思った。観客に対する問いかけでありながら、同時に彼自身にも問いかけているような。この認識がどの程度正確なのかはわからないけれど、大外れというわけではなかったのかなと公演を見終えて思った。

それにしても、応援させてもらっているはずの人から「あなたの味方です」なんて言葉を贈られるとびっくりしてしまう。

「もらいすぎた」と彼は話していたけども、そりゃこっちのセリフでっせと思った人が一体この世に何億人いたことか。プロになって改めて恩返しや感謝の想いを込めた「贈り物」を届けようとしてくれる、その気持ち自体が既に温かいギフトなんだよなあ、といちファン目線では感じた次第。

火の鳥

心拍音のようなものが7回流れたあと、オーケストラの生演奏でイーゴリ・ストラヴィンスキー作曲の「火の鳥」が流れる。(ストラヴィンスキーって声に出して読みたくなる名前ですよね。)

スクリーンに光が差し込んだ後に古い地図のようなものが流れ込んでくるのだけど、これが自分がGIFTの構成演出をあれこれ妄想していた中で浮かんだイメージにかなり当てはまっていて驚いたし嬉しかった。なんとなく昔の航海士が使っていたような趣の地図がどこかで出てきそうだなーと思っていた。単純に自分がそういうモチーフが好きというのもある。

そこから彼の競技者としての記録年表が試合開催地を示す地図とともに展開していき、北京まで行き着くと、ピカーンと光っている日本地図の東京の部分に飛び込んでいく。UFOが地球のどこかに着陸する時のような描き方。やっぱり羽生さんは地球外生命体だったんですね(?)

そしてこの"ICE STORY"を形作ることになるモノローグが始まる。椅子に座っている羽生さんは語り部のような存在なのだろうか。リンクはノートか手紙のようになっていて、そこに見覚えのあるフォントで文字が書き連ねられていく……のだが、実は現地で見ていた時はこの演出には気づかなかった。スクリーンの方に気を取られていたのと、リンクに対する座席位置の角度の問題もあったと思う。(最後の"Fin."の部分は「何かを書いている」ということだけは分かったし、タイミング的におそらくそういう文言を書いているのだろうなと推測もできた。配信で映してくださったおかげできちんと把握できてありがたい。)こういう部分はA席などから見ている方がよく分かったと思うけれど、現地でそれが分からなかったことへの残念さというのはなくて、むしろA席を「ただ遠いだけの席」にしない演出の在り方に唸ってしまう。さすがっすね……。

さて話を戻してモノローグの最初の部分。

気がついたら、世界があった。
息をしていた。
自分は なんだろう。
でも 名前はあった。
好きなものもあった。
大好きなものもあった。
僕は、その大好きなものに、なりたかった。

ここでさりげなく語られる「自分はなんだろう。」「でも名前はあった。」という部分に単なる言葉以上の意味を感じてしまうのは深読みのしすぎかもしれないが、「自分とはいったい何なのか」という問いがこのGIFTという物語の中核にあったように思う。後半のモノローグにも「デキルノガ ボクダカラ」と出てきたり。

後に続く「でも名前はあった。」という言葉。予告映像には「羽生結弦の半生とこれからを氷上で表現する物語」とあったので、GIFTを"ひとまず"「羽生結弦という人の物語」として解釈するならば、「名前」=「羽生結弦」ということになる。配信を繰り返し見れば見るほど、彼が綴る物語の中で語られる「羽生結弦」の意味と重みを考えずにはいられない。

「僕はその大好きなものになりたかった。」

ここでの「大好きなもの」とはフィギュアスケートのことなのか、フィギュアスケートのチャンピオンのことなのか、はたまたそれ以外の何かを意味するのか。書きながら思うけれど、このGIFTという物語には「余地」が沢山ある。思考を巡らせる余地。解釈の余地。「これはこういう意味なのではないか」と考えるけれども、そこに完全なる自信を持てるわけでもなく、延々と考え続けてしまうような。こういった余地というのは抽象的に語られている側面があるが故に生まれるものだと思っているので、演技から感じ取るものを限定せずにいてくれる彼らしい優しさや器の大きさを感じるところでもある。

で、ここに来ていよいよこの公演の主役が登場するわけなんですが、これがもうとにかくすごい。すごくすごい。どこから出てくるのかな、黒いマントかぶってる特殊部隊みたいな方々の中に羽生さんが紛れ込んでたりしたら面白いな~みたいなことを考えていたがそんな妄想は秒で吹っ飛んだ。

「僕にはできないことがたくさんあった。」という語りと同時に下の方のスクリーンが開いて光が差してくるのが神々しくて、ははーんなるほど"""降臨"""ってこういうことを言うんだねぇ……!と心が理解した。

「もっと、もっとあったかくなりたくて」の「もっと」に呼応するかのように上昇してゆく羽生さん、に呼応するかのように沸き起こる歓声。スクリーンの中で燃え盛る火の鳥が翼を広げるのと羽生さんが腕を広げるのがシンクロした瞬間、現地では本当に両者が一体化しているように見えて鳥肌モノだった。

なんぼなんでも登場の仕方がかっこよすぎんか???????

