カイル王子とルキ


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


 カイルは咳込んでいた。

「すぐに病院に参りましょう王子様」と側近の男は言った。

一国の跡取りが病気にかかったとの噂は、半日もしないうちに国中に広まった。

 カイルの容姿は、黄金の髪の毛を持ち、目は二重で大きく、鼻筋はスッとと通っており顎は鋭く、彫刻家が造形したのでは?との噂が立つほどの美男子であり女性から大変人気があった。また、才知にもたけており、男性からは羨望の眼差しを向けられていた。国民はカイルに心酔していた。絵にかいたような王子を持って誇りに思っていた。王族の跡取りであるカイルを失えば、ランス国は主柱を失ったも同然である。国民達はカイルの病気に将来を案じた。

カイルは直ちに近くの大病院に入れられることになった。王族も貴族も平民も通う、国立の病院だった。島国のため、近隣の医療は進んでいるが海を越えなければならない。

しかし医者の下した診断は風邪。安静にしていれば治るとの事だった。神託にも近い医者の言葉を聞き国民達は安堵した。

 

 だが、国民達の安心とカイルの心はまるで別の方向を向いていた。

 カイルは現状に腹が立っていた。この咳はなんだ、全然止まらないではないか由緒正しい王族は、神からの寵愛を受け、健康な生活を送るのが世の理ではないかカイルは、自分自身を特別だと思い、平民を見下していたのだった。

 ある晴れた日の事、カイルの部屋は二階の一人部屋で豪華というよりは清潔感があって開放感のある部屋に入っていた。ベッドの周りにはお見舞いの花が花瓶に沢山飾られている。その中にカイルの亡き母イルマイールお気に入りの薔薇の花もあった。カイルが昼の食事を終え、ウトウトとしていた時の事だった。

「噂通りのイケメンだねお兄さん」

丸坊主で目が丸く、顎のラインも丸い少年がカイルの部屋に勝手に入ってきた。

カイルは一瞬戸惑ったがすぐに平静を取り戻した。

「君は名前はなんて言うんだい?」静かな声でカイルは質問する。

「僕の名前はルキ。ルキ=マイーダ。ルキって呼んで」

「ルキっていうのかい?どうしてこの部屋に入ってきたんだい?」少し低い声でカイルは尋ねた。

「噂の王子様がいるって聞いて飛んできたんだよ。ねぇ泥で作った団子あるんだけど食べる」邪気のない笑顔を見せるルキ。子供の笑顔はみんなを幸せにする。少年の特権だ。さすがのカイルも許さざる負えなかった。

「おいしそうだね。じゃあ一個もらうかな」自然な表情でカイルは返答した。

「泥なのに食えるわけねーじゃんお兄ちゃんバカなんだからぁ」

「バカ?」カイルは怒りで顔が真っ赤になった。少年と同レベルである。

「食べれないのは知ってたよ。坊やのレベルにあわしてあげたんだよ」口調に棘が出ないように必死だった。

「本当は知らなかったんじゃない?」嬉しそうな口調でルキは言う。

カイルは言葉を失って右の手がわなわなと震えていた。

そんな心情、露知らずルキは続ける、

「お兄ちゃんって何歳?知らないことは恥ずかしい事じゃないよ。知らないことは知らないと知ることが大事なんだよ」

ルキは胸を張ってカイルに教えてあげているのだ。邪気のない子供の言葉ほど尖ったものはない。

カイルにとってこれほど不快なことはない。

「カイル様?どうかなさいましたか?」医者のキルアが何かを察して部屋に入ってきた。

「別に何も?」精一杯の強がりだった。

ルキを見たキルアは驚き、すぐさま言い放った。

「ルキ何をしてるんだ!王子様の部屋に勝手に入るな」

ルキはつまみ出された。

カイルは内心安堵したが、同時に後悔の念に苛まれた。どうして、無遠慮な童を言い負かせなかったのだろう。大人な対応をしてしまったのだろう?もっと自分も子供になればよかったと思った。

「今度からは誰一人部屋に入らせないようにしますので」真剣な眼差しでキルアが言う。

「いいよ。気にしなくて。僕は王子だけど、みんなと同じ人間だ。誰が入ってこようと問題ない」

「そうですか。じゃあそのように」

(え?そんなに簡単にあきらめるの?カイルは自身の失態に呆然とした。もっと言い返してくれると思ったのに……)

よってキルアとの話し合いの結論は現状維持、つまりルキにパスポートを手渡す事になってしまった。

飾られた薔薇がうれしそうに風で揺れていた。

 

「うるさいぞルキ」カイルは穏やかに話す。

「うるさいって声がうるさいんだよー」ルキが反撃する。この部屋はすっかりカイルだけのものではなくルキのものにもなってしまった。

カイルは考えた。所詮は子供、相手をしなければ自ずと自分の部屋に帰るだろうと。

「ねー今日の天気は青いよ、外見てごらんよ」

ルキは続ける

「今日の晩飯は何だろうね?おいしいかな?」

ルキの言葉に無視をするカイル、異変を悟ったのかルキは、

「ねぇ知ってる?世の中には理屈があって、その理屈通りに動いているけど天の樹海にあるサクルという花は、その理屈を捻じ曲げる事が出来るんだってさ。具体的にどういう事が出来るかというと、水の流れを下から上にしたり、蝶々をドラゴンに変身させたりすることが出来るんだって」

カイルは依然として無視している。ルキは続ける。

「この国にはいろんな人がいる。子供から老人まで。誰だって病気やケガはしたくない。みんな、生きるのに精一杯だ。もしもサクルという花があったら、僕はこの病院の人達を救うな。いや、国中の人達を救うな」

「そんなのあるのか?」カイル思わず発していた。

ニヤリとルキは笑い

「そんな花ある訳ないじゃん。お兄ちゃんまた騙されたね」と嘲笑う。

するとルキは枕を掴んでカイルめがけて投げた、ルキにとってはコミュニケーションの一つだった枕は大きな弧を描いてカイルにぶつかると思った瞬間、カイルは手で枕を払いのけた。すると枕が薔薇の花瓶にあたり、二階から下に落ちてしまった。

カイルの中でプツリと何かがきれる音がした。

「お前、ふざけんなよ。やっていい冗談とやっちゃいけない冗談があるんだぞ」怒声を浴びせるカイル

「……」ルキは俯いて黙っている。

「どうした黙ってないで何か言ってみろよ」

「ゴホッゴホッ……」ルキが咳込む。

「そんな芝居に騙されるか」

「ちっ、騙されないかー次はもっと上手いジョーク考えてくるね」

「いい加減しろよ」再びカイルの怒声が飛ぶ。

すごすごと部屋から出ていくルキ。

その後ろ姿を、冷たい目線で見送るカイル。見送った後、しばらくカイルは部屋の天井を見ていた。

 

 その話を聞いたのはカイルが12歳の頃だった。今は亡き母イルマイールと一緒に絵本を読んでいた。

「勇敢なシカは、仲間を守るため一匹でハイエナ十数頭に囲まれていました。そのシカの角は立派で、炎の化身のようでした。しかし、シカは必死でした。群れには自分の子供がいるので自分が囮にならなければならない。出来る限り時間を稼がなければならないと。ピョンピョンまるで鳥のように跳び回りました、右往左往するハイエナ。しかし、時間という魔物がシカに襲い掛かります。跳ねる距離がどんどん小さくなり、どんどん距離を詰められるシカそしてついには、ハイエナの餌食になりました。しかし仲間は逃げおおせました。後日、シカの仲間がその場所に行ってみると、一凛の花が咲いていました。一頭のシカは自らの命を顧みず勇猛果敢に戦った炎の化身のシカの生まれ変わりだと思いました。あるシカは、その花を食べました。するとあるシカは、炎の化身のような角が生え、勇気と永遠の命を授かり、仲間を永遠に守ったのでした。今日はこれでおしまい。はやく寝なさいカイル」包み込むような表情でイルマイールは話す。

カイルは僕も勇気の花を食べてみたいと思いました。そのことを母に話すと

「カイルはみんなを守りたいのね、やさしい子だね」と母は微笑を含みながら言った。

カイルは大人になった自分が炎の化身の角となり国民を守る。そんな夢を見ながら眠った。

 

