GSRというバイク

GSR250というバイクをご存知だろうか。SUZUKIから出ているネイキッドのバイクである。

私はこのバイクがずっと嫌いだった。多分今も。



私には2人の兄がいて、2人とも自動二輪の免許を持っている。

長兄は大学に入り、バイクにハマったようだった。6つくらい離れているから、長兄がバイクに乗り始めた頃のことはあまり思い出せないけれど。

長兄が相棒に選んだのはピカピカの新車のGSR250だった。

GSRに乗って千里浜や角島へ旅をしたようだ。地元の友達と3人でツーリングをしていたらしい。

そんな長兄はどんどんバイクにのめり込んで、大学そっちのけで居酒屋でのアルバイトに精を出し、そして大学を辞めた。

そんな長兄の様子を見て、中学生の私はバイクが嫌いになった。

もとより素晴らしい兄とは言えなかったが、深夜に帰ってくることが増えたこと、家でご飯を食べなくなったこと、これらは全てバイクのせいだと思っていた。

どんどん落ちていく長兄を心配した母親と、チェーンでロックしてバイク出せなくしてやろうか…と話したことを覚えている。


…たしか大学を辞めた後だったと記憶しているが、長兄はバイクで事故にあった。

幸い大きな怪我もなかったが、GSRはいとも簡単に廃車になってしまった。

長兄に残されたのは、大学中退の経歴と怪我と多少の保険金だけだった。

今は就職して毎日仕事に行っている。相変わらず帰りは遅いし、家でご飯は食べないけれど。


長兄のバイクライフは3年程だったと思う。バイクはきっかけにしかすぎないとは思う。が、確実に長兄の人生を狂わせたのはバイクだ。


いや、どうなんだろう。

漫画やアニメを見るくらいの趣味だった兄が、バイクで駆け回っていたのはそんなに悪いことだったのだろうか。

バイクに乗り出した頃の長兄は確実に生き生きしていた。

何かの帰りの私を、最寄り駅までバイクで迎えに来てくれたことがあった。

サイドバッグからフルフェイスを出して、私に渡してくれたこと。夜風が気持ち良かったこと。後ろに乗りながらチラとメーターを見たら時速80kmでおったまげたこと。そして、嬉しそうにバイクについて話してたこと。

兄の人生の中であの3年が1番苦しくて楽しかったのではなかろうか、と今では思う。

3ヶ月点検までにオイル交換せずに6000キロも走ったり、自分でバイクの塗装したり、インカム買ったり。

フルパニアばりの積載に友達の分の荷物も詰めてツーリングに行ったり。能登半島で海鮮を満喫したり。角島行くだけのつもりが何故か九州上陸しちゃったり。

長兄がごく稀に家でご飯を食べるとき、こんな話を私にするのだ。楽しそうに。

側から見る限りクソみたいな長兄の人生だが(失礼)、クソみたいな人生になったきっかけのGSR250だが、兄の人生を輝かせたのもまたGSR250だと思う。

やっぱり私はGSR250は嫌いだけれど、私のバイクのルーツを辿るとこのバイクに辿り着くのかもしれない。


先日、ふらりとソロツーに出た際にGSRの後ろにつくことがあった。ふと、長兄のことを思い出したので、こんな文章を書いている。

もし事故で廃車になっていなかったとしても、長兄とツーリングに行くことはなかったとは思う。

しかし、もう1度くらい長兄がバイクに乗っているところを見たかったなとも思う。

長兄がバイク乗りの聖地だと行った北海道に住み、長兄ほどではないがフル積載でキャンツーもこなし、長兄がショップ任せだったオイル交換も自分でこなし、30000kmほどで廃車になったGSRにひきかえ、私のエストレヤは私の元に来てから55000kmほど走っている。

いつのまにか私は長兄よりバイクにのめり込んでいた。

長兄が私に教えてくれたことを肥やしに、私は今日も明日もバイクに乗る。






おまけ

全然話に出さなかったけど、次兄もバイク乗り。

3人兄弟の我々のバイクライフは、それぞれ少しずつ異なる。

長兄にとっては旅のツール、次兄にとってはちょっとかっこいい移動手段。私にとっては両方。

次兄は中古のバイクを買ったり売ったりで3台目。アメリカンが好きっぽいので相容れないものを感じている。まあGSRもセンス疑うけど。

兄弟仲が良くないうちのバイク事情でした。兄弟ツーリングとか絶対ないけど、並べるくらいはしたかったかもな。