ゆっくりリフトが下りてきて、リンクサイドに並べられた舞台装置にスクリーン側から順番に炎が灯っていく。この部分がめちゃくちゃ好き。高揚感が半端なくて、見逃し配信で何度も何度も巻き戻してここばっかり見たりするくらい好き。ダメ押しのティンパニの音と共にさらに外側でも一斉に炎が吹き上げられ、同時に羽生さんがリンクインして滑り始める。

本当に"""羽生結弦"""がいる、実在している、滑っている、という実感。彼を現地で見るのはこれで7回目だったけれど、未だに「本当にいる……!」という感覚はなくなっていなかった。

この公演には今までスケートや羽生さんを生で見たことがないという観客もおそらく大勢いたと思う。そういう人々の中にも、あの瞬間似たような実感を抱いた方がいたのではないだろうか。彼がリンクに降り立って滑り出した瞬間の歓声を耳にした時、彼が今存在して滑っている場所は他でもない「東京ドーム」なのだ、という圧倒的な現実が押し寄せてきて感慨深かった。

見逃し配信で何度も見返していると、この「火の鳥」はまるで祝祭のようだと思う。ストラヴィンスキーは「春の祭典」という曲の作曲者でもある。祝祭、祭典。ある種の儀式。前述の「存在の実感」の話を交えるなら、長らく伝説上のものと思われてきた生き物が初めて人々の前に姿を現したかのような、それを目の当たりにした人々の興奮と熱狂が渦となって広がっていくような。(そんな話があるのかは知らないが。)そういう時の、「祭」的な華やかさと神秘性。

けれども彼は伝説上の生物でもなければ神話世界の住人でもなく、今我々がいるこの世界を生きているひとりの「人間」なのだ、なんてことは当たり前すぎる話だが、この物語はその事実を静かに、けれど痛切に叫んでいたように思う。

自分は神様じゃない、特別なんかじゃない、悩みも葛藤もする、孤独や恐怖を感じることもあるし弱さもある、そういう人間だし、そういう人生を送ってきたんだよ、と。それを開示することで、見る人それぞれの心に、もしかしたら誰かが抱えているかもしれない孤独に、そっと寄り添おうとしてくれた。これはそういう物語だと思う。

話の流れで総括みたいな書き方をしてしまったがまだ序盤も序盤なんだなこれが。いつ書き終わるんだろう。

ここまで来て演技そのものの感想をまだ書いとらんやないかということに気がついてしまったので書きます。

イナバウアーが好きです。羽ばたくような動きも、右腕をゆっくり折りたたんでいく動きも。そもそも自分は羽生さんのイーグルやスパイラルやイナバウアーが大好きなので、それを長い尺でやってくださった暁にはもう五体投地して感謝するしかない。ティンパニの音に合わせた腕や手首の使い方もターンの実施も好きだし、スピンの最後で翼が山みたいになる瞬間があるじゃないですか(説明下手)、あそこも好きです。あと照明が消えてお顔に影ができた瞬間、美しすぎてゾクっとした。

ノービス時代に一生懸命羽ばたいていた幼鳥さんは、驚くほど麗しく立派な成鳥となってTokyo Domeに降り立ちましたとさ。はじまりはじまり。

モノローグ①

(※演目と演目の間のモノローグには便宜上番号を振ることにします。)

「火の鳥」の最中に流れるモノローグの中で「できることが増える→世界があったかくなる」という図式が出てくる。最初は「世界があったかくなる」って独特な表現だなあとぼんやり考えていたが、これってつまり「できなければ世界はあったかくならないまま」ということでもあるのかとふと思った。あったかくならないだけで済むのか、それとも冷えていってしまうのか、考え始めると少し怖い。

「世界で一番あったかくなれる場所」を見つけてそれが夢になったという、おそらくは少年の頃の羽生さん。心の中から聞こえてくる声は「君は、できないことが嫌いだから。」と言って消えていく。ここは「できる」と「できない」のせめぎ合いが描かれる後半に向けての伏線のような。

そして彼の感性の豊かさがこれでもかと言うほど溢れかえっている自然のお話が始まるわけです。

以前「みやびやかなひと刻」の中で彼が語っていた「小学生の頃、台風が過ぎ去った後の透き通るような空と水たまりが好きだった」というエピソードがものすごく好きだという話は何度もしているが、このエピソードに通ずるものを感じるモノローグだった。

どこにでもある草というものに目を向けて羨ましさを覚える感性がすごい。個人的に結構な衝撃だったのが次の太陽についての下りで、「太陽が力をたくさんくれる」と草に教えてもらった時の反応が「僕は太陽みたくなりたい。太陽みたいにみんなに力をあげて、みんなが世界をあったかくするんだ!」なんですよ。

「自分が」世界をあったかくするのではなくて、自分が力をあげた「みんなが」世界をあったかくするんですよ。

いやなんかもう、すごくないですかこの、ピュアなのに単純じゃない、どこか幼げでキラキラしているのに一筋縄ではいかない感受性の豊かさと独特さ。面白過ぎる。funnyじゃなくてinterestingの意味で。

彼のこういう独特な感受性の表出に触れる度に”一度彼の目線でこの世界を見てみたい”なんてことを思ったりするのだが、GIFTについてのインタビューの中で「こんな世界が羽生結弦の周りには存在してたんだなということを感じてもらえる」という趣旨のお話があったので、ある意味この公演でその一端を見せてもらえたのかもしれない。




というわけで(?)中途半端にも程があるけれども今はとりあえずここまで……。次の公演が始まる前に感想をまとめたいと思っていたんですが書きたいこと考えたいことがあまりにも多すぎてどうにも無理だったので、現時点である程度まとまっている部分までを残しておきます。時間ができたら続きをちまちま書き足していこうかな~とか言ってるうちにRE_PRAYが始まる。やばい。またあれこれ考えることになるんだろうな。そして「感想書きたいけど言いたいことありすぎてまとめられん!!!」って喚いている自分の姿がありありと想像できる。

だけどそれもまた楽しいんですよね。何はともあれ羽生さんが無事に公演の日を迎えられますように。見せたいもの、作り上げたい世界観を思う存分表現できますように。心から楽しみにしつつ応援しています!