風が冷たくなってきた季節に

「お兄ちゃんごめんね」ルキが手にしているのは土まみれの薔薇だ。手は薔薇の棘で傷だらけ。

「なんだお前、この前の事気にしてたのか」

「気にしてないけど、お兄ちゃんすごく怒ったから、あの薔薇大切なものなんでしょごめんなさい」

カイルは「フンッ」と鼻で笑い、「そんなことでこの俺が怒るわけないだろ」と言った。

ルキは嬉しそうに花束をカイルに渡すと同時に枕を手にしてカイルの顔面目掛けて投げた。

「ビンゴー」ルキは楽しそうな表情をしている。

一方のカイルは今度こそ無視を意地でも通そうと思っていた。ルキは、水を得た魚のように、この部屋で自由を謳歌していた。

「お兄ちゃんも遊ぼうよー楽しいよ枕投げ。エイッ」と再び枕を投げる。

またもカイルの顔面に直撃する。

「へいへい。やり返せない弱虫かー?」煽る言葉を続けるルキ

「いい加減にしろよ」とカイルは枕を投げ返す。

王子の沸点と精神年齢は意外と低いのである。枕遊びが遊びのプロレスになるのに時間はかからなかった。

「ほうら」とベッドの上でルキを投げ飛ばすカイル。

「俺に勝てるとでも思っていたのかい」本音が溢れ出す。

「やめてよぅ」喜びとも悲鳴ともとれる声が部屋に響き渡る。

ガチャリ。と無機質な音がするとカイルは正気に戻った。部屋に入ってきたのはキルアだった。

「やぁキルア元気かい?」精一杯のごまかしだ。

「元気なのはどちらですか?」皮肉めいた言葉を投げつけるキルア。

「遊んでただけだよなルキ」

首を横にプルプルとふるルキ。キルアの冷たい視線がカイルに突き刺さる。そして、カイルが形式上謝ろうとしたときだった。

「ゴホッゴホッ」ルキが咳込む。

カイルはまた始まったと思い。

「演技はよせよ」と冷徹な口調で言った。

しかしルキの咳は止まらず吐血しだした。慌てふためくカイル。

「カイル王子のせいではございませんよルキの持病です。誰か手の空いている者はこちらへ」

その言葉にカイルは幾分か救われた気分になったが、そんなことを考えている自身に対して嫌悪感を抱いていた。

何人もの従者が急いでカイルの部屋に駆け付けた。もちろんカイルの身を案じているからだ。だから従者は原因がカイルではなくルキとわかった瞬間安堵した。キルア以外は。

キルアと従者はルキを急いで、別の部屋に移した。その後、どうなったかカイルにはわからない。

ただ「演技はよせよ」という言葉がカイルの頭の中でぐるぐる回っていた。

カイルが屈折した感情を抱きはじめたのは、15歳の時である。護衛の意味も含めて、カイルの周りは王侯貴族で固められていたのだが、

自由闊達で天真爛漫なカイルに惹かれて、平民も友達としていた。

その中でもカイルと一番仲良かったのがシェイプスという平民で、親は近衛兵三番隊の隊長だった。カイルとシェイプスとの仲の良さは、学校でも有名だった。

或る日、カイルが学校の中庭で友人達と談笑していると一人の女性が通った。優美な女性で笑顔からは知性を感じる。

こんな事は初めてだった。胸の高鳴りを覚えたカイルはシェイプスに相談しようと思った。心許せる友人に。

昼下がりの陽射しは暖かい。中庭のベンチで腰掛けてカイルはシェイプスに経緯を話した。シェイプスは紅茶を飲みながら相談に乗った。その女性の名前はセリスという貴族らしく、学校外でも評判らしい。

「そんなに気になるなら告白したらいいじゃないか」紅茶を片手にシェイプスは笑顔で言う。

「いきなり告白しても断られるだけだろ」

「そうか?王子だからいけるんじゃないか?」

「俺は王子の冠は使いたくないんだ」

「なんで」キョトンとするシェイプス

「俺の血に惚れるんじゃなくて、俺自身に惚れて欲しいんだ。だから肩書はすてなきゃならない」

キッパリと言い切るカイルに反論するシェイプス

「肩書からは逃れられない。いくら反発しようがお前は王子だ」

「そりゃそうだけど、どうしたら」

シェイプスは熟考した後、質問した。

「なぁカイル、お前、夢とかないのか?」紅茶を眺めながら語る。

「夢?」

「王子になってこの国をどうしたいとかあるだろ?」

カイルは炎の化身のシカの話を思い出していた。

「あるにはあるけど」

「その話をするんだよ。王子としても人間としてもありのままのお前をさらけ出すしかない。」

「でもそんな機会ないだろ」口を尖らせるカイル

「学校で二週間後に国政討論会の前に余興がある。王族代表としてお前の夢を話すんだよ。セリスはそれでお前に惚れる。間違いない」

「そんなんでいいのか」

「最初はそんなもんだよ」と言って紅茶を飲み干した。

カイルは不承不承といった感じだったが、なにわともあれ友の助力に感謝した。

 

 カイルは悩んだ。文章を書くのは慣れてはいたが、国の夢を語るなど大それた事を書くのは始めてだ。だが、考えているうちに楽しくなってきた。炎の化身の鹿を思い出して、書に自分自身をさらけ出すのはなんだか神になったようで、この世の摂理すら捻じ曲げられるような感覚に浸った。

そうこうしている間に夕食の時間になった。

高価な調度品に、広い部屋、大きなテーブル。豪華絢爛を極めたような部屋で食事をとるカイルオニオンスープを飲み干した後、大好きなフォアグラを食べていたところ、父、ロイ=ランスも席についてきた。カイルはこの時の事を生涯後悔する事となった。

「カイル、討論会の余興をやるそうだな」落ち着いた口調でロイは言った。

「そうです父上、その場で私の夢を語ろうと思いまして」丁寧な口調でカイルは答える。

「夢?お前は跡取りだ。王になる以外に何がある?」

「どんな国にしたいかを語りたいのです」

「何?どんな話にするつもりなんだ、詳しく教えろ」語気が強くなるロイ。

「国中の人々が平等に幸せを享受して……」その話は奉仕と品格に満ちていた。

しかし、顔色を変えるロイ

「だめだ」ロイの怒声が飛ぶ「国民は平等であってはならぬ、身分制度によって国は保たれているのだ富も生まれながらの家柄が関係するのだ、すぐ書き直せ」

「嫌です。これは私の夢です。夢まで支配される筋合いはありません」真っすぐロイを見据えるカイル。

「お前は跡取りなのだ。私の言う事を聞くために生まれてきて、私の意思を継ぐために生まれてきたのだお前が考えを変えぬという事は国に対する反乱である。反逆者として汚名を着せられたいか」意外なほど丁寧な口調は有無を言わさぬ威圧感に満ちていた。

その日、カイルは筆をロイの側近に渡した。

皿には半分以上のフォアグラが残っていた。

 

 カイルは悩んでいた。討論会の余興の話だ。父親、ロイの言う通りに書かされた文章に

誰が喜ぶのだろう?隣国から、国を守り、独自の恒久平和を謳った文章には確かに隙がない。

しかし、身分制度の解放など、国民が火山の噴火に巻き込まれたような全身の血をたぎらせる文章ではない。何より、等身大の自分をセリスに見てもらう為に嘘をつかねばならぬ点にも懸念を抱いていた。

 その事を朝一番に学校来てシェイプスに相談した。

「そうかそれは大変だな」低い声でシェイプスは言った。

「どうすれば、等身大の自分を見てくれる?セリスはどうすれば俺を愛してくれる」

「そのままでいいんじゃないかな」意外な回答が返ってきてカイルは驚いた。

「でもこれは俺の夢じゃない。親父の夢だ」

「でも、それが真実だろ。身分制度の解放は理想論すぎる身の丈にあってないんだよ

ありのままの自分というなら、今の文章が一番だと俺は思う」

「そうか」一呼吸置いてカイルは続ける「そうなのかもな。それが真実で俺の夢なんだ」

この時のカイルはシェイプスの薄暗い部分に気づけるはずもなかった。

 

宮殿の隣の中庭で、カイルは何度も紙に書いた文章を黙読し、暗記していた。するとシェイプスが運営の男と何かを話し合っている。シェイプスも運営に関わるのだろうか、疑問に思ったカイルは質問をぶつけた。

「シェイプス、運営の手伝いでもするのか?」

「いや…まぁそのなんだ」

するとシェイプスと話していた男が答えた

「シェイプスは討論会に出るんです」

ばつが悪そうなシェイプスを見て、胸騒ぎを覚えたカイル。

「討論会の内容はどんな内容なんだ?」と質問する。

男が答える「なぁに、国の未来についてですよ」

シェイプスが慌てて付け加える。

「ちょっとした国の問題を話し合うだけだよ。大した話じゃない」

カイルはシェイプスとの絆が切れるのが怖くて、語る事はなかった。

「忙しいから、これで」シェイプスは無理やり話しを終わらせるように語った。

「王子も余興頑張ってください。期待してます」去り際に、運営の男は言った。

運営の男の声がやけに甲高く煩わしく聞こえた。

 

大聖堂セント宮殿で行われる討論会は人々の渇望で包まれていた。未来の王子が国の行く末を語るのだ。狂気にも似た熱気が宮殿を覆っていた。

カイルの従者達は背筋が伸びる思いで、こ日を待ちわびていた。しかし、カイルはそれどころではなかった。自分はハメられたのではないかという疑念が抑えても抑えてもあふれ出てくる。一番の親友だったシェイプスが国の未来について語るというのだ。暗雲が立ち込めてくるのが自分でもわかっていた。

それでも従者と学生達が待ち望んでいる。カイルは登壇した。

「……このように富を得ているのは身分制度のおかげであり、この制度のおかげで富める国は発展し続けるのです」

拍手万雷の下カイルの演説は終わった。自分の夢でないにしても王直属の官僚が書いた原稿だ雄渾な文章は、それなりに人々の胸を打った。セリスにもいい印象を与えただろう、

 次に討論会が始まった。カイルは息を呑んだ。シェイプスはどんな話をしようというのだ。

討論会の相手はカイルとまったく同じ主張をしている。相対するのはシェイプスだ。ただ、シェイプスの内容は以下のようだった。

「身分制度が、意趣の相手と結婚できず、富の偏在を生んでいる。今こそ身分制度を見直す時だ」

会場は割れんばかりの怒号と拍手で包まれている。嫌な予感は的中した。自分の夢をシュイプスが語っているカイルはそう思った。

そして、王族批判を淡々と話すシェイプス。カイルは友を失ったばかりではなく自分の居場所も失ったように

悄然とした。討論が終わった後カイルは一一言シェイプスに声をかけたいと思い、近寄ったが、壇上から降りてくるシェイプスに一人の女性が駆け寄った。セリスだ。二人は仲よさそうに話している。

貴族と平民では付き合えない。身分制度の話はそのための布石だったのだ。カイルとシェイプスが話す事はこの日以来なかった。

また、カイルの友達から平民は消えた。

 

 カイルが昔話を思い出しながらベッドで臥せっていると何やら猫の声が聞こえる。ドアの外からだ。カイルは扉をあけてみたが、誰もいない。どこかに隠れているかもしれないと思ったので自分も「にゃーお」と猫の鳴きまねをしてみた。そうすると猫の声で「にーお」と聞こえるこの部屋だと思い、扉を開けて入ったら、そこには嬉しそうな顔をしたルキがいた。

「王子様は自分の事を猫だとおもっているらしいケッケッケ」笑いながら話すルキ

一方カイルは、ルキが無事であったことが嬉しかったらしく、しばらくルキを見つめていた。

「どうしたのお兄ちゃん悔しくないの」不思議そうに尋ねるルキ

間をおいて「お前、病気はどうなったんだ大丈夫なのか」

「ちっちっち王子様の心配には及ばないぜ。この通りピンピンしてまーす」

ルキの天真爛漫な姿を見て、安堵するカイル。実はカイルはルキが吐血して以来ルキの事をずっと気にかけていたのだ。王子というのは偉大だが孤独でもある。カイルの周りはすべて王侯貴族だった。彼らは敬いはすれど、近くに寄ってくる事はしなかった。それが大人の流儀だったからである。

でもルキは違う。どんな相手でも近寄ってきて、いいか方は悪いが人をこけにする。

「よかったな」心の底から出たカイル言葉だった。

「何がよかったなだよ。こっちのほうこそよかったよ。青白い王子様が元気で」

「青白い王子様がどんなけ元気か試すかコイツ」嬉しそうにカイルは語る。

「やめて、僕病み上がりなの」

「そんな言い訳通用するかー」

枕が宙を舞った。

 

 ルキが戻ってきてから三日になる。カイルは一時は喜んだ。しかし一抹の不安がカイルにはあった。誰にも言えない悩み事だ。ルキが部屋に遊びに来ている時にカイルはそれとなく聞いてみた。

「なぁルキ、お前の父さんって何してるの?」穏やかに話すカイル

「ん?どうしたのいきなり?」

「いやちょっと気になって」

「お父さんは仕事してるよ」

「仕事って何の?」

「変な質問ばかりだなぁ?どうしちゃったのお兄ちゃん頭ぶつけた?」

と言って防御態勢を取るルキ

「いや、気になるだろ」一呼吸置いて「友達の父親はどんなのなのか?」

「友達って認めてくれるんだねサンキュー嬉しいカモーンベイベー」

両手を広げてカイルを抱きしめようとするルキ、カイルはそれを阻止する。

「いや、わかったから父親は何してるんだ」

カイルは息を呑んだ。

「庭師だよ。庭で草を刈る仕事」

カイルは思い出していた。シェイプスに裏切られ、自分の場所を奪われた事。

「そうか今日は遅いからもう自分の部屋に戻りな」冷淡な口調でカイルは言った。

いつもなら素直に応じるルキではなかったが、何かを悟ったように、すごすごと自分の部屋に戻った。

 

 部屋には相変わらずルキはやってくる。

しかしカイルと以前のような関係性ではなかった。

「今日、天気いいねー」ルキが楽しそうに話すと。

「そうだな」と平淡に返すカイル。

会話はほとんどこのような感じで、カイルからは生気が感じられないというより裏で何かに操られているような印象だった。事実彼は、あらぬ妄想に操られていたのだが。

「お兄ちゃん王子なんでしょ?誰にでもやさしくしなきゃだめだよ」ルキが言う。

「そうだなやさしくしなきゃだめだな」と事務的な会話をするカイル。

医者のキルアもこれではよくないと思ったのか

「どうなされたのです王子。らしくありませんぞ」と問う。

何がらしくないだ。こっちのほうが普段の俺なのだ。平民などとは会話もせんし、自らの魂をさらけ出す事もない。

飾ってあった薔薇がさびしそうにしているのを見てカイルは炎の化身の鹿の話を思い出した。

しかし、それは所詮おとぎ話だ。そんな話を信じていては、父のような豪傑な王になれない。そうカイルは思っていた。医者のキルアが何かを察したのか

「いやぁ、私も努力の人でしてねぇ」

「そりゃ努力せねば医者になれぬだろ」カイルは棘がある口調で言った。

「努力というのは、それだけではないんですよ。学校に通うのにお金がかったんですが

平民出の親ではそれを捻出するのが難しくて」

心の的を射抜かれたような発言にカイルはドキリとした。何を話そうというのだキルアは俺の事をどれだけ知っているのだ。俺の苦労がわかるとでも言うのか。

「それで?」カイル表情はこわばっていた。

「結局は、貴族の養子となって今があるんですけど、身分制度というのも中々考えようですな」

「何が言いたい?」

「いや、私は身分制度というカテゴリに人は納まらないと思うのですよ。人はそれぞれ自由であり、そのカテゴリを凌駕する何かを持っている人物もいると」

「私に説教する気かキルア」

「いえ、めっそうもございません」

「身分制度は父が作りし理想郷だ。何人たりともそれを侵す事は許されん」

カイルは自分の本心とは別の事を話していた。カイル自身も身分制度を嫌っているのに今回の場では、身分制度を肯定している。それもこれも全てシェイプスのせいだ。あいつのせいで全てが狂った。カイルはもう見ぬ亡霊に畏怖と脅威を感じていた。

「身分制度って何?」ルキが明るく話す。

「身分制度というのは、生まれながらにして就ける職業が決まっているし、結婚出来る相手も決まっているんだよ」キルアが教え諭す。

「そんなの不公平じゃん。カイルは王子なんだろなんとかしてよ」

カイルが自身の葛藤で揺れて、頭が熱湯のように沸きだっている時に冷水を掛けられた

気分だった。

「お前に何がわかる」声を荒げるカイル

「何もわからないよ。でも不平等を直せる力があるならその力を行使してよ」

「嫌だね」

「まるで子供みたいな事を言うんだね」ルキが涙目になりながらも話す。

「まぁ、今日はそこら辺で」キルアがとりなしたが、二人の間には誰が見てもわかる亀裂が生じていた。

 

 ルキの来る頻度が下がった。カイルは何とも思わなくなっていった。いや現実にはカイルは生きる気力が減っていったというのが正しいだろう。本来であれば、ルキと仲直りして、自らの魂をさらけ出すのが正解なんだろうがカイルにとってのトラウマがそれを邪魔する。思春期に起きた事件だ。根は深い。

 或る日の事、キルアとルキが外に行こうと誘ってきた。カイルは不承不承といった様子で納得した。

 

外は春で暖かい。風がいろんな匂いを運んできて、春の芽吹きを想起させる。

「一体どこへ行こうっていうんだ」カイルは話す。

「結構遠いところなんでご覚悟を」キルアは唇に笑みを湛えながら話す。

「そんな遠い場所に連れ出して私の体は大丈夫なんだろうな」

「大丈夫です。カイル様の体は。それよりも心のほうが問題です」

「そ、心のほうが問題です」ルキがおどけた様子で続ける。東の草原に入ったところでカイルは帰ると駄々をこねだした。一体何があるというのだ。ここまで苦労して得られる物なんてあるのか、いやない。この二人はこの前の仕返しをしているのだ。遠くまで連れ出して、私の病状を悪化させて殺そうとしているのだ。

「もういい帰るぞ」

「いや、ダメです王子様、あともう少しで心が晴れるような風景に出会えます」

「風景?」

「そうだよ風景だよ。とっておきのね。」

カイルは思わず毒づきそうになった。こんな苦労をしてまで得られるものが風景?所詮は平民が考えそうな陳腐な事であろう。キルアも貴族の出とはいえ、昔は平民だったと聞く。一体平民は私をどれだけバカにすれば気が済むんだ。

「風景なんぞ見たくない帰るぞ」

一人で踵をかえして帰ろうとしていると、腕を掴まれた。キルアの手だ。尋常じゃない力で抑えられている。

「こんな事をしてわかっているのだろうなキルア」

「王子が行くというまでこの手を放しません」

キルアの表情から断固たる決意を感じた。

 

 キルアが十歳の頃、大学校で使うテキストをどこからか、兄のメルキが借りてきてキルアに読ませたら、キルアは理解したという。それが嘘だと思った兄のメルキは、今度は別のテキスト、とりわけ難しい数学のテキストを借りてきて弟のキルアに解かせた。

キルアな難なく問題を解き終わり、答え合わせをしたメルキは驚いた。キルアは胸を張っていた。周りの大人からは頭がいいと評判だったが、これほどまでとはメルキは思った。しかし、所詮は平民の出。父親が大工で平凡な家庭だ。将来を嘱望されているわけではない。父親のルイと母親のメルルは自分達を呪っていた。自分達が貴族ならこの子はもっといい職業に就けるのではないかと。ルイとメルルは何度もこのことで喧嘩をした。

 キルアはそのことを気にしていた。

 

或る日の時からルイとメルルとメルキの様子がおかしくなった。キルアに対して冷たくなったのだ。キルアはメルキに尋ねた。

「最近どうして冷たいの?」

「そんなことないよ」メルキは素気なく答えた。

そして、次の日キルアはルイとメルルに連れられて大学校に連れていかれた。大学校の先生はしげしげとキルアを見つめながら「この子かい?」と質問した

「そうです」と答える両親のルイとメルル。

大学校の先生がドンッとおく問題集。キルアにはありとあらゆる問題が与えられた。キルアは戸惑いながらも、その問題を解いていった。結果は驚くべき内容だった。キルアは十歳にして大学校の教授クラスの知識があったのだ。大学校の先生は特別に授業をつけてやると言った。キルアは喜んだ。今までは平民だったからまともな授業も受けさせてもらえなかった。でも平民でも賢ければ授業に出れるんだ。キルアの自尊心を満たすのと同時にこれからどんな知識を得る事が出来るのだろうといった知識欲も沸いてきた。

しかし、相変わらず家族が冷たい。言葉を交わそうとしても返事もろくにしてくれない。

大学校に通ってから三日目の事だった。ルイとメルルはキルアに一張羅の服を与えた。

何のために使うのか悩んでいたキルアはメルキに質問した。

「どうしてこんないい服もらえたんだろう」

「知らね」素っ気ない答えだった。

次の日、ある場所に行くから、昨日買った服を着なさいと言われたキルアは言われるがまま着なれない服を着た。普段は乗らない馬車が家の前で待ち構えていた。馬車に揺られる事二時間。家からかなり遠い場所に連れてこられたキルアはその壮麗さに目を疑った。豪華絢爛な家が目の前にあるのだ。

そこで、ルイは言った。キルアにとっては一生忘れられない一言だった。

「今日から、この家で過ごしなさい。もう私たちはあなたの家族じゃないわ」

キルアは反論した。

「なんで、そんなの嫌だよ」

「わがままを言うんじゃない」

「嫌だ帰る」

「お前に帰る家はもうない。いいかお前はこれから貴族になるんだ誇りに思え」

「貴族になんてならなくていいよお父さんの子でいたいよ」

「お前は賢い。わしの子とは思えんくらいな。だから貴族の養子になるんだよ頭の良い

お前ならわかるだろう大学校に通わせてもらえるのも条件に入っているんじゃ」

「大学校になんか入らなくてもいいお父さんとお母さんと一緒がいい」

キルアの本心から出た言葉だった。親子の揉め事と聞きつけて出てきた貴族のハインツェがあわてて場をとりなす。

「いやいや、親子の関係は紙の上では、切れますがあくまで紙の上であって血の縁は永遠ですぞ」

「そうだ。納得しろ。何より俺たちは、お前を厄介払い出来てせいせいしているんだ」

「厄介払い?なんだよそれ。本当の親子じゃないのかよ」

「本当の親子だが、お前は俺より賢い、それが憎たらしくてなぁ」

キルアの鼓動が早くなった。

「父さんなんて嫌いだもう二度と会いたくない」

それがキルアが親に言い放った最後の一言だった。

 

 こうして貴族の家の子となったキルアはよりいっそう勉学に励んだ。父親を見返す為だ。順調に育ったキルアは実の親とは二度と顔を合わせる事もなく倍率100倍の国家資格に合格していた。キルアは医者の中でも優秀であったため国家専属医師、つまり医師の中でもトップの地位まで上り詰めた。キルア自身が優秀であったこともあったのだが

キルアの中に父親を見返してやりたい、振り向かせたいという思いが努力の源泉となった。しかし、振り向かす前に父は死んでしまった。

葬式に呼ばれたキルアは、最初は行かないつもりだった。しかし育ての親のハインツェがどうしても行って欲しいというので渋々行く事となった。父の顔は今も生きているように赤みを帯びている。今にもしゃべりだしそうだ。キルアは十字をきって胸の前で両手を握ると、

「今も嫌いかい」と涙を目に湛えていた。

「そんなわけないじゃないか」と一喝したのは兄のメルキだった。

続けて言う。「お前が勉学の才能があったから、それを無駄にしないため、お前自身の

幸せのため、家族で団結してお前を追い出す事に決めたんだ。決してお前の事を嫌い

になったわけじゃない」

「そんな事の為に」

「そんなことの為にとはなんだ。十分立派、いや立派すぎる内容だろうが」

黙るキルアに続けるメルキ

「親父が病気に倒れた時も、お前を呼ぼうか迷ったんだよ。でも呼ぶなって親父は言う

んだよ、キルアに見てもらうのも嬉しいが俺が罹っているのは伝染病だ。あいつなら無理にでも診て自身が病に侵す危険がある」

キルアは真実を知った時に目に涙を浮かべているのがわかった。しかし、自分の感情はよく理解できなかった。家族の慈愛に対して感謝の涙を流したのか、それとも家族を切り裂いた身分制度について憎悪の念を抱くようになったのか。葬儀を終えた後、キルアは身分制度について本気で考えるようになった。

 

 キルアの握った手は強い。引き離そうとしても引き離せない。カイルは半ば諦めたようにキルアについていく事を決めた。道のりは簡単ではなかった、高い岩を上る事もあったし急流の川を渡る事もあった。それでもそれ以上の何かがあると信じてカイルは歩みを止めなかった。 
 
 東の森を出たところだった。ついに、望んでいた地へとたどり着いたのである。

そこは、丘の上でランス国を一望出来る場所だ。神意が舞い降りたかのように誠に美しい景色だった。

「どうですカイル様来たかいがあったでしょう」

「ああそうだな」

ルキは激しい険しい道のりに疲れたのかゼーゼー言っている。

「この場所だけがランス国を一望できます。いわば神の視点です」

「神の視点?」

「そうです、神から見れば、ランス国なんてまことに小さく、働く人間なぞ蟻にも等しいのです。もしカイル様が鳥の視点をお持ちになるのであれば何が間違いで何が正しいかわかるはずです。あそこに住んでいるのはすべて同じ人間です。鳥のように高いところも低いところも見渡せる視点からはすべての人の人生が見通せます。そこに不条理があれば正す事が出来ます。過去に何があったかは知りませんが人の人生はまことに深いものです

その深さをルキ殿を通じて知る事が出来た今ならば、カイル様自身も変われる事が出来るのではないでしょうか」

カイルの中の炎の化身が燻っている。

「無礼を許す」ぶっきらぼうにカイルは答えた。

「無礼を許す」おどけた調子でルキも続いた。

 

 再び、パスポートを得たルキはカイルの部屋を訪ねた。手にはマツボックリを持っている。ルキはルキでまだ子供なのだ。

「お兄ちゃんまつぼっくり持ってきたよ」

「あ?」

「お兄ちゃんが怖いよキルア」

「カイル様お忘れですか」

「コホンッ」と咳払いをし「よく持ってきたなこんな大きいの初めてだ」

「でしょでしょめずらしいでしょ?うれしいでしょ?」

「う…むうれし…い」

「何、聞こえない?」

「嬉しいといったのだ」

「ケタケタケタ」と笑うルキ「大の大人がまつぼっくりで喜ぶなんてお兄ちゃんも子供だなぁ」

「無礼千万。許す事あるまじき」カイルの右腕に力が入る。

怯えるルキ。止めに入るキルア。舞う枕。

もはや恒例行事となったプロレスにキルアも病人である事を忘れたかのように寛容になっていた。

そんな中カイルの旧友エリッサとブリッジがカイルの見舞いに訪れた。貴族であるエリッサとブリッジは二人とも白い衣装で華美な服装をしている。カイルは不作法なところをみられてしまいばつが悪い。どうしてこのような時に見舞いに来るのだ。来るのならちゃんとしたときに来てほしいものだ。心の中はキルアにも透けて見えた。

「カイル様は修行中なのです」精一杯のフォローをするキルア

フォローになってないぞとカイルは思いながらも

「剣技の修行をつけていてやったところだ」と語る。

エリッサとブリッジは貴族の中でも砕けた考え方を持っているなので王子がこのような遊びに戯れていても、心はむしろ喜んでいる。

特にエリッサは王族であるカイル王子のこんな笑顔を見たのは初めてである。

 

幼き頃から学友としてカイル王子と共に暮らしてきたが、エリッサはカイルに対して尊崇の念をを抱いており、卵を扱うように大事に接してきたつもりだったのだが実を言えば、このような関係を築き上げたかった。

「どうしたエリッサ?悲しいのか?」カイルが眉根を寄せて質問する。

「いえそうではありません。私はカイル様の事が本当にわかっておりませんでしたカイル様に必要なのはこういう事なのですね」

と言うとエリッサはいきなり枕を持ってカイルにぶつけた。

「それは違うだろ」キルアは冷静な表情だ

「あぁ申し訳ございません」肩をすくめてエリッサは謝っている。

「いや、別にいいよ気にするな」

「いえ気にします。カイル王子に枕をぶつけるなんて」

「別にいいよぶつけるって言えばぶつけても」ルキが嬉しそうに言う。

「そうなのですかぶつけると言えばぶつけてもいいのですか」

「それも違う」ブリッジが言う。

五人の中で笑いが訪れた。カイルは久しぶりに笑った。確実に自身の夢を思い出した。それに歩もうとしていた。

 

 ある日、ルキといつものごとくプロレスをしていたら、エリッサとブリッジがやってきた。エリッサは暗い顔をしている。まだ、前の事を気にしているだろうと安直な考えをしていた。カイルは笑顔でエリッサを出迎えた。

だが、暗い顔の理由はもっと複雑であった。なんでもカイル王子が病院にて平民を虐げているという噂が街中で広がっているというのだ。カイルは当初は大した事がないと思っていた。虐げるどころかむしろ仲良くやっているルキがその証拠だ。

「そのような噂ほっておけ。どうせ根も葉もない噂はすぐに収まる」

「そうですか。カイル王子がそういうのならそのようにします」

「しかし、今年は日照りが続いて年貢の取り立てで、揉め事もおきております民の怒りの鉾が王子に向きかねませんぞ」ブリッジは真剣な顔で言う。

「大丈夫、大丈夫気にするな。それより今年は取れ高が低いのか?」

「そうです。なので農民達にご配慮なさるよう王に進言したのですが」

「が?」

「王様は聞く耳持たずで、年貢を取り立てました」

親父には困ったものだなと、こめかみをポリポリと人差し指で搔いていると

「なんとかなるさー♪なんとかなるさー♪」とルキが歌いだした。

ルキの無邪気さに、みな心が凪いだ。その日はエリッサとブリッジは報告だけして帰った。

 

 噂の威力がありありと現れたのは次の日だった。今日もルキと談笑をしていたら、男が急に入ってきた。男はカイルを一瞥した後

ルキの手を握り、部屋から立ち去ろうとした。

「どうしたんだ急に、誰だお前は」

「私はルキの父のメキです。あなた様と一緒にいたらルキの命が危ないすぐに病院を変えさせてもらいます」

「何を言っているんだ。俺のどこが危険人物なんだ」

「王子が平民を虐げているって街は噂はいっぱいだぞ」

「そんな事実はない。俺とルキは友達だ。な、ルキ」ルキに問いかけるカイル。

「そうだよカイル王子はバカだから平民をいじめたりしないよ」ルキが語る。

「かわいそうに、言わされているんだなルキ」メキは低い声で言った。

「何を言っているんだ。そんな事ないって言っているだろ」

「うるさい。生まれながらの王族に何がわかる。お前も王と同様に平民を見下しているんだろう」

「王はそうかもしれないが私は違う」

「何が違う、王族は何もせずに我々が育てた麦を取り立て、自分達は安穏な生活を送っているじゃないか」

「我々は、外敵からあなたたちを守っているんです。その見返りとして麦をもらっているだけなんです」

「外敵なら自分達で守れるからお前らなんていらない。ルキ、行くぞ」

「待ってくれ」

カイルの声が届くことなくメキとルキは病院を出て行った。

カイルは遠くを見るような目で、今日起こった事を反芻していた。なにゆえルキと離れ離れにならなければならんのだ。なにゆえ得体のしれぬ噂が広がったりしたのだカイルは体が熱くなるのがわかった。悲しみでもなく、失望でもなく、怒りからくるものだ

重大な事件が起こっている事を初めて認識したカイルはすぐにエリッサとブリッジを呼び寄せた

 

「エリッサ、ブリッジ、今日呼んだのは他でもない。あらぬ噂を広げている奴を捕まえてほしいんだ」

恭しく礼をするエリッサとブリッジ。

「しかし、どうやって捕まえましょう?」

「噂の元をたどっていけば本人に出会えるだろう。それと同時に身分制度について王の考えと王子の俺では考えは違うという噂を流してもらえぬか?」

構えるエリッサとブリッジ。王様と考えが違うという噂を流せば、自分達の身も危なくなる。しかしカイル王子は優しくて上に立つ人間だ。天秤が揺れ動いていたところ一部始終を聞いていたキルアが部屋に入ってきて、

「王との考えの違いは私が噂を流しましょう」

「よいか?命の危険が伴うぞ」

「私は国家専属医師。偉いのです。その辺の心配は無用です」髭を指で撫でる仕草をしながらキルアは決然と言う。キルアの心の中には炎の化身の鹿がいるのだなとカイルは思った。

「頼んだぞキルア」カイルはこの時まともにキルアの目を見れなかった。太陽のように直接見たら目が焼けてしまいそうだったからだ。

「それでは、我々はいわれのない噂のほうをなんとかしましょう」エリッサが言う。

「しかし、どうすれば」ブリッジは不安そうに答える。

「こちらも噂で対抗しよう。ルキと仲良かった事を噂で広めよう」カイルが続ける「そうすれば

新に噂を付け足す奴が出てくるはずだ。本当はカイル王子はルキを虐げていたという根も葉もない噂を」

「それならば、その新しい噂をたどれば張本人がわかるな」カイルは眉根を寄せた。

 

エリッサとブジッジは貴族だったが、カイルと同じく身分制度には反対していた。貴族の中でもいろいろいて、特に大陸の国のフミル国が、民主主義革命が起きて、貴族達が軒並み吊るし首にあったというそれならば、いっそ自分達の手で身分制度を変えて、国を真の姿に変えようという気概があったのである

また、このような友達をカイルが持ったのは、カイルが炎の化身の鹿の名残があったからだろう。エリッサとブリッジはカイルの本心を聞けて安心した。カイルの父とカイルは別ものだったからだ。それはエリッサとブリッジの胸に勇気という炎を灯らせた。

「おおせのままに」エリッサとブリッジは胸は張って出て行った。

カイルには焦燥感があった。国の噂なんぞはどうでもいい。ただルキから離れ離れになった事が悲しいのだ。やっと本当の友達に出会えたというのに、こんな別れ方では自分自身の魂にも申し訳が立たない。本当の夢を語るのはルキが一番最初と決めていたのだから。

 

 エリッサとブリッジはすぐさま結果を出した。犯人は、なんとシェイプスだった。シェイプスにはシェイプスの考えがあった。カイル王子は身分制度に対して肯定的な意見を持っている。だから自分とセリスは結婚できない。結婚できない理由をカイル王子の復讐に向ける事で生きる気力を保ってきた。ところが蓋を開けてみればカイル王子はどうやら平民のルキとかいう少年と仲が良いらしい。では、この振り上げたこぶしはどこにふりおろせばよいのだ。嘘でもカイルには敵でいて欲しかった。それが自分を平静に保つ薬だったのだ。

 

カイルはシェイプスを病院に呼んだ。カイルは別段驚いているわけででもなく、怒っている様子でもなかった。シェイプスは王子の願いなので断る事は出来なかった。カイルはシェイプスに問いただした。

「どうしてそんなウソの噂を流したシェイプス」

「……」黙っているシェイプス

「あぁお前がセリスとできているのは知っている」

「ご存じでしたか」力なく答えるシェイプス

「本来ならば打ち首になるところだがお前の人生について考慮したところそれは私が阻止する」抑揚のある声で続けるカイル「お前の人生にとってセリスはなくてはならないものだったのだろう。セリスは美人で才知もある。お前に相応しい人物だ、だが身分制度がそれを邪魔している。そこで私が邪魔になったという訳だな」

「違う!あなたが邪魔だなんてとんでもない」語気を荒げるシェイプス

「それでは何故、あらぬ噂を流したのじゃ」

「それはあなたが敵でいて欲しかったからです」

「私はお前の敵ではないよシェイプス」穏やかな声音で答えるカイル

「恨んでいないのですかセリスの事好きだったんじゃないんですか」

「セリスは好きだった。だがもっと大事なものを手に入れた。が、それが手から離れよう

としている。それを私は阻止したい」

カイルの本心だった。ルキとはピアノ線を束にしたような太くて固い絆で結ばれていたのである。

「そうですよね、カイル様は昔から柔軟な生き方が出来る方でした過去の妄執に囚われるような事はないですよね」うなだれるシェイプス。

「それでだ、お主の処罰についてだが、新な噂を流せ。自分は平民だが、王族のカイルと友達だ。平民の自分にもやさしくれているし。平民を卑下しているなんて嘘だとな」

「そんなことで許してもらえるのでしょうか」きょとんとした目でカイルを見るシェイプス

「言ったろ。私は大事なものを取り戻したいだけなんだ。お前を罰することは考えてはいないしセリスもゆくゆくはお前のものになる」

「セリスが俺のものに?」

「近いか遠いかわからんが必ずそうなる、なぁシェイプス、その暁には私の友達に戻ってくれないか」

「今も友達です王子」目に涙を湛えてシェイプスは言った。病院の白いシーツがまぶしく見えた。

 

 ルキの親父さんは根はいい人で誤解が解けると酒を土産に王子に挨拶し、そして頭を地がつくほど下げた。

「ほんとにすまんかったー」

「いえいえ気になさらずにこれぐらいの事、大した事ありませんよ。日頃ルキから浴びせられる罵詈…」とカイルは言いかけたところでしまったと思った。

「罵詈…雑言ですか。そうですかそんな無礼な事をうちの息子が」

「無礼だなんてとんでもない。むしろせいせいしてます、生きる力が湧いてこなくて、地獄からの使者を待ちわびていたところに閻魔様がやってきて舌をひきぬかれた気分です」

「それがカイル様にとって良い事とは思えないのですが」

「いやいや、遅かれ早かれこうなるべきだったんですよ。子供の時の記憶は羅針盤になると有名な人も言ってるじゃないですか」

「そんな話聞いたこともございませんがすみません無教養で」

「いやいや謝る事はないです。自分で考えた文章ですよ。僕は本気です。この国を変える気だってある」

決然と言い放つ王子。訝し気な目でカイルを見るメキ。その眼光は鋭い。

「それは流石に無理な話でしょう父上を敵に回す事になる」

「なんだと!私は本気だ父上を敵に回してだってこの国を変えて見せる」語気を荒げるカイルすると瞬間、「失礼しました」いきなり土下座するメキ「実はカイル王子に折り入って話があります」

「話とはどんな話だ」カイルは本意を知りたいと思い右ひざをついて忠誠の証を示した。

本来、王族が平民にこのような事をするのはもってのほかだが、カイルの誠実な気持ちがそうさせたのだった。そしてその行為にメキは大そう感銘を受けた。

「そんな大仰な事はやめてくださいカイル様。ルキから話は聞いていました噂は」

「ルキから?」

一体どんな話をルキから聞いたというのだ。ルキとはただの友達で自分の夢を語る相手

は最初に決めていたが、まだそんな話はしていない。

「カイル様こそが身分制度の撤廃の助力になってくれると」

「それでは、以前から自分達が身分制度の撤廃に動いていたみたいではないか」

「そうです。我々は火の鳥の会という組織を作り上げてきました。火の鳥の会とは身分制度を打ち崩すべく裏から工作して旧王権の打破を目指すというものです」

「旧王権の打破だと!?」

「しかしながら、ルキから聞いた話と噂を聞いて、カイル様に助力する事に決めました私は」

「私は?という事は他の者は納得していないという事か」

「さすがカイル様目ざとい。我々は組織で動いておりますが、今回の判断は私個人による

ものです」

「もし、未来予想図が違えば、私をどうするつもりだったのだ?」カイルは眉ひとつ動かさなかった。

「どうもしません。しかし、実際にあってみてカイル様こそ我々仲間に相応しい事が、わかりました。ぜひ、我々の指導者と会ってくれませんか」

 

 カイルは花瓶のバラを見つめながら考えていた。たしかに身分制度を変えるという気概はあった。だが、それは父親の死後の話であって今すぐではなかった。それに旧王権を打破すれば自身の身がどうなるか危うい。際どい天秤の上でカイルの気持ちは揺れ動いていた。そもそも旧王権を打破した後の国はどうなるのか?しかし身分制度は撤廃せねばならぬルキの笑顔が羅針盤になっているのだ。とりあえず会ってみようとカイルは思った。

 カイルは病院から出て、三十メートル先の民家の建物の前で、待ちわびていた。キルアにあれこれ言い訳して、苦労して病院を抜け出してきたのにこの有様はなんだ。薄い綿のシャツに黒のズボン。秋の恰好としては寒い。雨もぱらついてきた。しばらくして、馬二頭で引かれた馬車が止まった。王族が貴族が利用する立派なものではなくあぶく銭を掴んだものが乗れる、平民専用の馬車だ。馬車から出てきたのはメキだった。

「さ、お乗りください二流の馬車ですが乗り心地は万全です」

そう促されてカイルは馬車に乗った。カイルは馬車に乗ると目隠しをされた。居場所はカイルにも内緒らしい。それほど高度な組織なのだとカイルは感服した。

 

馬車が止まった。どうやら目的地についたらしい。目隠しのまま民家らしきところに入れらると男達のひそひそ話が聞こえた。この中に指導者はいるのだろうか?カイルは思案しながら手をメキに手をとられながらついていった。薔薇の匂いがする部屋に入れられたカイルは、懐かしい匂いに郷愁にかられた。そこでやっとメキが目隠しを取ってくれた。

「やっと着いたね」ルキが言う。

ルキは子供だから、今回は連れて行かないとメキは言い張ったのだが、カイルは王族と平民の絆の証のようにルキを感じていたので、カイルたっての希望で連れてこられたのである。

 

広い部屋だが、清潔感はある。まるで占星術でもするかのように神秘に満ちている。目の前はベールで仕切られている。薄っすら影が人の影が見える。ベールの奥から声が聞こえた。

「あなたがカイルですか」

女性の声だ。しかも声には艶があり若さを感じる。

「そうです。あなた方の思想に感銘を受け、参上いたしました」

ベールの奥の影が手を上げる。するとベールは取り除かれ女性の姿があらわになった。髪の毛は短く、目は切れ長で顎はするどく、見事な美人だった。カイルは見とれていた。

「お美しいですね」

女性はまたかという表情を一瞬浮かべた後、気取られないように冷徹な表情に変えた。女性はうんざりしていた。私の血潮たぎる感情、この国を変えたいという気持ちは誰にも負けない自負がある。なのに男共はいつも外見から入る。これではただのマスコットキャラではないか。ただいつもの事なのでと諦めに似た感情を抱きながらも話を進める事にした。

「私の名はメイルという。さっそくじゃが、お主は王子と聞く、我々のやろうとしていることは旧王権の打破じゃ。お主にとってはメリットのない話じゃ、それでもなお我々と共にしようというのはなぜじゃ」

「幼き頃、母から大事な話を受けました。炎の化身の鹿の話です。私は国民を守るためなら自らの欲はすべて捨てる覚悟があります。その話を思い出させてくれたのはルキという少年がいたからです。彼もまた平民。しかし彼らと真の友達になるには身分制度の撤廃が必要だという事がわかりました」カイルは膝に置いた拳を握りしめた。

「そうか、お主もそれ相応の覚悟を持ってきたという事か、ちなみにお主は隣国の大陸の国フミル国という国の政治を知っておるか。フミル国では国民が国の政に参加し、国王は形式上、形だけというものじゃ」

カイルは話にはフミル国の事は知っていたが、昔シェイプスと揉めてからその存在を闇に放っておいた。

「話は聞いた事があります」

「その国は、国民が自由で工業技術も医療技術も発達しておる。国民の自由の力がそうさせているらしいのじゃ」と少しメイルは考えた後「お主フミル国に行ってみてきてくれんかの」

カイルは思案した。その役目は自分ではなくてはならないのかと、今は身分制度の撤廃に命を捧げる者達と一緒にいたい。もちろんルキとも。

「それは断ります。なぜなら私よりも知見を持った人物もいるでしょうし、私よりも熱い感情を持った人物もいるからです」

メルキは「フフッ」と鼻で笑った後「知見はともかくお主より熱い感情を持った人間はそうはいないがな。まぁしょうがないそれはこちらで手配するとしよう」

「熱い心を持った人間は私の他にも、いましょうぞ」とカイルは謙遜した

「それでは、カイル殿には反乱を起こす貴族達の取りまとめをおこなってもらいたい」

「反乱!?」

「旧王権を打破するためじゃ、王は吊るし首にせねばならぬじゃろ」冷徹な表情でメイルは言い放った。

「し、しかし、そのような暴挙に出られてはこちらもその…」

「メイル殿、王を吊るし首にするとは決めたわけではないじゃろ」メキが助け船を出す。

はっはっはとメイルは笑った後「それもそうじゃな、実の父親を吊るし首にするなどできようもないしな」

「メイル殿いい加減にしなされ」メキが強い語気で言う。

「しかし、今言った事は頭に置いといてくれ、お主の事を信用しているから言うのだよ」

カイルは、自身が置かれている状況がとても恐ろしい場所だという事に改めて気づかされた。旧王権打破とは父親を殺さなくてはならないかもしれないという事だ。炎の化身の

鹿とでかい口をたたきながら実は、何も考えていない、自身の自惚れにカイルは失望した。

「カイル殿は悩んでおられるようだ、今日の話はここまでじゃ」と一方的にメイルは言い放ちベールの向こう側へと消えていった。

 

 病院に帰ったのは、夜更けだ。白いシーツがたたまれてベッドに山積みになっている。

ただ何やら騒がしい。ドタバタしている看護師にカイルは尋ねた。どうしたのだと。すると思いがけない答えが返ってきた。

「キルアが流言の罪で捕まったの」

カイルは絶句した。以前、王とカイルと身分制度で考えに隔たりがあるという噂を流すように頼んだ覚えがある。そのことだろうとすぐ悟った。カイルは馬を走らせ城に向かった。

  ロイ王は容赦ない人物だった。それが旧知の仲の医者キルアでもだ。城の地下の拷問室で、キルアは背中に十字架をつけられ両手両足を縛りつけられていた。体は傷だらけだすべて鞭の後だ。竹の棒でつくられた鞭ではニ、三発殴ったところであまりの痛さに気絶してしまう。キルアも例外ではなかった、大男が振りかざす鞭に三発で意識を失ってしまった。しかしバケツに貯めた水をぶっかけて無理やり起こすのだ。こうして目から希望という光を奪う拷問は行われるのである。しかし、ロイにもロイの考えがあった。正妻をめとってから、子宝に恵まれず、結婚してから十年、最初に生まれてきた子は流産ですぐ死に絶えた。そして、これで流産したら次はもうないでしょうと言われた子、それがカイルだった。だからロイはカイルを寵愛した。欲しいものはすべて与えてあげたし学校もカイルの思うところにいれてあげた。ロイにとってカイルはすべてだったのだ。だからその二人の絆を切り裂こうとするものは誰であっても許さぬ。それが命の恩人であったとしてもだ。昔、ロイが病に罹った時に医師団に診てもらった事がある。その時はただの風邪だという判断だったが、若かりし頃のキルアはそれに異議を申し立てた。異国の地で勉強したことがあるキルアはロイの症状から見て病気は肺炎だと言い張ったのだ。しかし医師団の中でも地位が低かったキルアの意見が採用されることはなかった。ロイ王の一言があるまでは。ロイはキルアの熱弁を聞いて、

「肺炎だとしたらどのような治療方法がある?」とキルアに聞いた

「異国より薬を提供してもらう必要があります」とキルアは答えた。

「それならば異国に提供してもらおう」とロイは言った。

医師団は反対したが、ロイ王の決意は固かった。結果として、病気は改善されキルアはその地位を確定させた。そしてロイ王からは信頼のおける重臣として扱われるようになった。だからロイとしては、二人の仲を切り裂いただけではなく、今まで築き上げてきた物を壊すような裏切り行為に関しても憤怒していた。キルアは強力な精神の持ち主で噂をなぜ流したのかは頑なには話そうとはしなかった。それを聞いたロイ王は拳でレンガの壁を殴り続けた。拳からは血が出ていた。

 

 カイルは城に着くやいなや、父親のロイ王に接見を申し出た。いかに親子の関係と言えどルールに従わなければならない。夕食時に接見を許すとの事だった。オニオンのスープに、ジャガイモの茹でたものが食卓には並べられていた。いつもならばフォアグラ等豪華な食事が並んでいるはずなのに、カイルは不思議に思ったが、すぐに納得した。もし、旧王権の打破となれば、このような生活を暮らす事になるぞというロイ王の脅しだったのだ

席に着くロイとカイル。両方の目には野心が踊り狂っている。

「で、話というのは何だカイル」少し語気を強めた口調でロイは言った。

「では単刀直入に申し上げます。地下の拷問部屋に幽閉されているキルアを解放してください」

決然と言い放つカイル。

「しかし、キルアはあらぬ噂を流して国家転覆を計った罪に問われている。解放するわけにはいかん」

「あらぬ噂ではないです。私は身分制度の撤廃を主張してます。それにキルアには私が命じて噂を流させました」

「なんという事を!お前は何を言っているのかわかっているのか、国の跡取りはお前しかおらぬのだぞ。それが身分制度反対などと戯言を言いおって。この国が栄えているのは身分制度のおかげだ。それ以上でもそれ以下でもない。それに、もし身分制度が撤廃されたら我らの命とて危ういのだぞ仮に、命が助かったとしても、こんなみすぼらしい食事をしなければならない。そんな事が我慢出来るというのかお前は」

「我慢出来ます。私には平民の友達がいます。彼はいろいろな物を与えてくれましたた。学校では学べない事、人としての尊厳と自由。それらが今の私を形成しているのです。そして私は身分制度に拘る父上、あなたを軽蔑しています。とにかくすべては私のしでかした事ですから、キルアを解放してください」

「お前を平民と一緒に育てたのが間違いだったようだ。お前を変わりに幽閉するかわりに、キルアは解放する。そして、身分制度は変えん」カイルの尖った言葉を冷徹な表情で受け止めたロイ。内心は穏やかではなかった。親はいつまでも自分の子供を子供として扱うのである。その子供に大いなる野心をぶつけられたのである。体中の血潮がたぎっていた。

「それではキルアが無事釈放されるかどうか見届けるのを許してください」

「それぐらいは許そう。お前に変な入れ知恵をした奴を二度と合わせる気はないからな」

ロイ王のオニオンのスープとジャガイモは一切、手がつけられてなかった。

 

 カイルはキルアの傷だらけの体を見て、ぞくりとした。これが人間の所業なのかまるで獣の仕業ではないか。

「キルアすまなかった私のために」カイルは心配そうに声を上げた。

「いえ、私が進んでした事です。どうか気にする事がないように」キルアは平静を装った声で答える。

「本当にすまなかった。すまなかった」

カイルはすがるように目には涙を浮かべながら謝った。

「カイル王子はカイル王子のやりたいことをやってくださいませ」

近衛兵が近づいてきてもう時間だと言う。さっさとどっかにいけという意味だ。

「それではさようならカイル王子」体中傷だらけながら威厳に満ちた一言だった。カイルはそう記憶している。しかし、去り行くキルアの姿が小さくなるにつれ、カイルの決心は固くなっていった。カイルは銀貨の入った布袋を取り出すと銀貨を取り出し、布袋を捨てた。その布袋は父親ロイからはじめてもらった誕生日プレゼントだった。

 

 カイルは広い居間に幽閉されることになった。跡取りであるため、拷問は受けなかった。

カイルは幽閉されている間ずっと考えていた。父親の非道な行為についてだ。自身を救ってくれた医者をそこまで痛めつける理由がどこにあろうか?カイルはロイ王が残虐な行為に出た理由が自分にある事を知るよしもなかった。父にとっては子は宝そのものなのである。それを奪われそうになれば命を懸けてでも守るのである。

 

また、カイルはここから脱出して火の鳥の会へ行こうと思っていたが、高さ十メートルの四階の部屋で周りには兵隊達がいて、一日中カイルを監視している。ここで俺の思いは潰えるのかと飾られたバラに話しかけていた。そして監視されていた兵隊達から聞かされた話は、カイルの心を折るものだった。身分制度がより厳格にされるとの勅令が王ロイから出されたのである。詳しく言えば、王族、貴族と平民が交流するのは原則として禁止。直接会話するには書類を提出して、貴族院の審議が必要になる事など、日常生活にも支障をきたすものであった。それでもロイは自身の正義を貫こうとしていたのである。息子を取り戻すという正義のために。

 キルアの体はボロボロだった。鞭で打たれた体が悲鳴をあげている。飲まず食わずで腹と背がくっつきそうだ、ただ目だけは真っすぐ見据えられていた。自分だけが見える未来を夢見ていたのだ。それは覚悟という人間が人間らしく生きるための最後の砦を持っていたからであった。そして信念が呼応するように人を呼び寄せる。キルアの家に、メキが尋ねてきた。火の鳥の会は密偵を持っており、ある程度の情報なら掴む事が出来たのである。

 早速、キルアは火の鳥の会に入会した。それは、カイルを助けるためである。もし今度捕まれば死罪は免れない。いや、火の鳥の会全員が身分制度の撤廃を求めているのだから、今のロイ王の機嫌からいえば全員死罪になるだろう。全員が最後の砦の中で信念を貫いているのだ。キルアはそれに感銘を受け嬉しくなった。自分一人だけではなかったと。

また日の鳥の会は貴族も仲間にしていた。エリッサやブリッジ含めて二十名ほど。数は少ないが才知に長ける人物が集まった。ひとえにメイルの強い思いとリーダーとしての資質が貴族達の心を懐柔したのであった。みんなの思いは一つだった。「カイル王子を助けよう」誰かが言った。それに呼応するように互いの信念が重なりあり一条の活路が見いだされた。密偵の中には、貴族達も近衛兵もいる。これをうまく使えば、無傷でカイルを救出できるはずだとメイルは考えた。キルア達も案を提出した。エリッサとブリッジも城の仕組みを教えた。そして神の足跡をたどるような精巧で緻密な作戦は実行されることとなった。

 

 「おい、あっちで煙がたってるぞ!」「こっちに熊が侵入した応援頼む」「おい近兵隊が倒れてるぞ何かあったのか」

あちらこちらで怒声と悲鳴が飛び交う。その隙にカイル王子は城から逃げ出していた。カイル自身も当惑するぐらい見事な救出劇だった。後に残ったのは、気絶した近衛兵と、サーカスから逃げ出してきた熊と発煙筒が数本だった。カイルは尋ねた。

「なぜ危険を侵してまで助けに来た」

「それはお主が新しい火の鳥の会のリーダーだからじゃ」とメイルは言う。

メイルはキルアからすべての経緯を聞いて決めた。自分を犠牲にしても他人を助ける精神。他の王族、貴族には見られない。カイルが傑出した人物である事を認めると同時に組織がどのようにしたらいいのかメイルは考えていた。王族であるカイルをリーダーにすれば次期、国王も自動的にカイルになる。そうすればすべて丸くおさまり血もそれほど流さなくてもよいのではないかという考えだった。カイルはカイルで、父親と決別した今、なんの未練もない。王の首だってきっと取れる火の鳥の会を率いる事に異論はなかった。

 

 ロイ国王は負かされても心の折れるタイプではなかった。むしろ敵対する相手をどう負かしてやろうかと思案していた。その目は冷徹だった。ロイ国王は知っていた相手がどのような事を考えているのか?どのような人物達なのか?だから、相手が最も嫌がる事をしてやろうと考えていた。それは到底人の仕業とは思えない所業だった。

 

 噂を聞いたのは密偵として潜入しているエリッサからだった。なんでもエリッサの話によれば、これから貴族の王族の繁栄を祈願して、人身御供を神に捧げるというのだ。もちろん平民から選ばれる。人身御供になったものは、その血をすべて貴族、王族に捧げるという意味を込めて、心臓をえぐりだしそれを天に掲げるというのだ。カイル達は激怒した。これがカイル達を捕まえるための罠という事はわかっているだけれどもカイルは譲らなかった。

「今ここで譲れば、平民を見殺しにした組織として一生後ろ指さされる。そんなのは、ごめんだ」メイルやエリッサ、ブリッジ、メキなどは同調してくれた。キルアは冷静に考えていた。相手の罠だから、今回動くのはよそうと提案したが焼石に水だった。

血気盛んに雄たけびを上げる火の鳥の会のメンバー。その時だった。ルキが血を吐いたのだった。あわててルキによるキルア。

「おい、どうしたんだルキ大丈夫か?」カイルは悲鳴にも似た声をあげる。

「大丈夫かいルキ君、ゆっくり呼吸して、そうはいてーすって-」

「どういうことだルキは大丈夫じゃなかったのかキルア」

「これは未知の病気です。我々の技術ではどうしたらいいものかわかりません」

「ルキは大丈夫だと言ったぞ!それが嘘とでもいうのか!」

取り乱すカイルをなだめるキルア

「ルキ君は気丈な子です心配しないようにそう言ったのでしょう」

そんなどうにかならないのか」カイルは切実な目でキルアを見る。

「どうにかならないこともないですが、この国の医療ではなく別の国の医療フミル国の医療なら治せるかもしれません」

カイルは一瞬ほっとしたが、すぐに事の重大さに気づいた。

「フミル国は隣国とはいえ、海を出て足の速い船でも五日はかかる、それまで持つのか」

「そればかりはわかりません」カイル王子の激情を冷静な表情で受け止めながらキルアは言った。

「それでも俺は行くぞルキを連れて行く」

「ちょっと待ってください、今リーダーに抜けられたら、ロイ王の横暴を止められません考え直してください。私たちにはあなたが必要なのです」と声を上げたのはメイルだった。

「すまぬ。できぬのだ。キルア地図をくれ」

ざわつく室内。カイルを人望についてきた貴族達もざわついていたが次の一言で希望を打ち砕かれた。

「その通りだ。俺はリーダーには相応しくない、ルキのほうが組織より大事だ。そんな私情を挟む人間にこの会をまとめる力はあるとは思えん後の事はメイル殿にすべてを任すキルア、フミル国までの地図と馬を貸してくれ」

キルアは何事もなかったかのようにタンスを漁ると一枚の地図を渡してくれた。

「馬はこちらです、さっ、急いでいきなされ」れ」抑揚のない声でキルアは言った。

カイルが必要なのは言うまでもない。しかしルキの急変で事態は変わった。カイルにとってルキは初めてともいえる親友なのだ。天秤に載せるまでもなかった。

「それではリーダーの任を解く」メイルが言った。

キルアはカイルに地図と馬を渡し、

「船はこちらから手配しておきますどうかご無事を祈っております」と暖かい表情だった。

 

 カイルは馬を走らせていた。途中町中をつっきったのだが、物乞いをする者、病気で苦しんでいる者。カイルが想像していたランス国はそこにはなかった。それもこれも富の偏在を生みだす身分制度のせいなのだが、今のカイルはそれを考えている暇はなかった。

一刻も早くフミル国の治療をルキに受けさせなけば。生と死の境界線がそこにはっきり見えているのだ。それを馬で一歩づつ踏み越えながらカイルは進んだ。幸いにも食料と水はあらかじめキルアが用意してくれていたのでそれには困らなかった。船に乗り込んだカイルはルキに向かって

「しっかりしろよルキ、今助けてやるからな」願望にも似たはげましをし、カイルはランス国をあとにした。

 

 何もかもが新鮮に映った。建築物、人々の華美な服装、整理された道路。フミル国とはこんなにも進んでいるのかとカイルは感嘆した。そして、首をプルプルとふり、病院を探した。最初、病院に入った時は好奇と嫌悪の眼差しが向けられた。なにしろ丸五日は風呂にも入ってないし、服も異国のものでボロボロだ。それでも言葉は通じる。カイルが勉学優秀で語学も堪能だったからだ。一刻も早くルキを診てもらわねば。カイルはここまで来た苦難が報われると思った。しかし、医者の言葉はカイルを地獄に叩き落すものだった。

「残念ながら、この病気は不治の病です」

「そんなわけないでしょうちゃんと診てくださいよ。あんた医者だろ」食い下がるように言うカイル。

「せめて延命に使える薬は出しときます」

「お兄ちゃんもういいよ帰ろう」ルキが衰弱しきった様子で語る。

「そんなわけにはいくかよ!国を捨ててお前を助けるために来たんだぞ!」怒声が飛ぶ。

「お兄ちゃん慌てないで延命の薬貰ったし、吐血も減ってきてるしお医者さんもこれ以上何もできないしここにいてもしょうがない帰ろう」

「ちくしょう。ちくしょう…」

帰り道、憔悴しきったカイルとカイルを励ますルキの姿があった。整理された道路を歩いていくと途中、雑貨店の新聞が目に入った。新聞の見出しはランス国、クーデーター失敗の文字。慌てふためいて手持ちの銀貨で新聞を買うカイル。どうやらキルア達はクーデーターを試みようとしたみたいだ。そして反逆罪として全員捕縛されたというのだ。カイルはすべて終わったと思った。そもそもルキ一人救えない男に国を救うなどどだい無理な話だったのだ。途方に暮れるカイルに喝を入れたのはルキだった。

「へいへい弱虫王子は何にもできないのかい?そんなんじゃみんな悲しむぜ」力が出ないのか

ルキの声は小さい

「うるさい。もう諦めたんだ。これからの事はゆっくり考える」すっかり元気をなくしたカイル。

「サクルの花の話は聞いたよね?なんでも食べれば何でも願いが叶うといわれているサクルの花、あれ本当なんだ。元は鹿が食べたって聞いたけど人間でも食べれるよね」

「鹿の話、その話なら俺も知ってる、仲間の鹿を助けるために自らが囮となって、仲間を救ったっていう話だろ。そんなの作り話だよ」

とカイル言ったところで、頭の中で何かがはじけ光明を見出した。これならいけるランス国を助ける事が出来る。一縷の望みにかけたカイルとルキはランス国に戻った。

 

 「薬飲んでおとなしくしてろよお前は病人なんだから」カイルは教え諭すように言う。

「大丈夫大丈夫…ゴホッ…」ルキの病状は日に日に悪化している。しかし薬で延命する

以外の手段はなかった。カイルは知り合いの貴族にルキを預けると、一路ランス国の城へと向かった。

 

 城の真正面に立ったカイルは叫ぶ。

「我こそはランス国の王子なり、残虐非道を繰り返すロイ王へ接見を申し出る」

威勢よく言葉を放ったが、乗ってくれるか、カイルの祈りは通じた。ロイ王が城を出てきたのである。噂に飲まれて聴衆は国民全員が見ていた。あらかじめ、カイルが噂を流しておいたのだ。

「我が恥、愚息が何の用だ。今更になって王座が欲しくなったか」ロイ王の低くて大きい声がこだました。

「我が父上ロイよ、どうして身分制度に拘る。そんなにも富が惜しいか」

「身分制度の事を言っておるのか、それは何度も話しただろう、国を維持していく上で一番大事なのは上から物事を見る事じゃ、鳥のように。全体を見渡したら、この制度が一番いいんじゃ」

「鳥は下からも物事を見る事が出来ます。王は一度鳥になられたらよいのでは?さすれば

一番良い解決方法が見えてくるというものです」

「鳥になれるのであればそうするわ。しかし人間は鳥にはなれぬ」

「先ほどは鳥のようにと言いながら、都合が悪くなったら鳥にはなれぬとは笑止千万。ロイ王はボケてらっしゃるすぐさま王の座位から落ちられよ」

「なんという言い草じゃお主を愛しておったから、今までの無礼許したのだぞ。もはやその言い草勘弁ならぬ

兵隊共こやつを拘束しろ」

「兵隊達が捕まえようとするとカイルは横へ飛び縦へ飛びかわすかわす」

元々馬術の腕前はあったがこの日は神がかっていた。しばらく競技のような捕り物が続いた。平民達はカイルを応援した。その時城から煙があがった城壁の破られる音だ。火の鳥の会のメンバーは全員捕獲したはずだ。

誰がいったい壁を破ったというのだ。ロイ王は呆然とした。城の国旗が降ろされていく。代わりに上がるのはフミル国の国旗だ。フミル国に占領されたというのか?だが一体なぜ?

 

 五日前の話。カイルはランス国に戻る前にフミル国の首領に会わせてくれと、首領の邸宅の前で懇願していた。

「我が名はランス国王子カイル=ランス、フミル国の首領に会わせてくれないか、そのためにはるばるランス国から海を渡ってやってきた」

やがて邸宅から出てきた刈り上げた白い髪に白いひげをたくわえた包容力がありそうな中年の男性が、

「なんの話をするというのだ、私たちは蛮族とは話し合う気はない」と言い放った。

あなたがフミル国、首領のツォンガ様ですね。

「いかにも、お主は本当にカイル王子か?」

ツォンガはカイル王子のボロボロの衣服と背中に抱えた少年を見て、訝しんでいた。

「私は本物のランス国の王子です。王子の証、緑の夢も持っています」

緑の夢とは緑色の結晶で、その昔、ランス国とフミル国で国交があったころ、友好の印としてフミル国からランス国へ送ったものである。

「おぉ噂には聞いた事があるこれが緑の夢か」一考した後ツォンガは続ける「で、その国の王子様が一体なんのようなのだ」口調には棘があるように感じられた。

「ランス国が国家存亡の危機に陥っているのです。どうか助けてくださいませ」

「未だに専制主義を採択している国なぞ滅びて当然じゃ、どうして助けてやる義理がある」

「ランス国の地下には二百kgの金貨があります。もし我が国を滅ぼしてくれた暁にはそれをさしあげますしかし、その後の統治はフミル国が行ってくださいませ」

これは事実だった。ランス国は鉱山に恵まれた土地であり、長年積み上げてきた金貨は二百kgにもなるのであった。

「フンッ」とツォンガは鼻で笑い「どうして自国を滅ぼすために金貨を差し上げる王子がどこにおろう嘘も甚だしい」

「本当だよ。みんなを救うためにやるんだ」ルキの強い声が当たり一面に響き渡った。

「…本当なのか?己の国を滅ぼして金貨を差し出す。その理由はなぜじゃ」

「炎の化身の鹿だからです。国民の事を考えればこれが一番良い」

「その本は読んだ事がある。だがそのような世迷言を信じている輩がいようとは…しかしお主の城に攻め入れば血が流れるぞ

それでもよいのか」

「血は流させません。私自身が囮となって、城から国王をおびき出します。その隙に城に潜り込んで旗を入れ替えてください」

「それでも外に出た兵は城目がけて突進してくるだろう」

「大丈夫です私を信じてください」目に光を湛えたカイル王子の一言に気圧された。蛮族だと思っていたのに、この思慮深さはなんだ。ツォンガはカイルの目を見て、決心した。

 

 城ではフミル国の軍隊が城に残った兵隊達を捕縛していっている。多数に無勢、逆らうものはいなかった。捕らえられたカイルには最後の仕事が残っていた。

「今こそ立ち上がれ炎の化身の鹿どもよ」カイルの声がとどろき、山にこだまする。

カイルは平民達が一人一人が戦う事を理想としていたのだ。炎の化身の鹿は誰の心にもあるはずだと思って一縷の希望に賭けたのである。しかし躊躇する平民達。畳みかけるように言うカイル

「このままでは圧政は永遠に続くぞ、自分の尊厳だけではない父から繋がれたその血をもって、子供のために今こそ戦う時なのだ勇気を前へ!」

するとカイルを捕まえた兵隊が

「黙れ首を掻っ切るぞ」とすごんだ。

「私はどうなってもよい、ただ自分達の事を考えて今こそ戦う時なんだ。その手はなんのためにある。その足はなんのためにある。子供に勇士を自慢するためではないか、戦え平民よ。勇気を前へ今の一歩の積み重ねが歴史を作るのだ勇気を前へ」

「勇気を前へ!」なんとそこにはルキの姿があった。いてもたってもいられなくなって駆けつけてきたのである。

「何のためにお兄ちゃんが犠牲になっていると思ってるんだよ。みんなが血を流さないようにしてるんだよ」

ルキが石を兵にぶつけた。すると平民達がどんどん後に続く、石を投げつけられ前面からは平民、後方からはフミル軍にはさまれた兵隊達。戦う気力をなくして白旗を上げた。

「おい何をしているんだ!」ロイ王は狼狽した。

事を察したフミル国の軍隊が城から出てきて次々と兵隊を捕縛していく。ロイ王にも手が伸びた瞬間、

「わしが負けたという事はわしが間違っていたという事、償いは自分の手で行う!」

ロイ王は絶叫した後、自らの刃を自分の首にあて思いっきり斬った。飛び散る血の量が生か死か一目瞭然にした。

カイルは泣き叫んだ。自らの愛情すべてを吐き出しても足りないくらい泣き叫んだ。

 

 フミル国は金には興味がないという。ただ身分制度をなくし共に発展していきたいというのが本音だった。事実、国王が死んだ後は、火の鳥の会に主権を渡し、フミル国軍は海の向こうへと消えていった。

 束の間の平和に、安堵したカイルはルキのベッドの傍らにいた。ルキがもだえ苦しんでいるのに何も出来ない自分を責めていた。

「ルキ大丈夫か」

「お兄ちゃん話があるの」残りわずかな力をふりしぼったルキの声がカイルの胸をうつ。

「なんだこんなときに」

「あのね……」

 『一年後』カイルは歩いていた。町は栄えて、はじけそうなほど熱い活気で満ちていた。しかし、みんながみんな豊かになったわけではない。貧乏なものもいる。普通の市民になったカイルは市場で、野菜を売っていた。金持ちからは、金をあるていどとり、貧乏人からは少しの値段で、カイルの商才がさんさんと輝いていた。

 民主化記念に、カイルの銅像を作ろうという事になった。偉大な王子カイルのためならと多くの人達が金や宝石を出して銅像を作った。その銅像は宝石を纏っていて、まるで豪華絢爛を絵にしたような出来栄えだった。ここまですることなんてないのにとカイルは思ったが、銅像を作るのはルキとの約束なので不承不承といった様子で納得していた。

 或る日凍えるような寒い冬の事、銅像の宝石がもぎ取られているとの噂をカイルは聞いた。市場で盲目の老婆に安く売っていながら盗人には盗人の生活がある。そんな事を考えていた。

そんな時、宝石を加えたツバメが市場の入り口から出口へと出てきた。カイルは直観で何かを感じ取った。急いでツバメの後を追うと、ツバメは布で出来たテントの中に入っていった。テントは一時的なものではない。中には貧しくて木造の家にも住めない人たちがくらしているのだ。雪で凍えるような寒さが足から全身へと襲ってくる。まだこんな暮らしをしている人がいるのかとカイルは歯がゆく思った。中を覗いてみるとツバメがホームレスの人に宝石を渡しているではないか。そして、宝石を渡し終えると、外へと出てった。カイルの胸が騒いだ。ツバメの後を追って、カイルは走った。

銅像の前まで来たカイルは宝石がすべてはぎとられた銅像をみた。すると銅像が話しかけてきた。

「お兄ちゃんやったよすべて終わったよ」

 そうか、銅像はルキの生まれ変わりだ。あの日ルキと約束したのは銅像を作る事だったが、貧しいものたちのためだったとはカイルは感嘆した。

「じゃあツバメはどうなるんだ。カイルは地面で朽ち果てていくツバメを見やった」

「お兄ちゃん、薔薇の花がそこにあるでしょ」

銅像が話しかけてきた。

「私の母イルマイールが愛した花だ」

「そう、その花をツバメの体に添えてあげて」

「ひょっとして、このツバメは私の母の生まれ変わりなのか?」

「違うよ、あなたの母の愛したものをすべて受け入れた人だよ」

 カイルは体が硬直した。こんな形で再開するとは思いもよらなかった。

ツバメの体の傍らに薔薇の花を添えると、ツバメは涙を流した。

「父さんありがとう」カイルはそう言うと、ツバメに降り積もる雪を除け、丁重にツバメを弔った。

「これでよかったんだな、ありがとうルキ」

銅像は何も答えなかった。

「また、生まれ変わったら僕に会いに来てくれよ」カイルは空を仰ぎながら、薔薇の花を握りしめた。

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